第4話 滞留

 ―――永い、ユメを視ていたような気がする。



 ルヴィ・アトレイデ・シャロメットが生まれたのは南東の翼に位置する国『ソラ』でのことだ。

 父は国王の実の弟であり、その一人娘であるルヴィは子供のいない王の次代後継者第一候補であった。

 ヌルの季節を抜け、冬が終わる、春の直前にルヴィは生まれた。

 母の顔をルヴィは知らない。

 もとより体の強くなかった母はルヴィを産んで間もなく死んでしまったらしい。

 父の顔をルヴィは覚えていない。

 母が亡くなった後、より公務に没頭し、仕事ないときは色街に足しげく通うようになったという。

 どうでもいい話だ。

 妻を亡くせば、そういうこともあるのだろうと、聡明な彼女は幼い時分に何となく理解できていた。


 でも、寂しくはなかった。

「ルヴィ、眠れないの? わかったよ。一緒に寝てあげる」

 乳母のポーラはずっと自分の傍にいてくれた。

 抱きしめると、暖かくて、胸の中がポカポカする。

「ルヴィ様。今宵はシチューを作りました。腕によりをかけたんですよ」

 料理人たちは愉快な人たちでいつもご飯は美味しかった。

「ルヴィ様! さあさあ! 本日もけいこを始めますよ! なに! 貴女様は天賦の才をお持ちだ! きっとそこらの兵士なんかよりも強くなりますぞ!」

 兵士長のタルカスは厳しくもうざったいひとでもあったけれど、嫌いではなかった。

『―――』

 精霊の声を聴くのが好きだった。屋敷に住まう精霊は皆穏やかで魔法を学ぶことが楽しかった。


  ルヴィは両親の顔をほとんど知らない。

 けれど、寂しくはなかった。

 ポーラが自分の親代わりだったし。

 シャロメット家に努める使用人たちはみな彼女に良くしてくれた。

 独りぼっちではなかったから、寂しくはなかった。


 ※


 燃えている。

 屋敷がただ、燃えている。

 ひとがしんでいる。

 物心ついたときから知っている顔。

 ここ数年で知った顔。

 最近になって知った顔。

 屋敷の中にいる人たち。

 みんなみんな、体を引き裂かれて燃えている。

 見知った顔のひと。知ってる声を思いだせる。

 もう聞くことも見ることもできない。

 

 すべてが炎に包まれて、みんな燃えてしまう。


 寂しくはない、はずだった日々が燃えていく。


 ※


 ふと、ポーラの顔が見えた。

 彼女の膝枕の上で彼女の顔を見ている。


 ―――ルヴィ―――


 声にならない声が聞こえる。

 

 手を伸ばした。

 ポーラに触れたいと、ルヴィは思う。

 そうしたら、きっと――。


 けれどその手はすり抜けて。

 ポーラの幻影は炎に包まれてしまい。


「―――――」


 ルヴィは声にならない悲鳴を上げて。



だれかのぬくもりをかんじる。

冷たい水の中で、こごえないように、だれかがわたしをだきしめている。

ああ、でも。きっとその人は凍えてしまうのだろう。




 目を醒ました。

 布で出来た、見知らぬ天井が見える。

 自分の頬が濡れていることに気づいて、それをぬぐった。

 しばらく、ぼんやりと天幕をみていた。

 頭のなかがくらくらとして、いろんなものが巡っている感じがする。

 おもむろに起き上がる。

 ふと、みると傍らにはミオの姿があった。

 胡坐をかいて眠っていた。

 こくりこくりと首が揺れている。

 器用な奴だなと思う。

 ルヴィはのっそりと起き上がり、出口を探そうとする。

 ふと、自分の体がひどく重たいことに気づいた。

 うまく、動かない。

 続いて感じたのは熱だ。

 躰の表面をじんわりと焼くような熱さ。だっていうのに芯のほうがひどく冷えている。

 くらりと視界が揺らいで倒れ伏してしまう。

 ぐちゃぐちゃになる視界。ぐちゃぐちゃになる思考。

 体を強く抱きしめて、ルヴィは布団に倒れ伏した。

 ひどく、寂しかった。



「目が覚めたかい?」

 再びルヴィが目を醒ますと、見慣れない二人の姿が視界に入った。

 褐色の老婆と幼女だった。

 二人とも、獣の毛皮のような衣服をしっかりと着込んでいる。

「……雪人?」

「ほう、わかるか? いかにも。わたしたちは雪人、北の地「アギト」に身を構える種族じゃぞ」

「わかる……むかし王宮で見たことが……久しぶりに見た……」

「なに、我らからしてみれば東西翼の島に住まう君たち竜人のほうが珍しいがモノじゃが……いや、珍しさで言えばそこな青年のほうがよっぽどじゃがの」

 そういうと老婆は傍らで眠るミオを一瞥する。

 幼女のほうの雪人がかあれの傍らにぴょこぴょこと移動して。

「おい、にーちゃん。起きな、お姫様がお目覚めだぜ」

 ぺちぺちと頬を叩く。

 ミオに目覚める気配がない。

「なんだいにーちゃん。また死んじまったのかぁ? せっかくここまでお姫様を運んできたのに、これじゃあ恰好つかないぜ」

「……ミオが……わたしを……」

「そうだぜお姫様。おれも初めて遭遇したときはびっくりしたよ。背中にめっちゃ矢が刺さってて、しかもずぶ濡れ。ここは「アギト」、北の地だ。凍死してんのかと思ったし、実際してたんだけどよ。すぐ蘇生しだしてまた動き出すの。ンで、すぐまた凍死するを繰り返しててよぉ。こんなに死んだり生きたりするヤツ初めて見たぜ……っと、起きそうだな。おい兄ちゃん!」

「……ん? あ、あぁ……」

「御寝坊だね兄ちゃん。お姫様が起きたぜ」

「! ルヴィ!」

 がばりとミオは起き上がる。

 地べたを這うように動いて、ルヴィの傍に寄る。

「無事?」

「……」

「ルヴィ?」

「ミオや、どうも彼女は体調が優れていない様子。ほれ、額をさわってみ?」

 不思議な顔をしながらミオはルヴィの額に、恐る恐る触れる。

「……熱い」

「じゃろ? しばらく安静にしておくべきじゃ。さ、ルシア。ミオ。我らは晩飯を狩りにいくぞ」

「えぇ~。おれはいいけどさあ。ミオだって疲れてるだろうし、二人で休ませてやりなよぉ~」

「そうしたい気持ちもあるが、今はその時ではないと思うぞ。それに、ミオは約束したしの。自分もそこなお嬢様の分働くとな」

 こくんとミオは小さくうなずいた。

「さ、ゆくぞ」

「へーい」

「―――」

 褐色の二人が家から出ていく。

 その後ろをミオがついていく。

 その背中をルヴィは熱に浮かされ滲む視界でみていた。


 ふと、ミオは立ち止まる。

 そして振り返る。

「……オレ、ルヴィに無理をさせてたかな……?」

 ルヴィは床に臥せ、横になり、彼の顔を見ないようにした。

「知らない」

「でも……」

「知らないから。何でもないから。早く行って」

「けれどルヴィ、オレは」

「いいから」

 その語気は冷たく、鋭かった。

「さっさと行ってよ。一人にして。放っておいて」

 ルヴィの言葉にミオは何も言えなかった。

 ルヴィもまた、彼の顔を見れなかった。

 ただ蹲り、震えていた。


 やがてミオが立ち去る音がして、気配が消えた。

 室内にももう誰もいなくなっていた。




「ミオよ。悪かったな、おぬしだってまだ病み上がりだろうに」

 雪人の老婆――キュウは深々とミオに頭を下げた。

「いや。別にいいんだ。それにオレ……」

「あの少女に手厳しいことでも言われたか?」

 ミオは押し黙ってしまった。それが答えだった。

 老婆はその様子に少し考えこんでから言葉を発した。

「ミオよ……働かざるも食うべからずといってお前さんを家から連れ出したが、それだけが真意ではないのだ。ミオよ、あの少女――ルヴィといったな。お主から彼女のいきさつを聞いた時点で思うておったが、彼女は今酷く傷ついている。そっとしておくことも必要なのじゃ」

「……そうなのか?」

 老婆は神妙に頷いた。

 その言葉に説得力があるような気がしたので、そうか。とミオは頷くことにした。

 ミオは、自分があまり賢いほうではないと思っている。

 ルヴィが心配だが、ああも袖にされてしまった以上、老婆の言を信じることにしてみた。

「でもよ兄ちゃん、ばあちゃんはそういっているけど、あのお姫様、すげー寂しそうにおれには見えたぜ」

「……そうなの?」

「うん! だからまあそっとしておくのはほどほどにしておいたほうがいいんじゃないか?」

「…………」

 ミオはまた考え込んでしまった。

 果たして、ルヴィとどう向き合うのが正解なのかわからなくなってしまった。

 二人の言、どちらもその通りだと思うし、どの段階でちゃんとルヴィと向き合うべきなのか。皆目見当もつなかい。

「……お主、思っていた以上に未熟なようじゃの……。稀人は概ねその傾向が強いが」

「? 稀人?」

「ほれ」

 老婆はいきなり、ぽーんとなにかをミオに向かって放り投げた。

 それをキャッチして、困惑にミオは顔を染める。

「……球体?」

「ボールじゃよ? 稀人なら『』くらい知っとるじゃろ?」

 そんなことを老婆は言った。実に聴きなれない言葉だった。



「まさか、キャッチボールを知らんとは……稀人なら皆しっているものかと……」

 老婆はなんだか狼狽えている。そうとうびっくりしたらしい。

「さっきからいっている稀人って、一体何のことなんだ。あなたはオレのこと何か知っているのか? 教えてくれ、オレ、記憶がないんだ」

「ふむ……それはまた面妖な……」

 老婆はしばし考え込んでから。

「この大陸が竜の形をしている、というのは知っておるか?」

「うん。ルヴィに聴いたぞ」

「もとよりこの世界には海しかなかったのじゃ。生物の棲まぬ、ただの海洋―――じゃがある日、この世界に一匹の竜が生まれた。それが始祖竜。そして、その始祖竜はやがて海に墜ちた。その肉体から生まれたのが竜人の祖、――つまり、今の東翼西翼の地に住まう、最も数の多い種族の祖先じゃな」

「最も多い、ってことは他にも種族がいるのか」

「うむ。北の地、始祖竜の頭部だった地に住まう我らは雪人、始祖竜の脳髄から生まれたといわれている。最も、口腔からとも、牙からともされており、実際のところはわからんのじゃが」

「ふむふむ」

「他にも竜の尻尾から派生した南の諸島「テイルズ」に住まう海人、東西を分かつ背ビレの剱山に住まう影人。―――竜人、雪人、海人、影人。これがこの世界住まう種族たちじゃ」

「ではオレは? 稀人、といっていたけれどオレは……稀人はどこから来たんだ?」

「稀人――彼らがどこから来たのか、そのことを儂らが知ることはできない。儂らの理の通じぬ、外ツ国からとしか言いようがない。理に反する者たちじゃ」

「? どういうこと?」

「彼らの使う能力のことじゃ。例えば、この世界に住む者はみた多かれ少なかれ魔法を使う。火、水、風、土――主にこれらの操る力、しかしてそれはあくまでもである――これが魔法じゃ。無から有を生み出すことも、右に進む力を左に曲げることもできん。しかし、それらの理をねじ曲げる、無から有を生み出し、右向きの力を左にねじ曲げる、もしくは……などといったことが出来るのが稀人じゃ。

 ミオよ、儂らが初めてお主を見た時、お主は服でルヴィをくるみ、後生大事に抱えて追った。彼女が凍えないように、自身を薄着にしておった。ヌルの季節がまだとはいえ、今は冬、お主の体は全身が凍傷を帯びて、まもなく凍死したように思えた。……じゃが、お主はそこから再生した。まさにこの世の理に反する再生をみせた。治癒魔法でもあんな無茶苦茶な真似は出来ん。アレはまさに稀人のみが待ち得るこの世の理に反する力チートと呼ばれる能力じゃった」

「チート……」

 なんだか不思議な語感をもつ言葉であった。

 確か、どんな傷もすぐに治る自分の体はおかしなものであると考えていたけれど、そういわれると、不思議な納得がある。

 そうか、自分は稀人と呼ばれる存在だったのかと納得する反面、結局自分のことはよくわかっていないことにも気づく。

「なぁ。稀人というものがどこから来たのか、わかっていないといっていたけれど、それは要するにこの始祖竜とは関係ない出生であるということなのか?」

「いかにも。彼らはある日忽然とこの世界に姿を現す。見慣れる服を着、聞きなれる言葉を語り、やがてこの世界に慣れ親しんでいく。彼らがどこから来た存在なのか、儂らにはわからない。……というより、理解できないのじゃ。しかして、彼らは必ず自分たちのことをこう紹介するのじゃ。


 異世界人と」


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