11 ギン

「…………いや、どういう状況なのこれ」

 

 木の洞の中で目を覚ますとアイラがいない。泡をくって大慌てで外に飛び出してみればそこには、昨日撃退したはずの巨大な白狼とアイラが朝日を浴びながら寄り添って眠っていたのである。え、本当にどゆこと??

 

「おーいアイラさ〜ん?」

「うん……むぅ……」

 

 寝ているアイラのほっぺたを突っついてみるが、むにゃむにゃ言うばかりで起きやしない。その寝顔はとても健康そうなのでとりあえず安心ではあるのだが。問題は白狼だ。昨日俺の魔法で追い払ったのに……。もう一度襲いに来たのか? それならばアイラと寄り添って寝ている意味がわからない。

 

「まあなんか、平和そうだからいいかぁ……」

 

 少なくともここから殺し合いが始まるとは思えない。この1人と1匹が寄り添って眠る姿はとても絵になる。美しい女性と美しい獣。美女と美獣である。なんて考えていると狼がパチリと目を覚ました。

 

「っ……!」

 

 昨日の戦闘を思い出し身構える。やばい、ギター木の洞の中だ……! しかし戦闘が始まることは無かった。

 

「ウワフッ」

「んむっ……」

 

 俺の姿を認めると直ぐに体勢を整え、俗に言うお座りのポーズを取る。視線はずっとこちらに向けたままだ。背筋を伸ばしてお座りをすると俺の身長をゆうに超えている。怖い。

 ちなみに狼に寄りかかっていたアイラは地面に転がされていた。うめき声をあげていたが大丈夫だろうか。昨日はあれほど心配していたのに目の前の光景が非現実的、平和そうに見えて、駆け寄って助け起こすほどの衝動に駆られることは無かった。

 

「ん……うぅ……何ですか……?」

 

 あ、起きた。

 

「サクライ……おはようございま……す……?」

 

 目を開けて身体を起こしてから目の前の白狼を見てフリーズするアイラ。気持ちは凄くよく分かる。しかし10秒ほど思考した後にこちらを見てにへらと笑った。なんかよく分からないけど俺も笑い返しておいた。

 

「あの、これどういう状況?」

「……私もサクライから聞きたいことがあります」

 

 とんでもない状況下ではあるが、お互いに抜けている記憶を埋め合わせるための話し合いが始まった。

 

「まずなんでこの狼がここにいるの? 昨日追い払ったんだけど……」

「ワフッ!!」

 

 自分が呼ばれたことが分かったのか、お座りから伏せにポーズを変えて俺に寄ってくる。ビクッとして距離を取るとなんか悲しそうな顔をされた。

 

「やっぱりサクライが戦ったんですねこの子と」

「やっぱりって……どういうこと?」

 

 そこで昨日の夜アイラが起きてからの出来事を聞いた。

 

「起きたらこいつがここにいて、それをアイラが治療した……と。で、ここにいたのは俺を主と認めたから……」

「ヤイタ狼は群れの長を戦いで決めるんです。強ければオスもメスも関係なくその個体がその群れのトップになります。どんな新入りでもです」

 

 さっきから俺の横で伏せてるのは自分を打ち倒した俺を長、主人だと思っているからなのか。

 

「……よしよし」

 

 手を伸ばして鼻面を撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。……ちょっと可愛いかもしれんね。

 

「しかし凄いなアイラは。こんな大きな狼の治療をしちゃうんだから」

 

 昨日俺が放った魔法はかなりの重症をこの白狼に負わせていたらしい。それを昨夜目を覚ましたアイラが治療をしたと。

 

「いえ、サクライに比べれば大したことはしていませんよ」

 

 アイラは何故か少し頬を染めて言う。

 

「? 俺に比べればって……」

「昨日、固有結界の中で私を治療してくれましたよね」

「あ、そうだった」

 

 起き抜けのインパクトが強すぎて忘れていた。昨日俺はアイラを助けようと魔法を使ったのだった。

 

「でもそんな対したことはしてないぞ……? 固有結界の中でアイラを助けたいって願っただけで」

「あれは私が使ったような治療魔法とは全くの別物。次元の違う魔法なんですよ」

「次元が違うって……」

 

 少し怖くなる。え、大丈夫だよね? なんも副作用とかないよね?

 

「私の肩はこの通り完治しています。それもこれも全てサクライのおかげなのですが」

 

 右肩を動かしてみせるアイラ。確かにその動作に不自然なところはなく痛みを庇う様子もない。

 

「あの魔法は複写魔法。自分と相手の身体を魔力によって繋げて重ね、自分の状態を相手にコピーする魔法です」

「自分……相手……?」

「つまり、サクライの健康な肩の状態を私の肩に複写することによって怪我を無かったことにした……。そんな魔法、どうやったら実現できるのか私には検討もつきません」

 

 アイラが目を光らせてこちらを見る。なるほど……ということは根本的には治療をする魔法では無かったんだな。

 

「あの魔法で複写されていた瞬間、サクライと私の身体は肉体的にも精神的にも深く、深く繋がっていました。あんな感覚、初めてです……」

 

 そう言って目を背けてしまうアイラ。その言葉であの瞬間の快感を思い出した。熱く溶け合い、白く飛んだ、あの感覚を。

 

「っ〜〜〜〜?!」

 

 あれをもしアイラもあの瞬間同じように感じていたんだとしたら。

 

「ごっ……ごめん。いや、ごめんというか。なんて言ったらいいんだこれ!?」

 

 混乱する俺を見てアイラが笑う。

 

「謝らないでください。あの魔法のおかげで私の肩は何事も無かったかのように元通りに治りました。あのまま放置していれば最悪右肩が使えなくなったかもしれないんです。貴方は私の恩人なんですよ? 本当に、ありがとうございます」


 そう言って俺の手を握るアイラの手には確かな力が篭っていた。

 

「……そ、か。良かった、本当に良かったよ」

 

 俺のやった事は間違っていなかったんだ。安堵の後に喜びが溢れだしてくる。アイラの手の温もりになんだか涙が出そうになった。

 

「あれ? でもなんで俺、魔法使えたんだ……?」

 

 聖地の近くで無ければ使えなかったはずなのに。

 

「……そうですね、もうアンサン池が近いというのもありますが、この辺にどこか大地の魔力が吹き出る場所があるのかもしれません」

 

 アイラが少し考え込みながら仮説を立てる。吹き出すってなんか温泉みたいだなあ。でもそれって。

 

「魔力が吹き出してるって……それってなんか影響とかあったりしないの?」

「当然あります。強力な大地の魔力にあてられてしまえば理性を失い暴れた末に自壊してしまう。野生動物などには時々見られる症状です。この森は元々魔力が濃かったようなのでそれに適応できたこの白狼のような動物は生き延びているかもしれませんが……」

 

 自分が褒められたのが分かったのがフンフンと鼻を鳴らしている白狼。姿だけ見るとデカいし怖すぎるけど、この犬懐くとめっちゃ可愛いかもしれんな。ドーベルマンとかを飼っている人の気持ちが少しわかった。

 

「そういえばライが、この辺でヤイタ狼が大量に討伐されたって言ってたな……。それってひょっとして」

 

 ライの名前を口にした時、チクリと胸に痛みが走る。

 

「……恐らく魔力の噴出による影響でしょう。最近の大地震で各地に大きな地割れができています。それによって大地の魔力が地表へと漏れ出ている可能性は大いにあります」

 

 少し濃いくらいの状態ではなんとか普通に暮らせていても、直に浴びてしまえばひとたまりもないということなのだろうか。

 

「……アイラは大丈夫なのか?」

 

 俺はなんだかんだ大丈夫な気がするが、普通の人にとってはキツイのではないか。

 

「ええ、この辺はまだ大丈夫みたいです。多少濃いようですが、オクライ山などに比べればまだマシです。常に吹き出し続けているというわけでは無いのでしょう」

 

 これも神への祈りが通じなくなったことによる影響なのか。巫女って本当にこの世界の生命線だったんだな……。

 

「だから、私たちは一刻も早く聖地を回らなくてはいけません」

 

 同じ考えに至ったのか、アイラが空を見上げてそう零す。その横に俺も並んで。

 

「その道を俺が助けるよ」

 

 俺とアイラの目的は一致している。ならば俺がこの力でそれを助けるんだ。

 

「頼りにしてます。サクライ」

「ああ」

「ゥワフッ」

 

 空を見上げる俺たちの間に割って入ってくる狼。

 

「なんだこいつ。構って欲しいのか?」

 

 首の当たりをかいてやると気持ちよさそうにしている。

 

「そういえば、俺を主と定めた〜って言ってたけどそれってつまりどういうことなんだ」

 

 巨大なヤイタ狼の主、俺はこいつを導いてやれる訳でもないしここに留まる訳でもないのだ。

 

「ついてくるんじゃ無いでしょうか……?」

「え? そうなの?」

 

 白狼の目を見るとぱちくりと瞬きをして見つめ返された。え、俺異世界に来てペット飼うの??

 

「ヤイタ狼は狩りが得意な動物ですし、話では魔法も使えるんですよね? 餌とかには困らなそうですけど」

「あ、そういうところまで話は進んでるのね」

 

 根本的に連れて行くのかという段階の話をしていたつもりだったんだけど。お忍びの身である俺達がこんな目立つ動物を連れて歩いていいのだろうか。

 

「お前、一緒に来る?」

「ガウッ!」

 

 ひと吠え、これは肯定ってことなのかな。そうか……。

 

「せっかくだから名前つけたらどうですか?」

「名前?」

 

 アイラに提案されて少し考える。名前、名前ね……。

 

「銀一郎……?」

「…………」

 

 アイラが今まで俺に向けたことの無いような目を向けている。気のせいか白狼までもが俺をそんな目で見ている気がした。

 

「ギンイチロウってなんか名前の響きがあんまりです……」

「そうか……」

 

 銀色の毛皮の狼だからいいと思ったんだけどなあ。

 

「じゃあそのまま前のとこだけでギンってのはどうかな」

 

 ヤイタ狼、精霊獣の白狼ギン。うん、かっこいいんじゃないだろうか。

 

「ギン……。そのままではありますけど、この子にはピッタリかもしれませんね」

 

 アイラも納得してくれたようだ。

 

「お前はそれでいいか?」

「ワフ!」

 

 こうしてこの世界に来て初めてのペットができた。昨日の今日でどうしてこうなった。

 

「でも女の子には少し勇ましすぎる名前かもしれませんね」

「え?! こいつメスなの?」

 

 アイラの言葉に驚く。1匹狼なんてオスしかいないのかと。

 

「こら、サクライ。女の子を男の子に間違えるなんて失礼ですよ?」

 

 怒られた。

 

「すんません……」

「ガル」

 

 ギンも不服そうに鼻頭で俺の背中を小突いた。いやごめんて。

 

「じ、じゃあ名前も決まったところでアンサン池を目指す旅、再開するか」

 

 切り替えるように手を叩くとアイラもそれに頷く。ギンも出発の気配を感じ取ってか立ち上がった。

 

「あっちから逃げてきたから……目指すのはこっちか」

 

 方向を確認して荷物をまとめる。とはいっても俺の荷物は生身のアコギ1本だけなのだが。ケースもライの所へ置いてきてしまったのだ。チューナーをヘッドに挟んでおいて本当に良かった。

 防寒マントをしっかりと着込み、歩き出そうとしたところでギンが俺のマントを口で引っ張った。

 

「ん? なんだ? もう俺らは行くぞ」

 

 ここに残りたいのだろうか? しかし様子を見るとそういう訳では無いらしい。ギンの意図を汲みかねていると焦れた彼女は俺を咥えて、そのまま投げあげた。

 

「うおおおおおおおおおおっ?!?! なんだ?!」

「サクライ?!」

 

 宙を飛翔して降り立ったのは温かく広いギンの背中であった。

 

「っとと……まさかお前、俺たちを乗せていってくれるのか?」

「ウワゥッ!」

 

 恐らく肯定。続いてアイラも背中に投げあげられてきた。着地を腕で支えてやる。

 

「っわ……ありがとうございます……。まさかこんなことになるなんて……」

 

 アイラもこれには驚いた様子だった。ライと別れ、徒歩での移動が始まると思っていた矢先の幸運? である。

 

「じゃあギン、アンサン聖池までお願いしてもいいか……?」

 

 行き先をお願いしてみるとググッと後ろ足に力を込める気配。

 

「アイラ! 掴まれ!」

「は、はい!」

 

 俺の腰に手を回して抱きつくアイラ。俺はギンの背中の毛を掴み姿勢を低くする……っ!!

 

 瞬間、ドンッと世界が後ろに流れた。上体を低くしていなければ空気抵抗で持っていかれていたかもしれない。早い、早すぎる……!!

 

「うおおおおおおおおおおおおッッ」

 

 森の木が後ろに飛んでいく。掴まっているのがやっとで周りを見ている余裕は無いが、恐らく時速60キロ以上は出ているのではないか。人2人を乗せた状態でこんな風に走れるのは彼女が精霊獣だからなのだろう。

 

「サクライッ!! 本当に貴方は私にいつも知らない世界を教えてくれますねッ!」

 

 背中のアイラが楽しそうに叫んでいる。

 

「これに関しては俺も知らないけど楽しんでもらえてるならそりゃ良かったああああああっ!!」

「アオオオオォーーン!!」

 

 こうして精霊獣の狼と人2人は森を爆走していったのであった。

 

 

 

 

 

 時は少し遡り前日。

 ライはヤイタの憲兵隊の元へ山賊6人の身柄を引き渡し終わり、まだ昼間にもかかわらず宿屋で休んでいた。

 

 ──ライッ!! 後ろへ走れッ!!

 ──ライ、さん。私は……

 

 吐きそうなほどの自己嫌悪に襲われ、ベッドの上で寝返りを打つ。あの後あのふたりはどうしただろうか。イアルさん……アイラ皇女は剣傷を負っていたはずだ。荷馬車に荷物を全て置いて言ってしまって治療はできただろうか。

 

「……なんて心配する資格俺にはないよなァ」

 

 あのふたりを突き放したのは誰でもない俺自身だ。あの場ではっきりと言ってしまった。

 

 ──バレれば俺は逃走幇助で投獄されちまうだろう……。だから、だからもうこのまま消えてくれ……!

 

 胃を抑えてうずくまる。たどり着くまであれこれ立てていた商売計画も今やどうでも良かった。今自分がこの場所でそんなことを言っていられるのも全て、あのふたりが命懸けで守ってくれたからなのだ。少し焦げ跡がついたくらいで積荷にもほとんど傷はなく、俺自身だけでなく商売道具まで気にかけてくれていた。そんなふたりを……俺は。

 

「ぐっ……うぅっ……」

 

 思い出してみれば最初からおかしかった。ただ馬車を借りるなり行商人の護衛につくなりすればいいのにそれをせずにワレスまで歩いていくなどという馬鹿なことを言う2人組み。人と深くかかわれないわけがあるに違いないじゃないか。それを自分の気まぐれで拾い上げておいて、あれだけ一緒に旅をしてきて。それを一瞬で壊して追い出したんだ。

 せめて、生きていて欲しい。真冬のヤイタの森の中、何も持たずに生きていくのは難しいだろう。しかもアイラ皇女は手負いだ。それでも自分のような平民がもう一度、もし生きてまた会うことができれば、その時は何を捨てることになっても助けよう。

 その想いを抱きながらまたライはベッドの上でうずくまった。

 

 

 

「本当なんだって!! あいつの馬車から2人の男女が出てきて、そのうちの1人の女はあのアイラ・エルスタインだったんだ!!」

 

 憲兵に拘束され聴取を受ける山賊の頭領は先程からそんな馬鹿げたことを繰り返していた。赤髪のヤイタ憲兵長、アルナはため息を吐いた。

 

「アイラ様がこんな所にいるわけないだろう。山賊のうわ言になど耳は貸さん」

「じゃあ逆に聞くけどよ、俺の部下をぐちゃぐちゃにしたのが本当にあの弱っちそうな男だと思うのか?」

「それは……」

 

 確かにそれは自分達も気になるところだった。この山賊たちを連行してきたのは若い小柄な道具屋の若者。自分が1人で捕まえたと言ってはいたが山賊たちの傷跡は魔法によるものがほとんどで、あの若者によるものとは考えづらかった。かと言ってこんな北の辺境にわざわざアイラ皇女が来るとも考えづらい。それに彼女は現在逃亡中の身。身を隠しているだろう。

 

「だから、それを国に伝えてくれれば少しは俺たちの刑も軽く……」

「もういい、連れて行け」

「はっ!」

 

 部下に命じて山賊の頭領が連行されていく、これから更なる取り調べの後然るべき罰が下るだろう。相変わらずギャーギャーと喚いていたが耳は貸さない。捕らわれたものが言い訳にとんでもないことを言い出すのは良くあることだ。

 

(それでも、少しだけ調べてみるか)

 

 こんな北の方にもアイラ様の捜索命令は出ている。証言があったのに調べなかったとあっては責任問題になりかねない。

 

「先程のライという道具鍛冶の若者への追加の聴取と、捜索隊を組織して森を少し調べろ」

「はっ! 承知しました」

 

 戸口で控える部下に命じて諸々の手配をする。最近はヤイタ狼が凶暴化し近隣住民を襲ったりもしている。それも含めての調査はしておくべきだろう。

 自分も用意をするために取り調べ室を出る。この時はまさか山賊の話すことが本当だとは欠片も信じてはいなかったのだった。

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