死を待つひと
守宮 泉
一日目 鍵
鍵は凶器となり得るか。
金属の冷たさが唇に触れる。差し込む側の凹凸をなぞり、そっと舌の上にのせた。血に似た味。刃とは違う、厚く野暮ったいこれが喉を落ちていくのだ。ぼくの食道はとても耐え切れまい。胃に到達する前に窒息してしまうだろうか。それならそれでいい。
並んだスペアキーは千本もないが、気道を塞ぐのに十分な量を用意したつもりだ。最近は簡単に複製できてとても良い。始めに入った鍵屋で五本頼んだら訝しい目で見られてしまったから、複数の店に持ち込んだ。意図せず作り比べてしまったが、素人目にはどれも同じに見えた。
表面に塗った油がぬるつく。邪魔な歯に当たらないよう口を大きく開け、上向いた。
顔があった。
「よ」
「んぐっ?!」
弾みで手を離す。喉奥に先端が刺さり、考える間もなく咳き込んだ。唾液にまみれた鍵が畳の上に落ちる。咳が止まらない。異物を除去しようと、ぼくの身体が必死になっている。ぼくは喉をおさえながら再び見上げる。
「お、まえ」
「まーだやってんのか。懲りないなキミも」
よっ、と降りてきたそれはTシャツに短パンと非常に子どもらしい格好をしていた。言っておくが、ここはぼくの家である。きみわた荘二〇一号、四畳半の部屋とキッチンがあるだけの古びたワンルームだ。どうせ長くはいないからと、一番安い部屋を借りた。それは空間を意に介さない存在なのでどうやって現れたかなんてのは愚問だが、一つだけ聞きたいことがあった。
「げっほ、なぜい、げほ、ここ、に」
「ひどい言い草だなあ。せっかく旧き友が遊びに来てやったのに」
「いいから、目的を言え、よ」
何が友だ。そんなものいた覚えはない。ちゃぶ台の上にあぐらをかき、それは楽しそうに鍵を弄んでいる。一本ずつ、間髪入れずに宙に投げた。重力に従う鍵は一本もない。どれも落ちる前に消えているのだ。
「……おい、遊ぶな」
「いっぱいあるからいらないのかと思った。それに、鍵は一本あれば十分だろ?」
ドア一個しかないし、と玄関を指さす。ようやく喉のけいれんが治まったぼくは、残った数本を奪い取った。
「邪魔をするなよ」
「やだね」ぱん、とそれは柏手を打つ。「唯一の信者だよ? 救ってやるのがボクの本分」
その瞬間、ぼくの持っていた鍵がすべて消えた。ご丁寧に吐き出したオリジナルも含めて。
「っくそ」
「それ、こっちで覚えた? かわいい侍童ちゃんがそんな言葉使っちゃダメじゃん」
「うるせえ。この自己保身の塊め」
「あ、ばれた?」
「何年の付き合いだと思ってるんだ」
「んーっと、二百くらい?」
「二千九百五十六年だよ」
がたんがたんと地響きのような音を立てて列車が通り過ぎ、簡素な木枠にはめ込まれた磨りガラスを揺らす。それはうっそり笑んだ。幾度となく見た表情だ。正直、見飽きた。
「よく覚えてるね」
「忘れられるか」
言いながら吐き気がしてきた。だが、数えるのはやめたくない。時間の感覚が曖昧になったら何かを失う気がする。ぼくはまだそれではない。少し長く生きすぎて、少し成長が遅いだけの人間だ。
「あと千年ぐらいは生きててよ。ボク、まだ消えたくないからさ」
「往生際の悪い神だな」
「こんな願い、人間には抱えきれないでしょ」
だから神なんだよ。
そう言ってそれは窓に溶けた。この問答も何度目だ。二百年経っても同じことを言っている。もう飽き飽きだ。
えずいた直後にしゃべったからか、喉が異様に乾いている。とりあえず飲み物を、と思ったところでぼくは重大なことに気がついた。
「あいつ、マスターキーまで消しやがった……!」
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