Day8 金木犀

 彼女が私に話しかけることは無かった。

 彼女が私を気にかけることは無かった。

 彼女にとって私は道具。家具。無機物。

 逆に無機物に対して話しかけるヒトはどうかしているだろう。


 私が『生』きているかとか『死』んでいるかとかは関係ないのだ。


 私はヒトであり、ヒトではない。


 その身体のほとんどは機械によって成り立っている。

 眼球も、皮膚も、骨も、臓器も、私の身体を形成するものはほぼ全て、機械で駆動している。それに感情がかろうじて引っかかっているようなものだ。人間のふりをしているロボット。

 そう、私は割合としては『ロボット』と言って差し支えないだろう。


 生きているロボット。

 自立している機械。

 ただいま仕事としてキズナ様にお仕えしているので、他人からは『キズナ様の道具』と認識されていても何も間違ってなどいない。


 彼女は私の手を自分の手のように使い、

 彼女は私の足を自分の足のように使う。


 ただそれだけのことである。

 私は道具。それ以上でも以下でも無い。


「金木犀の香りがしますよ、いい匂いですね」


 食事の準備をしていると、空っぽの洗濯物のカゴを持って外から帰ってきたハル様が話しかけてきた。


「そうですか」


「失礼ですけれど、レスザンさんって、匂い、わかりますか?」


「味覚、嗅覚などの五感はヒトと同様所持しています」


「あ、ですよねー! じゃないとあんなに美味しい料理はできませんよね!!」


 私の見た目がロボットそのものだから、言動もロボット同様無機質だからか、彼がそう勘違いするのも無理は無かった。


 かろうじて人の皮を被っているロボット。それが私だ。

 金木犀の香りを感じて秋を感じるだとか、井戸水の冷たさを感じて冬を感じるだとか、そういった感情を持っていないと言われれば嘘になる。持っているが、それを誰かと共有することは必要なかった。


 私にとって主人はキズナ様であり、キズナ様は私の感情の機微に興味が無かった。主人に興味が無いことを申しあげるのは私の職務の中に含まれない。ただそれだけ。それ以上でも以下でも無い。


「この救兵城には二人で住んでいるんですか?」


「常に二人というわけではありません。キズナ様は常に『世界平和』について考えておられます。そのために、世界中からあらゆる道のスペシャリストを招待して、情報収集のためのサロンを開いているのです。たまたま、マシラム様が訪れる2週間の間で、他にここで生活しておられる方々がマシラム様を含め、十人おられる、ということですね。それはこれまでを比べると多くも、少なくも無く、といったところでしょうか」


「この城すべてを一人で切り盛りするのって大変じゃ無いでしょうか」


「ある程度はゲストの皆様にもお手伝いしてもらっていますが、たいした仕事量ではありません。それも私の業務内でありますので。では」


 ハル様はまだ私と話したがっていたが、食事の準備もある。

 ゲストの皆様の時間を無駄にするわけにはいかない。食事の時間はずらせない。私は私の仕事をきちんとこなす。それが私の存在意義だ。


 私がヒトであるか、ヒトでないかはこの際関係が無い。

 関係があるとすれば、生きるか死ぬか程度の事象でしか無い。

 ヒトとして死ぬか、ヒトでないものとして死ぬか、その程度。

 それは私にとって重要なことでは無かった。


 業務の範囲外だ。


 この救兵城の中にいる限り、私は業務という密室に閉じ込められている。他のことは何も考えなくて良い。私は一台の機械として粛々と業務を実行する。


「レスザンさーん、お昼の献立、何品か増やしてもいいですかー?」


 厨房にタイム様が、山菜と魚を持ち込んできた。私のプログラムは一瞬で演算をした。メイン料理、サラダを変更、栄養バランスを調整。

「可能です。タイム様のお好きな通りに」


「金木犀の香りがちょっと懐かしかったんで、香草焼きをしようと思っているんですよねー」


 そう言いながら、タイム様は川魚の下処理を終え、人数分の魚を金木犀と香草に包んでオーブンに入れた。


 タイム様の手際の良さはまさしく、『料理人』にふさわしい。私はタイム様の料理にふさわしい皿を用意することにした。

 しばらくすると、オーブンの中から、金木犀の香りと魚の焼けた良い匂いが漏れ出てきた。


「タイム様のお料理をメインに変更して、香りの強いサラダはあっさりとしたものに変更しましょう。ライスは固めの物を用意して、ソースの素材にはトロントマッシュとクレオ苔、どちらもご用意していますが、どうなさいますか?」


「クレオ苔いいですね。パーナッツを刻んでアクセントにしましょうか」


「かしこまりました」


「レスザンさんデキる~、助手としてスカウトしちゃいたいくらい」


 タイム様がいらしてからは、料理の幅がぐんと広がった。森で採取していた食物の幅もぐんと広がって、私の中の知識の広がりを感じられた。


「ありがとうございます。救兵城にて長らく料理を作っていましたが、タイム様から教えていただくことはまだまだたくさんあります」


「食べ物も知識もどんどん吸収して強くなれる、それが『生』きているヒトの特権だよ!」


 さー、ぱっぱと作っちゃいましょっか。とタイム様はソース作りに取りかかっていた。


『生きている』ヒトの特権か。

 それならば、私は、生きているのかもしれない。


 成長し、進化し、知識を吸収しているのならば。

 ヒトとして、生きているのかもしれなかった。


 私の中に生まれたこの感情が何なのか、それは私には分からなかった。

 金木犀の香りが厨房の中に充満した。


 廊下の外で、誰かの腹の虫が「ぐぅううううう」と大きな音を立てた。






 完


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る