10 ヤイタの白狼
楽しい時なんて永遠には続かない。そんなこと分かってる。分かっているんだけど。どうして、どうして。
「どうしてこうなるんだよ……っ」
アイラを支えながらいつの間にか雪の降り出した道をふらふらと歩く。とにかく早く離れないと。
「はっ……はぁ……サク、ライ……」
「もう少し離れたら休もうアイラ」
アイラの呼吸が荒い。本人の話では浅く切られただけと言ってはいるが剣で肩を切られたのだ。なんともないはずがない。それでもあの場所から少しでも距離を取らないといけない。10分ほど歩いたところに大きな木の洞を見つけ、そこにアイラをそっと寝かせる。ギターや身につけているもの以外を全て置いてきてしまったため、気持ちよく寝かせてやることもできない。
「大丈夫か? アイラ」
俺の問いかけにどこか焦点の合わない目で見つめ返してくるアイラ。額に手をあててみると。
「っ……熱い」
逃亡生活が続き、疲労と寝不足が溜まったところにこの襲撃による傷だ。体調を崩してもおかしくない。とりあえず圧迫して止血だ。自分の羽織っていたマントを破き、アイラの患部にあててきつく縛る。
「うっ……く……」
「ごめんな、痛いよな……。ちょっとだけ我慢してくれ」
息が荒く苦しそうな様子に俺まで息が詰まりそうになる。ダメだ。俺はしっかりしないと。
「ふううぅ……よしっ」
何か出来ることはないか……応急処置。圧迫による止血と、傷口より心臓に近い動脈を圧迫。肩と鎖骨の下あたりをぐっと押す。本当は清潔な水とかがあればいいんだけど……っ。
「くそ……守るって、言ったのに……っ」
俺にできるのは盾になることだけ。それすらできないのなら存在価値は無いのだ。刃物で切られた傷、感染症なんかを発症したらとんでもないことになる。医者にかかることもできない今の状況に歯噛みする。
「サク、ライ……」
「どうした! アイラ」
「ごめん……なさい」
「アイラが謝ることなんて何も無いさ。今はゆっくり休んでくれ」
そう声をかけるとアイラの左手が動脈止血を試みている俺の右手に重なった。
「歌が、聴きたい、な」
「歌……?」
潤んだ目でアイラが俺を見上げる。その目には弱々しい光が揺れていた。
「……分かった」
今、少しでもアイラの気が紛れるのならば。そう答えるとアイラはふと安心したように力を抜く。息を軽く吸って呟くように。あの日、ライブ帰りの空を見上げた時のように、
「あるはずの星空を眺めているばかり……」
アイラと出会ったあのオクライ山祭壇の星空を思い出す。あるはずなのに見えない。都会に隠されてしまった。星空を。
──いつかは掴めると信じていた幼い自分はもうどこにも存在しなくて、いつの間にか見上げることすら無くなっていた
何もかもを諦め惰性で過ごしていた日々が変わった瞬間だったんだ。
──それでも確かにそこにあるもの。忘れていても必ずいつも。空の彼方のその向こうに、夢見た空はあるはずだから。
ああそうだ。俺はアイラとこの世界に自分の夢を見た……!!
その時脇に置いてあるアコースティックギターが強い光を発した。
「これは……あの時と同じ……?!」
光は次第に大きくなり、やがて俺とアイラを包む木の洞ごと飲み込んでしまった。あまりに眩しい光に思わず目を瞑る。
「……っあぁ」
次に目を開けた時にはどんよりとした雪降る空ではなく、満天の星が頭上いっぱいに広がっていた。
──固有結界。この世界において最高の魔法。この世界の中では全てが術者の思い通りになる。
「っ……! アイラを、アイラの傷を治してくれ……!」
目を瞑り、右肩に触れた手に祈りを込める。空いた手でギターにふれ、弦をなでる……。
「っ……」
ホゥと暖かい光が手に宿った。感じる。生命の流れを。地面を通して自分の中に宿った大きく優しい力をアイラの傷に流し込む。それはとても心地よく、甘美な感覚であった。
「んっ……ぁっ……」
アイラの頬が紅く染まり、身をよじる。体の芯が重なるような、不思議な感覚。溶け合う、トケアウ。
肩が熱い、熱い。その熱さが全身に広がって。白く、飛ぶ……ッ。
「ぐっ……ぁ」
それは唐突に収束した。熱く広がった快感が、俺の手から全てアイラの肩に染み込み身体の熱が全て霧散していく。熱した鉄を冷水に付けるように、一瞬で。
「はぁっ……はあ……アイラ」
肩に触れてみる。出血は既に止まり、傷口が持っていた熱もひいていた。裂傷は縫ったようにピタリと1本の筋になっており、とても剣で切られた傷があったとは思えない。
アイラの呼吸が安らかに戻る。危機を脱したんだ……。安心で身体の力が抜けてしまう。
「……解」
ジャランとギターを鳴らしながら念じると固有結界が溶けていく。あっという間にもとの木の洞へと戻ってきた。柔らかな表情で眠るアイラを見て思わず抱きしめてしまう。良かった、本当に良かった。そして崩れるように脱力し、木の洞に背中を預ける。救うことができた。アイラを。
「本当にどうなることかと……」
魔法がどのように作用したかは分からないため完全に治すことができたのかは分からないが、今ここで綺麗な顔をして眠っているアイラは明らかに先程より回復している。大丈夫だ。
「俺、魔法使えたじゃん……」
固有結界を発動し、その力をもって怪我を治して見せた。これは大きな成長なんじゃないだろうか。心のなかで静かにガッツポーズをする。
ガサガサガサッ
「っ……?! なんだ?」
突如近くでなった物音に感傷から一瞬にして冷める。なんだ? 山賊の追っ手か? 治癒したとはいえアイラは手負い、とてもじゃないが戦える状態ではない。何があっても次こそ守れるように洞の入口を塞ぐようにしゃがむ。
「ガルルルルルルルッ……」
しかしそれは山賊では無かった。もっと言えば人間ですらない。俺の胸辺りまである大きさの、白い毛皮を蓄えた美しい狼が唸りながら洞の周りを嗅ぎ回っている。
(アイラの血の匂いに寄ってきたのか……!)
あの場所からここまでアイラを連れてきたがその間も出血は続いていた。それを辿られたのかもしれない。
野生動物の迫力に足がすくみかける。だが今アイラを守れるのは俺だけだ。目を覚ました時、笑顔で笑い合えるように今ここで俺が守るんだ。
幸いまだこちらには気がついていない様子。先手必勝、一撃で決めろ……っ!! そっとギターを持ち上げ立ち上がる。そして狼を見据え、
「光槍ッ!!!」
ギターをジャラーンッと鳴らして3本の光の槍を放つ。1メートルほどの細い槍が一直線に白狼へと吸い込まれる。入った……!!
「グワゥッ!!!」
しかし何かを感じ取ったのか狼はその場で大きく跳躍、光槍は地面を大きく抉るに留まった。そして空中の白狼はこちらを視認する。
「っんな……避けるだと! くっ、光弾!!」
唱えてギターを鳴らすと即座に生成された光の弾丸が狼に向かってねじり飛んでいく。空中では方向転換できまい!
「グワッ!!!」
狼が吠えるとその口から黒いモヤが勢いよく吐き出され、その反動でその巨体が後ろへと飛ぶ。空中でそんな動きができるなんて、完全に虚を疲れた状態である。そして着地した狼は一直線にこちらへ駆け、俺に噛み付く……っ!
「ぐぅっ!」
バチリッと牙を花びらが受け止める。思わず左腕で自分を庇ったが、自動防御魔法は野生動物に対しても有効なようだ。歯が通らないことに気がついた白狼が大きく跳躍し距離をとる。
「魔法を使う狼なんてありかよ……っ!」
ギターをかき鳴らし、再び光の槍を放つ。今度は4本だ。キインッという音を立てて空気を切り裂き、槍が白狼へと迫る。その場で跳ね、身体を捻ることによって避けようとした狼であったが1本がその後ろ足を掠める。
「ギャウッ……」
弾き飛ばされ地面に叩きつけられた狼が、それでも気丈にこちらを睨みつけながら立ち上がる。その美しい白い足に鮮血が滲んでいた。
「痛いだろ、そのくらいで勘弁してやるから今日は帰ってくれないか……!」
腰を低くしていつでも動ける体勢を取り、対話を試みる。魔法を使うような狼であればワンチャン言葉が通じないか……!
「ワウッ……」
不服そうにひと鳴きすると白狼は体を翻す。そして傷ついた後ろ足を引きずるようにして森の中へと消えていった。
「助かった……のか」
尻もちをついて大の字に寝転ぶ。もう立てそうにない。固有結界からの魔法の使用、身体のあちこちに力が入らなくなっていた。最後の力で木の洞の中へと入り、自分の防寒マントを穴を隠すように張る。これで、大丈夫か。
ふっと気を緩めたが最後、意識が遠のいていく。消えゆく意識の中で何とかアイラを庇うように背を預け、そして暗闇に沈んでいった。
夢を見た。
お母様とお兄様と私でテーブルを囲んでお茶を飲むそんな夢。その中ではみんな笑ってた。
『母様! 今日は2属魔法の発展に成功しました! 魔法模擬戦でも親衛隊の兵士相手に互角以上に戦えるようになったんですよ。これで母様とアイラを守れますよね!』
『流石ねカルム。貴方はこの国で1番の魔法使いになれるわ』
『へへっ……』
頭を撫でられて嬉しそうなお兄様。これはいつの頃の思い出だっただろう。
『お母様……私も魔法、じょうずになれる? お兄様みたいにつよくなれる?』
『……えぇ。貴女は私トーカ・エルスタインの娘、巫女を継ぐ子なのだから絶対上手に魔法を使えるようになるわ』
お母様はにっこりと笑って私の頭も撫でてくれた。目を細めて嬉しさで体を揺らすと、胸元のペンダントが揺れる。このペンダントがいつだって私を励ましてくれるのだ。
『アイラ〜お前はもうちょっと魔法の勉強をしなきゃダメだぞ? いずれは母様の後を継いで巫女になるんだから、神様の前に出ても恥ずかしくない力を身につけなきゃ』
『はい! お兄様。私もお兄様みたいに強くなれるよう、たくさんお勉強します』
『ふふ、2人とも仲良しね』
私達兄弟のそんな様子を誰より楽しそうに見つめていたお母様。ああそうだ。これは私が大好きな時間。私が淹れたお茶を飲みながら3人で過ごす大切な時間。全て壊れてしまう前の変わってしまった世界の思い出。
『トーカ様、トーア様がお見えになりました』
外から入ってきたメイドが来客を告げる。
『分かったわ。ここに通して』
『承知致しました』
『トーアおばさまが来たの?』
トーア・エルスタイン。ウライ神聖帝国皇后であるお母様の双子の妹。王宮暮らしでは無く、人里離れた地での1人暮らしを選んでいる風変わりなこの女性が私は大好きだった。
『お邪魔するよ〜! お! アイラにカルム! 会いたかった〜!』
『トーアおばさま〜っ!!』
おばさまに駆け寄り抱き締めてもらう。その顔はまるで自分の娘を見るかのような優しい面持ちだ。
『アイラ、少し背が伸びたかい? カルムも男前になってきたじゃないか』
その細くて綺麗な指で髪を梳いてもらうと安心する。母様は髪を結っているのに私が髪を下ろしたままなのはこうしておばさまに触ってもらう為でもあった。
『……どう? トーア、変わりない?』
『うん。こっちは大丈夫だよ。姉さんこそ体調は大丈夫?』
思えばこの頃からお母様は体調を崩しがちであった。それでも弱音などは1度も吐かずに公務についているお母様を気にかけるようによく遊びに来ていたのだった。
『おばさま、お久しぶりです』
『なんだよカルム他人行儀だな〜!! ほら、一緒に抱きしめちゃるからおいで!』
おばさまが手を広げるとおずおずとやってくるお兄様、そして2人で抱き締めてもらう。いつもの光景だった。
『聞いてるよ、また強くなったんだろう? アイラは魔法は苦手みたいだからねえ。兄ちゃんとして、守ってやってくれよ』
『はい。アイラは僕が必ず守ります』
『む〜! 私だって強くなれるもん!』
頬を膨らませる私の頭を撫でておばさまは笑った。
『人には人の歩くスピードがあるのさ。私だって昔は魔法が苦手で姉さんに負けてばかりだった。でも今ではそこそこの強さになれたからね。大丈夫、アイラも絶対強くなれるさ』
『えへへ……』
このおばさまの言葉に何度助けられただろう。苦手な魔法を今のレベルまで習熟させられたのは何度も何度もこうやって励まして貰えたからだ。私の得意な2属魔法の氷も、元を辿ればおばさまの氷魔法に憧れて習得したものである。
『さて、私は皇帝陛下に挨拶をしてくるかね。元気でやるんだよ2人とも』
『え〜もう行っちゃうの……?』
『ごめんごめん、また来るからさ』
おばさまは来る度、必ずお父様に挨拶に行っていた。その後は直接帰ってしまうため、その時が来るとまたしばらくのお別れだ。
『……悪いね姉さん。また様子見に来る』
『ええ、元気でねトーア。何かあったら連絡して』
そうして出ていくトーアおばさま。今はどうしているだろう。
今、今は私は。
王宮の中を走り回る音が響いて。お母様の腹心であった従者達に連れられて外に逃げて。そこから聖地を巡って旅をした。オクライ山の頂上で祈った時、天から光が降ってきて。現れたんだ、救世主のように大好きな歌を歌う彼が……。
「ぁ…………」
目を覚ますとそこは知らぬ場所だった。土の匂いと木の匂いに包まれて地面に寝かされている。起き上がろうとすると少し右肩が張る感覚がした。
そうだ私は山賊に不覚をとって肩を切られて……。
「っサクライ……?」
そっと身体を起こすと私に寄り添うように彼が木に身体を預け目を閉じていた。確かめると呼吸は安定している。寝ているだけのようだ。肩の傷を確かめると綺麗に閉じられ安静にしていれば問題は無さそうだった。彼が治療を……?
「……!」
そこで眠ってしまう前のことを断片的に思い出す。そうだ、サクライが固有結界を展開し治療をしてくれたのだ。その時の身体の熱さを思い出し少し足を擦り合わせる。
「……貴方はまた、私を救ってくれたのですね」
1度目はオクライ山の頂上で、折れかけていた私の心を。そして今回は山賊による襲撃から私の命を守り、傷まで治してくれた。
「どこまで……貴方は頑張ってくれるのですか」
サクライからすれば無理やり召喚された知らぬ世界の知らぬ事情。見て見ぬふりをして元の世界に帰る方法だけを探すこともできるはず。それなのに彼は私に寄り添い、助けてくれる。国からも、世界からも、神からも弾かれたこんな私を。
「ありがとう……サクライ」
寝る彼の頭をそっと撫でる。半月と少し一緒に過ごしただけなのに今はもうこの世の誰より、彼のことを信頼していた。
「あるはずの星空を見上げているばかり……」
そっと口に出してみる。彼のようには歌えないけれど、口ずさむと身体の奥から希望が湧いてくる気がした。
「ん……」
サクライが身動ぎをする。起こしてしまっただろうか。
「ふふっ……まだ寝てていいですよ」
そっと撫でると彼はまた落ち着いた眠りに落ちたようだった。
現在、どうやらどこかの木の洞の中にいるらしい。かけてある布の隙間から見える外の空は暗いことからしてあれから半日くらい経っているのか。寒さを感じて少し震える。防寒マントを着込んでるとはいえ、北の地の夜。生身でそのまま過ごすのはあまりに無謀だ。荷物は全てライの所へ置いてきてしまったため自分達で何とかしないと。
「っとと……」
立ち上がると少しふらつくが直ぐに安定する。熱も無いようだ。焚き火を起こせそうな木を拾ってきて、この木の洞の前で焚こう。入り口にかけられていた防寒マントをめくり外へ出ようとしたその時、目の前の光景に思わず声を出しかける。
白く美しい大きな狼が洞の前で丸くなり寝ていた。まるでここを守るかのように。
「ヤイタ狼……? しかしこれは……」
白い毛皮に包まれたそのフォルムは確かにヤイタ狼に似ている。しかしヤイタ狼はここまで大きくは無い。まるで熊のような大きさだ。そしてその美しい白い毛は夜の闇の中でも微かな燐光を発しているように見えた。
「まさか……精霊獣?」
聞いたことがあった。大地の魔力が濃い場所で産まれた獣の中には大きな魔力をもって産まれてくる個体がいる。それは他の個体より大きく強く育ち、魔法すらも操ってみせる。昔からそのような獣のことを神に愛された獣、精霊獣と呼ぶと。
その場で凍りついていると、白き狼が目を開けた。そして私を見つけるとこちらをじっと見つめる。
(……っなんという威圧感……。これが神に愛された獣……!)
そっと魔力を体内で循環させ、いつでも魔法を使えるように準備する。まだ洞の中のサクライには気が付かれていないかもしれない、もし襲ってくるようならここで追い返す……!
「……ワフッ」
「えっ?」
しかし白き獣は私を見つめ終わるとその瞼を閉じひと鳴きし、再び頭を内側に丸め眠りについた。
(見逃された……のですか)
分からない、分からないが少なくともこちらを襲ってはこないようだ。緊張を解き、胸を撫で下ろす。でもこのまま放置しておいていいのだろうか? いつ心変わりして襲われるか分からないのだ。相手は言葉の通じぬ獣、気まぐれで見逃されただけかもしれない。
(かと言って……こちらから仕掛けるのも……)
触らぬ神に祟りなし。今この時襲われなかったのなら大丈夫だろう……多分。
視線は外さぬように抜き足差し足、薪を拾いに抜け出す。狼は寝息をたててその背中を上下させるだけでこちらを襲おうとする気配は見せなかった。
雪が降っていた影響で乾いた薪を見つけるのが大変ではあったが、半月の旅で身につけたサバイバルスキルを活かして何とか火を起こすことに成功する。木を山になるように積み上げ、そこに自分の魔法で点火する。近くで寝ていた白狼が一瞬嫌そうに身震いして身体を起こした時には肝が冷えたが、少し距離を取って寝直したのでほっとした。
「……はぁ」
暗闇と寒さの中にいたため、火の明るさと温かさに安心する。木の洞の中は外よりは暖かったが、一晩を明かすのは流石に厳しかっただろう。これで凍死は防げた。
「これから、どうしたら……」
やること自体は変わっていない。オクライ山の祭壇から飛んだ光を追って、聖地を巡ること、それが当面の目標だ。しかし別れた時のライの言葉が蘇っていた。
──何も言わないでくれ! 俺は、今のあんた達に関わりたくない……ッ
あんなに親切にしてくれた陽気な若者。共に歩んだその旅の末に待っていたのは拒絶だった。何かを期待していた訳では無い。しかし正体が割れた時そこまで明確に突き放されるとは……また考えていなかった。
「巫女って……なんなんでしょう」
煌々と燃える火に手をかざしながら呟く。お母様は巫女である自分をどう思っていたのだろう。……巫女として覚醒できない娘をどう思っていたのだろう。
人々に敬愛されてきた巫女という存在、その尊敬は呆気なく反転した。
「結局……巫女は災害を防ぐための存在でしか、無い」
帝国で暮らす人々が私達巫女に求めているのはその存在では無く役割。それが無くなったら、崇める意味も無いのだ。……薄情なものである。
それでも。
「この国を……人々を……嫌いになんてなれないんですよね」
焚き火に照らされた自分の顔が悲しげに笑ったのが分かる。産まれ育ったこの国、お父様が治めていたこの国。お母様が愛したこの国。今更嫌いになんてなれるはず無かった。
旅の最中も度々地震がこの地を襲った。民は不安を抱えて毎日を過ごしているのだろう。そんな現状を変えられるのなら、自分にその力があるのなら変えなくてはならない。巫女として覚醒できない理由は分からないが、サクライがその鍵になっていることは確信がある。彼はきっとこの世界を変えてくれる。隣でそれを支えることが今の私の……巫女の役目なのかもしれない。
ふとそちらを見ると白狼がこちらを見つめていた。
「……あなたもそう思いますか?」
「……ワフ」
ふふ、と笑いながら火に視線を戻す。最初は怖いだけだったこの狼と何故か分かり合えた気がしておかしくなる。しかし本当にこの狼は何故ここにいるのだろう。
「……あ」
丸くなっている狼の後ろの左足、血が滲んではいないだろうか。今も出血しているわけでは無さそうだが、美しい白い毛に乾いた血が見えた。
「怪我を……しているのですか?」
「…………」
白狼は答えなかったが少し身体を揺する。その後ろ足を隠すように。自分は何を考えているのだろう。こんな大きな恐ろしい獣相手に。
「良かったら……見せて貰えませんか?」
じっとこちらを見つめている狼。拒否はされていない……気がする。
そっと立ち上がり、近づいてみる。威嚇はされない。手が届く距離まで近づいても唸られることもなかった。薬も何も無いが、洗ってやることくらいはできるだろう。
「触りますね……?」
「……グル」
顔を背けた。治療が怖いのだろうか? なんだか目の前の白狼が人間臭く見えてしまい、恐怖が薄れた。その巨体にそっと触れる。滑らかな毛皮はとても温かく、確かに息づいている命を感じた。後ろ足をよく見ようと触れると、おずおずとこちらに後ろ足を差し出した。
「これは魔法による傷ですね……」
傷はその部分を抉りとるようにできており、これではまともに走ることもできないだろう。焚き火の近くまで狼を誘導し、火と水の魔力を複合してお湯を生成し、傷口を洗う。
「ガルルルル…………」
「痛いですよね。少しだけ我慢してください」
触れていて気がつくことがあった。この白狼、その巨躯を微弱な魔力で覆っている。サクライの自動防御魔法程ではないにしてもある程度の魔法は弾くことができるだろう。その身体をここまでしっかりと傷つけることができる魔法使いにやられた傷なのだこれは。もしまだその魔法使いが近くにいたとしたら。
(追手……? しかし山賊は全員撃退したはず……)
精霊獣のヤイタ狼、強力な魔法による傷、そしてここに留まっている。
「……もしかして」
はたとある可能性に行き当たる。もしこの狼が私の血に引き寄せられて襲ってきたのだとしたら。
「サクライに……やられた傷なのですか?」
「……ウフ」
もっのすごーーーく不服そうな顔でひと鳴き、返事をされた。
なるほど、つまりこの白狼は。
「サクライを主と認めた……?」
ヤイタ狼は群れの長を戦うことによって決める。どんな大きな群れを率いていたとしても戦って敗れればその座を引き、勝った個体がその群れの長になる。この白狼は群れを率いている様子は無いが、もしサクライと戦って敗れたのであれば。
「もしかして、この洞の前で私達を守ってくれていたのですか?」
その問いには答えなかったが恐らくそうなのであろう。サクライに敗れ、主と認めその寝込みを守っていた。こんな恐ろしい精霊獣を従えてしまうなんて、なんという男なのだろう彼は。
「本当に……とんでもない方ですね」
白狼の傷を洗浄しながら、呆れと誇らしさの混じる不思議な感情を覚える。傷を洗い終え、次は治療だ。怪我の治療をする魔法というのはとても複雑な2属魔法である。火と水でお湯、水と風で氷といった単純なものではなく、もっと沢山の属性を絡ませてその傷の持ち主の細胞に働きかける魔法だ。当然毎回同じとはいかず、その相手によって微調整をしなくてはならない。ヤイタ狼、それも精霊獣の治療などしたことは無いがやってみるしかないだろう。
「……ふっ」
狼の傷口に直接触れて魔力を込めるとボウ、と緑色の光が灯り、触れている傷口がピクピクと動いているのを感じる。
「グワルルルル…………」
痛いのだろう。しかし治療と理解しているのか、抵抗はせず低く唸るだけの白狼。
汗をかきながら繊細な魔力操作をしていく。治療魔法というのは超高等魔法であり、人に対して行使するには免許が必要だ。何しろ身体の組織を弄り回す魔法なので、失敗すればとんでもないことになってしまう。私の治療魔法は王宮の医療魔法士に頼み込み教えてもらったものであり、自分以外に使うのは初めてだ。
抉られた場所の組織を分解し、繋ぐ。壊すことによって身体本来の治癒力を働かせ、魔力によってそれを促進する。それが怪我に対する治癒魔法だ。ひとつひとつ、慎重に進めていく。
「…………ふぅ」
内側の肉を全て繋ぎ終え、一息をつく。残りは表面の皮を繋ぐだけだ。30分ほどかけて皮も繋ぎ直す。痛みに耐えていたであろう白狼は治療が終わるとぐったりとその場に倒れ込んだ。治療魔法は即効性があり、腕が良ければ仕上がりもとても綺麗にできる反面強烈な痛みが伴う。私の場合は氷魔法を駆使して患部に簡単な麻酔をかけながら行っているのだが、それでも痛いものは痛いだろう。
「はあ……はぁ……。良かった、上手くいって」
ここまで大きな傷の治療は初めてだったが上手くいった。1週間後には走り回れるまでになるだろう。じっとりとした汗を拭い、大きな達成感を得たと同時にふらりとその場に座り込む。とてつもない集中力と大きな魔力を必要とするこの魔法は使い終わったあとしばらくは動けなくなるのだ。
「背中、貸してください……」
ふらりと丸くなっている狼の背中に寄りかかるとそのまま瞼が落ちる。温かな身体に身を預けて、私は再び眠りに落ちていったのだった。
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