第3話 逆行
大陸南部の諸島、「テイルズ」。
東翼の国から西翼の国に渡る際はこの地域を通るのが常道である。
数多の小さな島が列をなす、諸島であり、東西の交流地であり、交易地でもある。
テイルズ諸島に渡る関所の手前、いくつもある店の家の一つにミオとルヴィ、二人の姿があった。
テーブルの上には小皿が二つと大皿が一つ。
大皿には大きな青色の焼き魚が乗っかっている。
頭のコブが特徴的だ。
二人で身をほじりながら小皿に乗せつつちびちび食べている。
「お金もそんなにあるわけじゃないから、大事に食べよう」
そういったのはルヴィのほうだった。
燃え盛る屋敷から出立した折に持ち合わせた金銭は土壇場でポーラから渡された銀貨一枚。
現在の貨幣価値では精々が一週間暮らせるくらいの額でしかない。
銅貨のお釣りを懐で鳴らしながら、ルヴィは魚を食べる。
「あ、痛」
「? どうした?}
「骨が刺さっちゃった」
口をもごもごさせながらルヴィは答えた。
「どれ?」
ミオがルヴィの口の中を覗き込もうとする。
ぱし、と彼女は口を手で押さえた。
「なにすんの」
「取ってあげようかと思って」
「自分でとれます」
そういうとルヴィは口の中をもごもごさせる。
「あっ、つぅ」
さらに骨が深く刺さって涙目になった。
「……」
「……」
釈然としない目をしながら、二人は向かい合う。
やがてルヴィはおずおずと口を開いた。
「…………?」
「……とって、ください……」
「あ、いいんだね、うん、わかった」
どんくさいやつ、とルヴィは内心で思う。
もうちょっと黙って意を汲んでほしい。
しかしながら、あー。と口腔内をさらけ出しながらでそんなことを言えるわけもない。
まじまじと青年に口の中を覗かれて、羞恥心がダンダン高まってきているのを感じる。
「…………………」
「―――――――あ、あった」
ひょいと、青年の指が口の中に入ってくる感覚がしてピクリが反応してしまう。
顔が赤くなるのを感じる。
が、次の瞬間。
「えい」
「ぎゃ⁉」
魚の骨は思いのほか思いっきり引き抜かれた。
じんわりと血の味が滲む。
引っこ抜いた小骨を見つめた後、ミオはしれっとルヴィの小皿の上に置いた。
涙目になりながらルヴィはミオを睨みつけている。
「……? とれたよ?」
「うるはい、この
「? ? ?」
唐突な罵倒に困惑を隠せないミオであった。
ちなみにミオが素寒貧だったのは本当である。
住み込み下っ端使用人が大した金を持っていないのは当然ではあるので、その面罵は理不尽なものであった。
※
「さて、これからどうしましょうか」
食事を終えて、一息ついた後にルヴィはそう切り出した。
本来、大陸の南西にあるバウティスタ家に向かうにはこの南の諸島テイルズを船で渡る必要があるのだが。
「まさかもう検問の手が伸びているとは、できるだけ早くここに向かってきたつもりだったんですが」
「うん。そうだね……どうしよう……」
こくん、とミオは小首を傾げる。
灰色の髪がはらりと揺れる。
整った顔立ちがぼんやりと困ったような表情になる。
なんかすごい美形で腹立つなとちょっと思うルヴィである。
「ですが、わたしにはなんと当てがあるのです」
「あて?」
「はい」
ふふん、と少し得意気に鼻を鳴らすルヴィである。
「テイルズには父が懇意にしていた、そしてわたしも幼少の砌よりお世話になっていた運送屋のおじさんがいるのです! その人に頼み込んで南の海を渡らせてもらいましょう!」
※
「ルヴィ様、それは無理な相談です。今、テイルズの海を渡ることはできないですよ」
そう、中年の男は言った。
運送業を営んでいる気のよさそうな男であった。
「そ、そんな……。どうして……」
「申し訳ないですが、このレベルの検問は前代未聞でして、これに引っかからずに南の海を渡ることは不可能かと」
「そんな……」
古い知人との再会を喜ぶのもつかの間、ルヴィは早くも意気消沈気味である。
「どうにかなりませんか、……その、ほかに西翼の? 島へ航る方法とか?」
肩を落とすルヴィの傍ら、ミオは初対面の男性にそう尋ねる。
「そういえば、貴方は?」
「オレは、……」
逆に質問を返されてしまった。
応えようとして、はて、自分はルヴィにとっての何かと考えてしまう。
端的に言えば主人と従者、とみるのが名目上は正しいのだが、なにぶん立場に差がありすぎて全くそんな感じはしない。実際、職場と恩人を亡くしたあの日、ミオは初めてルヴィの容姿を知ったし、何なら存在を知ったくらいである。
ミオはしばらく言葉に詰まってしまった。
そして、その間に目の前の男はミオに興味をなくしたかのように視線を外し、ルヴィに向き直る。
「ですがね、ルヴィ様、バウティスタ家に向かうならほかにルートがあります」
「……そうなのですか?」
「はい。南の諸島テイルズを渡るのではなく。北へむかうのです」
「………それは来た道を逆行し、さらには侵攻してきた北東の地カザリを通過するということですか?」
運送業の男は神妙に首を縦に振った。
「はい。東翼の島を北へ横断し、北の地「アギト」を横断、西翼の大陸を横断する形で南西の地にあるバウティスタ家に向かうのです」
「……この大陸をぐるりと大回りすると……?」
「そうなります」
「でも、それは……」
「確かに時間がかかりますがヌルの季節までには到着できます。どうでしょうルヴィ様。決して悪くない案だと思いますが」
「……そうですね。ほかでもない貴方の言うことです。そのルートで行きましょう。お代ですが……ごめんなさい、今払えるのはこれくらいで……」
そういうとルヴィは自身の持つ有り金をすべて運送業の男に差し出した。
「足りていない分は目的地に到着次第、すぐにお支払いします」
「相分かりました、では少しお待ちくださいね、準備してきますんで」
男は店の奥にそそくさと去っていく。
その場に残るのはルヴィとミオのみ。
ミオはルヴィに向き直る。
「本当にいいの? お金全部渡してしまって」
「構わないのです。適切な仕事には適切な報酬が支払われるべきもの。しかし今のわたしには支払い能力はありません。ならせめて誠意を見せるのがわたしにできる唯一のことですから」
「でも、……」
なにか引っかかっているように小首を傾げるミオ。
しかしなんだかおかしいなという直感をどうにも言語化できずにあわあわしていると。
「準備できましたよ」
運送業の男が店の奥から出てきた。
なんだかとてもすがすがしい笑顔だった。
※
積み荷に乗って、がたがたと二人は揺られている。
ふたりとは無論ルヴィとミオのことである。
荷台に隠れ、北の検問を抜ける算段というわけだ。
テイルズの南海に敷いていたほどの検問は、東翼の地には敷かれていなかった。
荷台の隙間から、外をこっそりとのぞく。
既に彼女が暮らしていた国は占領されており、かつてシャロメット家はもちろん。
叔父であった王の城も、親族である王族たちや近衛たちの住処も炎の中に。
その光景を一瞥し、ルヴィは唇を噛んで蹲った。
「ルヴィ」
「さわらないで」
ルヴィの傍にいようとしたミオにかけられたのはそんな言葉だった。
伸ばそうとした彼の手は虚空を切る。
「……ごめんなさい。大丈夫、……わたしは大丈夫よ……」
「ルヴィ……、辛いなら……」
「平気なの。……平気だから。……少し眠るわ……」
「ルヴィ」
ルヴィはわざとらしく寝息を立てた。
ミオはその場に立ち尽くし、何を言うこともすることもできなかった。
荷台の中からもう外は見えない。
ただ、夜の暗闇の中だ。
ふたりとも、眠ることすらできなかった。
※
「着きましたよ」
運送業の男の声がして。二人は荷台から降りた。
暗い夜の深夜だった。
「ごくろう」
「い、いえ、滅相もありません」
斯くて二人を待ち受けていたのは、ずらりと並んだ兵隊たちだった。
「え? カザリの兵たち……? なんで?」
「見ればわかるだろうよ、シャロメットの姫君。お前は裏切られたのだよ」
カザリの兵隊の男がそう告げた。
見れば、運送業の男は彼の背中に隠れている。
「簡単だったぞ。金を積んで頼んだらこのずさんな計画をこの男から申し入れてきた。本当にうまくいくのかは甚だ疑問だったが、所詮は小娘か。哀れなものだな」
「なんで、……? だってずっと昔から知っている人で、仲で……、お父様とも懇意にしていて……」
「う、後ろ盾のない小娘なんかに庇う価値なんかあるかよ!」
男はそういった。
ルヴィは愕然と項垂れる。
「構え!」
「ルヴィ!」
兵士たちが一斉に矢を振り絞り、それが放たれる。
無数に降り注ぐ弓矢からルヴィをかばい、ミオは背中に無数の矢を受ける。
「…――――ッ!」
呆然と立ち尽くすルヴィを抱え、一目散にミオは走り出した。
「追撃! 追撃!」
さらに放たれる矢。
風を切る音。
ずどど。ずどど。
ミオの背中に矢が刺さり続ける。
「……ッ!」
苦悶の声を上げながら、それでもミオはルヴィを抱えて走り続ける。
周囲を囲う砦を突破し、深夜の森の中に飛び出した。
「なんだあいつ! 不死身なのか⁉ クソッ、追え!」
兵士たちが一斉に飛び出した。
全身に矢を受けながら、血を流しながら。痛みをこらえながら、ミオは暗闇の中を駆ける。
駆ける、駆ける。
がくん。
しかして、全力の疾走はある地点で終わりを告げた。
崖だった。
ルヴィを抱えたミオは、しかし重力には逆らえず、落下していく。
ミオはルヴィを抱きしめる。
もう彼女が、傷つかないように。
二人は闇の中に落下していった。
※
「くそが!」
カザリの兵士長は悪態を付いた。
運送業の男に突っかかる。
「おい! あの男はなんだ、あんなの聴いてないぞ!」
「そ、そんなこと言っても私だってギャ!」
運送業の男はいきなり奇声を上げるとずるりと崩れ落ちた。
まじまじと見ると死んでいた。
「よ! お疲れさん!」
兵士長の後ろから声がした。
彼はこの声を知っていた。
空に月は亡い。
一体、いつの間に、どこから現れたのか。
年のころは18といったところか。
端整な、どこにでもいるような普通の少年のようにも見える。
ただ、彼と相対している兵士長は俯き、怯えていた。
「貴方様が……どうしてこのような……」
「うん? いやたまたまだよ。たまたま。通りがかっただけさ」
運送業者の男だった死体を足先で弄びながら、その少年は答えた。
その顔はあまりに朗らかで、だからそれが怖かった。
「ところでさっきのだけど」
「ッ! シャ…シャロメットを取り逃がしたことは申し訳ありません! 必ずや捕獲して見せ、」
「いやあ、べつにいいよそんなの」
少年はあっけらかんとそういった。
「え? いや、しかし……」
「いやほんとうにいいんだって。どうせ目的地は知れてるんだろ?」
「は、はい……」
「じゃあさ―――」
少年はにたりと笑った。
その笑みは細く削れた月を思わせる。
「――かしこまりました。津田さま」
シャロメットの屋敷が燃えた時にいたあの男の顏だった。
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