Day7 引き潮
潮の満ち引きはヒトの生死に喩えられることがある。
満潮時にヒトは生まれ、干潮時にその一生を終えるのだと。
科学的根拠も、魔学的根拠もまだ確立していないこの事象は、しかし人々の死生観に強く根付いていることでもあるようだ。
しかし私にとって、その喩えは不正確であり、都合が良いところだけを切り取られた俗説であると考える。
満潮時にだってヒトは死ぬし、干潮時にだってヒトは死ぬ。そう私は知っていた。
生きている限り、死からは離れられないのだと。
潮の満ち引きなんて問題は関係なく、
個々の運命なんて命題は例外なく、
死ぬときは、死ぬ。
引き潮時に無理矢理水をつぎ足したって、ヒトが死ぬ運命は変わらない。
生きている限り、死からは逃れられないのだと。
だからこそ我々は、死から人々を引き剥がす。
黄泉の国に打ちつけられた楔を引き抜き、
三途の川へと渡りかけたヒトの手を引く。
医術士という職業はそういうものだと思っている。
私たちの行為そのもの自体が、『良いこと』だとか『悪いこと』だとかは関係が無い。
そのヒトが死にたかったところで、
そのヒトが死ねなかったところで、
私には何も関係が無い。
ただただ生きながらえさせる。それが私の使命であると。
感謝されこそすれ、非難されることでは無いと、そう思っていた。
しかし、私の考えの範疇外として、どんなことにも例外は存在していた。
本人が死を望んでいたとしても、私に依頼したその家族が生を望んでいるのならば、本人の意思に関係なく生きながらえさせることになる。
私のしている行為は間違っているのだろうか?
私のしている行為は、ヒトを生きながらえさせているのではなく、ヒトの苦しむ時間を引き延ばしているだけなのではないか?
死ぬべき時に死ななくなるのだ。
運命にあらがっているのだ。
延命。それは『生』を喜びと表すのならば、素晴らしい行為だが、『生』を苦しみと表すのならば、厚かましい行為となる。
生きることとは苦しみの連続である。
死はその苦しみから救済するものだったとして、そういう側面があることは否めないが、それは私自身の存在を否定することにもなり得た。
生が苦しみなのだとすれば、死は救済なのだろうか。
あの男が『神』とあがめる『タナトス』は、『死』そのものであるという。神が我々を救済するのだと。
なら、『死』から人々を救済した気になっている、この私の存在は何なのであろうか。
あの男が私を見るたびに、その目には軽蔑と侮蔑の色が写る。
それはそうだろう。彼にとって私の存在は『神』の邪魔をする存在なのだろうから。
もしこの世界に『死ぬとき』が存在するのならば、私はそれをできるだけ先へ、先へ引き延ばす。
その『死ぬとき』が自分に現れたとき、もちろん私は私に『医術』を施すだろう。私にはまだ、救うべき人々がいるのだから。
もし彼に『死ぬとき』が訪れたのならば、私は彼に『医術』を施すのだろうか。彼にとっての『死ぬとき』とは、『神』との対話。『神』が己の傍に降り立ち、語りかけるとき。私はその邪魔をしてしまうだろう。それは『良いこと』なのだろうか。『悪いこと』なのだろうか。
善し悪しを考えてはいけない。
存在意義を考えてはいけない。
損得勘定を考えてはいけない。
ただただ粛々と、私はその使命を胸に、『医術』を施す。それに徹することだ。
私の神は、『死』ではない。
ならばそれが一つの答えか。
私は私のなすべきことをしよう。そうしなければ。
かつて救うことのできなかった一人の少女を思い出す。
彼女を救うことができなかった。私の『医術』の効果範囲では、彼女のその病気を治すことができなかった。
私は『神』ではない。全ての人々に死をもたらすその『神』と比べれば、私の『医術』はその神に匹敵するとはいいがたい。『神』と同列に比べられないのだから、彼と対立するなどと考えることだって本来ならばおこがましいことだろう。
私の行いが間違っているか、間違っていないかなどと、それは誰にも判断することができないのだ。
ならば、私自身がその行いに自信を持っていなければおかしいというものだろう。
その行いが『神』と敵対することであったとしても、私は人々を救いたい。死という逃れられぬ呪縛から、たった数日でも、生きながらえさせる行動を取りたい。『生』を素晴らしいものであると感じるための余裕を、人々にもたらしたい。ただそれだけなのだから。
その思いを糧に、私はまだ諦めるわけにはいかない。
私は、死ぬわけにはいかない。私に『死ぬとき』が訪れたとしても、少しでも多くの人々を救うために、延命してみせる。
『死』に抗ってみせる。
『死』に立ち向かってみせる。
『死』から這い上がってみせる。
たとえ、私のその行いが『神』を蹂躙することになっても。
完
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