8 見て

 腹も脹れ、大きめのリュックサックに荷物も全てまとめた。いよいよ出発だ。アイラの話では北にある祭壇はアンサン聖池という所にあるらしい。どれだけ寒くても凍らない不思議な水を湛えた、人の寄り付かない大きな池。その向こう岸に祭壇はあるらしかった。クランクランからだと歩いて約1ヶ月かかるという話を聞いた時は行くのやめない? と何度言いそうになったことか。移動に馬車などを使えば楽ではあるのだが俺達は2人とも馬を御することができないし、業者を通して運んで貰うにしても行き先がアンサン聖池などと伝えたら怪しまれること間違い無しだ。こうして仕方なく1ヶ月間の歩きでの長旅にでることになったのだった。

 

「お待たせしました。サクライ」

「全然大丈夫。よし、それじゃあ出発するか」

 

 2人とも山登りに行くような重装備である。かなり北の大地にあるため寒く、雪が降ることもあるそうなので防寒具などがかさばるのだ。通りを抜けて北の門を出る。門を警備している兵士はこちらを一瞥しただけで特に咎められることは無かった。

 

(入る時は厳重だけど出るのはかなり簡単だな)

 

 まあ入る時の検問によって危険なのは弾けているのだろう。アイラがあっさり入れてしまったことからしてかなりザルではあるのだが。このままさっさとクランクランを離れよう。一夜を明かした街に背を向け歩き出そうとしたその時だった。

 

「おーーーーい!! おふたりさ〜ん!!」

 

 底抜けに明るい声が俺たちを呼び止めた。ビクッとして振り返るとそこには。

 

「なんだいなんだい。もう演奏会は終わっちまったのかい?」

「ああ……ライ」

 

 昨日職札発行所で俺たちの前に並んでいたライという道具鍛冶男が荷馬車の御者台から声をかけてきていた。

 

「俺ァこの荷馬車を新調するためにクランクランに来たんだけどよお。北のヤイタでヤイタ狼が大量発生して退治が行われたとかで毛皮が余ってるらしいんだ。ヤイタ狼の毛皮といえば素材としては1級品、この機会を逃す手はないと思ってな!」

 

 聞いても無いのに早口でまくし立てる小柄な男。あまり注目を集めたくないからさっさと通り過ぎて欲しいんだがな……。

 

「あんたらも北へ行くのかい? どこまでよ」

 

 人懐っこい笑みを浮かべて聞いてくるライ。俺には答えられないのでアイラの返答を待つ。

 

「……私たちはヤイタの先のワレスまで行きます。そこに私たちの演奏を待ってる人達がいて……」

 

 若干たどたどしくアイラが答える。地理や地名が全く分からないから聞いてもわからんけど、ライより北の方に行くのか俺たちは。

 

「ワレス! 随分遠くまで行くんだなあ。歩きだと1ヶ月くらいかからないかそれ。なんで馬車を使わんのよ」

 

 ライが質問してくる。まあ当然感じる疑問だよな。

 

「俺たち2人とも馬に乗れないし、そんな遠くまで行けるような金も無いからな……。仕方なく歩きで向かおうとしてるんだ」

 

 後者は嘘だが、理由を付けるならそれしか無いだろう。

 

「ふーん? そうかい」

 

 ライは俺たちふたりの間を視線を彷徨わせたあと、

 

「じゃあ後ろ、乗ってくかい?」

 

 そんな提案をしてきたのだった。

 

 

 

「いやーー! まさか昨日あった2人とこんな形で旅をすることになるとはねえ!」

 

 御者台からライが楽しそうに声をかけてくる。1度は断ったのだが、押しに負けて乗せられてしまった。アイラも仕方ないと諦めた様子だった。

 

「でも本当に良いのですか……? お返しできるものを私たちはあまり持っていませんが……」

「いーのいーの! 旅の話し相手が増えること以上のお返しは無いってことよ!」

 

 その言葉に嘘はないようで、ライはここまで1度も金銭等を要求してこなかった。正直1ヶ月の行軍が2週間と少しになるというのは魅力的すぎる提案ではあるので、強固に断ることができなかった所もある。シンガーソングライターの界隈では美味い話を持ちかけてくる奴は沢山いて、それには大体裏があった。そういう経験もあって純粋な善意に対して構えてしまうのだが、ライからはそのような裏を感じない。

 

「ありがとう。よろしく頼む」

「おうよ!」

 

 お礼を言うと照れくさそうに鼻をかきながら返事をする小柄な男。こいつは本当に良い奴なんだな。改めてお礼を言ったあと後ろから乗り込む。荷台には何やら沢山の何かの素材? のような物が積み込まれていた。それらを避けて座るとライが御者台に乗り込む。

 

「それじゃ行くぜ〜! 出発進行ー!」

 

 ライの陽気な声で2週間の旅が始まった。

 

 

 

「どうよこの馬車! 昨日買い換えたばっかりの新車だぜ〜? ガタツキも軋みも無し! 今まで乗ってた親父の形見の馬車と雲泥の差だあな」

 

 手綱を弄びながら嬉しそうに身体を揺らしているライ。馬車というのには初めて乗るが思ったより快適だ。持ってきた毛布を下に敷いてるから尻も痛くならない。

 

「アイラ……大丈夫か?」

「ええ、心配ありがとうございます」

 

 毛布を敷いたものの、座り方を決めかねてもぞもぞしてるアイラに小声で話しかける。

 

「荷馬車というのは初めて乗るのでどういう風に身体を置いたらいいのかが分からなくて……」

 

 思ったより快適とはいえ、人が乗る馬車とは違う。椅子も無ければ手すりもない。小さめの石でも乗り越えるとガタンと揺れる。俺はどっかりと胡座をかいてしまったが女子であるアイラはそうもいかないのだろう。

 

「きゃっ」

「っと……」

 

 ガタリッと何かに乗り上げ乗り越えたことによって馬車が揺れ、アイラが転がりそうになるのを腕を伸ばして受け止める。

 

「すまねェ! ちょい大きめの石踏んじまった!」

 

 ライが御者台から謝ってくる。大丈夫と返してアイラを起こしてやる。

 

「大丈夫か?」

「ええ……ありがとうございます」

 

 受け止めたアイラは温かく柔らかかった。変なところに触れた訳でもないのにその感触が手に残りドキドキしてしまう。再び座り直したアイラは結局女の子座りに落ち着いたようだ。馬車の壁にもたれて小さな窓から外を眺めている。

 俺も反対の窓から外を眺めてみる。この国は真ん中にオクライ山、それを中心として発展しているらしく、中心を離れれば離れるほど田舎になっていくそうだ。俺たちが行こうとしているアンサン聖池はその北の果ての地にあるという。

 

(これであの光が飛んで行ったのが四方の祭壇っていうのが勘違いで全くの無駄足だったら笑えないけど面白いな)

 

 そんな不吉なことを考えながらも馬車に揺られる。ライの他愛もない話に適当な相槌をうっていると周りの景色が変わってくる。

 

「なんか緑の木が減ってきたな」

 

 青々とした葉っぱを蓄えた木が減り、茶色や黄色、赤色の葉の木が増えてくる。紅葉……なのだろうか? そんな風に周りの景色を観察していると時間なんてあっという間に過ぎていくものだ。出発したのは大体体感で10:00くらいだったはず、今は16:00くらいかな。時計が無いので正確なことは分からない。太陽の位置と体感で測るしかない。

 

「少し肌寒くなってきたな……」

 

 薄い長袖のカーディガンを羽織ってもいいかな? くらいの気温に体感温度が変わってきたことに気がつく。アイラも肌寒さを感じてきたのかゴソゴソと荷物を漁り始めた。取り出したのはお茶セット。

 

「お茶をいれましょうか。ライさんもいかがですか?」

「お! いいのかい? 人の嫁さんに入れてもらえるなんて嬉しいねェ」

 

 ヒヒッと嬉しそうに笑うライに承知の返事をしてからアイラはお茶を淹れ始める。水も火も魔法によって出せるんだから便利なものだ。この世界で無人島に持っていくなら何を持っていく? という質問をしたらどんな答えが帰ってくるのだろう。

 

「ん……アールグレイっぽい香りだな」

 

 嗅ぎなれたような、しかしどこか清涼感のある香りが漂ってきて思わず鼻で味わう。紅茶は好きなのだ。家には必ず50パック入のお徳用紅茶ティーパックを用意していた。

 アイラはお茶を大きなポットに淹れると、底の広い倒れにくい鉄製の3つマグに注いでいく。赤い液体が湯気をたてて満たされていくのはこの気候の中では最も心がほぐれる風景であった。

 

「ほい、こぼさんようにな」

「おう! イアルさん、ありがたくいただきます」

 

 アイラが入れたお茶をライに手渡すと、器用に片手で受け取ってお茶に口をつける。少し熱そうにしていたがホフホフと啜っていく。

 

「っぷはあ! うまいなあこのお茶」

「良かったです……。露店でいい茶葉を見つけたので旅の途中で飲もうと購入していたのですが、私達以外にも飲んでいただけるとは思いませんでした」

 

 マグで手を温めながらアイラが目元で笑う。旅先でちょっと涼しくなってきた時に温かいお茶を直ぐに飲めるなんて便利かつ贅沢なものだ。やっぱり魔法って凄いな。

 

「そういやイアルさん、その頭の黒布は外さないのかい? 馬車に乗ってまでもそれじゃ息苦しいだろう」

 

 少し振り返ったライがそんなことを言う。

 

「いえ……私は昔魔法で顔に怪我をしてしまってそれ以来人前ではこの布をつけているのです」

 

 口元を覆う布を引っ張りながらアイラが答える。

 

「はぁ〜それはそれは。乙女の顔に傷だなんて大変だ。ということはあれかい? イアルさんの素顔はサクライだけのものってことかい?」

「えっあ、いや……」

 

 からかうようなライの言葉に2人して動揺してしまう。

 

「声からして美人なのは間違いないのにもったいねぇなあ〜。ちくしょう、サクライ大事にしろよ? 嫁さん」

「あ、あぁ……」

 

 俺のものだの嫁だの連呼されると対して意識もしていなかったことを強く意識してしまう。周りに対する偽とは言え、今は夫婦なのだ。ウライ神聖帝国を背負う皇女様、誰が見ても見とれてしまうであろう美貌を持ったこのアイラが。

 

「〜〜〜〜っ!!!」

「っ!」

 

 声にならない声をあげながら俯いて俺の袖を掴むアイラ。考えることは同じか。意識して恥ずかしくなってしまったのだろう。ああくそ可愛いなこんちくしょう。可愛すぎてイライラするっていうのはこういうことか!

 

「おふたりさん、仲良いのは構わねえけど流石に後ろでおっぱじめるのだけは勘弁してくれよォ?」

「するか!!!!!」

 

 やめてくれ、俺たちは仮面夫婦なんだ。そんな弄られ方をしたらひたすら気まずくなってしまう。アイラを横目でチラと見ると目元だけでも分かるくらい真っ赤になっていた。偶然目が合ってお互いにバッと反対方向を向いてしまう。

 

「なんだよ……見てるこっちが恥ずかしくなるくらいの初々しさだなオイ……」

 

 振り返って一部始終を眺めていたライまでが顔をほのかに赤くして前を向く。こうして3人を乗せた馬車は微妙な空気に包まれながら北へと進んで行ったのであった。

 

 

 

 

 

「よ〜し、今夜はここらで一晩を明かすか!」

「んんーーーっ! 伸びが気持ちいい……」

 

 ライの宣言で馬車を降りる。意識していなかったが足、腰、背中がバキバキである。横ではアイラも全身を伸ばしたり捻ったりしている。

 

「焚き火焚いて、飯を用意しちまおう」

 

 ライの言葉で周りから乾いてそうな木や葉っぱを集め始める。辺りはすっかり薄暗くなり、キャッチボールをしたらもうボールが視認出来ないくらいの帳が降りている。気温もすっかり秋と冬の間の夜と言えるくらいの寒さになっており、クランクランで買った防寒マントがありがたい限りだった。

 

「俺は飯用意してるけど、おたくらはどうだい?」

「こっちも大丈夫だ。1ヶ月歩くつもりだったからな」

 

 答えてカバンから乾パンや干し肉を取り出す。途中で動物を狩ったりする予定ではあったものの、一応かなりの量の保存の効く食料を用意してきていた。期間が2週間に短縮された今では十分すぎるほどである。

 焚き火に火がつくころには辺りにはすっかり暗闇が染み込んでいた。干し肉と簡単なスパイスで味付けした簡易スープを飲みながらライと対面して話す。

 

「そうかい、クランクランでは演奏ができなかったのか」

「ああ、なんか許可がいるとかでダメだったんだ」

 

 ライにクランクランでのことを聞かれたのでそれっぽい理由をつけて誤魔化していく。心が痛まないわけではないが、本当のことなんて言えるわけも無い。幸いライはそれを疑う様子もなく乾パンをかじっている。しかしふと思いついたようにこちらを見て。

 

「じゃあ今ここで聞かせてくれよ!」

「え?」

 

 そんなことを言い始めた。

 

「いいですね、私も聞きたいです」

「えっいやでもアイ……イアル。俺の弾き語りは」

 

 魔法が発動してしまうのだ。自分では何が出るのか分からないそんなびっくり箱なのである。アイラまでが乗ってくるとは思わず、動揺してしまう。

 

「なんだよ〜! 勿体ぶらずにさァ。ほら! 馬車での移動料金だと思って!」

 

 そんなことを言われては断るに断りづらいじゃないか……っ!! アイラの方を見てもこっちも目をキラキラとさせるばかりであった。

 

「仕方ないな……少しだけだぞ?」

 

 馬車の元へ行き、ギターケースを取って戻ってくる。ライは興味深々といった様子でこちらを見ている。

 

「俺ァ楽器に詳しく無いんだけども、それはなんて楽器なんだ?」

「ギターっていう弦楽器だな。ちょっと違うけどでっかい琴だと思ってもらえれば」

 

 前に聞いた情報ではこの世界には琴はあるらしい。一応弦楽器自体は存在しているのだ。チューニングをして音を合わせる。ライはチューナーが光ってるのを見てこれはなんだ、どういう仕組みだとまくし立てるように聞いてきたが、全てを魔法と答えると大人しくなった。魔法って便利な言葉ね。

 

「さて……準備は終わったけどどうしようかな」

 

 持ち曲自体は沢山あるが、どれを歌おうか。月明かり、星明かり、焚き火の明かりに照らされてギターを構える。こんな風情のあるシチュエーションでの弾き語りはしたことが無い。少しテンションが上がっている自分がいた。ライとアイラに目をやるともうすっかり聞く体勢でリラックスをしている。

 

「それじゃ1曲。──見て」

 

 

 

 誰にもなりたくなくって

 僕だけを愛して欲しくて

 いつだって心の中は虚栄に溢れた世界で


 誰にも愛されたくて

 僕だけを見ていて欲しくて

 そんな欲だらけの僕は満たされることは無くって


 いつまでも変わらぬ愛を求めて

 いつしか大人になってしまった


 溢れる人の中のたった一人の

 僕だけを見てはくれないか

 あなたのためだけに歌うから

 あなただけを見ることはできないけど

 

 

 

 歌い終わると辺りには焚き火が奏でるパチパチという音だけが残された。あまりにも反応が無いので恐る恐る2人を見ると、魂を抜かれたかのようにこちらを見ていた。

 

「す、すげえ……すげェよサクライ!! こんな歌、聴いたことねえ!!」

 

 最初に動いたのはライだった。焚き火を回り込んで、こちらに近寄ってくる。

 

「そのギター? って楽器の音色も良いけど、何よりお前の歌う歌が本当に良かった……この曲はお前が作ったのか?」

 

 興奮冷めやらぬといった様子でライが身を乗り出してくる。

 

「あ、あぁ……一応作詞作曲は全部俺がやっている」

 

 そう答えるとライが額に手を当ててひっくり返った。

 

「こんなすげえ音楽、俺ァ知らねえぞ……。歌ってこんなに感動するものだったんだな」

 

 星空を見上げながらライが呟いた。この世界では音楽ってそんなに発達してないのかな。ライやアイラの反応を見るにどうやらそうらしい。

 

「そんな、大袈裟だよ。俺の住んでたところではこういう音楽は割とポピュラーだったんだ」

「はあぁ。サクライの故郷ってのはどこなんだ?」

 

 やべ、墓穴掘った。

 

「あーーーーっと……東の方……かな」

「東ってーとライバーンか? でもこんな音楽聴いたことないぞ?」

「あーいや、それよりももっと東の……」

 

 何となく誤魔化すと何かを感じ取ったのかライはそれ以上追求してこなかった。

 

「しっかしまあこれ、ちゃんと世間に周知したら恐ろしく売れるんじゃないか……?」

 

 ライの目が商売人の目になっていた。

 

「いや、まあ流れの楽士ってことでひと所に留まらないから中々……な」

「今までにも引き留められたこと無かったのか? 宮勤めの楽士だって言われても疑わないぞこんなの……」

 

 納得がいかないという様子で首を捻っている。俺は内心ずっとヒヤヒヤしていた。助けを求めるようにアイラの方を見ると、

 

「………………はぅ」

 

 熱っぽいため息を吐いてこちらを見つめていた。向こうの世界では全くいなかったファンと呼べる存在がこの世界に来てやっとできたのかもしれない。そんなアイラを見て、俺の中の承認欲求が満たされていくのが分かった。

 

「まあなんにしても、いいもん聴かせてもらったわ! ワレスまではバッチリ送り届けさせてもらうぜ!」

「え? でもライはヤイタまでじゃなかったか?」

 

 確かヤイタに出たヤイタ狼の毛皮を買いに行くとかなんとか。

 

「気にすんな! 行きに買おうと帰りに買おうとほとんど変わんねえからよ! 最高の歌を聴かせてもらったお礼さ」

 

 ライが眩しい笑顔でサムズアップしてくる。

 

「ありがとう、俺の歌で良ければまたいつでも歌うから」

 

 俺もにこりと笑って応える。歌を聴いてもらって喜んでもらう。こんなに、こんなに素晴らしいことなんだな。じーんとする心がこの涼しさの中でもポカポカと温かくなる。

 

(あれ? そういえば魔法出なかったな)

 

 昨日や一昨日は歌ったり発声したりしたらすぐ魔法が出たんだけど……。今は特にギターが光るということも無さそうだ。ライが手洗いに立ったタイミングでアイラに近寄り質問する。

 

「さっき、歌っても魔法が出なかったんだけどこれってどういうことだと思う……?」

「……そういえばそうですね?」

 

 アイラもハッとしてこちらを見る。歌に感動してくれていたので全然気が付かなかったようだ。少し俯いて考え込んだ後、

 

「……これはあくまで推論なんですけど、サクライの聖具は聖地の近くでしか機能しないのかもしれないです」

「聖地の近くでしか……ってオクライ山でしか使えないってことか?」

「正確には祭壇が置かれている、オクライ聖山、アンサン聖池、サイバル聖谷、ナクラーレン聖窟、トウトウ聖丘等の神への祈りを捧げる、魔力の濃い場所でしか……ということです」

 

 アイラが神妙な声色で告げる。あれ? それって……。

 

「聖地以外で襲われたらやばいってこと……?」

 

 アイラは何も答えなかったがそれが何よりの答えとなった。いつしか自分を無敵の魔法使いかのように錯覚していた。この国の王族を守る親衛隊すらをも退けることができる存在だと。しかしそれは聖地でのみ使える力だったということなのか……?

 

「ぁ……あ……?」

 

 その事実が頭に染み渡ると途端に自分が果てしなく無防備かつ弱い存在なのだと思い出す。所詮俺は普通の人間。聖具であるギターを使えなければ身を守ることすらできないのだ。気がつくとアイラが俺の前に近寄ってきていた。


「……サクライ、いいですか。今後は絶対に私から離れないでください」

 

 俺の顔を見上げて告げた。俺はそれにただ頷いて返すことしかできない。手が、全身が震えている。寒さが焚き火の温かさを無視して俺を刺すようだ。目の前が、真っ暗に。

 

「……大丈夫ですよ」

 

 そんな俺の様子を見てアイラがキュッと両手を握ってくれた。そんな彼女の手も、震えていた。

 

「あ……」

「私も、怖くて怖くて仕方ないんです。昔から、巫女の力が無くて誰からも認めて貰えなくて。ついには追放されて1人になって」

 

 そしてそのまま俺の身体を引き寄せて胸に抱いてくれる。

 

「でもそんな時に貴方が、サクライが現れたんです。それが私にとってどれだけ嬉しかったか」

 

 お互いの顎を肩に預け合うと、鼓動も、体温も全てが溶け合っていくようだった。この小さな身体に似合わない大きなものを背負っているのだ。そしてそんな状態で尚、俺を励まそうとしている。

 

「この3日間、本当に楽しかった。初対面の男の人なのに何故かそんな気がしなくて、気を許してしまって……。そんな日が続いて欲しいと私は願っています」

「アイ……ラ」

 

 俺の肩を抱く腕に力が入る。

 

「大丈夫、どんなものが襲ってきても私が貴方を守ります。だって私はウライ神聖帝国の巫女、アイラ・エルスタイン。神様に仕える身なんですから。私、結構強いんですよ?」

 

 そう言って儚げに笑う。ああ、俺は守らなきゃいけない女の子に励まされて、守られて。だらりと下げていた手を恐る恐るアイラの後ろに回して抱きしめる。一瞬ビクッとして強ばった身体だったが、やがてふにゃりと力が抜けた。

 

「ごめん、アイラ。ちょっと弱気になっちゃってたみたいだ」

 

 そう言って抱きしめていた手を解き、離れる。アイラはそんな俺を優しげに見つめている。

 

「突然召喚されて、訳わかんなくて。魔法とか神とか意味わかんなくて。そんな中でちょっと強い力が与えられてたからって調子に乗ってたみたいだ。本来俺は弱い」

 

 そう、俺はこの世界の人間ではないから魔法が使えない。分かっていたはずなのに舞い上がってしまっていた。

 

「これからは身の程を弁えて、聖地以外でも別の方法でアイラの助けになれる方法を探すよ」

 

 どんな小さなことでもいい。アイラが有利になることならばなんでもいいのだ。

 

「……はい、一緒に。一緒に世界を救いましょう」

 

 2人で立ち上がる。これから先に待ち受けるのはきっと昨日の戦いより苛烈な死闘だろう。皇女であるアイラと違い、俺に容赦はされない。そんな中でアイラがこちらを気にせず戦えるようにしなきゃいけないんだ。

 

「グルルルルルルル……」

 

 その時、1つの唸り声が近くの茂みから聞こえてきた。

 

「なんだっ?」

 

「グワァゥ!!!!!」

 

 こちらが気がついたことを察知した獣は茂みを飛び出しこちらに一直線に飛んでくる。

 

「サクライっ……!!」

 

 アイラが魔法を練るが僅かに間に合わない。この獣、速いっ……!! 獣の目の燐光が闇夜に軌跡を描く。ああ、こんなところで。

 

 ガキィンッ

 

「ギャウッ!!?」

 

 しかしその牙が俺に届くことは無かった。桜の花びらの様な膜が俺を凶牙から守り、弾き返していた。

 

「氷爪ッッ!!!!!!」

「キャウンッ!!」

 

 アイラの放った魔法が獣の横腹を切り裂き、吹き飛ばした。ゴロゴロと転がっていき、やがて動かなくなる。

 

「サクライっ……大丈夫ですか?!」

「あ、あぁ……。今のは……」

 

 この3日間で何度か見た、俺を守る自動防御魔法。しかしここは聖地では無い。何故発動したのだろう。

 

「なるほど、そういうことだったんですね……」

 

 アイラが何かに気がついたような声をあげる。

 

「サクライ、あのギターは自動防御魔法の聖具だったんです」

「……どういうことだ?」

 

 聞き返すと1つ息を吐いてからこう続けた。

 

「聖具というのは本来、特定の魔法を付与されているものなんです。その聖具に魔力を込めることによってその魔法が発動する。アロマキャンドルみたいなものなんです」

 

 最後の例えが適切かは分からないが、理解はしやすい。つまり聖具とは持ち主の魔力を燃料として特定の魔法だけを発動させるもの。火をつければ練り込まれたアロマの香りがするアロマキャンドルとは確かに似ているのかも。

 

「で、でもなんでオクライ山では他の魔法が使えたんだ?」

 

 しかしだと言うなら俺が発動した他の魔法はなんだというのか。

 

「恐らくですが……あれはサクライ自身による魔法だったのでは無いでしょうか?」

「え……俺、自身?」

「聖地においてサクライは常に無限の魔力の供給を受けることができます。そこでサクライが想像、きっかけを与えてやれば」

 

 ──自由に魔法が使える

 

「だとしたら今はなんで自動防御魔法が……? いくら聖具とはいえ持ち主の魔力は必要なんだろう?」

 

 そう、向こうの世界からやってきた俺には魔力なんてものはない。その理屈で行くと自動防御魔法も発動しないはずなのだ。

 

「微弱ですが、今もサクライはこの世界から魔力を受け取っています。自由に好きな魔法を使えるほどの量では無いですが、それでも聖具に備わった魔法を使うだけの魔力は受け取れているのかと」


 アイラも半信半疑といった様子ではあったが、俺の額に手を当て確信をもったようだ。

 

「……サクライ、貴方は今も最硬の魔法使いのままです」

 

 この魔法は常に周りに魔力を漂わせ、その魔力に触れた物を弾くというものらしい。弾くもの弾かないものの判断基準はよく分からないが、この魔法がある限り俺は絶対に傷つくことは無い。

 

「は、はは……。そうか、そうだったんだな」

 

 これなら、アイラがこちらを気にすることなく戦うことができる。いやむしろ、アイラの盾となり彼女を守ることだってできる。

 

「やっぱり貴方は神の使い……ですね」

 

 アイラがそう言って笑う。その言葉も今なら笑って返すことができた。

 

「おーーーい! なんか騒がしかったけどどうしたんだぁ〜!!?」

 

 ライが慌てた様子で走ってくる。

 

「2人で、この世界を救おう。アイラ」

「……えぇ、必ず」

 

 燃える焚き火の炎が並ぶ2人の影をいつまでも揺らしていた。

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