Day 2 屋上


 屋上に上がると、眼下には鬱蒼とした森が広がっていた。


 風が木々を揺らし、雲を動かし、時折月を隠した。

「なーにしてんのディー、こんなところに一人でさ」


 耳元で相棒のウィッシュがささやく。

 彼女の声は私にしか聞こえない。

 私の手のひらほどの体躯を最大限動かして、存在をアピールする。


「建物の中って、あまり好きじゃないのよ。ほら、私の家って屋根が無かったでしょう?」


「確かに言えてる。晴れの時は暑くって、雨の時は傘を差していたっけ。逆に屋根があると落ち着かないって感じ? 変なヒト」


 自分でもそう思う。屋内は死角が多く、どこで誰が見ているか分からない。突然声をかけられ、肩でも叩かれたりでもしたらびっくりしてしまう。

 屋外のような開けた場所の方が自分は好きだ。風が通り抜け、光が差し込み、雨が降りかかり、砂が舞う。


 そう、私の家は砂漠の中にあった。

 ひどい砂漠地帯で、昼間は灼熱地獄、夜間は極寒地獄。寒暖差で植物は死滅し、生物は独自の進化を遂げた。

 私の特殊能力『泡沫砲ピーカーブー』を使えば水に困ることは無かった。手遊びで作り上げた『泡笛』が、たまたま興行で来ていた雑技団の目にとまり、私は家を出た。


 泡の大きさ、水の硬度、数を増やせば、私に演奏できない音楽は何一つ無かった。

 そう。あの時が訪れるまでは。


「私は、あなたがいなければ、とっくに死んでいたんだ」


「ふふふ。確かにあのときのあなた、『もう生きていけない』って顔をしていたわ。あたしからしてみれば、『たったそんなことで?』って思っちゃったけど」


「私にとっては、それが全てだったから」


「ほんとに全てだった?」


「いいえ、まだまだ私の知らない世界がたくさんあったわ」


「でしょう? 伊達に一万年生きてないのよ、あたしは」


 ウィッシュの羽根が月の光で七色に煌めいた。

 ウィッシュは伝説の妖精だ。彼女の言葉には私にしか聞こえない。


 彼女の声が聞こえるだけで、私はまだ大丈夫だと思うことができた。

 まだ大丈夫。まだ、まだ大丈夫。

「ほら、誰か来たわ。多分、マシラムさんのお手伝いの子よ」


 ウィッシュの言うとおりに、後ろを振り返ると、少年がやってきた。


「……わぁ! 満点の星空ですね! ディテイルさんも星見ですか?」


「えぇ。そう。ちょっと疲れちゃって」


「うーん、ちょっと皆さん個性が強いというか、キャラが濃ゆいといいますか。僕も先生のお手伝いで疲れたりもしますけれど、知らない人と同じ空間にいるっていうのはまた少し、違ったかたちで疲れちゃいますよね」


 少年は腰に手を当てて、ちょっと困った顔で笑った。

 彼はとても優しい男の子だ。彼の声は緑色に光るとウィッシュは教えてくれた。


「でも、せっかく勇者の末裔の方に招集されたからには、ばしっと素晴らしい装備品作りに貢献したいなぁと思います」


「私にできることがあったら、何でも言ってね、ハルくん」


「はい、ありがとうございます!」



 少年は星を見て、目をきらきらとさせていた。

 少年の住む街では、星があまりよく見えないのだろうか。

 それとも、ただ星が見えるというだけで、風が冷たいというだけで、木々が揺れているというだけで、世界が素晴らしく見えているのだろうか。


 全てのヒトが優しく、全ての世界が優しいと、思っているからなのだろうか。彼の言葉から発せられる色は、純粋で、清らかで、悪意など少しも含まれていない色だった。


 あの聖職者も、聖騎士団の男も、彼のような色は持ち合わせていなかった。

 私は知っている。清らかさが見えるのだ。

 心の音が、色として見える。ウィッシュが教えてくれた。



 彼の思いに嘘は無かった。

 だからこそ、私は彼の気持ちに応えてあげたいと思った。

 私もまた、優しいヒトでありたいと思った。


 私は『泡笛』を作りだし、少年の注目を星からこちらに移すことにした。


「今日は星がとてもきれいね。……でも私の家の方がずっと、星はきれいだったわ」



 泡笛越しに見える星は膨らみ、歪み、ぷかぷかと浮いて、はじけて消えた。




 完

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