十一の月と二十八日目


 悪魔 カーディナル・スタンダール


 リアドの秋祭りの二日目。今日も、朝一番に宿屋を出る。まだ人の出は少なく、準備中の露店主たちから、「兄ちゃん、あとでうちに来てよ」と声を掛けられるのを、片手を振りながら応える。

 毎年の秋祭りに通うようになってから、これが十一回目だからか、顔見知りも多い。色付き眼鏡を掛けず、赤い瞳をさらしていても、悪魔だとは気づかれないので、こちらは気楽だ。


 安息日の祈りによって、リアドは守られているのだと思い込んでいるのか、大分油断している。いや、実際に守りは強固なのだが、年に一度だけ、祈りの時間のないこの安息日前後は、俺も何とか町中に入れる。

 とはいっても、やることは観光だ。ここの王女も、日記を通して俺がいることを知っているのだから、監視されているような状態だ。……いや、監視されていても、悪事を働くわけではないのだが。地獄の法は、下手をすると人間のそれよりも厳しい。


 ああ、でも、急に話しかけられることはあったが。俺と契約して、魔力を得たいという青年だった。

 俺は契約に関しては抵抗がない方だが、この国ではわざわざ魔力を得ずとも、人並みに暮らしていけるのだから、大きな代償を払う必要はない。それに、デカ過ぎる力に振り回されるぞと警告すると、青年は留飲を下げたようで去っていった。


 「昨日のあいつ、もう、あんな無茶はしないだろうな」と足元のジュリアンに話していると、「あら、スタンダールさんも来ていたの?」と声を掛けられて、顔を上げて横を見る。「三角帽子」と書かれた露店の看板の下で、レイラが微笑みかけていた。

 あの青年は、悪魔を見抜く魔道具によって、俺の正体に気付いたようだが、レイラはそれに頼らずとも、見抜いている。話によると、彼女の先祖は悪魔と契約して魔力を得たようで、その影響なのか、パーマロイの家に生まれた女性は、そういう部分の察しが良いらしい。


 しばらく、彼女と立ち話をする。ジュリアンも、「三角帽子」の横に箱に座っていた、看板猫のチャーリーと会話しているのか、互いに鼻先を付き合わせている。

 そこで彼女から、数日前に謎の化物が町の上空へ現れた珍事について聞いた。レイラと息子のサイモンズは、贖罪の旅で街を離れていたため、気が気ではなかったらしい。


 結果、化物は何もしなかったと、レイラはほっとした様子で話していたが、俺は贖罪の旅を続けていることの方に驚いた。彼女の先祖たちが盗賊として暴れ回っていたのは、もう数千年前の話だからだ。

 悪魔も、一万年前に、地獄から地上へ侵攻し、人間たちを蹂躙していた時期がある。それに抵抗するために、人間たちは宗教と祈りの力を生み出した。ただ、俺にとっては、悪事を働かずに普通に生きることが一つの償いだと思っているので、先祖の罪を今でも直接詫びるという考えは、正直ピンとこない。


 思想も色々だなと思いながら歩いていると、いつの間にか露店が開き始め、人の通りも増えてきた。チビたちが「犬だー!」と駆け寄って、ぐりぐり撫でてきたので、ジュリアンは機嫌が悪くなっている。

 チビたちから解放されたジュリアンが、「人気のいないところへ行きたい」と目で訴えるので、しょうがなく、路地裏へ一時避難した。パレードまでに大通りに戻ればいいかと、この時は気楽に考えていた。


 家と家の隙間の道を通り抜けたら、目の前に教会があった。その玄関先に、一人の老いた神父が立っている。

 運が悪いと思いながら、顔には出さず、通り過ぎようとしたが、「あなたは悪魔ですよね」と、道を挟んでいるのにも関わらず、当然のように神父から話しかけられた。


 「王女から滞在の許可はもらっている」俺は、手短にそれだけを言った。しかし、神父はまだ口を開く。

 「神のことはどうお思いですか?」「どうもこうも、会ったことないから、よく分からない」「あなたは、何が目的にこの町にいるのですか?」「秋祭りの観光」――足元で、ジュリアンが唸るのをなだめながら、神父とそんな言葉を交わす。


 ただ、神父からは敵意というものは、特に感じられなかった。単純な興味から、悪魔のことを知りたいと思っている様子だ。

 王女と対面した時も、終始彼女はそんな調子だったなと思いながら、俺は返答していた。そして、神父は一瞬、俺から視線を逸らし、地面を見た。


「人々から、祈りの心が失われた瞬間、どのような世界が来るのか、私は不安なのです」

「まあ、そんな変わんないじゃないか? 悪魔が大挙してやってくるなんてことは、多分あり得ないだろう」

「本当ですか?」

「俺たちだって、人を襲ってくるやつらばかりじゃない。人間と同じだ」


 それを言うと、神父の瞳が揺れた。

 こちらは、言いたいことを十分に伝えたので、その場から離れる。「人通りがない所でも、厄介ごとは起こるぞ」とジュリアンにぼやきながら、大通りに戻った。


 「三角帽子」でチュロスを買い、それを食べていると、パレードが始まった。二階ほどの高さの足を持つピエロや、ドレスを着た仮面姿の女たち、竪琴を鳴らす吟遊詩人たちがこの国の歴史を表しながら歩いていく。

 子供たちは割れないシャボン玉にはしゃぎ、大人たちも童心に返って歓声を上げる。なんて平和な時間だ。俺にも、それを微笑ましく思う心があって良かった。


                 おわり






 メモ


 十一年前の秋祭り、「赤い瞳の男がいる」という日記の情報と、町に入ってきた人の名簿に無い名前の日記が届いたことから、私はカーディナルさんの正体に気付いた。

 もしかしたら、悪魔なのかもしれないという恐怖はあったが、それ以上に、悪魔と話してみたいという気持ちが強くて、私は誰にも言わずに、伝達水晶を使って、カーディナルさんと話をした。


 当時七歳だった私にも、カーディナルさんは真摯に悪魔や地獄について教えてくれた。あの時足元にいた、黒い犬のジュリアンもカーディナルさんも、それから変わらない姿のまま、毎年秋祭りに来てくれている。

 祭りでみんな浮かれているからか、カーディナルさんが悪魔だからと言って、大きな事件は起きなかったけれど、昨日の日記で、ラーイアさんが彼と契約しようとしたことには驚いた。カーディナルさんが説得して諦めさせたが、今日はそれ以上のことが起きていたようだ。


 カーディナルさんと話したのは、きっとカァル神父だろう。教会の場所と、話した内容で察しが付く。何か悪いことが起きるんじゃないかと、ドキドキしながら読み進めていった。

 カァル神父も、これで悪魔にも色々いるということを知ったのではないだろうか。まあ、カーディナルさん自身は、「悪魔の中でも例外な方」と、自分のことを言っていたけれど。


 町の上に現れた怪物の影響は、特に見受けられない様子だ。カーディナルさんもあまり言及していないのを見ると、彼もその正体はよく分からないのかもしれない。

 祭りは、何事もなく終了した。来年も、また無事に、開催できますように。


                 ノシェ

































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