第9話 波往

 古い映画を観ている。

 ミオは映画という媒体を見たことがないけれど、しかしながらこの時の彼の感覚を表現しようとすると、やはりそういう風になる。

 スズキジロウという人間の記録――その断片を視る。

 そのどこにでもいる――あまりに狂気的な、凶器的な――人間は、しかしもうどこにもいない人間であるとミオは結論づけた。

 だってそれは、あまりにも自分のなりたい自分とはかけ離れていたから。

 自分のありたい自分とはかけ離れていたから。


 そう、結局のところ。

 彼がミオになった瞬間に、それらスズキジロウは意味を持たない過去モノであったのだ。


 求めていた自分とは単なる記憶ではなく―――。




 屋敷の廊下、

 激突。

 異能を持つ二人。

 過去を語る男と、過去を持たない男。

 殺そうとするものと、守ろうとするもの。

 自身の過去に頓着しない男と、他人の過去に背を向けた男。

 奇怪な肉体を手繰る異能チートがふたり。


 ふたりの正面からの激突はさながら事故か何かのよう。

 ガツンと、聞くだけで顔をしかめそうになるような鈍い音と音に弾かれる。

「――――ッ、津田ァ――‼‼」

「⁉ ――――ジロウ、このっ、馬鹿イノシシめ⁉」

 激突によりダメージを、しかしミオは即座に再生させ、再び激突させる。

 恐るべきはそのリスポーン能力。

 全身を貫こうが、切り裂こうが、打ち砕こうが、その男は再生がすむかすまないかの段階で再度動き出す。

 猪突猛進。なるほど、若く愚かなイノシシのようである。

 対して、津田の肉体はメタルスライム。一撃一撃を躱すことはたやすい。流動する肉体は確かに攻撃を受けても形を変えて、受け流せる。

 だが、躱すだけではきりがない。物理攻撃は確かに効果が薄いが、しかしその肉体にダメージが蓄積されないわけではない。

 このチートが、しかして完全には万能でないことをだれより津田自身が知っている。

「ッ、この――!」

 津田は砲台を打つように肉体を凝縮する。そして弾丸を作り、放つ。

 ミオはその衝撃に吹き飛ばされる。

「――! ミオ!!」

 その体を受け止める小さな影。

 彼が守ろうとしている少女は、しかしその場から逃げることのない少女だった。

「ねえ、ミオ」

 少女はなにごとか青年に耳打ちをする。

 その短い言葉を聞くと、ミオはまた立ちあがる。

 津田はその間に放った肉体弾丸を回収し、肉体として再び組み込む。

 その間にミオは再び津田に迫る。

「ッ!? もう、飛んでいけ!」

 津田は肉体を再び、変化させる。

 ミオのタックルはすかされ、その背中に津田は蹴りを放つ。

 唯の蹴りではない。両足をばねのような形にし、その力で思いっきり遠くに吹き飛ぶような力で放たれた蹴りは目論見通りミオを廊下の後方う奥へ吹き飛ばす。

「は――、今のうちに殺させてもらう!」

「そうはいきません」

 毅然とルヴィ・アトレイデ・シャロメットは刺客の男に向き直る。

「貴方の弱点は見斬りました」

「……ほう?」

「どうしてポーラを殺した後、わたしを深追いしなかったのか。どうしてわたしにとどめを刺しきるタイミングがあったのに、それをすかしたのか。その場の共通項を見つけました」

「共通項、なんだよ?」

「―――貴方、火に弱いんですね? だから火事の屋敷ではわたしを深追いしなかった。炎が邪魔でうまく身動きが取れなかったから。それは、わたしが火の魔法で周囲を覆った時、貴方の攻撃の軌道が不自然にぶれたのをみて確信しました」

 気が付くと、ルヴィが既に両手に何かを持っていた。

 左手に持っているのは油だろう。逃げながら、しかし目ざとくくすねてきていたのだ。

 右手には暖炉からくすねてきたのか、ぱちぱちと爆ぜる焔が球体のように握られている。

「火の魔法の応用です。こういうこともできます」

「ふーん、で?」

 津田は挑発するように尋ねる。しかしてルヴィはしっかりと敵を見据えて返した。

「こうします」

 空中に油のビンが放り投げられる。

 同時にルヴィの口から声なき殸がこぼれ、球体上に維持していた放り投げられる。

 炎は空中で油のビンと衝突し、一気に燃え広がり、巨大な火球として津田に迫る。

 

 狭い廊下。巨大な火球。回避不能に見えたその攻撃を、しかして津田は回避した。

 全身を弾けさせ、床壁天井に薄く張り付くことで直撃を避けたのだ。

「それだけか! 死ね!」

 断片は再び集約し、人型を作る。

 両腕に、今度はチェンソー。

 わざとらしく両手のそれを弾いて津田はにちゃりとほくそ笑む。

 辛うじて人型と呼べるような即席の銀色のスライムがルヴィに迫る。


 だが、それ以上の速度で自身の背中に迫るものに津田は気付かない。

 がつんと胸元を貫く腕がある。

 その腕は燃えていた。

 否――その全身は燃えていた。

 先ほどの火球は、しかし津田への直撃を目的としたものではなかった。

 その先にいる。全速で津田に向かってきていたミオへ送るものだったのだ。

 その燃える躯で、ミオは津田を捉える。

「捕まえたぞ」

「ギ――」

 炎に当てられ、津田の体に延焼する。

 そこからドロドロとその体が融けていく。

 津田は、その体のカタチを維持できない。

 ミオはその融解する体を掴み、廊下の壁を突き破り、窓を突き破る。

 稀人、二人――行く先は凡てを漂白せしめる死の季節、ヌルのど真ん中へ。


 

 絶白。

 そうとしか表現しようがない。

 それは吹雪なのか、それとも大気が凍結しているのか。

 絶対凍土の白い漂白の季節。 

 地点はバウティスタ家2階の小さな、斜めになっている屋根の上。

 軒先といえる場所。

 普段ならなんてことないと思われるその傾斜が、しかしいま、滑り落ちたらきっと戻れない。その確信がある。

「ジ、ジロウ……、よせ……ヌルの季節は死の季節……すべてをリセットする季節だ。このただなかにいてはすべての生物は生きていけない。それは俺たち異世界人もだ……すべての生命に等しく死をもたらす季節なんだ……『不死殺しの毒』同様、この季節は異世界人もを殺しき――」

 ミオは掴んでいた津田を離した。

 融解していたソレは、一瞬で凝固しゴロゴロと転がった。

「うおおおおおおおおおお!」

 しかし最後に津田は悪あがきをする。

 何とか凍る腕を伸ばし、ミオの足にしがみついた。

 ミオは体制を崩し、ギリギリで窓辺の縁に捕まる。

「ジロウ、なぜだ。なぜ、俺を選ばない」

 津田は聴いた。腕でミオの足を掴むので精いっぱいでそれ以上のことをしてくる気配はない。

「きみが、ルヴィを害しようとしてくるからだ」

「そりゃ仕事だからね。しかしそれがわからない。なぜそんなちっぽけな少女を守ろうとする。しかもそんなぼろぼろになって、同胞や過去の記憶に再開できるチャンスをふいにしてまで」

 ミオは緩やかに首を振った。その表情は穏やかだった。

「オレはもう、自分の過去に興味はない。というか、スズキジロウという男は、多分もう死んだんだ。彼の記憶の断片を視たけれど、それが自分のモノとは思えなかった」

「…………」

「それに――」


「ミオ―――!」

 彼の名前を呼ぶ声がする。

 窓から身を乗り出すように、ルヴィがミオに手を伸ばしていた。


「―――守りたいと思ったんだ」


「…………ふん――それじゃあ、仕方ないな。完敗だ」

 津田は穏やかな声でそういうと、掴んでいた腕を離した。

 彼は白い闇の中にその姿を消していく。

 ミオはルヴィの腕を掴んだ。

 どうにかよじ登り、屋敷の中に転がった。

 その拍子に、二人は抱きしめあう。

 互いの存在がそこにあるのを感じる。


 赤い髪と赤い瞳の少女と、灰色の青年。


 ここに、二人の旅路は一旦の幕となる。





 ヌルの季節が明けようとしていた。

 真っ白に染まっていた外界はやがてその輪郭をあらわにしてくる。

 ルヴィとミオはふたり、バウティスタ家来客用の部屋の中で暖炉の火を見ている。

「ねぇ、ミオ」

 ルヴィは瞼の重くなった瞳でぱちぱちと燃える火を見ている。

「わたし、自分の国と居場所を取り戻そうと思っているの。将来、どれだけ時間がかかっても……もちろんできれば平和的にですけど……」

「うん」

 ぱちぱちと、いずれ消えてしまう火はしかし、確かにいまきらめいている。

「貴方がいなくても、独りで頑張りたいです。そうして、わたしの国を取り戻したら、またミオに逢いたいです」

 最後だけ、叶うことのない約束をした。

 

 もう間もなくヌルの季節が終わり、ただの冬がくる。

 そしてそれは二人の別れの日を意味していた。


 津田の襲来でバウティスタ家は本家屋敷の半壊に主の喪失という大きな痛手を負っていた。

 その損失の責任の所在をどこに置くのか、本来、責を負うべき当主は死、残されたのは実権を握っていなかった妻とまだ幼い娘だけ。

 この家の実質的な運営はヌルの季節で規制している、元当主の右腕をしているものが行うことになるので問題はないが、しかしこの負債の責任は誰かにかぶってもらわなければいけない。

 結果としてバウティスタ夫人は『稀人』という存在にその責任を被せることにした。

 当の主犯の津田はヌルの季節の屋外に放り出された以上生きてはいないぶん、その人々自体が悪いということにするのが一番おさまりがいいのだとか。

 だがそれ以上に。

「稀人……ああ、稀人、恐ろしい……!」

 というテンションに完全に夫人がなってしまっていたのもある。

 だが当然、そうすれば稀人であるミオの居場所はバウティスタ家にはない。

 稀人、異世界人。という人々の本来の扱いの片鱗をミオは見た気がした。


 でもそれでいいと思った。

 夫人とグロリアは確かにルヴィの身を保証してくれた。

 バウティスタ家の名のもとに保護すると、

 自分たちを守ってくれた義理は果たすのだと。

 あの時の夫人の言葉に嘘はないと思うことに、ミオはしていた。

 それに流石のカザリも西翼の国の貴族まで直接武力をもって攻めいる愚は犯さないだろう。そうなれば大陸全土を巻き込んだ戦争になってしまうからだ。とルヴィも言っていたし。

 青年にはそういった難しい事柄はわからないが。

 少なくとも、青年に与えられた目的――ルヴィをバウティスタ家まで送り届けるというもの――は確かに果たされたのだ。

 

 だから、ヌルの季節が明けたら、ミオとルヴィは別れることになっている。





 その日は本当にあっけなく訪れた。

 空が晴れたのだ。

 穏やかの日の光が雪の積もる冬の地面に降り注いでいた。

 そとに、津田の影はない。

 どこまでも二人だけの地平線。

 

 バウティスタ家の玄関先、二人。

 ミオとルヴィ。

 互いが互いを見つめあい、そしてさよならを言った。

 青年は踵を返し、雪道を独り、歩いていく。

 その背中は小さくて、でも大きく、寂しく見えた。

 少女は青年の姿を見つめている。

 過去と自分にひとまずの答えを出し、そのうえでまた根無し草、孤独に荒野を往く―――きっともう会うことが出来ない人の姿を。

 波がゆくように、離れていってしまう人の姿を。

 人生のうち、ほんのわずかな時間だけ一緒にいた人の姿を。

 その姿が完全に消えてしまうまで見つめ続けていた。


 そして少女もまた、踵を返す。

 これから先に苦難に満ちるであろう人生を思う。

 哀しいことがたくさんあったが、それでもと少女は思う。

 自分を守ってくれたひとに報いれるように生きていきたいと思う。


 ふたりの旅路はこれでおしまい。

 ルヴィとミオ、ふたりは互いに別々の道を歩いていく。

 これからの未来で待つ、竜の大陸の物語の渦中にいるふたりの運命が交差した刹那の瞬間のおはなし。

 

 

 

 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

竜の大陸の物語 -異世界人と亡国の姫君- 葉桜冷 @hazakura09

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ