第7話 屋敷

 目を醒ましたとき。そこにあったのは人の死体だった。

 誰かが、死んでいる。

 それがだれなのか、オレにはわからない。

 オレ……? オレとはなんだ、オレとはだれだ?

 周囲にはだれもいない。

 だれも、いない、ひとりぼっち。

 気が付いたらオレは泣いている。

 わけもわからないで泣いている。

 ひとはなきながらうまれてくるのだとだれかがいっていたっけ?

 だれもいない。何もわからない。死んでいる誰かの瞼を閉じた。おなかがすいて、

 オレは歩き出した。

 轍が、そこに生まれた。



 ミオが目を醒ましたとき、そこには天井があった。

 まっさらな冷たい石でできた天井だった。

 むくりと、ミオは上体を起こした。 

 なぜだか、ひどく背筋がざわざわとする。

 なにか明確な、運命への決着が訪れる。そんな予感がある。

「あの」

 だれかの声がした。

 びっくりして、ミオはその方向に目をやる。

 部屋の入り口と思しき扉と、その傍らに佇む、人の――メイドの姿があった。

 シックでクラシカルな白黒のメイド服に目元までかかる前髪が印象的なメイドだった。

「お目覚めになられましたか」

「……。はい、おはようございます」

 メイドは会釈した。

「準備ができ次第、私についてきてください、シャロメット様とバウティスタ家のものがお待ちです」

 恭しく、されどどこか慇懃無礼にメイドは頭を下げて、部屋の扉を開けた。

 ミオはおもむろに立ち上がり、その後を追う。

 

 窓の外は、ただただ白い。白に埋め尽くされた世界だけがあった。



 今には既にルヴィがいる。

 大きな一つの長机があり、手前側に赤い髪の少女は独り佇む。

 それに相対するように三人の姿。

 年老いた男と中年の女性。それとルヴィよりも一回りだけ大きな少女。

「ミオ」

 ルヴィはメイドに連れられたミオを見ると一瞬だけ強張った表情を弛緩させる。

 しかし、すぐにしゃんと立て直した。

「おはよう、ミオ。紹介します。向こうにいらっしゃる男性がバウティスタ伯爵。その隣の女性がバウティスタ夫人。二人の娘さんがグロリアです」

「……あまり馴れ馴れしく名前を呼ばないでほしいわね……それに、なにその男、稀人……?」

 そう、聞き取れる小声でぽつりと嫌味っぽいことをいったのは娘のグロリアだ。

 ルヴィは一瞬だけ唇を噛むと恭しく頭を下げる。

 ひどく冷え込んだ居間にピリピリと冷たい緊張が走る。

 助けを求める親戚筋というから、仲がいいのかとミオは思っていたけれど。ことはそう簡単でもないようだ。

「まあまあ。そうピリピリするものではないよ。ルヴィくんも。もちろん君のことは我が家で保護するとも、バウティスタ家とシャロメット家はそういう契約で結ばれている。これは両家に長く続く関係ゆえだが……しかし、しかしだね。ルヴィくん、何故きみはそこの彼を連れているのかね?」

「バウティスタ伯爵。さきほども説明したとおりです。彼はミオ。わたしの従者であり護衛の男です。たしかに彼は稀人ではありますが、これまでの道中で十分に信頼に足るものであると保証いたします」

「いや、私が言いたいのはだね……」

 言いよどみ、バウティスタ伯爵はミオを見た。

 ミオと伯爵の視線が交差する。

 伯爵というがどこにでもいそうな普通の初老の男性に見える。

 だというのに、目と目が合ったとたん、ミオの背中にぱちぱちと火花が弾けるような感覚が響いた。

 思わず、ミオは身構える。

 なにか、肌が粟立つ。

 交差した視線はしかして、バウティスタ夫人の言葉によって取り消される。

「しかしね、ルヴィさん。稀人よ、そこのソレは。なんでもシャロメット家を襲撃したのも『カザリ』の飼い犬の稀人だっていうじゃない。貴女の話だって相応に脚色してあるのを感じるわ。本当に信用していいのかは考えモノですけれど」

「しかし夫人……ッ」

 ルヴィは歯噛みをする。

 「稀人――要するに異世界人はこの世界では物珍しい存在よ。彼らは各々『チート』と呼ばれる特異な異能を持つ。そして今までその能力で世界を荒らしてきた。その危険性は、ルヴィさん、幼い貴女にはわからないかしら__?」

「……ッ、ミオはそのような男では……」

「それにその男のチートは尋常ではない再生能力だっていうじゃない? 『不死殺しの毒』っていう稀人殺しも原初の異世界人のチートが『復活』であったことからつけられたというじゃない。記憶を喪っているって話も本当なのかしら? 稀人なんかを信用していいのかしら?」

 バウティスタ夫人の目にはわかりやすく稀人への侮蔑が見て取れる。

 そもそもこの世界における稀人への視線というものはこういうものらしい。

 それは娘のグロリアにも継がれているようである。


 あとそれ以上に二人ともルヴィのことを快く思っていないようであるが。

 いきなり転がり込んだ、滅びた王族の娘など、そのようなモノであろうが。


 ルヴィはそんな二人を前に拳を強く握りしめていた。

 けれど、現在の彼女は助けを乞う立場。反論は許されない。

 幼いが聡い少女はそういったことを理解してしまっていた。


 しかして、声を上げたのは伯爵のほうだった。

「まあ、いいじゃないか。稀人であろうとなんであろうとヌルの季節の放り出すわけにはいくまい。今日の語らいはこの辺にして。互いにこれからのことを考えよう」

 彼の鶴の一声でその場はお開きになった。

 ミオは先ほどあてがわれた客間に戻るように言われる。

 ちなみにルヴィの隣室である。これはルヴィの希望らしい。

 去り際、夫人と娘のグロリアはミオに一瞥もしなかったが伯爵は彼から視線を離さなかった。

 ふと、バウティスタ伯爵が何かをつぶやいたように見えた。


「……………久しいね、ジロウ」


 その言葉は独り言だ。

 だれも聞くことはない。

 だから伯爵が――バウティスタ伯爵のカタチをしたその男が、とても初老の男が浮かべるとは思えないような、細く削がれた卑しい月のような笑みを浮かべていることに誰も気づかなかった。




 夜になる。

 全てが白に塗りつぶされるヌルの季節においても昼夜の概念は一応、存在しているようだ。

 バウティスタ家の客室。殺風景な部屋にベットだけがある打ち付けの部屋。

 その中央にルヴィは寝ている。

 白く染まる闇の中、忍び寄る影がある。

 片手には凶刃。

 それは振りかぶられ。

「ミオ!」

 ルヴィは凶刃を躱す。

 赤い髪が掠め数本切れる。

 その直後、バゴンと大きな音がして壁が破られた。

 ルヴィは声にならない音を奏でる。

 片手に持った火種から焔が翻り、襲撃者に火の粉がかかる。

 焔に纏われた襲撃者にミオはぶつかる。

 ごろりと転がった人型は女性のものだった。

「……めいど?」

 ルヴィの怪訝な声。

 襲撃者の正体は昼頃、ミオを居間に案内してくれたメイドの女であった。

 ミオは尋ねる。

「きみは、なんでこんなことを?」

「―――! 、―――⁉ ―――――――‼‼‼」

 組み伏せられたメイドは何事か口をパクパクとしているが、その喉からは何の音も出ていない。

「?」

 途端にばたんと扉の開く音がした。

「何事か大きな音がしたがなにかあったのかね!」

 それはバウティスタ伯爵だった。その後には夫人と娘のグロリアも続く。

 女性陣二人はなんだか眠たそうな眼を擦っていた。

 対して伯爵は状況を一瞥するや否や。メイドの傍にすたすたと歩み寄る。

 その瞬間のメイドの絶望と恐怖に満ちた表情をルヴィは見逃さなかった。

 刹那。

 伯爵はメイドの喉に手を当てると、ごきんと大きな音を立ててその首をへし折って見せた。

 夫人とグロリアの悲鳴が響く。

 二人とも目の前の現状をまともに認識できていない様子だった。

「……伯爵。これは一体?」

 ルヴィはバウティスタ伯爵に尋ねる。

 目の前にはメイドの死体。その横には不気味なほどに穏やかな微笑みを讃え、バウティスタ伯爵は佇む。

「いや、申し訳ない。まさか我が家のメイドがこのような凶行に及んでしまうとは、私の監督不行き届きだ。実に申し訳ない。このように主である私自ら責務を果たしたので赦してほしいな」

 あまりにも白々しかった。

 あまりにも流暢で、あらかじめ用意していた台詞を呼んでいるような伯爵の態度にルヴィもミオも身構える。

「あ、あなた! なに言っているの⁉ そのメイドは長いことバウティスタ家に仕えてきた信頼できるメイドよ! ヌルの季節に屋敷に置くほどの! どうしてあなたそんな大事な人を――!」

「え? ああ、そうなの? ああ、うんそういえばそうだったね」

 夫人の悲痛な叫びに対し伯爵の態度も言葉もあまりにも軽い。

「まあいいじゃないか、そんなことは。それよりもシャロメットの娘さん。怖かっただろういきなりこんな目に遭って。もう大丈夫だよ、さあ私のもとに来なさい」

 さあ、と伯爵は両手を広げる。私の胸の中へいらっしゃいと言っているようだった。

 異常だった。

 バウティスタ伯爵の言動。その所作、改めてまじまじと見ていてルヴィは異常だと思った。

 だって、

 記憶の中のもっと幼い時に出会っていたバウティスタ伯爵はもっと物腰穏やかで、その言動には刻み込んだ確かな歴史と重さを感じた。

 だというのに目の前の男にはまるでそれがない。

 あまりにも軽い。軽薄、そして酷薄。

 そんな印象を受ける。

 ルヴィの警戒は此処にきて最上級のものになった。

 今までの旅の中でもいやというほどの恐怖を感じてきたが、これここにいたり、目の前の得体のしれない何かがあまりにも怖い。

 その様子にバウティスタ伯爵のカタチをした男ははあ、とため息をついて手を下げた。

 ぼりぼりと頭を掻く。

「急いてはことを仕損じる、とはまさしくだね」

 男はおもむろに片手を上げた。その先にはルヴィ。

 その腕は、どろりと鈍色に溶ける。

 そして、瞬く間に刃に形をかえてルヴィのもとに伸びた。

「ルヴィ!」

 ミオがルヴィをかばい、その刃を受ける。

 ドシュリと音をたて、男からのびた刃は構えたミオの両腕を貫通し、胴体で止まった。

「ダメじゃないかジロウ。その娘は俺が殺す予定なんだ」

 男はミオをジロウと、そう呼んだ。

 その光景には見覚えがあった。

 燃え盛る屋敷の記憶。

 炎の合間を縫うように現れた男の姿。

 どろりと溶けるように男の躰は刃となり、ポーラを貫いた。その記憶。

「貴様! 貴様は何者だ! 正体を現せ!」

 怒気と憎悪を込めてルヴィは叫ぶ。

 男は腕を戻した。

 ふぅ、と少し息を吐いて。その貌を醜悪で愉快なモノへと歪めた。


「ラミパスラミパスルルルルル!」


 男はふざけた声でそんな呪文を唱えた。

 だれも知る由もないが、それは男がである。

 

 どろりと、バウティスタ伯爵のカタチがゆがむ。

 グニャグニャと鈍色の液体金属は歪み、その青年の姿が現れた。

 真っ黒な、光を反射しない黒い髪。白い肌。やせ形で背は165㎝ほど。

 そして、真っ暗な瞳。

 ミオの透き通るような灰色の瞳とは対照的な、どろりと濁り総てを呑み込んでしまう混沌そのもののような黒く暗い瞳。

 三日月のように、青年は口を歪める。

「こんばんはお嬢さん。久しぶりだねジロウ。俺の名前は津田すぐれ。異世界人。権能チートの名前は液体金属メタルスライムということにしている。まあほとんどT-1000みたいなもんだと思ってくれよ。ターミネーターのね」

 津田と名乗るその稀人は――異世界人は、ルヴィにとって意味の分からない言葉を多く語った。

 軽い口調、軽い言葉、その姿はあまりにも軽かった。

「知らない? ターミネーター。まあいいか、どうせみんな殺すし。あ、ジロウは別ね。久しぶりで積もる話もたくさんあるし」

 そういって津田はミオを見た。

 既に傷は治っている。津田はそれを知っていたようににやにやと笑う。

 そして津田はその両腕を大ナタへと形を変えた。


「さ、踊ろうぜ。今夜は月の亡い、いい夜だ」

 

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