二日目 屋上
秋の空は高い。突き抜けた先に暗闇が広がっているとは思えない天が頭上に広がっている。鳥も飛行機も飛んでいないそこはただひたすらに青く、天井だと言っても納得してしまいそうなほど変わらぬ色を湛えている。つまり、秋の空は退屈だ。
ぼくは仰向けていた身体を横に倒し、すっかり短くなった吸い殻をコンクリートに押しつけた。無造作に広げたポリ袋の中に投げ入れると、そのへんのタバコ屋で買った百円のライターをポケットから取り出す。そして、本日百八本目の煙草に火をつけた。円環だか輪環だかの名を持つこれはおいしいのかおいしくないのかよくわからない。適当に目についたものをとりあえずフェンス越しに見える街に灰色のフィルターがかかる。
「やあ不良少年」
「少年じゃない」
視線を上げ、フェンスの枠に座るそれを眺めた。随分と機嫌がいい。ぱたぱたと足をばたつかせながら、下手くそな鼻歌まで歌っている。
「少年よ、今日はチャレンジしないのかい?」
「してるだろ」
「何を」
「寿命を縮めてる」
ふう、と紫煙を吐き出す。さすがに百本以上吸っていると慣れてきた。最初はげほごほ咳き込むばかりでろくに煙も吐けなかった。カップ酒がなかったら諦めていたかもしれない。こんなものを好んでいる人間がいるのだから不思議なものだ。長く生きていても理解できないものは多々存在する。
「慎ましやかだなあ。もっとぱーっとやればいいじゃん。せっかく高いところにいるんだからさ」
「お前は何がしたいんだ。ぼくに生きろと言ったよな」
「それはそれ、これはこれ。久しぶりに会った友人をもてなしてくれたっていいじゃん」
「お前のために? はっ笑えん」
伸ばした手で瓶を摑む。安い味のする酒をあおっても、喉はつゆほども痛まない。昨日酷使したというのにまったく損傷していないのだから嫌になる。まったくもって忌々しい。
「そんなに言うなら自分でやれよ」
「それってお願い?」
「ああ」
できれば存在ごと消えてくれたら嬉しい。とにかく視界に入れたくないのだ。ごろんと転がって視線を街に向ける。昼の強い日差しがビルの壁面に反射してきてまばゆいばかりだ。何千人、何万人もの営みを見下ろし、百年後に何人が生きているかを考える。その中にぼくが含まれていないといい。有象無象と同じように、なんてことない生活の中で突然死、なんて経験をしたい。無駄に丈夫なこの身体では、億に一もない可能性だが。
ふと、けぶる街並みが歪んだ。フェンスが大きくたわんだのだ。
「キミの願い、このボクが叶えて進ぜよう。じゃっ!」
横になっていたぼくは勢いよく起き上がる。逆さになったそれと、目が合った。にこやかに手を振り、視界から消えた。
きゃあ、という甲高い悲鳴があがり、にわかに地上が騒がしくなる。そっと覗けば、何かを取り囲むように人だかりができていた。中央にあるのは――靴だ。はっとして足を見る。左のスニーカーがない。やられた。
「誰かいるぞ!」
「やべ」
ぼくは吸いかけの煙草を握りつぶし、ドアに走る。だが、ドアの前で思い直した。階段は一つ。上がってきた人間と必ず鉢合わせるだろう。
「まあいいか」
裏道に面する側へととって返し、フェンスを跳び越えた。あのスニーカー、もう売ってないだろうなと思いながら。
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