十一の月と二十一日目
宿屋「チエリのとまり木」メイド イイリ・ホレンツオ
今日は月に一回、安息日に眼鏡をかける日。私は、運河沿いの公園に向かった。
生まれつき光の見えない私は、眼鏡の魔道具のお陰で、目を介さず、直接物の形を見ることが出来る。でも、ずっとそうしていると、頭が疲れてしまうので、宿で働いている日以外は、一日中眼鏡を外している。
春の光と秋の光はちょっと違う。穏やかだけど、少しずつ冬に向かっていくので、鋭さを増しているように感じている。
町の上を、スキップしながら歩いていく。ご近所さんに挨拶をすると、「今日も良い日になるといいわね」と嬉しそうに返してくれた。
お昼前の公園でも、結構な人が集まり、思い思いの時間を過ごしている。まずは、遊歩道を一周してみる。
赤や黄色に色づいた葉っぱが、ひらひらと舞い落ちていく。そばの花壇では、ピンク色の花が胸を張るように咲いている。途中で、それぞれ白い犬を連れている男の子と女の子と出会い、その犬に触らせてもらった。
ちょっと歩き疲れたので、公園内のベンチに座った。空の青さを見上げて、ぼんやりとする。夏よりもずっと柔らかい水色の中を、薄い雲がずっと同じ場所に留まっている。
ふと、私の足元に転がってきたボールが当たって、我に返った。赤色のそれを拾い上げると、「お姉ちゃん、くださーい!」と小さな女の子がこちらに手を振っている。私がボールを投げると、女の子はそれを掴んで、「ありがとうございまーす!」と言いながら走っていった。
その子は、お父さんの方に向かっていた。お父さんに、ボールを投げようとすると、「メリル、お昼にしないか?」と言われて、「うん! 分かった!」と返してから、お父さんの方に駆けていく。
そんなやり取りを見ていると、私もおなかが空いてきた。公園に立つ時計を見ると、丁度正午になっている。芝生の上の人々は、敷き布の上でお弁当を広げている。私も公園を離れて、お昼を食べに行くことにした。
運河沿いに建つ、よく行く食堂「三角帽子」へ。ここの人たちはとても親切で、何でも話せる。私が、目の見えないことを告白しても、態度は変わらなかったのがとてもありがたかった。
窓辺のテーブルに座り、メニューを開く。新メニューのカルボナーラを頼んでみる。店内は混んでいたけれど、店員さんはみんな魔法使いなので、あっという間に料理が出来上がり、運ばれてきた。
「いつもご贔屓、ありがとうございます」と、ウェイターのサイモンズさんのお皿をテーブルに載せながら、にっこり笑った。お皿の上にはスパゲッティが入っていて、その真ん中に卵の黄身だけが艶々輝いていて、とてもおいしそうだ。
香ばしいベーコンと胡椒の匂いを嗅いでいると、サイモンズさんが「お祭りの日は、眼鏡を掛けないんですか?」と尋ねられた。
そう言えば、次の安息日はお祭りだったけと思いながら、初めてお祭りに行った時の苦い気持ちを思い出した。いつもよりも多い町の人出と、たくさんの出店を見ただけで、私はくらくらとしてしまい、翌日まで休んでしまったのだ。
その話をすると、サイモンズさんは瞳に同情の色を浮かべた。「花火、とても綺麗なんですけどね」――そう言われたけれど、花火は一度見ている。それで十分だった。
「三角帽子」を出た後は、再び運河の方へ向かう。だけど、今度は公園へは行かずに、柵に寄り掛かって、運河を眺めた。
運河は、日光を受けて、ゆらゆら揺れる水面が絶えず輝いている。何にも起こらなくても、河と空はいつまでも眺めていられる。
落ち葉が流されていくのを見守ったり、さっと煌めいた魚影に目を凝らしたり、ゴンドラに乗っている男の子に手を振り返したりしている間に、いつの間にか、夕方になっていた。風も冷たくなってきたので、そろそろ帰ることに決めた。
西にある宿へ向かうので、丁度前方に沈みゆく太陽が見える。眩しくても、燃えるように落ちていく太陽を、じっと眺め続けたくなる。
宿に入ると、一階のロビーに現在宿泊しているお客さんのジェーンとアルベルトがいた。二人でソファの隣同士に座り、何か話している。
アルベルトが不意に振り返り、私の姿を見ると、小さく会釈をした。続けて、ジェーンも気が付き、「こんばんは」と微笑みかける。私も「ごゆっくり」と、休みの日でも、ちゃんとメイドとしての挨拶を返す。
自室に帰って、軽めの夕食を摂ったり、雑務をこなしたりして、私はそろそろ寝る準備をする。
今日も良い休日だったと満たされた気持ちのまま、この日記を書き上げた。
おわり
***
メモ
体の不自由な人へ、その大変さを減らす魔道具も開発されていて、それらを売ることとメンテンナンスは無償で行われている。
イイリさんも生まれつき目が見えないが、眼鏡の魔道具のお陰で、宿で働き、その従業員部屋で一人暮らしもしている。だけど、脳に直接映像を送るという行為はすごく負担になるらしく、休息も入れずに何日もかけ続けていると、気を失い、二度と目覚めないということもあり得るらしい。
そんなイイリさんが見つめる世界は、とても美して、溜息が出てしまう。私たちが当たり前だと思っているものを、いつも新鮮な気持ちで受け取っているのだということが伝わってくる。
私は、一箇所で同じものを眺め続けて、ぼーっとすることが絶対に出来ないから、それが羨ましく思う。秋の風を浴びながら、一刻一刻と変化していく空を眺める……すごく気持ちのいいことなんだろうな。
ノシェ
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