第5話 採集

 『不死殺しの毒』を採集すると、雪人の老婆――ローライは言った。

 ついてはミオ、ルヴィにも手伝ってほしいと。

 二人が北の地「アギト」の家に転がり込んできて二日目のことであった。

 その時にひどくなっていたルヴィの熱も随分と冷めてきた。

「ルヴィのお嬢さんにも一緒に来てもらうよ、儂ら二人だけで行くのは厳しいものがあるから、こういう時の客人は助かるね」

 そう、老婆は言う。

「ローライ。しかしルヴィは昨日まで病人だったんだぞ? いいのか? 外に出歩かせてしまって」

「だいじょうぶじゃ。一日で行って帰ってこれる距離でもある、それに働かざる者なんとやらとも言うしの」

「しかし……ほかに雪人の当ては?」

「もうじきヌルの季節じゃ、みな忙しい。できれば手を煩わせたくないのじゃ」

「この件はヌル越しに関係ないことだしな。別に難しいことじゃないよ。単純にミオに荷物持ちをしてほしいだけだしな。それにな兄ちゃん」

 老婆の孫であるルシアはミオの傍らにすり寄り耳打ちをする。

「……お姫様の気晴らしにもいいだろ? 熱が下がったっていうのに、ずっと俯いて黙りこくっちゃってさ。このまま引きこもっているのもよくねーと思うぜ」 

 ミオはその言葉にじっと考え込んで。

「うん。わかった」

 と頷いた。



「ところで『不死殺しの毒』ってなんなんだ?」

「なんじゃ? 知らなんでついてきておったのか?」

「うん。不死殺しなんていうから、オレもそれで死んだりするのか?」

 分厚い雪の積もった道を歩きながらそんな会話が続く。

 先頭をルシアが元気に進み、その次にローライ。三番目を俯きながら歩くのがルヴィで、殿をミオは進んでいる。

「うむ。たぶん、お主も殺せるぞ、再生もままならないじゃろう」

「そんな毒何に使うんだ? まさか悪いことじゃあ……」

 ローライはフルフルと首を振るう。

「『不死殺しの毒』はこの世界の人間にとっては何の害もないよ、何だったら薬にすらなるものじゃ。それが殺しうるのは稀人のみよ」

 稀人、異世界人。ミオはどうやらその分類らしいことを知ったばかりである。

 記憶の亡い彼にとっては実感のない話ではあるが。

「そうじゃのう、どこから話したものか……。『不死殺しの毒』とは総称なのじゃ」「総称」

「そう。この世界にいくつか存在する、稀人の『理に反する力チート』を無効化し、その存在を殺しうる毒であり、この世界のものには祝福をもたらすといわれている。祭具になったり、薬になったり、銘家に代々受け継がれていたりもする――例えば、南東翼の国王に代々伝わる『火の剣ひのつるぎ』とかの?」

「『火の剣』?」

 その言葉にぴくりとルヴィが反応を示した。どうやら心当たりがあるらしい。

「ほかにもいろいろあるぞ。『銀の弾丸』や『ゴエティア』などな……、そして儂らが今から求めに行くのは『始祖竜の逆さ牙』の欠片よ」



  白銀の世界に轟音が響いた。

 真っ白に塗りつぶされた大地から、巨大な爪が出現したのだ。

「あれは!?」

「ここらに住む生物さ。ルシア!」

「おうさ、婆ちゃん!」

 それは氷を鎧のように纏う巨大な蟹のような生物だった。

 がぱりと口の部分を開けると氷雪がそこから降り注いだ。

 雪人の二人はその攻撃に真正面から手をかざす。

 そして何やらと口を動かした。

 ミオの耳では聞き取れない、それは精霊との対話のための言葉である。

 あわや、二人に直撃しせんとした氷雪はその軌道が揺らがせ、霧散した。

「水魔法の応用、雪魔法じゃ。ここではよく使うでの」

「あ、兄ちゃんのほうに行ったぞ!」

 ルシアが叫ぶ。

 カニのようなその巨大生物は雪人の二人を相手にするのは分が悪いと踏んだのか、爪の軌道を逸らす。

 ミオにまっすぐに巨大な爪の切っ先が向かった。

「ぐえ」

 その胴体に大きな風穴を開けて、ミオは上空20mほど吹き飛んだ。

 ぐるぐるときりもみ回転をくりかえしながら、しかしミオの視線は巨大な蟹の化物に向いたまま。

 ぶらんと両腕の力を抜いて、きりもみ回転をつづけながら、カニに落下し、その腕を褌の部分に突っ込んだ。

 ぐしゃりと腕がもげて、ミオは頭から落下する。

 胴体に風穴があき、両腕がもげ、割れた頭から血液と脳漿が溢れたがすぐにむくりと立ち上がり、次の瞬間には傷は治っていた。

 蟹はというと、体の内側に異物を入れられた苦痛からか、じたばたともがいている。

 巨大な鋏をぶん回し、不意にソレがあらぬ方向へすっぽ抜けた。

 ルヴィが佇む方向へ巨大な質量を持った刃物が飛んでいく。

 ぼんやりと、ルヴィはそれを見ていた。抗おうとも、逃げようともしていない。

 生気のない目で目の前に迫りくる死を眺めている――。

「おい! 姫さん! 何ぼさっとしてんだよ!」

 雪人の娘、ルシアが叫ぶ。

 突風のように凍風が吹いて、ハサミの軌道がずれる。

 巨大なその物体はルヴィの真横を通過してどこかへ消えていった。

 まもなく、蟹は泡を吹いて斃れた。

「もう! ルヴィ! お前なんだよー。死ぬとこだったぞー」

 気楽な声でルシアはお姫様に話しかける。

「ルヴィ?」

 傍にミオがより、老婆は遠くから様子を眺めている。

 ルヴィはじっとうつむいて、何も言わなかった。



 次に現れたのは熊だった。ただし、爪と牙が以上に発達した個体だった。

 雪人の二人が魔法で大きな氷塊を作り、ミオがその氷を心臓に刺したら死んだ。

 その死体をミオはおもむろに見下ろし、静かに目を閉じた。

 なんとなく、死はこのように悼むのだと、思う。

 静かに瞳を開けてミオは聴いた。

「ローライ。さっきから不思議な生き物を多くみる。彼らは何者なんだ?」

「魔物じゃよ。ひとが住まう場所からはもう追いやられてしまっていたがこうした辺境の地だと見かけることもある」

「? ひとに追われて? こんなに強いのに?」

「じゃが儂らが勝ったじゃろ? 確かに魔物は古い時代にはこの世界で強者じゃった。じゃが結局、ひとがそれよりも大きな強さを得た。彼らはやがては駆逐され、今は辺境に住まう珍しい生物でしかないのじゃ。栄枯盛衰とでもいうべきなのかもしれんの」

「……」

「どれ、まもなく、目的地じゃ。北の地『アギト』の最北。『始祖竜の逆さ牙』の地じゃ」

 二人の家から、半日ほど歩いたところ。

 横殴りの雪がだんだんと強くなってきていたところ。

 白銀の地とその周囲を包囲するような冷たい海のある場所にそれはあった。

 牙、一本。

 白く濁るそれは天に向かって伸びていた。

 太く、鋭い、10mほどの逆さ牙であった。

「これが……一本しかないのか?」

「もともとはもう一本あったのじゃが、そちらは別の『不死殺しの毒』武器として使われてしまったのでな、今は一本しかないのじゃ。

 今から欠片を取るから、しばらく周囲を見ていておくれ」

 そういうと雪人の老婆ローライじゃ孫のルシアに目配せをする。

 ルシアは懐からやすりを取り出し、一本は自分の手にもう一本は祖母の手にもたせた。

 二人で『始祖竜の逆さ牙』をやすりにかける。

 真っ白で、雪に吹きすさぶ音しかしない世界でミオは周囲を見渡す。

 あたり一面の銀世界、そして傍らにはルヴィ。

 熱が下がり、立って歩けるようになってからルヴィはずっと黙りこくってしまっている。

 ずっとこの調子だ。

 どうにかまた元気になってもらいたいとミオは思うけれど、どうすればいいのか彼にはわからない。

 記憶を喪っていない自分であったならば、少女の適切な言葉をかけてあげられたのだろうかとも思う。

 けれど、今ここにいるのは今ここにいる自分でしかないので、それは何とも益体もない思考であった。

 

 静かだった。

 だれも言葉を発しない。

 雪の音。それだけが耳に痛い。

 だから、その瞬間に起こったそれに誰も一瞬、反応できなかった。

 雪の中を泳ぐように、そのオオカミのような形をした魔物は潜行していた。

 突如、それは雪中から飛ぶ出した。

 狼が狙うのは概ね群れで一番弱い個体だ。

 この場合、それはルヴィのことだった。

「!」

 ルヴィをかばい、ミオは飛び出す。

 その腕に嚙みつかれ、肉と骨がひしゃげる音がする。

 しかし、どんな傷もすぐ治るミオにとって、それ自体は大きな問題ではなかった。


 ――その時点では。

 

 ぶん。と宙に浮かぶ感覚がした。

 その肉にかみついた瞬間、魔獣はミオの正体を察したのであろう。

 だからこそその行為に迷いはなく、故に、稀人にはほかにないほどに適切だった。

 上空高くに吹き飛ばされたミオは体制を整える間もなく。

 落下し――、その脇腹に『始祖竜の逆さ牙』――すなわち稀人の異能を打ち消し、殺しえる『不死殺しの毒』の傷を受けることになる。

 思いきり、ミオの体が地面に叩きつけられる。

 雪が積もる地帯だったのが幸いだろう。そのダメージ自体は少ない。

 遠くでゴスリと鈍い音、魔物の頭部をルシアが打ち付けたのだろう。オオカミの沈黙を霞む視界の片隅で、ミオは確認した。

 グラグラとした痛みだけがある。

 腕に力が入らない。

 呼吸が苦しい。

 今まで死ぬような怪我は何度もあったが、今回は勝手がまるで違う。

 まるで傷の治る気配がない。

「……ルヴィ…………」

 薄れゆく意識のなか、それでも、ミオの意識は彼女のもとにある。

 滲む視界。

 赫い痛み。

 呼吸がままならない。

 再生は始まらない。

 自分に誰かが駆け寄ってきている。

 うすぼんやりとして、ああ、だれだっけ?

 けれど。

 その滲む視界の中に、彼女の姿を見たから――。

 ルヴィが無事で、良かった……―――。



 空っぽの世界。

 虚ろの視界。

 何もない、自分。

 それが、現在地の総て。



 目を醒ますと、少女の貌があった。

 赤く、短く切りそろえられた髪。

 綺麗な、紅玉の瞳は今は閉じられている。

 その目じりには雫の跡が見える。

 ルヴィ。

 青年は少女の名前を呼ぶ。

 ぐちゃぐちゃになっていたはずの腕は今は動くみたいだ。

 躰から毒が抜かれたのを感じる。

 指先で、頬に触れる。

 ふと、その瞼が開かれる。

「ミオ」

「うん」

「いきてる?」

「うん」

「そう――」

 それから、ルヴィはミオの胸元に泣きついた。

 わんわんと声をあげて泣いていた。

 ミオは少しだけ困った顔をしてルヴィを抱きしめた。


 

「もう、泣くにはいいの?」

 うん。とルヴィは頷く。

 綺麗だった顔は酷くぐしゃぐしゃだった。

「二人は?」

「今は寝てる。ミオをここまで運んで治療するのに疲れたみたい。お婆さんが、あとで色々と謝りたいって言ってた」

「そう」

 別にいいのにと、ミオは思う。

 二人は恩人なので、できるだけ役に立ちたかったけれど、還って迷惑をかけてしまったようだ。

「二人はまだ寝かしておいたほうがいいかな?」

「うん。そのほうがいいよ」

「ルヴィ」

「なに?」

「泣いていたの? ずっと」

「……」

 ルヴィは何も言わない。言葉に詰まっているようだった。

「ルヴィ……」

 ミオは言葉を紡ぐ。あまり頭は良くないからおもったこと、そのままを口にすることにした。

「オレは。あまり、人の機微がわかる奴じゃないから……どうしていいかわからなくて、ごめん」

「…………ううん。わたしも、ずっといじけてて、ごめんなさい……わたし、わたし、もういやになって……何も考えたくなくて、しんじゃうならいいやって思ってたのに、ミオが死んじゃいそうになって、独りぼっちになっちゃいそうなのが、怖くて……」

 ルヴィは言葉に詰まる。何も言えなくなってまたぐずりだしてしまった。

 彼女はまだ、どこまでも子供だったのだ。

「ルヴィ。少し、外に出ない?」



 そらには虹色のカーテンがたなびき、地上の白銀は眩い星の瞬きを反射している。

 世界には空白の少年と紅玉の少女二人きりのように思える。

 ミオは何かを取り出してルヴィに放り投げた。

 ルヴィはそれを受け止める。

 見るとそれは球だった。

「これは?」

「ローライが言っていた。キャッチボールっていうらしい。こうやってボールを放り投げあうのだとか」

「ふーん」

 ルヴィはミオに同じように放り投げる。

 ミオはそれを受け止め、また放り投げる。

 それを何度か繰り返す。

 しばらく、静かな時間が続いた。

 それは、静かに降る雪のように心地のよい静寂だった。

 けれど、何度目かのやり取りのあとでミオは言葉を発した。

 ルヴィに、傷ついていた彼女に何を言うべきか、考えて。どうにかひねり出した言葉だった。

「オレは……ポーラから言われて、守る約束をして守ろうとしてたよ」

「……」

「でも、それ以上にオレは……本当にそれ以上にルヴィが心配で、守りたいと思ったんだ。……うまく言葉にできないけれど、怪我がなくて、良かった」

 ミオは球を放り投げる。

 ルヴィはそれをキャッチできずに取りこぼしてしまった。

 ぽろぽろと涙を流してしまう。

「……ありがとう……ミオ……わたし、わたし……ミオがいてくれて、良かった……ひとりぼっちのわたしの傍にいてくれて、ありがとう……」

 星が宙に流れる。

 瞬くように、涙は零れる。

 夜空だけが、二人を見下ろしていた。

 白く吐息がこぼれる寒空の下、二人の頬が朱く染まっていた。



 両親の顔を、わたしは知らない。

 けれど、寂しくはない。

 ポーラがわたしの母親のような存在で、屋敷に住む使用人たちは自分に良くしてくれた。

 けれど、それはわたしがシャロメット家のお嬢様だったからだってこともなんとなくわかっている。

 寂しくはない、はずだった。

 けれど、どこか不安だった。

 何もなくなってしまった今、自分の傍に誰がいてくれるのだろうと。

 自分がいつか独りぼっちになってしまうのが。

 けれど、今はそうじゃないことが嬉しかった。

 

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