Novelber 2021  〜救兵城の密室version〜

ぎざ

Day1 鍵

 扉は閉まっていた。

 僕はそれが怖くて仕方が無い。

 ドアノブを握る手が震えた。


 恐怖。

 怖いっていうのは、そのことをよく知らないから起こる不安のことなんだよ。と先生は言っていた。


 不安がることは仕方の無いことだけれど、その不安は減らすことができる。それは、自分の中の知識を増やすこと。自分の中の選択肢を増やすこと。自分の中の可能性を増やすこと。


 そうすれば自分の中の不安要素は減っていくんだそうだ。


 恐怖は形の無いものだ。

 不安は果ての無いものだ。


 恐怖に形をつけていく。不安に区切りをつけていく。

 そうして見えてきた不安要素に、ひとつひとつ対処していけば、怖い思いは減らすことができるんだよ。と先生が教えてくれた。



 僕はどうしたら魔物が怖くなくなるだろうと悩んでいた。

 魔物よりも強くなれば、怖くなくなるだろうと、

 魔物よりも早く動くことができれば、恐れなくなるだろうと考えていた。


 でも先生は、

「ハルはそのままでいいよ。魔物を倒すことだけが、魔物への恐怖を克服することでは無いからね。おいで、その魔物のことを勉強しよう」

 と話してくれた。


 その魔物は「目が合って」、「背中を見せて」、「逃げるもの」を本能的に追いかける習性があるとわかった。


 僕はその魔物に対する恐怖から、その魔物の習性に沿った、『最もやってはいけない行動』を取っていたのだと知った。


 それ以降、その魔物と無事にすれ違うことができるようになった。

 恐怖を克服したんだ。

 知らないことを知ることによって。



 壁は乗り越えなければならないわけでは無い。

 魔物を対処するためには強くならなければならないわけでもない。


 相手を知ること。

 形の無い恐怖に形を与える。

 果ての無い不安に区切りをつける。


 そうして僕は、恐怖に対処できるようになった。


 だからこそ、僕はその恐怖に打ち勝つ術を知っている。

 そう思っていた。


 恐怖は知らないことから起こる、対処できることなのだと思い込んでいた。それは、僕がまだ知らなかっただけなんだ。




 目の前の扉は、確かに閉まっていた。

 鍵がかかっていて欲しくない。

 もし、この扉の鍵がかかっていたとしたら、大変なことになる。


 それを確認したくなかった。

 早く逃げ出したかった。


 扉についている小窓から、中にいる人の顔が見えた。


 しかし、その人はいくらノックしても応答してくれない。

 寝ているのか。疲れているのか。気を失っているのか。


 違う。殺されている。

 僕はそれを知っている。

 だって、もう、この扉が、だからだ。


 これまですでに、鍵のかかった部屋の中で合わせて3人もの人が殺されていた。


 皆、鍵は部屋の中にあった。

 鍵は1つしかないのに。


 それなのに、それぞれの扉には全て鍵がかかっていて、扉を壊して中に入るとそこには遺体があった。息をしていなかった。血を吐いていたり、苦しみの表情を浮かべていたり、身体がバラバラになったりしていた。


 昨日までは生きていたのに。普通に話をしていたのに。


 扉がもし開いているのなら。

 なんだ、僕の気のせいかって、そう思える。


 強盗か、それとも、ここにいる他の誰かがやったのか。

 寝ているだけかもしれない。カギのかけ忘れなんて、よくあることですよ。次からは気をつけましょうね、だなんて。


 何にしたって、対処のしようがある。

 きちんと鍵を締めていれば安全だって。そう思えるのに。


 鍵のかかった部屋で殺されているなんて、あり得ない。

 そんなこと、僕は知らない。


 どんな魔物が、こんなことをしたんだ。

 だって、そんなこと、不可能だ。

 ここにいる誰にだって、鍵のかかった部屋の中で人を殺せるはずがないじゃないか!

 


 あぁ、開けたくない。

 この扉を、開けたくない。


 形の無い恐怖が、

 果ての無い不安が、

 際限の無い閉塞感が、


 この扉を開けた瞬間に一気に広がっていく。静かに染み渡っていく。重く沈み込んでいく。

 僕の選択肢を、可能性を狭めていく。


 誰か助けてくれ。

 僕はもう、知りたくない。

 この恐怖は、他のものとは訳が違う。


 知れば知るほど、絶対的なこの恐怖から逃れられないんだ。

 気づかなければ良かった。

 知らなければ良かった。



 目の前の扉は、確かに閉まっていた。

 鍵がかかっていて欲しくない。

 もし、この扉の鍵がかかっていたとしたら、大変なことになる。


 それを確認したくなかった。

 早く逃げ出したかった。


 でも、どこに逃げたら良いのか。

 部屋に逃げて、鍵をかけても、不安は消えないのだから。


 唯一の逃げ場所、「気のせいだった」に賭けるしか無かった。



 僕は、ドアノブをひねる。






 がちゃがちゃ。

 扉の鍵は、締まっていた。




 背後から恐怖に抱きしめられた気がした。

 息をするのを忘れてしまうほどに、冷たかった。




 完

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