第2話  雪道

 しんしんと、降り積もる雪の中。

 森をただひたすらにひた走っていた。

 ざくざくと積もる雪を踏みつける音。

 

 赤い髪の少女を抱えて、青年は走る。

 吐きつく白い息を追いこすように、ただひたすらに必死にかけている。

 遠くで燃え盛るシャロメット家にはもう、振り返らない。



「……ガぁっ、つぅ―――はぁ、はぁ……」

 えづくようにミオは荒い呼吸を繰り返した。

 肺の中は凍えつくような空気に満たされて、張り裂けるように痛む。

 ふらつくように座り込んだ。


 あれから随分と遠くまで走った。

 方角も目的地もあったものではなかったけれど、とにかく城から離れるのが先決だったのだ。

 どうにか腰を休ませられそうな洞穴を見つけて、ミオとルヴィは腰を下ろし、休んでいる。

 洞穴の入り口には吹きすさぶような雪が降っている。

「……は、はぁはぁ………――――」

「落ち着きましたか?」

「え? ああ、うん。オレはだいじょうぶ。頑丈だから……それにしてもひどい雪だ」

「もうすぐ、ヌルの季節ですから」

「ヌルの季節?」

「冬と冬の間、すべてが制止する死の季節。その季節はみんな家の中に閉じこもり、寝静まるの。……だからそれまでにわたしたち、家を見つけてヌルを超えないといけないんだけど……」

 ルヴィは、顏を上げてミオを見た。

 その目じりにはくっきりと涙の痕が残っている。

「ヌルの季節を知らないの?」

「うん。知らない。オレには去年の記憶なんてないんだ?」

「……どういうこと?」

 きょとんとルヴィは小首を傾げた。

「記憶がないんだ。オレ」

 そんなことをミオは言った。

「ここ半年以内の記憶しかない。ポーラにつけてもらうまで、名前もなかったんだ。最初の記憶は知らない女の人の死体。初めて目を醒ましたとき、知らない誰かの死体がまずあったんだ。それから、周りには壊滅した村と、たくさんの死体。それから当てもなく歩いて、そしたらポーラに出逢った。彼女は――オレに仕事と家をくれた、恩人なんだ」

「……」

 じっ、とルヴィの紅い瞳がミオを見据える。

 灰色の髪色と瞳。端正で穏やかな顔立ちをしている。

 ミオというポーラが拾ってきた青年の話をルヴィは本人から聞いたことがあった。

 その当人が目の前にいることになんだか不思議な感慨がある。

 聴いていた話だともっとボンヤリというか、ぼんくらな印象があったが……。

「ルヴィ。ルヴィ・アトレイデ・シャロメット」

 ルヴィは自分の名前を口にした。

「わたしの名前です。ちゃんと、自己紹介をしていなかったから、今ここで名乗ります」

 凛とした赤い瞳がミオを見つめる。

 痛々しいくらい毅然としたまっすぐな瞳だった。

 

 健気だと、ミオは思う。

 あんなひどいことがあったのに、まだ10かそこらの幼い少女がこんなにも毅然としている。

 だからミオもそれに応えられるようにまっすぐに見つめ返す。


「ミオ。それ以外の名前は知らない。でも今は、これがオレの名前だ。オレには過去がないけど、きみを守るよ。オレを信じてくれ」

 ルヴィは恐る恐ると首を縦に振った。

 そこにはまだ信用しきれないけれど、それでも信じてみようと思った。

 

 まもなく、夜が明ける。




 カチカチ。と火打石を打つ音がする。

 ルヴィが打ち鳴らしているのだ。魔法の練習のために普段から身に着けていたが、こんなに役に立つとは思ってもみなかった。

 落ちている小枝の薪をくべ、小さな火をともす。

 火種が付いた瞬間、何か、ミオには聞き取れない言葉を紡いだ。

 すると、小さかった火種は瞬く間に確かな焚火に形を変える。

「これを見て」

 ルヴィはそういうと、地面に枝でがりがりと絵を描いた。

 それはドラゴンの形をしていた。

 大きなトカゲが、大きな翼を広げているような形。

 広げられた両翼と、頭部、しっぽが見える。

「これが、わたしたちの住まう大陸であり、世界。わたしの国が此処」

 そういってルヴィは竜の右後翅(右の羽の下半分)のさらに下側に〇をつけた。

「攻めてきた国はおそらく北東の国、カザリ」

 右前翅の中央に〇を書く。

「だから、これからわたしたちが亡命するにしても、ここは避けて通らないといけないの。これはいい」

「……多分、大丈夫」

 何だが不安げにミオは頷いた。

 ほんとに大丈夫なんだろうか……。と少々訝しむルヴィであったけれど、今更話をやめるわけにはいかない。続けることにした。

「わたしの家に何かあった時に亡命先は、実はほぼ決まっているんです」

「そうなの?」

「はい。永らくシャロメット家と同盟を結んでいたバウティスタという家があるんです。それが南西の国でここ」

 左後翅のより南側の部分、ともすれば少々辺境ともいえる部分にルヴィは×を付ける。

「ここに向かいます。バウティスタ家とは長い親交もあり、我が家とのつながりも深い。うまくいけばわたしの身を保護してくれるかもしれないし、……もしそうでなくともヌルの季節に外に放り出したりする人たちではないですから……」

 そこには不安があった。

 屋敷を燃やされ、父の所在も不明な現在、果たして自分に身を保護するに足る価値が存在するのかという不安。

 そもそも雪の中、こんな自分にそこまでたどり着けるのかという不安。

 下唇を、ルヴィは噛む。

 思考を巡らせるほどに不安が心の中で増大し、全身を蝕む。

 体の芯から冷えていくみたいで、凍えそうになる。

「いこう」

 そんな心配をしり目に何でもないことのようにミオは言った。

「もうすぐ、夜が明ける。出発できるはずだ」

 確かに、洞窟の入り口から光が漏れてきている。

 ミオはルヴィの手を取り、確かな足取りで歩き出した。

 

 記憶のない彼には、事の難しさはわからないのかもしれない。

 でも確かに彼は、きみを守る。とそういってくれたのだ。

 ……正直、まだ信用しているわけではない。

 けれど、歩き出さなくてはいけない。そう思い、手を引かれるように歩き出した。


 洞窟の入り口に、ミオが歩き出したところで。


 ドシュリ。という厭な音を聴いた。

「――え?」

 槍のようなナニカで、彼の首は穿たれる。

 つないだ手は離され、彼の体は倒れ伏せる。

 横合いから現れたのは盗賊2人組。

 彼らはニタニタとした厭な笑みを浮かべて、洞窟に這入りこんできた。



「おい! そんな貧相な男のことなんざほっとけよ!」

「でもよぉ、アニィ。こいつもなんか金目のもの持ってっかもしんねえぜ? じゃねえと雪ン中わざわざ待ってた甲斐がねえよ!」

「ばぁか! どう見てもこっちの小娘のほうがなんか持ってんだろうが!」

「――――ッ! ンンッ――――!?」

 盗賊の男の一人がルヴィを取り押さえる。

 身動きが取れない。

「さて、焼けた城からでてきた嬢ちゃんよ、悪いがここで死んでくれや」

 男は舌舐めずりをする。

 その男の後方からにじり寄ってくる、相方の男。

 恐怖で身がすくんで動けない。

 自分をとりおさえている男がナイフを取り出したところで、ルヴィはきつく目を閉じて――。

 ごきり。と、首の骨が折れる音が聞こえた。

「は――?」

 先に声を出したのはルヴィを取り押さえている男のほうだった。


 男は振り返る。

 そこには首が折れた弟分と確かに先ほど殺したはずの男が立っていた。

「――ッ!」

 その隙を逃がさずに、ルヴィは拘束を解き、懐から火打石を取り出した。

 カチっ、と音を鳴らすとともに、ルヴィは言葉を紡ぐ。

 それは、意味を解さない人間には聞き取れない言葉。

 

 すなわち――それは魔法の発動条件。

 焔が爆ぜる。

 盗賊の男は瞬く間に火だるまになった。

「ギィヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 燃え盛りながら、男は逃げ出し、雪の中を転がり続ける。

 やがて、その姿は見えなくなった。


 ぺたん。と、へたり込むルヴィ。

 ボンヤリと、彼女はその場に立ち伏せる青年を見ていた。

 青年は――先ほどあやめた盗賊の男を、じっと、見つめていた。


 自分が殺した男の死体を、じっと見つめていた。




「なんで死んでないの⁉」

「オレ、どうやら傷の治りが早いらしいんだ」

「首に風穴開いてたよね!」

「治った」

 ほら、とミオは自身の首を見せる。

 血で汚れていたが、確かのそこに傷跡はもう存在していなかった。

「きみのほうこそ、さっきの炎はなんだったの?」

「いや、それよりその傷の治りのほうが……いえ、アレは魔法です。わたしは炎魔法を得意としていて、火打石で挙げた火種を魔法で炎に増進したんですいやそんなことよりその傷の治りですよ明らかに魔法の範疇すら超えてますよ致命傷だったでしょう! 魔法はあくまでも世界にあるモノ、すなわち1を促して2にする技術だけど貴方の治癒は明らかにそれを逸脱している! どう見ても致命傷で即死だったはずなのに! なんで生きてるの⁉」

「そんなことはいいよ」

「そんなこと⁉」

「それより、さっきの盗賊、逃げたかもしれない」

「……! そうね! 追わないと仲間を呼ばれるかもしれない!」

 ルヴィははっ、と冷静になった。

 さっき首を貫かれて死んだはずのミオがしれっと無傷になっていた件については一旦棚に上げるとして男を追わないといけない。

 そのことに気づかせてくれたあたり、ミオという男は確かな思慮を持っているようにも――。

「え? そうなの? 追うの?」

「え? そのつもりの発言じゃないの?」

 何のつもりで行ったんだろう? 

 と、少し考えて、はたと、ルヴィは気付いてしまった。

「……さては何も考えてないのか?」

 いやしかしそれは、……いやそんなことより!

 

「追いましょう!」

 ルヴィは雪の外に今度こそ飛び出した。



 結論から言うと、男はすぐに見つかった。

 全身に火傷を負っていた盗賊のその男は今にも死にそうな風体だった。

 炎はすぐに消えたのだろうが雪の坂で足を滑らして崖から落ち、全身がひしゃげてしまっていたのだ。


「……ころ、して……」


 そう、男だったものはか細い声で言った。

 ルヴィは口元を覆い、何も言うことが出来なかった。

 それが正当防衛だっととしても、自分の行いの結果がショックだった。

「ころ…………し、……」

 男をしばらく見下ろしていたミオはおもむろにその首元に手をやる。


「ごめんね……」


 ごきりと音がして男の首を追った。

 男はすぐに死亡した。



 雪の森に一陣の風が吹いた。

 ひどく冷たい、凍えるような風だった。


「ちゃんと、弔ってやりたい」

 そう、ミオは言った。


 彼は地面に穴を掘り、(その際には強盗が持ってきていた槍を使用した。穂先を地面に突き刺し、ほじくり返すように穴を掘るのだ)盗賊二人の死体を埋めた。


 墓標のようにその槍と突き刺して、彼はその場に佇んでいた。


 ひゅうと、また冷たい風が吹いた。その手は酷くかじかんでいた。

「ミオさん……」

 ルヴィは彼に声を掛けようとした。

 ルヴィも彼らを埋めるのを手伝おうとしたが、ミオはそれを断った。

 ミオのかじかみしもやけた手はやがて修復され、もとに戻っていた。

「オレが首を切られても、オレは死なないけれど。オレでない人は、首を折られたら死ぬんだ」

 ミオはぽつりとつぶやいた。

 また一陣の冷たい風が吹いて彼の頬を撫でた。

 凍り付くような冷たさだった。

「その理由をオレは知らない。……知りたいと、思う。自分が何者なのか、ルヴィ様にはオレのことを信じてくれといったけれど、オレは――自分のことすら定かではないんだ……」

「ルヴィで、いいよ。わたしも貴女のことはミオって呼びますから」

 ミオの告白にルヴィはそういって微笑んだ。

「約束します。わたしを無事バウティスタ家に連れて行ってくれた暁には、貴方の過去を明らかにするために尽力します。シャロメット家の名に懸けて」

 そういうと、ルヴィは右の小指をミオに差し出した。

「小指を絡めたら、契約成立です。これは、ポーラが教えてくれた契約の証なんですよ」

 ミオは微かに微笑むと、ルヴィの小指に自身の小指を絡めた。

「契約成立です」

「うん。よろしく、ルヴィ」

「よろしくお願いします、ミオ」

 二人は指きりをして、今度こそ歩き出した。


 青年は少女を無事、目的地まで送り届けるため。

 少女はその報酬として青年の過去を明らかにするため。


(……じゃあ、その後は?)

 ふと、ルヴィは思う。

 バウティスタ家にたどり着いて、ミオの過去を明らかにしたら、そしたらその後はどうなるのだろう……。

 ふと、ルヴィはそんなことを考えそうになって。


 雪道をかける冷たい風に、その思考はかき消された。


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