十一の月と二十五日目


 国立リアド学園中等部三年 トマース・イセルタル


 一昨日の夜の化物騒ぎから一日経って、久しぶりに学校へ行く。みんな、あの化物を見たのだろうか。

 俺は、偶然窓を閉めようとした時に目撃した。あんな大きくて、潰れた丸太のようなあいつが、何もしなかったのは奇跡だと思う。


 道へ出ると、隣のネエジアさんが、玄関で日課の掃き掃除していたが、今日は箒を持ったまま、ぼーと立ち尽くしている。俺が挨拶をすると、はっと我かに返ったかのように微笑みかけた。

 「あの化物が現れた時、あなたは起きてた?」と、だしぬけにそう尋ねられた。「ええ。姿も見ました」と返すと、「そう……」と何か考え込んだような顔をしている。


 「あの化物の方から、何か声が聞こえなかった?」……ネエジアさんにそう尋ねられたが、意味が分からなかった。俺は正直に、首を横に振る。

 ネエジアさんによると、化物が現れた瞬間、彼女にだけ、その「声」が聞こえたらしい。ただ、ネエジアさんは「声」と呼んだが、音というよりも、頭の中に響く自分以外の感情のようなものだったらしい。


 それは、強い悲しみと憎悪の感情だった。それを受けて、ネエジアさんは、嘔吐しそうなほど気分が悪くなってしまったらしい。

 見回りに来た警備兵に連れられて、夜間病院へ行ったが、化物が消えたと同時にその「声」は聞こえなくなっていて、気持ち悪さも回復してきた。診察も受けたが、異変はどこにもなく、心因的なものだろうと推測されたと、ネエジアさんは話していた。


 確かに、俺よりもずっと長く生きているネエジアさんでも、あんな化け物を見たら恐ろしくて、幻聴が聞こえたのかもしれないなと納得していたら、さらに信じられないことを聞いた。

 「それだけでも大変だったのに、ジェーンとアルベルトが、『翠の石』を辞めちゃって……」――それを聞いて、「え?」と声が出た。


 昨日、ネエジアさんが働く「翠の石」の店長から連絡があり、一昨日に従業員のジェーンとアルベルトが退職したと聞かされた。

 元々二人は旅人で、この町にも、時期が来たら出ていくつもりだったという。「それにしても、いきなりすぎるわよねぇ」と、ネエジアさんは恨みがましく言う。


 その後の話を聞く気力もなく、俺は、学校がありますからと断って、ネエジアさんの元を離れた。通学路を歩きながら、肩掛け鞄に手を添えていた。この中に、ジェーンへの恋文が入っている。

 「翠の石」で働く、三つ年上の彼女に恋をした。一目惚れだった。どこか陰のある笑顔に惹かれて、隙を衝いては何度も話しかけた。


 この前の安息日を丸々使って、恋文を書いた。明日、彼女に渡すぞと意気込んでいたのだが、その日はずっと店の裏側で仕事をしていたらしい。

 店番をしていたのはむすっとした顔のアルベルトで、俺はすごすごと退散した。まあ、後日に渡せるだろうと、おおらかに構えていたのだが……。


 教室は、誰もが化物の話をしていてうるさいくらいだったが、俺だけはぼーっとしていた。

 ずっとずっと、旅をしていたとジェーンは話していた。「空に浮かんだ機械仕掛けの島があるの。煙を吐きながら、動いているのよ」と、信じられないようなことを、楽しそうに語る彼女の笑顔を思い返す。


 恋文は、家に持ち帰った。捨てようかと思ったが、自分が一生懸命書いたものを、破いたり、丸めたりするのは気が引けた。

 結局、机の奥底に閉まっておくことにした。いつの日か、これを懐かしく読み返せるその日まで、眠らせておこうと決めた。


                 おわり






 メモ


 トマースくんの日記は、学校生活のことや友達の話が中心で、いつも明るく楽しそうだなぁと思いながら読んでいた。だけどまさか、ジェーンのことが好きだったなんて、今日の日記を読むまで、予想だにしていなかった。確かに、『翠の石』に立ち寄る回数が増えているなぁとは思っていたけれど……。

 でも、ジェーンの気持ちは、きっとアルベルトに向いていて、彼は片思いだったということを、私は気付いている。そんな中で、恋文を渡せた方が後悔が少なかったかどうかは、よく分からない。恋愛の難しい場面だ。


 あと、昨日にネエジアさんの日記が無かったのは、化物が現れた時の体調不良のせいなのかもしれない。

どうして、ネエジアさんにだけ、「声」が聞こえたのだろう。エルフは木の聖霊の末裔だから、木の特徴を備えたあの化物と何か関係があるのだろうか?


 色々あったけれど、町のみんなは日常を歩み始めている。七分の五曜日まで異変が起こらなかったら、お祭りも行われると正式な発表もあった。

 どうか、その日まで無事に。


                 ノシェ






















































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