第6話 影人

「すまなかった。良かれと思ってのことであったが、結果としておぬしらにひどいことをしてしまった」

 老婆はそういって二人に頭を下げた。

「いいえ。わたしのほうこそ、数々の非礼を致したこと、ここにお詫びさせてください」

 そういってルヴィもまた、ふかぶかと頭を下げた。

 お互いがお互いに深々と謝罪の言葉を交わす。

「まあいいじゃないか。結果としてオレは回復したし、ルヴィとも仲直りできたんだから」

「そうだぜ! ばあちゃんもお姫さまもそんなに気にすんなよ。ちなみにおれは止めてたからな!」

「………」

 調子のいいルシアである。しかし、このままだと二人とも謝り倒しで埒が明かないのもまた事実なので、皆は彼女の言う通りにこのまま手打ちにすることにした。

 


「で、ふたりともこれからどうするんだ? もうじきヌルの季節が来るぜ。もうこのまま「アギト」に滞留するのか?」

 そう、ルシアは聴いた。

 しかして、ルヴィはふるふると首を横に振るった。

「いいえ。わたしとミオで話し合って決めました。このまま進みます」

「ほう。しかしもうじきヌルがくるぞ? ここにいたほうが安全なのではないかの?」

「そうかもしれません。しかしヌルの季節を抜ければおそらくすぐにでもここに追手が来るでしょう。その時わたしたちの存在がお二方の迷惑になってはいけません」

「そんなことは構わんよ。どうせ暇じゃしな。所詮竜人など儂がその気になればいくらでも屠れるしの」

 ルヴィはふふっ、と少し表情を崩した。

「そうかもしれないですけど、理由はそれだけではないのです。単純に、わたしも早くに逃げおおせて、ヌルの間にカザリ国相手の対策を打っておきたいのです。それに……」

 ルヴィは少し躊躇してから、困ったように笑っていった。

「ここにいたら、居心地がよくて抜け出せなくなっちゃいます」

「おれはそれでもいいと思うぞ」

 ルシアの言をふるふるとやはりルヴィは否定する。

「それではいけない……それではいけないのです。わたしはこんなのでも、仮令、国がなくなってもシャロメット家の娘。ソラ皇国の系譜を継ぐもの、ここで――北の国「アギト」で身分を亡くしてひっそりと生きる道は確かに魅力的です。でも、それではきっと、わたしはいけない。生き残った責務を、わたしは果たさないといけない。そのために何を果たして、何を為さなければいけないかは、まだわからないですけれど……このままわたしがわたしを放棄したら、きっと取り返しのつかないほど、わたしは後悔する。その予感があるんです」

「……真面目じゃのう。まあ良い。なら止めはせんよ。しかし、今から西南の国まで行くとなると……」

「剱山バベル。そこを通ります」

 神妙にルヴィは頷いた。それが困難な道であることは重々承知のつもりだった。

「ばあちゃん。バベルってあの東西を分けるめっちゃ険しいあの山だろ。草一本は得てないやつ。そこってそんなにやばいのか?」

「……バベルを登ることはできん。傾斜が急すぎる上に標高も高すぎる。そのうえ、生命がほとんど生存していないから食料もとれんのじゃ」

「? じゃあどうやってそこを通るんだ?」

「中をくぐるのじゃ。バベルには入り口となる穴がいくつか存在している。そこから中に入る。バベルの中は時も空間も意味をなさぬ場所じゃ、大回りでは時間のかかる場所に一瞬で出ることもできる」

「へー、すげーな。なんでみんな使わないんだ?」

 ルシアが呑気にそう聞く。そしてそれ事が剱山バベルを通過するリスクでもある。

「バベルは影人達の棲む場所なのじゃ」

「影人かぁ、きいたことはあったけどあったことないな」

「儂も滅多に合わん。彼らはバベルの内側に棲み、外の出ることもしない。バベルを通る人間が少ないのは、影人の眼鏡にかなわぬものはそこから出てくることが出来ないからじゃ」

「え? やばくね?」

「確かに彼らは畏れるべき者たちです。しかし影人たちは基本的に温厚な人々で礼を尽くせば通してくれると聞いたとこがあります」

「いかにも、影人は集団で来られることを嫌うが、主ら二人だけなら通してくれるじゃろう。バベルは少人数で通るものと決まっておるからの」

「? じゃあ集団で行かなきゃ通してくれるのか?」

「いな、影人が通さぬものがもう一つある」

 それは? とルシアは首を傾げる。

 老婆は頷いて答える。

「邪なるものじゃ。影人はそのものの本質と運命を――命題を見通す。それが邪悪なるもの、世界に渾名すものを、影人はバベルからださぬのだ。

 それは単に善人だからとか犯罪者だからという我らのような矮小な視点ではない。運命に紐づけられたよりおおきな、本質的な視点じゃ。故に、思わぬ善人が出てこぬこともあるし大罪人がけろりと出てくることもある。影人のことは儂にもよくわからん。故にバベルを通ることは危険が伴うのだ。そこのところ、ちゃんと承知しておるか?」

「承知してます。そのうえでわたしはバベルを通ります。大きな視点で見られて、影人の目にかなわないなら、所詮わたしはそれまでのモノです」

 その決意が全く迷いのないものであるとは言いづらかった。迷いも不安もルヴィからは見て取れる、それでも進むのだという脆い決意もまた。

「まあ、お主が行くのは良い。きっといずれは通らねばならない定めだったのだろう。しかしな、ミオよ。お主はどうするのじゃ。黙ってホイホイ、ルヴィについていくことにしたのか?」

 雪人の老婆ローライはようやく横目でミオを向き、そう問うた。

 むしろそっちのほうがローライにとっては懸念事項だった。

「かつて、バベルに入って出てきた稀人は存在しなかったぞ?」

「そうなのか?」

「うむ。影人は儂らと姿かたちもその在り方も異なる者たちじゃ。そして、影人それ自体が一つの『不死殺しの毒』でもある。お主であろうと場合によっては――」

「じゃあはじめてになれるように頑張るよ」

 それがミオの答えだった。

 そこに揺らぐものは存在しなかった。

 透き通るような灰色の瞳はどこまでもまっすぐだった。


 ※


 夜の帳。

 まだ空は明けない。

 小さな小舟に少女と青年が乗り込んだ。

「ローライ、ルシア。お世話になりました」

 ルヴィはそういって、ぺこりと頭を下げた。

 暗夜の中にあっても、その赤い髪は綺麗に映えた。

「気を付けていっておいで」

 ローライはそういうと、懐から小瓶を取り出した。

 首にかけるための紐がついている。

「それは?」

「『始祖竜の逆さ牙』の欠片じゃ。お守りとしても使われておる。これをお主に授けよう」

「でも、大事なものでは?」

「なに。少量じゃ。これでは稀人も殺しきれんよ」

 はっはっは。とローライはからからとわらう。

 それから老婆は灰色の青年―――ミオを見やる。

「儂はのミオ、正直なところ、お主のほうが心配じゃよ?」

「そうなのか?」

「うむ。お主は言ったな、記憶がないのだと。自分が何者であるのかわからないと」

「うん」

「お主は、ほんとうにそれを知りたいか?」

「……? 無くしたものを取り戻したいと思うのは当然じゃないのか?」

「そうかの? 本当のところ、お主は過去の自分にあまり頓着がないように見えるが」

「……そんなことは……」

「自分がなにものであるか。か……そこのところお主は――」

 と、ローライは不意に会話を切った。

「いや、なんでもない。答えはお主が決めることじゃ」

「…………」

 海が暗い闇のなかでひどく凪いでいる。

 潮風に佇むミオの姿が揺れる。

「お二人さん。そろそろでるかい?」

「ええ。ミオはいいの? ローライとは会話の途中のようでしたけれど」

「……いいんだと思う」

「なんです。その以って回った言い回しは」

「……」

 じっとミオはルヴィを見やる。

「……何です?」

「ルヴィ、落ち込んでいるときと今じゃ随分口調が違う」

「なっ⁉」

「「だっはっはっはっはははは!」」

 雪人ふたり、大爆笑。

 ルヴィは頬から耳まで真っ赤に染めた。

 髪も瞳も赤いので頭部は全部真っ赤である。

 暗い海の中に二人の笑い声と少女の悶絶が響いている。



 船が岸から離れる。

「お二人とも! 大変お世話になりました!」

「じゃあね」

 どんどんと岸から波に流されながらふたりは二人に手を振った。

 ローライもまた小さく手を振り、ルシアもまた大きく手を振った。

「じゃあなー! また会おうなー! 婆ちゃんは好き勝手な奴だけど! おれは親切な奴だったって覚えててくれるとうれしいぜー!」

 あ、やっぱりローライは結構好き勝手な人だったよね。と思うルヴィだった。

 それはそれとしてルシアも割とその系譜だったので家計なのだろう。

 ルヴィは笑顔で二人に手を振った。

 好き勝手な二人の好き勝手な親切で、ちゃんと救われたこの思い出はきっと自分にとって特別なものになるという、そんな確信があった。


 ルヴィもミオも二人の姿が見えなくなるまで手を振っていた。



「ここね」

 小舟を出して、小一時間ほど。

 船頭は素人の二人でも、凪いだ水面のおかげだろうか、航路を逸れることなくその場所に到着することが出来た。

 二人の目前には大きな洞。

 ――剱山バベル。

 その内側は時も空間もない。

 ヌルの季節はまもなく。

 ここを抜けるより目的のバウティスタ家には到着しえない。

 中には影人。

 その実態を多くの人はしらない。

 場合によっては出てこれない場所。

「ここで終わるなら、それまで。……わたしはそれでいいけど、ミオも本当にそれでいいの? あのまま「アギト」にいても……」

「いいんだ。オレは、ルヴィの傍にいるよ」

「……ええ」

 頷いた後、ぱん。とルヴィは自分の頬を叩いた。

「ええい! ままよ!」

 そうして二人は暗い洞の中へと身を投じた。



 暗闇だった。

 暗い。泥のように闇。

 一瞬だけ、意識がなくなったようにルヴィには思えた。

「ミオ?」

 ふと、周囲に手を伸ばす。

 あたりを模索しても、青年の気配がない。

 代わりに――

「―――」

 別の何かの気配をたしかにルヴィは感じた。

 暗闇の中にぼんやりと白く光る人型がある。

 それは少女の姿だった。

 よく見るとそれは鏡写しのルヴィの姿であった。

 その人型は片手に槍を構えている。

 いつのまにか、ほんとうに気付かないうちにルヴィもまた槍を手にしていた。

 白い人型は槍を構える。

 反射的にルヴィもまた槍を構える。

 まさに対象像。鏡写しのふたつ。

 故に、どちらが始めるでもなく、打ち合いは始まった。

 


 何合目になるだろう。

 打ち合いの中で誰かの声をルヴィは感じる。

『問おう。お前はなにものか』

 影人であるとルヴィは感じる。

「わたしは、ルヴィ・アトレイデ・シャロメット。南東翼の国ソラの王家の血を引く――」

『竜の娘。始祖竜の血を強く引き継ぐ運命の王よ――。やがて破滅を抱く哀れで矮小な小娘よ。われらが聞きたいのはそういうことではない』

「では、いったい」

 槍の打ち合う音。

『孤独な娘よ。お前は何に縋る』

「―――」

『その心の空白。両親不在の幼少期がつくる取り繕った脆い仮面。ぬぐいきれない疎外感。他者のぬくもりを求めながら、それを信じきれない弱い魂。その空白を抱き、そのうえで貴様は何を求めるのか』

 槍の手が鈍る。

 その言葉は、その問いは、幼い少女の胸にひどく深く突き刺さった。



「ルヴィ?」

 ミオは気が付いたとき。そこは暗闇で、あたりにルヴィの姿はなかった。

「ルヴィ! ルヴィ! どこだ!」

 叫び、周囲を探す。

 そんな時、なにか奇妙な気配をミオは感じた。

「……影人か……」

『稀人め。異世界人め、貴様らのようなものに問うことなどない』

「オレにはあるルヴィはどこだ」

 虚空をミオは睨みつける。

『口を慎め。空っぽな男め。竜の娘はいまわれらとの問いのなかにいる。他者の邪魔だては許されない』



 暗い。何も見えない。だんだんと息が切れてきて、苦しい。

 それ以上に、ひどく胸が痛い。

『竜の娘よ。貴様は旅の果てに何を見ている。何も見えてはいない。その足元がぐらついている。崩壊する足元から逃げるために走ることをやめるわけにはいかない。故に目的地は定まらない。不安がお前を支配している。ずっと、貴様は不安に支配されている』

「……ッ!」

 そんなことはない。そう叫べばいい。簡単なこと。なのにその言葉が出てこない。

『がむしゃらに走り続けないと、瓦解してしまいそうで怖い。それだけが貴様の行動原理だ。だが同時に貴様はこうも思っている。もうやめたい。楽になりたい。だが、それは貴様自身が許さない。炎の中に死者の貌が見える。燻る罪悪感が貴様を焦がし続けている。それが苦しいから、貴様は此処まで無理をして来たのだろう』

 槍が弾ける。

 ルヴィはその体制を崩した。

 ボンヤリとした白い影は悠然と穂先をルヴィに向ける。



「……ルヴィを傷つけたら、ただじゃ置かないぞ」

『傷つくのは仕方のないことだ。われらはそのモノを見定める。そのために必要なことだ。何。肉体に傷はつけない』

「……本当だな」

われらが問うのは魂だ。魂を問う。肉体に傷をつけない。彼の娘の肉体は貴様のソレ同様眠りについている。あとは、娘の魂が試練に耐えうるかでしかない』

「……」

 ひとまず、ルヴィの体に傷をつけないという言葉をミオは信じるしかなかった。

 つよく拳を握りしめて、不安に耐える。

「試練、というならオレにもそれがあるのか?」

『ない。歯がゆいが、貴様に問うことなどないぞ稀人よ。――否、稀人であるのはその肉体のみか。空虚な男よ、足跡のない男よ、痛みを持たぬ男よ。貴様の魂はあまりにもまっさらだ。清純という意味ではない。のだ。人を作るのはそのものの足跡だ。だが貴様の辿ってきた路はあまりにも短い。


 ――なにもない。求めるものも、その理由も。己の裡から発せられるものも。


 ただ、与えられた役割を全うするためだけのからくり人形だ。

 貴様自身の命題がない。未だその次元にいない。

 故に、今、われらが貴様に問うことは何もない』


「……めっちゃしゃべる」

『…………もうよいか、まもなく娘の問いも終わる。今ある場所からまっすぐに進めば娘の所につける。娘を抱え、そのまま進めば目的地だ』

「え、あ、ありがとう。意外と親切なんだな」

『………、もとよりあの娘は竜の血を継ぐもの、邪悪ではない。そして貴様もまた、その魂は稀人のものとは言い難いものがある。今はまだ邪悪ではないとみなすことにする』

「――うん。ありがとう」

 ミオは歩き始めた。

 最後に影人の声が聞こえた。

『今が過去になったその時、また来るがいい。その時こそ、貴様の真実を見通してやろう』

「……いや、来たくないよ……」



 槍が人型を貫いていた。

 ぐらりとその人型は揺らぎ、闇に溶けていく。

 あとにはルヴィが残されていた。

 彼女は槍を拾い、白いボンヤリとした人型を貫いたのだ。

『ずっとここにいれば良い。苦しみも痛みも、消してやれる。救われない現実に戻らなくたとも良いのだぞ』

「それでも……ッ、わたしは、……前に進みたい……っ、今はまだ何も見えないし、不安で苦しいし、旅の終わりの、その先も何も見えない……闇の中だけど、……っ、それでも……わたしはまだ、終わりたくない……っ!」

『そうか。ならば、いまはまだそれでよい』

 それがルヴィが聞いた最後の影人の言葉だった。

 それを最後にルヴィは意識を手放した。

 くらりとその体が崩れるとき、受け止めてくれる誰かの腕を感じた。

 それがいま、どうしようもないくらい暖かかった。



 ルヴィを背負い、ミオは暗い闇の中を歩く。

 泥のように暗い闇を抜けると、真っ白な闇に出た。

 ここは外だ。あまりにも冷たすぎる痛みがそれを痛感させる。

 これが、すべてが制止する季節、ヌルの季節か。

 痛い。

 存在そのものが削られていくようだ。

 それでもミオは歩く。

 やがて大きな扉が目の前に現れた。

 扉が開き、誰かがそこに現れた。

 その姿を確認するとミオは倒れた。

 バウティスタ家に到着したのだ。

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