12 アンサン聖池

「…………あっという間に着いちまったよ……」

 

 歩いて2日ほどかかると思われていたアンサン聖池。その場所に俺たちは立っていた。ギンの背中に乗せられてからまだ半日も経っていない。

 

「ギンさん、ありがとうございます」

「ウォルフンッ」

 

 アイラがその喉を撫でるとギンは息を整えながら少し得意そうに鳴いた。休憩を挟みながらの移動とはいえ、移動する時は全力失踪だ。もっと遅くてもいいと声をかけたのだが、そしたら何故かもっとスピードが上がったので声をかけることを途中からやめていた。

 

「ヴォフッ」

「よしよし、ありがとうなギン」

 

 こちらを伺うようにチラチラと視線を感じたのでお礼を言いながら撫でてやると、伏せて満足気にそこで休み始める。忠犬だ……。

 

 しかしついに長旅の末遂に辿り着いた。アンサン聖池、この国の最北に位置する聖地で雪が降るほど寒い気温の中でも凍らない水を満たした大きな池。

 池というかもはやこれは湖では無いのか? 水際から少し離れたところに立っているが、向こう岸はうっすらとしか見えない。あれだっけ、湖と池には明確な分け方は無くて人工的に作られたものをなんとなく池と呼ぶみたいな。そんな俺の思考を読んだわけでは無いだろうがアイラが解説をしてくれる。

 

「このアンサン聖池はここまでを我が帝国の領土にすると示すために、初代の巫女が掘らせたと言われています。水は向こう岸にある山からの雪解けによって満たしたそうです」

「……この広さを?」

 

 初代の巫女、世界を平和に導いた立役者ではあるのかもしれないけど少しネジが飛んでいるようだ。

 

「水が凍らないのはこの池の底からは魔力が噴出していて常に流動的な魔力に満たされているからなんです。普通の生き物は住めない環境ですね」

「へえ。俺は特に何も感じないけど普通の人はこの辺に近づくとなにか感じるものなの?」

 

 ここへ来る間、後ろに飛び去る景色の中に人の気配は感じなかった。

 

「はい、オクライ山の頂上もそうですが基本魔力が濃い聖地は普通の人が近づけば魔力にあてられてしまいます。中毒のような症状で下手すれば死に至るので、ワレスの街よりこちらへは近寄りませんね」

 

 なるほど。平然としているがアイラとギンはそれに耐えられるだけの何かを持っているということなのだろう。俺は恐らくこのアコギに守られている。ここまで来てしまえば安全だということか。

 

「はああ……なんか一安心って感じだな」

「とりあえずはそうですね」

 

 2人して胸を撫で下ろす。ライとの決別から何かに追われるような気持ちでザワついていた心がやっと少しだけ落ち着いた気がする。しかし本題はここからだ。

 

「で、祭壇っていうのはどこにあるんだ?」

「アンサン聖池の祭壇はこの丁度対角の向こう岸にあります」

 

 なるほど、霞んで見えないがこの向こうに目指す場所があるらしい。

 

「ということはこの横の岩場をずっと歩いていくわけか」

 

 ここアンサン聖池はゴツゴツとした岩場に囲まれており、歩けないほどでは無いが移動には少し骨が折れるだろう。ギンに乗っていくのも無理そうである。

 

「まあ少しずつ進んでいきますか……なあアイ……」

 

 くぅ

 

 話しかけようとしたところで可愛らしい音がした。

 

「ラ、朝から何も食べてないし飯どうするって話をしようと思ったんだが」

「す、すみませんっ」

 

 顔を真っ赤にして謝るアイラ。なんというタイミングの良さだろう。黒布をつけていないと表情の変化がよく分かって面白いな。

 

「皇女様も腹ぺこなようだしなんか食べたいけど、荷物全部置いてきちゃったからどうしようか」

 

 水も食料も全てリュックサックに詰めていた。当然アコギ以外手ぶらの今、それらは手元にない。お金は常に身につけていたためそれだけはまだ救いだ。

 

「……そうですね。この池で釣りをしてみてもいいですが釣竿がないですし釣れたとしても聖獣……この場合は聖魚になりますが、そういうものになってしまうので食べるのはちょっと……」

「聖魚……」

 

 それ自体には興味があるが確かに食べようとは思わない。それに俺は火を通した魚が嫌いだ。異世界で生の魚は怖いし。

 

「岩場だし沢蟹とかいないかな」

「サワガニ?」

 

 アイラの反応を見るにこの世界には存在していないらしい。しかし困った。これでは食べられるものが何も無く飢え死にだ。

 

「祭壇まで辿り着くことができれば転移魔法陣でオクライ山にあった食料をこちらまで持ってこれるのですが祭壇まではどんなに早くても1日はかかります。水は私の魔法でどうにかなりますが食料はどうにも……」

「そうか……」

 

 どうしたもんかね。

 ギンの方を見ると彼女は優雅に毛繕いをしていた。このわんちゃんも食べ物は必要だろう。

 

「ちょっと危険だけど俺がワレスまで引き返して色々調達してくるか? ギンに乗っていけば夕方には帰って来れるだろ」

 

 アイラは今顔を隠すものが無い。万が一を考えるとここで留守番してもらうのが正解だ。来る途中に使えそうな薪を拾ってきていたので凍えることは無いだろう。

 

「しかしサクライ1人で大丈夫ですか……? 職札はあるので買い物自体はできると思いますが……」

 

 アイラは不安そうな顔でこちらを見つめる。そうだよねえ。俺もめっちゃ不安。この世界に来てから1度も1人での行動というものをしていない。果たして余所者の俺がこの世界で上手くやれるだろうか。

 

「まあ、言葉も通じるしきっと大丈夫だろ! ギターも持ってくから何かあってもなんとかするさ」

 

 ワレスはヤイタより聖地に近く魔力が濃い。魔法は問題なく使えるはずだ。尚も心配していたアイラだったがそれしか無いと分かっているのか最後には折れた。

 

「それでは……これを持って行ってください」

「……これは?」

 

 アイラが首から下げていたペンダントを外す。髪をかきあげる動作にドキッとした。

 

「私が産まれた時、母とのペアペンダントとして貰ったものなんです」

 

 ハートを逆さにして半分にしたようなペンダントトップがついているシルバーアクセサリだ。

 

「いや、そんな大事なもの受け取れないって! アイラにとっちゃ形見みたいなものだろ……?」

 

 両手を振って受け取りを拒否するがアイラは俺の手にそれを握らせる。

 

「これは私を守ってくれるお守りみたいなものです。きっとサクライのことを守ってくれます」

 

 見た目の大きさに反してズッシリとした重さを感じるそのペンダントを受け取る。アイラの温もりが少し残るそれは俺の中の不安をも和らげてくれる気がする。

 

「……分かった。大事に持って帰る」

 

 そう言うとアイラは微笑んで頷き、俺の手からペンダントをとって首に付けてくれる。……なんか死亡フラグ立ってないか? 俺。

 

「お母さんはどんな人だったんだ?」

「そうですね……とても優しく、聡明な方でした。巫女としての力も一流で。お身体が悪くなければ今でも巫女として立派に働かれていたと思います」

 

 少し悲しげに話すアイラ。

 

「そか。自慢のお母さんだったんだな」

「……はい」

 

 その巫女の崩御により始まった一連のクーデター。アイラがこんな立場になってしまっているのもそれが発端だ。巫女1人の生き死にで左右されてしまう国というのもどうかとは思うが、神を信じ巫女を信じるということはそういうことなのだろう。アイラから金が入った小袋を受け取りながらそんなことを考える。

 

「これが石貨、銅貨、銀貨、金貨です。食料と日用品、着替えあたりをよろしくお願いします」

「1人でのお使いはちょっと緊張するなあ……」

 

 この世界に来てから一度もアイラのそばを離れたことがなかった。初めての1人での買い物、海外旅行とかに行くとこんな気持ちなのかな。

 

「ライさんが私達のことを憲兵などに話していた場合手配書が回っている可能性もあります。本当にくれぐれも気をつけて……」

 

 ギュッと握り合わせて不安そうにするアイラの両手にポンと自分の手を重ねる。

 

「大丈夫大丈夫! 昨日も何だかんだ俺だけは無傷だった訳だし、何事も無く帰ってくるさ。最強の神の使い様だぞ?」

 

 冗談めかしていうと少しアイラが微笑む。うん、そうやって笑ってくれている方がいい。

 

「まあこのアコギそのまま持ち歩くのはめちゃくちゃ目立ちそうだけどな……」

 

 しかしこれを置いていく訳にはいかない。万が一何かあった時、これが無ければ終わりなのだ。自動防御魔法がどの程度の範囲内で無効になるかは分からないがどれだけ離れても発動するということは無いはずだ。これに頼るなどという事態にならないのが一番だが、この世界の治安はあまり良くない。

 

「よっし。ギン、いけるか?」

「ヴォフ!!」

 

 俺の問いかけに元気に返事をする。言葉、どれくらい理解してるんだろうな。

 

「ワレスはここからだと南西方向にあります。少し行けば道に出ると思うので迷うことは無いかと」

「おっけ〜。じゃあ行ってくる!」

 

 アコギを背に背負い、伏せてくれたギンの背中に跨る。この猛獣、本当に昨日襲ってきたのと同じ個体なんだろうか? あまりの従順さにそんなことを考えているとギンが立ち上がり身体が少し揺らついた。慌ててギュッと毛を掴む。なんか安定する鞍とかつけられたらいいけど流石にそこまでするのは可哀想かなあ。

 

「それじゃあワレスへ……出発!」

 

 宣言と同時に矢のごとく飛び出すギン。振り落とされないように必死にしがみつく。

 

「……どうかご無事で。サクライ」

 

 出会って半月の2人はこうして出会って初めての別行動をするのだった。

 

 

 

 

 

「アルナさん。昨日の若者を連れてきました」

「おう、入れ」

 

 ドアの外にそう声をかけると部下に連れられて道具鍛冶の若者が入ってきた。ヤイタ憲兵の詰所は街の入り口近くにあり、外からは出入りする商人たちの賑わう声が聞こえてくる。

 

「悪いな、また呼びたてちまって」

「……いや、大丈夫でさァ」

 

 山賊の襲撃を受け、身柄を引渡しに来た小柄な男は昨日よりもやつれたように見えた。目の下のクマを見るに眠れていないのだろう。

 

「今回来てもらったのは、昨日引き渡してもらった山賊が妙なことを騒ぎ立ててるもんでその事実確認の為だ」

 

 ピクリとその男が反応したのを見逃さずに質問に入る。

 

「ライと言ったか。単刀直入に聞くが、お前は本当に1人での旅をしていたんだな? 同乗者や用心棒は雇っていなかったと」

「……あァ。1人でヤイタまで旅をしてきた。ギルドに確認してもらえば分かるはずだ」

「ふむ……」

 

 手元の書類に目を落とす。昨日部下に調べさせた限りでは確かにこの若者はギルドで用心棒を雇ってはいなかった。クランクランからヤイタという長旅で用心棒をつけないというのはあまりに無謀ではあるが、少なくともここに関しては裏が取れている。

 

「確かに職札を照合したが、クランクランでは売買の履歴しか無いようだな」

 

 机の対面で息を吐くライという若者。だがまだ終わってはいない。

 

「しかしそれならどうやって山賊を撃退したんだ? 積み荷にはナイフ等はあったがそれだけであの数を1人で倒せるとは思えん。しかも馬車にはほとんど傷が無かった」

 

 相手の目を逃さぬように見つめ問う。

 

「……体術とナイフでさァ。撃退できたのはたまたま運が良かっただけで」

「そうか。体術とナイフね」

 

 ここだ。相手の証言を引き出したここで証拠を突きつける。

 

「山賊達の身体を調べたんだが、どうやらあの傷は全て魔法によるものだった。そして山賊の長はとある人物が自分達を撃退したと述べている」

 

 目に見えて身体が強ばったのが分かった。反応は劇的だ。これはクロ、か。

 

「なあライよ。お前は何を隠している?」

「…………」

 

 若者は答えない。だがその沈黙は肯定である。本当に……そうなのか。

 

「今この国は大きく傾いている。先代の巫女トーカ様が亡くなってからは災害続き。そんな状況を憂いたカルム様がクーデターにより実権を握り、真に人の手によりこの世界に平和をもたらそうとして下さっている」

 

 ライは何も言わず俯いている。

 

「その中で現在の巫女アイラ様が王宮から逃げ出された。今全国にアイラ様の捜索願いが出ていることはお前も知っているな?」

「……あァ」

「もう一度聞く。お前は本当に1人での旅をしていたんだな?」

 

 答えない。しかし身体は小刻みに震えているようだ。これはもう確定か。

 

「もしお前がアイラ様を匿い逃がしていたとすれば、逃走幇助罪。そして現在の状況においては国家反逆の罪に問われる可能性もある。国家反逆罪の刑は極刑だ」

 

 ライがビクリと身体を震わせた。

 

「もし今お前が正直に証言をするならば、俺が便宜を図ってやってもいい。アイラ様を発見したとなれば俺には明るい未来が約束されるだろうからな。お前にとっても悪くない話のはずだ」

 

 アイラ様を発見し、連れ戻すことができれば出世は間違いない。こんな北の街で憲兵長をする生活ともおさらばだ。

 

「俺……俺、は」

 

 身体を震わせ喉から絞り出すように、ついに証言を……。

 その時、鋭いノックの音が部屋に鳴り響いた。

 

「チッ。なんだ! 今は重要な聴取中だぞ!!」

 

 アルナの怒声にも怯まず、1人の兵士が部屋に入ってくる。

 

「失礼します! 急ぎお伝えしなければならない事があって参りました。現場の足跡と血痕を辿った結果、北方の森にて強力な魔力痕が確認された模様。焚き火の跡も発見したためそこに滞在していたのは間違いないかと」

「そうか。そこからどこに移動したかは分かるか?」

「いえ。現場には焚き火の跡と人、そして獣の足跡だけが残されておりその場から去っていったのは獣だけのようです」

「獣……ヤイタ狼か?」

「それが……足跡自体はヤイタ狼で間違いないのですがその大きさは通常個体の10倍以上あり……」

「まさか例の聖獣か?」

 

 最近ヤイタでは地震の影響による地割れにより生じた魔力の噴出によりヤイタ狼が凶暴化、大規模討伐が行われた。その過程で普通のヤイタ狼とは比べ物にならない大きさの白銀のヤイタ狼が確認されていた。こちらを襲ってくる気配は無かったのだが、血痕もしくは強力な魔力に引き寄せられたのか。

 

「もし聖獣に襲われたのだとすると手負いの状態で太刀打ちできたとは思えない。死体は無かったのか」

「現在も捜索させてはいますがその場には残されていないようです」

「ふむ……」

 

 骨も衣服も残さず全て食われたか。それとも?

 

「その聖獣はどっちに行ったかはわかるか?」

「は! 恐らくですが北の方に行ったかと」

「更に北方……。そっちにはワレスと」

 

 アンサン聖池。

 

「今すぐ捜索隊を組織しろ。指揮は俺が取る。A級B級魔法使いをかき集めておいてくれ。もし予想が正しければ……奴らはアンサン聖池にいる」

 

 半月前、オクライ山の頂上に光が降った。その噂は目撃者からあっという間に広まり、神が戻った、巫女としてアイラ様が覚醒されたと確証もないまま全国に広まった。

 それが真実だとするならアイラ皇女は聖地を巡り何かをしているのかもしれない。なんのためにこんな最北の地に来たのかが分からなかったが、それなら説明がつく。聖獣を何かしらの手段で撃退し逃走をしたのなら行先はそちらしか無いだろう。

 

了解ヤー!」

「ここでアイラ皇女を捕らえることができれば大手柄だ! 気張っていけ!!!」

 

 激を飛ばして報告に来た兵士を追い出す。

 

「さて、ライよ」

 

 一連の流れをただ眺めていた若者に声をかける。

 

「もうお前から聞き出すことはほぼない。黙秘を続けたことにより投獄は免れないが、俺は確証が欲しい」

 

 黙って顔を上げてこちらをぼーっと見るライ。

 

「今本当のことを言うならここから返してやってもいいだろう。言え、お前が共に旅をしていたのは誰だ?」

「それ……は……」

 

 鼻が触れるかという距離で尋問を受けた若者にはもう逆らう気力は残っていなかった。ぽつりと一言、漏らしたのだった。

 

 

 

 

 

「…………暇ですね」

 

 長い髪をかきあげながら焚き火の前に座り呟く。オクライ山で祭壇に祈ったあの日以降、ずっと隣にサクライがいた。あれからまだ16日しか経っていないのに隣にいるのが当たり前に思って体感温度が寒く感じるから不思議だ。思わず手に息を吐きかけて擦り合わせる。

 

「本当に……ずっと一緒にいたような気がする……」

 

 お母様が亡くなって1年。その間の日々に比べてなんとあっという間で濃密な日々だったことか。

 そう。もうあれから一年以上経ったんだ。お母様が体調を崩され、そのまま崩御なされて巫女になって。翻弄されるままだった私は気がついたらこんなところにいる。激流に翻弄されて泣く暇すら与えられ無かった。

 サクライと出会ってからは泣きたくなるようなことは1度もない。毎日が新鮮で楽しくて。お兄様以外の男の人なんて深く関わったことなんて1度もなかった私が、安心して背中を任せられている。

 もし私に巫女としての力が覚醒して神様とのコンタクトが取れるようになったらサクライは帰ってしまうのだろうか。本来いるべき場所へ。

 

「……やだな」

 

 誰もいない静かな池の畔に小さな声は霧散していく。

 サクライの歌が聴けなくなるのは、話せなくなるのは、会えなくなるのは。それを考えると少し胸が痛む気がした。

 

「早く帰ってこないかな」

 

 ギンと共に駆けていった方向を見つめながら白い息を吐き出し続ける。パチパチと爆ぜる焚き火だけがそんな彼女を見ていたのであった。

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