第8話 決別
津田という少年が初めてひとを殺したのは12歳の時。
ターゲットは自分の母親であった。
家に帰ってこない父親、専業主婦で社会とのかかわりを持たない母親。
そして品性方向、気さくで明るくクラスの人気者だった少年。
卒業間近のこと、獲物は段ボールとかを縛るのに使っていた作業用ロープ。
料理をしている母親の背中から近づき、首を絞める。
吹きこぼれる鍋物と呼応するようにその手から母親の命がこぼれていくのを感じた。
クリスマスの夜、初めての絶頂である。
その後の処理も完璧。いうまでもなく、完全犯罪を成し遂げた。
断っておくと、彼は何も母が憎かったわけではない。
何だったら少々マザコンの気質があったくらいである。
ではなぜ彼が母親を手にかけたかといえば、単純に一番都合がいい相手だと思ったからである。
彼には一つ、どうも社会的視点からみてあまり推奨されない癖があった。
要するに、人殺しが好きなのだ。
小学校低学年の時からそのケがあるとうすぼんやりとあったが、小6のクリスマスの夜に大好きな母親を殺したことでその疑惑は確信に変わる。
その後、死体を始末した後、彼は何食わぬ顔でだれもいない家に「いってきます」の挨拶をして学校に登校した。
1998年、東京都某所のことである。
※
津田は順調に中学、高校と進学。
いずれでも好成績を残し、無事大学に進学することになる。
私立のまあまあいい大学であった。
この時点で、母親の行方不明は世間に知れているが社会的地位も高く世間体を気にする父は母親の捜索願を早々に打ち切ったものである。
因みにそれも津田の想定内。小学生でも行動原理が読めるあたり……と、彼はあったこともない父のことを内心コケにしたものである。
大学に進学したものの、彼には大して勉強する気はなかった。
大学の単位何ていうのは頭のいい
陰気だったその友達は気さくに話しかけてくれる津田に心底ほれ込んでくれているようだったのでこれでウィンウィンだねと彼は思った。
少々言動が痛々しい点の目立つ友人であったが、他人を高く評価することのない彼にとっては大した問題ではない。
津田はてきとうに授業を受けると、その脚でサークルへとむかった。
大学では津田はテニスサークルに入っていた。
因みに津田にはテニスができない。
もちろんその気になればモノの簡単に人並程度のスキルを手にできるだろうが、そのサークルは要するにヤリサーという奴だったのでその必要性はなかった。
カモにしていた友人からは「つ、つつつつ津田君は、そんなとこにいちゃいけないよ……きききききっ君は、っ、そんなっ、ごにょごにょごにょにょ」などということを眼鏡をクイクイされながら言われもしたが、「あははー、そうかもねー」といいながら、その実特にやめる気はなかった。
別に女とやヤるのが主目的だったというわけではないのである。
こういうサークルに入ってくるよう人間はターゲットにしやすかったから、というだけのことである。
中高の時もそれなりに人間を殺してきた津田であるが、そこからある程度学習をしていた。
要するに、死んだことにすぐに気づかれるような人間を殺すと面倒だということである。
高校生の時に一度、自分に告白してくれた可愛い女の子を殺したところ、翌日には大ごとになってしまって大変焦ったものである。
その点、この手のサークルはいいと、津田は思う。
夜遊びがひどく、社会性の高い家族や友人とは疎遠な人間が多い。
もちろんそうでないやつもまあまあ多いのでターゲットの照準はちゃんと定めないといけないが、しかし何より、数日行方をくらませても誰も不思議に思わない人間の宝庫だ。特にこれといったこだわりもなく人が殺せればいい津田にとってはこれ以上都合のいい場所もない。
思うに、世の殺人鬼たちは殺害にこだわりを持ちすぎである。
こういうのはもっとインスタントで刹那的なものであるべきである。
そんなわけで、津田は次々と大学のこのテニスサークル及びそれに連なる団体の中で犯行を重ね続けたのである。
そして――ざっくり20人くらい殺したところで彼は警察に捕まった。
津田を通報したのは意外なことに講義でカモにしていた友人で会った。
泣きじゃくりながら津田を告発する友人の容姿には垢ぬけた人間になろうとする努力の跡が見受けられ、なんとも感心したものである。
「き、ッ、きききき君とはこれで絶交だッ……!」
「なんで? 俺たちはいつまでも友達だぜ」
そう言い残してパトカーに乗り込んだ時、友人が一体どんな顔をしていたのかを津田は見なかった。
興味もなかった。
何なら、その友人の名前も覚えていない。
※
犯行を残らず話すのは非常に楽しかった。
癖になりそうだ。ミステリでノリノリの自白をかます犯人というのはこんなにいい気分なのかと思った。
まあ次はないので癖になっても仕方がないのだけれど。
『主文。被告人を死刑に処す』
ほらね?
※
死刑囚になってからは同じ死刑囚仲間と仲良くやったものである。
みんな気のいい奴らだったので津田がその場に溶け込むのは容易かった。
実際に死刑が執行されるまではずいぶんと時間がかかるもので楽しい時間が長く続くのは予期せぬ喜びであった。
その間、人殺しはできなかったが、別に苦ではなかった。
津田は人殺しが好きなだけで、殺さないと死んでしまうような人間ではないのだ。
そんなこんなで死刑執行当日。
津田は仲良くなった死刑囚一人一人に親愛の言葉をかけたのち、全員の貌と名前を記憶から抹消した。
最後の晩餐にはカップヌードルの醤油味を選んだ。
「ごちそうさまでした!」
おいしくカップ麺を戴いてから、死刑台への道を歩く。
窓から差し込む陽光がひどく穏やかだった。
執行室。天井から一本つるされたロープが何だか間抜けだ。
因みに神様は信じていないので坊さんも神父さんも牧師さんもこの場にはいない。
津田は目隠しに手錠の状態で台の上に立つ。
「最後に何か言い残すことは?」
男の声が聞こえた。
「そうだなぁ……」
津田は少し考えて――
――その時、異変に気付いた。
何の音もしない。なんの気配もない。
あまりにも完全な静寂に耳が痛む。
いきなり目隠しが外され、目の前には一人の男。
『助けてほしいか?』
男は問うた。
「たすけてくれるの?」
津田は返した。
男はにやりと笑うと指を弾いてすべてが制止した世界に音を奏でた。
がこんと床が抜けた。
※
バウティスタ家の居間には大仰な大剣が飾られている。
ずっと前の代からバウティスタ家の何とも言えない家庭を見守ってきた張りぼての大剣である。大仰であるし、装飾も豪勢だが、実際は見掛け倒しの鈍らである。
朽ち果てきるまで使われることはないと思われたソレは、しかし今、侵入者の猛攻によって剣の本懐を為し、砕け散ることになる。
「……くっ」
「慣れない武器なんか握るもんじゃないぜ、ジロウ」
津田の猛攻が続く。
大ナタとなったその両腕が繰り出す斬撃は小さな暴風のようでさえある。
特に厄介なのは。
「ミオ!」
「ッ!」
津田の背中から触手のような凶刃が三本伸びる。
一本はルヴィに。残りの二本はバウティスタ夫人と娘のグロリアへと延びる。
ルヴィはどうにか自分に伸びる分の刃を炎魔法を使い凌ぐが、バウティスタ家の二人は護身術の類を身に着けていないのでその分、ミオが手足を伸ばして二人を守る必要がある。
『この二人をここで死なせるのだけは絶対にいけない!』
それがルヴィの言であった。
「そう、ここで二人を死なせてしまえばもともとの目的もまた元の木阿弥になってしまう! お姫様の今後も全く保証されない! お姫様的にはバウティスタ家に恩を売ったうえで生かしておかなくちゃいけない! だがそううまくいくかな⁉」
津田は幾重にも折り重なるように刃を肉体から発生させる。
斬撃は絨毯爆撃もかくやという勢いで斬撃は繰り出され、ミオの体を引き裂く。
「―――」
迫りくる凶刃を前にルヴィは再び音にならない言葉を手繰る。
炎の壁を作り出し、前方を覆う。
「―――――っ」
すると、津田から放たれた凶刃は軌道を変えた。
小さな舌打ちが津田からでる。
「………ぐぅっ」
その間にミオの再生はなされ、同時に拳が津田の顔面に放たれる。
ぐにゃりと奇妙な音を立てて、その貌は歪みミオの手はのめりこんだ。
ぐにゃぐにゅになった顔で津田は嗤う。
「ジロウ、わからないか? 俺の体はメタルスライム、物理攻撃は通用しないぜ? お前にとっては相性が悪い相手だ。ていうかよ、ジロウ。なんで俺と戦うんだ?」
「ジロウ、って、誰だ……? オレは……」
「ああ、そうだった。今は記憶がないんだっけ? 脳髄に『不死殺しの毒』を浴びて記憶が死んでしまったのだからね」
「なっ……⁉」
ミオにとっては衝撃的なその事実を何でもないことのように津田は答えた。
なおも津田は続ける。
「ジロウ、そう、お前の名前はスズキジロウ。どこにでもいるちょっとやばい日本人だ。俺がこっちの世界に来て、初めてであった同郷の人間で、一緒に旅をしてきた。チートを使っていろんなところで暴れたんだぜ? 異世界人を助けも殺しもした。なぁ、ジロウ。記憶をなくしたお前はなりゆきでそこなお姫様を助けてるみたいだけど、別にそんな義理はお前にはないんだ」
火の手が上がっている。さきほどルヴィの放った魔法だ。
肌をちりちりと焼く感覚がミオを襲う。
津田は穏やかに微笑んだ。
どるりと、顔面からミオの腕はずり落ちる。
そこ声は、ひどく、柔らかで。
「なあミオ。俺とまたやろう? カザリって国は異世界人に寛容だ。俺を言い値で雇ってくれるいい雇用主もいるし、お前のほかにもいる異世界人たちのコミュニティもある。このチートは祝福だ、前の世界で暴れ足りない分、この力を使って俺と好き勝手やろう。な? 俺につけ。お前に必要なのは主人じゃなくて友達だと思うしな」
どろりと津田の体から液体金属がこぼれ、ミオの躰に纏わりつく。
ガチャリと腕が拘束されて、いつのまにかミオは動けなくなっていた。
「ま、少し落ち着いて考えてくれよ。じゃあ、俺はいくぜ」
「ま……」
待て! と、ミオは言うことが出来なかった。
ぐらりと体が揺れ、重力に従って倒れていくのを感じる。
ミオの中に苦悩が生まれる。それは、要するに『自分が何者であるのか』という原初の彼の命題の答えが目の前にあるという現実に彼の思考はオーバーフローしたのだ。
津田はなおもルヴィを追う。
※
ルヴィは火の魔法を再び使う。
虚空に焔が舞う。すると、廊下に貼ってあったメタルスライムの糸で編まれた罠が燃えた。
「……姑息な」
「姑息、じゃあなくて、賢いって言ってほしいな」
廊下の壁をぶち抜いて津田が出現する。
バウティスタ親子は悲鳴を上げた。
二人をかばうようにルヴィは立ちふさがる。
「まだ逃げる? まあ別にもう少し遊びに付き合ってあげてもいいけど?」
津田はけらけらと笑いながら歩み寄る。
ルヴィは苦虫をかみつぶした顔をする。
稀人、というものはもっと皆ミオのように穏やかな人ばかりだと、そんなことを思いたかった時が、彼女にもあった。
しかし目の前にいるのは明確な敵であり、敵だった。
「……」
風が強く吹いた。
廊下の床が抜けて、ルヴィとバウティスタ親子は階下に降りる。
「ふうん。まだ追いかけっこするんだ。べつにいいよ。外はヌルの季節。出ることはできない。追い詰めらているのは君たちだし、ジロウはどうせ助けに来ないよ?」
にたにたと津田は嗤う。
この世界でも殺戮を楽しんできたが、こうやって獲物を追い詰めるのがやはり一番楽しい。
なにより、友達に再会できて、彼は機嫌がいいのだった。
※
あの津田と名乗る異世界人はミオのことを『ジロウ』と呼んだ。
まるで古いなじみのように。
津田とミオの過去に何があったのかを、ルヴィは知らないし、多分ミオも知らない。
『ジロウはどうせ助けに来ないよ?』
津田はそういった。
いま、ミオが来ていないということは現状、どこかで無力化されているということだ。
助けに行けたらと、思う。
ずっと助けてもらってばかりだったから。
けれど、今のルヴィには庇わなければいけないバウティスタ家の二人がいる。
それは打算とかではない。
この二人を守り切れば得につながると――考えないわけではないけれど――いう理由ではない。ただ、守らなけれんばいけない。
おそらく、伯爵はもはや故人だ。
津田はバウティスタ伯爵を殺害し、なり替わったのだとそう考えるのが自然だ。
この二人は家族を失ったばかり、それなのに、あんなわけのわからないやつに殺されかけている。
……そこに自分の責任がないとは、いいきれない。
それが、ひどく腹立たしい。
だからせめて守れたらと思う。
それに、
「ミオは――きっと来てくれる」
そう、信じたかったから。
自分にできることをしたいと思った。
※
目の前には死体がある。
それが誰のものであるのか、ずっとわからなかったが、今、答えが分かった。
スズキジロウという男らしい。
彼は津田の仲間だったが、脳に『不死殺しの毒』を浴びてその記憶を喪ったらしい。
否――その人格ごと死んだ、とみるのがおそらく正しい。
スズキジロウという稀人の抜け殻に、そのチートのせいで発生したナニカ――それがこの空っぽの青年の正体だった。
自分と来い、と津田はいった。
スズキジロウとしての行動であればそのまま彼と一緒に行くのが正しいのだろう。
……だというのになぜだろう、気が乗らない。
空っぽの青年は空っぽで、軸もなくふわふわした曖昧な存在なのに。
――では、自分を動かしてきたものはなんなのだろう。
なにものではないはずの彼は一体何者なのだろう。
スズキジロウなのだろうか?
……よく、わからない。
自分が何をすべきなのか?
自分は何者なのか――。
『ミオ』
知っている声が頭の中に残響する。
自分に名前を付けてくれた人。
自分の居場所をくれた人。
自分に――大切なものを託してくれた人。
なんだ、ひどく、簡単なことだった。
答えをずっと初めから青年は見つけていた。
恨みがましく、死体が青年を見つめている。
青年はその死体にさよならを言った。
『ミオ』
そう、あの人が自分に名前を付けてくれたその瞬間から、自分のカタチが決まっていたのだ。
その時はまるでそう思わなかったのに、今となってはそうだったとわかることがある。
青年は拘束を引きちぎる。
引きちぎれたのは肉体のほう。だがそれは問題はない。
代わりに死体はボロボロと崩れていく。
空っぽだった灰色の青年は走り出した。
彼は今、確かにここにいるのだ。
※
バウティスタ屋敷の内部はほぼ半壊といっていい状態だった。
追い詰められているルヴィ。
ルヴィに凶刃を振るう津田。
しかし、その刃は届くことはない。
津田は横から弾き飛ばされた。
「……ジロウ、なんのつもり?」
「違う」
青年は否定する。
その声は毅然と。
「オレはミオだ」
それが決別の答えだった。
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