冒険者

長崎ちゃらんぽらん

冒険者

 その犬は息を切らせながら、力の限り彼を引きずっていた。


 一体、どれくらいそのままだったのだろうか。彼は腐りきっていた。


 赤茶けた大地を滑る為に肉がこぼれ、虫が覗き、悪臭を振り撒き続ける。


 あまりにも必死に、ひたむきに、死体となった彼を運ぶ犬を、コントウの町の住人達は遠巻きに、名状し難い表情で見つめている。


 住人の一人があっと声を上げ、地平線を指した。


 皆の視線が集まった先、半分覗いた太陽を背に街道を町に向かって進んでくる者の姿があった。


 犬を避けて町の前へやって来たその人物は、まだ若い青年だった。見事な栗毛の馬を町の入口で止めた青年は帽子を上げて挨拶をする。


「どうも、おはようございます」


「あ、どうも」


「おはよう」


 使い込まれたデニムのズボンや革のジャケットから漂う泥臭い旅人の風貌に似合わぬ人懐こい笑みに、町の人達も次々に挨拶を返してしまう。


「あれは?」


 青年は犬の方に振り向きながら尋ねる。町民達は顔を見合わせて肩をすくめた。


 町長らしき身なりのいい男が「お気になさらず」と告げる。


「しかし」


「いつもの事なんでさぁ」


 タバコか酒か、焼けた声でしわくちゃの老人がふらりと現れ、ぶっきらぼうに言うと、町民達はいっせいに顔色を変える。


「どういう事です?」


「なあに、言葉通りさね。まあ、ワシから言えるのは関わらん事だってだけでさあ」


 首を傾げる青年に向かって、老人は頭を振り、酒瓶片手に鼻歌を歌いながら酒場へと消えていく。


 誰もが胸を撫で下ろす中、町長がごほんと咳払いする。


「まあとにかく、旅の方。アレは気にしないでくださいな」


「しかし死者だ。せめて埋葬くらいはしてあげないと」


「いやいや、それは困ります」


「何故です? 町の墓に入れられないと言うなら目立たない所で供養しますよ。あれではあまりにも、気の毒だ」


 死体の元へ引き返そうとする青年の足を掴むように、町長は止める。


「私だって、そうしたい。ここはコントウ。街道の宿場だ。たとえ余所者だろうが墓地へ入れる事に抵抗はない。だが、彼は、彼だけはそうは行かないんだ」


 すがりつかんばかりの様子に青年は戸惑う。見れば何時の間にか町民達に囲まれてしまっていた。


「なるほど」


 青年は一人一人の顔を確かめてから頷く。


 誰もが戸惑いや恐れの色を浮かべているが、その瞳の裏には、町長の声と同じ悔しさが滲んでいた。


「町の総意と言うわけだ。だけど、門外で僕が従う理由にはならない」


 彼はそう告げると、馬の腹を蹴りあげる。大きないななきと共に振り上げられた前足に人混みが割れる。


 一瞬の隙に、馬を繰って町の外へ。


 門を出る瞬間、他の住人達とは違う、明らかにやつれた女性をみとめたが、すぐにその姿を頭の隅へ押しやると、死体へ駆け寄った。


 混乱に近い町のざわめきを背に受けながら馬を降りた彼は、銃に手をかける。


 死体を引きずっていた犬が、彼の前に立ちふさがっていた。


 歯を剥き出し、体を低くして唸るその姿に銃から手を離す。


 彼は犬に視線を合わせるべくかが見込むと、村人達に向けたのと同じ柔和な笑みを浮かべた。


「やあ。僕はユウキ。君は?」


 青年が名乗りと共に差し出す手を、犬は避ける事なく受け入れる。


 ユウキは犬の頬を軽く撫でてから首輪に手をかける。


 皮製のそれにつけられた金属版は鈍色になっていたが、彫られた文字は十分に読めた。


「ハティ。いい名前だ」


 名前を呼ばれた犬は元気に一度吠えた。


 ユウキはハティの頭をポンポンと叩いて腰を上げる。


 大人しく待っていた馬にくくりつけた荷物から畳まれた布を引っ張り出す。


 とって返し、死体を改めて見下ろしながら、手を合わせて黙祷を捧げる。


 ハティは彼の隣でその様子をじっと見守っていた。


「よし」


 祷りを終え、ユウキは抱えていた布を広げる。大きくはためいた布は大陸が描かれた新品の国旗だった。彼はそれで死体を覆う。


 すえた匂いも蠢く虫も意に介す様子もなく、手慣れた調子で、あっという間に死体をくるんでしまった。


 死体を担いだ彼の隣に、馬がすっと顔を覗かせる。見ればハティが手綱を加えて連れ立っている。


「賢いな、君は」


 ふっと微笑んで、ユウキは、ハティに案内されるようにして、歩き出す。


 行く先には、町の南に位置する小高い丘。


 麓から見上げると、頂上には、墓地を示す十字のシンボルが刻まれた簡素な門が立っていた。


 いざ登ろうか、とユウキが踏み出した瞬間、破裂音が響き渡る。背後の地面が土煙を上げた。


「そいつは警告だぜ」


 頭上からの小馬鹿にしたような声に、ハティが唸る。


 見上げると、拳銃を手にした線の細い男が門の前に立っていた。


「まったくお人好しは嫌いじゃないが、そいつをそれ以上運んだら痛い目みるぜ」


 これみよがしに銃をちらつかせる男に、ユウキは肩をすくめた。


「それじゃ仕方ない」


 踵を返した彼に、ハティはじっと悲しげな視線を向ける。


「気持ちはわかるが、やめとこう。故人が寝やすい場所を探してあげるからさ」


 クゥンと小さくないたハティは耳を垂らしながらも、彼に続くように向きを変える。再び、銃声が響き、丘の斜面に穴が開いた。


「聞こえなかったのかテメー。そいつを、それ以上、運ぶんじゃない」


 しまりのない声で告げられ、ユウキはわずかに目を見開きながら男を見据える。


「まだ酒が残ってるのかな。体に毒だよ」


「ああ、俺が酔ってるてのか?」


「違ったのなら失礼」


 風に吹かれてるようにヒョロヒョロと体を揺らし、品のない笑顔を浮かべていたので、てっきり酒が入っているのだとばかり思っていた。


 だが、違うとしたらずいぶんな言い種である。ユウキはおもむろに死体を担いだまま丘を登りだす。


「テメエッ!」


 激昂した男はすぐさま彼に向けて発砲。


二発が外れ、一発が左頬を掠めた所で、彼は足を止めた。


「なるほど、確かに酔ってはいないみたいだ」


 血が顎まで伝うのを気にした様子もない彼に対し、男は呼吸も荒く、何度も銃口で地面を指した。


「いい度胸じゃねえか。素直に置いてきゃ、見逃してやるよ」


 ユウキは盛大に溜め息をついて、そっと死体を地面に降ろす。


「わかりゃいいんだ。舐めた真似しやがって、ヨソモンが」


 いけ、と男は合図する。


「ああ、すまなかった」


 チッと舌を打つ男に向かい、ユウキは頬の傷を拭う。


「せっかくだ、礼をさせてもらうよ」


「ッ!?」


 一瞬の出来事だった。


 彼の意図を察した男が銃を構え直した時には既に、その腕にはナイフが突き刺さっていた。


「があああっ!」


「おっと、すまない。頬を掠める予定だったんだが」


「て、テメエッ!」


 手からこぼれて滑り落ちてきた銃をを拾い、ユウキは男に突き付ける。


「どいてもらおうかな。あんたみたいな騒がしい人は墓守に向いてない」


 ギリギリと男は歯を食い縛りユウキを睨み付けてくる。


「バンッ」


「うわ!」


 ビクッと体を震わせた男は尻餅をついた。撃たれたのではなく、ユウキの声だと気付いた彼は顔を赤くして立ち上がる。


「俺に、俺たち兄弟に逆らってただで済むと思ってるのか?」


「申し訳ないが、僕は余所者なんだ。君が誰かは知らないよ」


「そうかい、それじゃすぐに知る事になるぜ」


 そう言い残して、男は足早に丘を下っていく。


 その背中をユウキは呼び止めた。


「ねえ、君」


 振り向いた男の眼前で、回転式の弾倉から弾を抜き、拳銃を投げて返す。


「忘れ物だよ」


「けっ。その面、覚えたからな」


 拳銃を受け取った男はツバを吐き捨てて今度こそ振り返る事無くその場を歩き去った。


 ワウン、と元気な鳴き声と共にハティがぐるぐると、尻尾を振りながらユウキの周りを回る。


 彼はその隙間を抜けて馬の手綱を掴むと、袖からナイフを滑り出させて地面に縫い付ける。


 馬がのんびり点々と生えている雑草を食み出したのをユウキが確認すると、ハティが力強く駆け出す。


 彼は導かれるままに、死体を担ぎながら、数多の十字のシンボルが並ぶ墓地へと踏み入れるのだった。




 乾ききった大地に穴を掘るというのは重労働である。


 暑さしのぎで掘った経験はあるにはあったが、人一人を安らかに寝かせるとなると言うのは並大抵ではないと言うことをユウキは思い知った。


 零れる汗が染み込んで土が少しでも柔らかくなってくれれば御の字だな、と苦笑しつつ、約一刻をかけて、大人の男が一人眠れる穴を空け切った。


 スコップの柄にはべったりと彼の手形が残っている。


 太陽を見上げて汗を拭う。ギラリと、左手にはめられた太い腕輪が光を反射した。


 眠るにはいい日であろうか、と思いつつ、彼は運んできた死体を穴の中へと横たわらせる。


 それからさらに半刻ほどの時をかけて、ユウキは男の埋葬を済ませる事ができた。


 最後に十字架を突き立てると、それまで傍らでずっと見守ってきたハティが一声、感謝らしき声を上げる。


「いいんだ。習わしだからね」


 頭をなでながら、彼はふっと微笑んだ。


 荒野の旅は先が見えない。いつどこで倒れるのか分からない。


 だからこそ、次は自分かも知れないと言う考えのもと、倒れた者は手厚く葬る。決して無視はしないのだ。


 今一度黙祷を捧げて、ユウキはハティへと視線を向ける。僅かに出かけた言葉を飲み込み、踵を返す。


 彼が墓地を後にし、丘を降りて行くその瞬間まで、ハティは動く事無く、主の墓の前に伏せ、墓標を見守り続けていた。




 馬を伴ってコントウの町へ戻ったユウキを待っていたのは、住人達のあからさまな白い目だった。


 早く出て行けといわんばかりの視線を受けながら、馬と共に街中を歩く。


 街道を支える宿場とあって、太陽の明るさが強まるに従って人々の動きも活発化してくる。


 来訪者達に紛れてしまえば、視線など、それこそ彼にとってはどこ吹く風だった。


 彼と同じように旅をしてきた者達は出かけ前の支度を兼ねて、通りに並ぶ店を見て回っていた。


 そんな中をすり抜けて、目的の店の前で馬を繋いだユウキは、あたかも常連客のようにドアをくぐった。


 夜はバーとなるこの店も、今はカフェ。朝食を食べる馴染み客や滞在中の旅行者達の姿で溢れていた。


 カウンターへ腕を預け、コンコンと叩く。


 すぐにウェイトレスがにこやかな笑顔でやってくるが、その肩を、店主と思しき中年の男性が掴んで下がらせる。「申し訳有りません、お客様。お帰りください」


 口ひげを蓄えた店主はなかなかの強面だが、言動はとても丁寧だった。


 ユウキは苦笑交じりに額を掻く。


「参ったな。ドレスコードでもあったかな?」


「いいえ、そういうわけでは」


「お金も心配要らないさ」


 そう言ってポケットから銀貨を一枚取り出して見せるが、店主はかぶりを振った。


「お金の問題でもありません」


「なるほど」


 多少の反発は覚悟していたし、あからさまな視線からも、自分がかなりの異物になった自覚はあったが、ここまで露骨な対応をされるとは思っていなかった。


 旅は道連れ世は情けというが、渡世はなかなかにつらきもの。


 頑なに心を閉ざされた以上、騒ぎ立てるのは旅人として望むものではない。


 自分達は所詮流れ者。この町の、門の中では住民達の意思を尊重する必要がある。


「それじゃ仕方ない。お暇しましょう」


 軽く帽子を上げて、ユウキは店を退散する。


 これ以上はここに居ても仕方がない。馬に提げた荷を確認する。水が少々心許ないが、備蓄には余裕がある。さっさと次の町へ向かうとしよう。


 見送りと言うよりは監視に近い無数の目を背中に受けつつ、彼はのんびりと馬と一緒に歩き出す。


 鞍にまたがって先を急いでも良かったのだが、人の動きが特に活発な中でそれをやるなど、無作法以外の何者でもない。


 門に近づき、視線もほぼなくなった矢先、彼の足元にコトンと石が落ちる。


 飛んできた方に目をやると、見覚えのある疲れ切った顔の女性が建物の影に立ち、小さく手招きをしている。


 どうしたものかと思ったが、放っておくわけにもいかず、ユウキは彼女の招きに応じ、方向を転換した。


 明らかな落胆の吐息がどこからともなく聞こえてくるが、彼は気にしない。


 やや右足を引きずり気味な女性に案内されたのは、一件の家。まだそれほど年季の入らぬ小奇麗な外観。少々奥行きが広く、一階の通りに面した窓が広めに取られている様子からして、何かのお店か事務所を兼ねていた事が受け取れる。


 静かで湿っぽい雰囲気からして既に機能しては居ないようであった。


 女性が勝手口から入るように促した事からもその事実が伺える。


「失礼しますよ」


 声をかけて中に上がる。外もまずまず湿っぽかったが、家の中はそれに輪をかけてどんよりとしていた。


 人の動きのあるスペースとそうでない空間の差が見ただけではっきりとわかった。


 台所から食堂にかけては手入れが行き届き、食器や花など生活感があるものの、表の広間からは茸が生えていても驚かないほど淀んだ空気が漂ってきている。


 促されるまま食堂の椅子に腰掛ける。


 クッションに、白のレースが施された黄色いテーブルクロス、色ガラスの水差しに磁器と思しき花瓶。


 ユウキは背中がむずがゆくなる。嫌いではないが、苦手な空間だった。


 壁際の棚には、女性の夫と思しき男性の写真。太陽のような笑顔が印象的だった。


「こんなものしかありませんけど、よろしかったら」


「あ、どうもありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて」


 運ばれてきたパンとコーヒーを彼はありがたく頂戴する。


 口の中に広がる苦味と、爽やかな香りにふうと顔を綻ばせる。


「やっぱりドリップは美味しいですねぇ。こっちのパンとよく合います」


 この町に来る前に最後にまともな食事をしたのはいつだったのやら。


 少なくともここ七日程は、石も砕けそうなパンと煮出したコーヒー、カビの生え出した干し肉くらいしか食べたものを思い出せなかった。


(ああ、兎も食べたか。カラスのお下がりだったけど)


 釣りが出来ればもう少しマシな食事をする機会もあったがあれはどうも性に合わない等と考えていると、女性が深々と頭を下げる。


「この度は、どうもありがとうございました」


 そのまま肩を震わせる姿は、町の住人達とは全く違い、ユウキは内心面食らって首を傾げた。


「念の為お聞きしますけど」


「ハティと主人の件です」


 前掛けで目尻を拭きながら告げられた内容に、ようやく彼は合点が行く。


 右手を胸に当てて、小さく頭を下げてお悔やみの言葉を告げると、女性は何度も何度もお礼を言いながらすすり泣いた。


 落ち着くのを待ちながら、出されたパンとコーヒーを平らげる。


「ごめんなさい。みっともない姿をお見せしてしまって」


「いえいえ。僕は見ての通り流浪の身ですから、すぐに忘れますよ」


「自己紹介がまだでしたね。私はライア。あなたは?」


「僕はユウキと言います。忘れるついでに、少しばかりご主人の事を聞かせていただいても?」


 辛い話になるのは目に見えていたので、当然断っていただいて構いませんと付け加えるが、ライアはかぶりを振る。


 泣いた事で多少は気が晴れたのだろう。彼女の顔は、僅かだが色を取り戻していた。


「貴方は恩人です。お話させていただきます」


 ぽつりぽつりと、彼女はこの町に関わる事柄を話し始める。


「主人は、デビッドは都でも名の知れたパン工房で働いていました。政府御用達だったお店です」


「なるほど。それで」


 ユウキは改めて部屋の内装を見やる。道理で都会的な風情を感じるはずだ。


「ユウキさんは、都に要らした事が?」


「ええ、まあ。旅をしていれば一度はお世話になりますから。お話に出た工房であれば耳にした事もありますね」


「ええ。その後、独立の許しが出まして、第二次移住計画を利用して、こうしてここにお店を」


 政府が中央に集中し始めた人口を地方に分散するため、大量の補助金を用いて行った移住政策だ。第二次はその中でも特に大量の予算と補助が組まれ、当時の三分の一の人口が動いたとも言われている。


 彼女達もそれを利用してこのコントウにやって来たようだ。


 開店後は、持ち前の人の良さと腕前で盛況を呼び込んだ事は想像だに難くなかった。


「商工会にも?」


「ええ、もちろん。都に居た時は工房の代表で委員をしていた時期もありましたから」


「なるほど。それで揉めましたか」


 さらりとこぼした言葉に、ライアはぐっと膝の上で拳を握り、肩を震わせた。


 ぶしつけなのはわかっていたが、どちらにせよ避けては通れない話題だしな、とユウキはその様子を静かに見つめる。


「はい。今回も商工会の委員として、会員達の仕入れを」


「法外、とはいかずとも相当なぼったくりだったわけですね」


 ライラは頷く。


 ここまで来れば、あらましは既に見えていた。


「ここコントウでは昔からゴルトー一家が絶大な力を持っていました。こちらも都からも良くお呼びのかかる畜産農家です」


「莫大な税金、町での発言力は無論大きい。その上、畜産となれば流通も無視できない巨大市場だ」


 牛や豚の輸送は根気がいる上、危険も大きい。その上、経済変動を諸に受ける。


 生き物を育て、新鮮かつ健康な状態で輸送すると言うのは、それだけのリスクと、それに見合った金が動くのだ。


 まして、値段の上下による負債を少しでも少なくする為に、輸送のスケジュールは実に厳しい。


 それで成功し、財をなした家は下手な政治家よりもよほど心身がタフに出来上がっている。


 だが、同時にそれはしがらみや余計な利権をも生み出す。


 大方、輸送業者と癒着して、自分の所の畜産輸送を始め、町での流通を独占させる代わりに、他の食品や資材の運送料をかさましさせ、いくらかをポケットに入れていたという所だろう。


「それに気付いた夫は輸送業者の入札や、購買の健全化を訴えて来ました。賛同者はなかなか得られませんでしたが、曲がった事が嫌いな主人も退かず、紳士に各委員と話し合いを続け、ようやく過半数の承諾を得る事が出来ました」


 だが、悲劇は起きた。


 現状維持、改善反対派の頭目である現ゴルトー家家長であるゴメス=ゴルトーと会談したその夜、デビッドは家に戻ってこなかった、とライラは涙を堪えながら、注げる。


 翌日、彼の死体はコントウの門前に捨てられていた。


「四方から、銃撃されて、その、ああっ」


 その様子を思い出してしまったのだろう。ライラは顔を覆い、声を詰まらせた。


 ユウキはただ、静かに彼女が収まるのを待ち続ける。


 ふと窓のカーテンの隙間から外を見る。表通り沿いではなかったが、人の動きはそれなりにある。


 だが、少々慌しく思えた。


「すみません」


「いえ。家族を失った事を思い出してもらっているんです。当然の事です」


「ありがとう、ございます。もちろん、やった犯人には心当たりがあります。いえ、町に住む者達ならばすぐにわかる事なのです」


「保安官は?」


「ゴルトーの息がかかった人物です。ゴメスは比較的賢い男ですが、その弟は、ゴライは、酒癖も遊び癖も酷く、その上すぐにかっとなるたちです」


 問題も良く起こすが、保安官は見てみぬふり。あまりに目を覆わんばかりの時にはさすがに捕まえるが一晩で釈放か、とユウキは思う。


 似たような事例であれば珍しくはない。この荒廃した土地を旅していればよくよく目にしてきた事でもある。


 中央の威光なぞより、各地域の有力者の方がよほど町々では影響力があると言うものなのだ。


 犯人は捕まる事なく、葬儀はしめやかに行われたとライラは続ける。


 それが、つい三週間ほど前の出来事であった、と。


「埋葬されて、最初に荒らされたのは一週間後でした。その後は、何度埋葬してもすぐに出されてしまい」


 その先を、ライラは言えずにかぶりを振った。


 見せしめなのは明らかだった。結局、町の住人達は彼を埋葬しない、と言う事で、それに応えた。


 それに唯一抗ったのは、犬だった。


「ハティとは、この町に来てすぐに出会いました。迷子だった所を保護して、看板犬に。主人にも良く懐いていましたし、頭も良かったものですから」


「なるほど。確かに、彼は立派です。よほど愛されていたのでしょうね」


 ハティは人々が諦めたデビッドの遺体を墓地へと運んだ。


 しかし、すぐ道端に戻される。だが、ハティは諦めなかった。


 来る日も来る日も、亡き主に安らかな眠りを与えるべく引きずり続けたのだ。


「私は、ご覧頂いたとおり、生まれつき足が良くありません。経理くらいならできますからお店の仕事も手伝えましたが、とてもとても。どんなに主人を埋めたくとも、その力がありません」


「それは、誰のせいでもない。あなたの為にも、ハティは必ず墓へ遺体を運んだと思います」


 それに、とユウキは最初にこの町へ来た時の事を思い出す。


 町長は総意と言っていたが、最初は埋葬したのだ。誰も現状がいいとは思っていない事は確かだ。


 それでも、ゴルトー一家に逆らうだけの力も、そして道理も今の彼らにはないのだろう。


 責めるつもりはユウキには毛頭なかった。そもそも自分は余所者だ。この町のしきたりにどうこう言うなどもっての他だ。


「本当に、あなたには感謝しています。おかげで、ようやく、私も、主人も、そしてハティもゆっくり眠る事が出来そうです」


「それは良かった」


 ふと、ユウキはハティの事を思い返す。いい犬だった。聡明で、義を理解していた。


 今、何をしているのだろうか。彼もそろそろこの家へ戻ってきてもよさそうなものだが。それとも未だに掘り起こされる事を危惧して墓を守っているのか。


 町を出る前にもう一度挨拶していこう。彼と出会えたのはこの町における収穫だった。


 自然と、ユウキの手は見えないノートに記録を書き込むように踊っていた。


 涙を拭りながら顔を上げたライラが、その様子に首をかしげた。


「何か、書くものでもお持ちしましょうか」


「ああ、お構いなく。癖で、つい」


「癖って」


 目を瞬かせるライラにユウキは照れくさそうに頭を搔いて白状する。


「実は、日記を」


「まあ」


 今まで以上に驚いたらしく、ライラが口元に手を当てる。


 日記をつける行為そのものは、珍しくはない。ただしそれは町に生きる、定住する者達に限っての事。今日と言う日を生きる流浪の身の者となれば話は別だ。


 昨日は要らず、明日は知れない者達がどうして日記をつけようというのだろう。


「でも、それならやはり今のうちに書いておいた方がいいのではなくて」


「いいえ。一日を通して心に残った事を書きます。そうでなくては、意味がないので」


「そんな事ないと思うけれど」


 ライラの言葉にユウキは頭を振る。


 意味がないのだ。一日の終わりに書く。それまでは書かない。そうする事で、より集中して、より真剣に今日と向き合う事が出来る。


 ユウキの返答があまりにも彼女の認識と食い違ってしまったのか。恐る恐るといった調子でライラは尋ねる。


「ユウキさん。貴方、本当に放浪者?」


「ええ、まあ。似たようなものです。褒賞金は稼いでいませんけれどね」


 ますますわからないとばかりに、彼女は眉根を寄せて考え込む。


 放浪者、流浪の者の食い扶持と言えば、懸賞金のかかった犯罪者か、荷馬車の用心棒と相場は決まっている。


 だが、ユウキはたった今その二つを否定した。彼女の疑問は当然だった。


「僕は、世界を見たいんです」


「世界、ですか?」


 静かにユウキは頷き、「僕の姉は、考古学者でした」と告げる。


 百年以上前に起きたとされている大崩壊。その結果、今よりも遥かに進んでいたと言われる時代の文明は過去に消え、現在は四百年以上前と同じ水準に衰退したとも言われている。


 彼の姉は、その過去の文明を調べる仕事をしていた。


「それじゃあ、お姉さんは中央の研究施設に?」


「そのようですが、詳しい事は僕も知りません。それがわかるようになった頃にはもう、姉は発掘調査の事故で」


「それは、ごめんなさい」


 迂闊な事を聞いてしまったと肩を落として頭を下げるライラに、ユウキはしかし、過ぎた事だとと笑いかける。


「僕は生まれつき体が弱くて、寝込んでばかりだったんですよ。唯一の楽しみと言えば、姉が帰った時にしてくれる外の世界の話ばかりでした」


「それで、旅を?」


「ええ。これからは自分の目で世界を見ようと。いつまでも寝込んでいたら姉も浮かばれないでしょうしね」


 そして、いつか姉と再会した時のために、彼は日記を書き続けていると付け加えた。


 今度は、自分が姉の知らない世界を話して聞かせるのだ、と。


 どこまでも真っ直ぐに告げるユウキに、ライラは思う所があったのだろう。


「強いんですね」と告げた。


「そうでも無いですよ。結局、僕は、姉の支えがなければここに居ないんですから」


「それは、誰もそうでしょう。結局、人は自分だけで生きているわけではないのだから」


「そうですね。それは、その通りだ」


 顔を見合わせ、二人は笑い合う。


 自然に笑顔になれたのはいつ以来か。ライラの顔から少しずつ疲れが抜けていった。


 彼女は、ひとしきり笑った所で、改めてユウキに頭を下げた。


「ユウキさん。貴方のおかげで、気がだいぶ楽になりました。本当にありがとうございます」


「いえ、そんな――」


「ところで、あまり賞金には興味がないご様子だけど、それだと旅を続けるのに困ったりはしないのかしら」


 はたと首を傾げて、尋ねるライラにユウキは困ったように額に手を当て、悪戯がばれた子供のような困った顔を浮べる。


「出来ればその辺りの話はせずに済ませたいですね」


「あ、ごめんなさい。ぶしつけが過ぎましたね」


「いえいえ。そういうわけではないですし、説明してもいいのですが、僕の旅の目的上、いささか具合が良く無いもので。それに――その時間もなさそうだ」


 突然、彼は表通りに鋭い視線を向ける。


「え?」


 困惑するライラをよそにユウキは「長居し過ぎました」と告げると、にわかに外の通りから、荒々しい声が響き渡る。


「おい、居るのはわかってるんだクソッタレ! 出てきやがれ!」


 続いて響く銃声。脅しのつもりか、何発か空に向けて撃ったようで、ライラは大きく肩を震わせた。


 声の調子からして、先ほど墓に居た男、ゴライのようだ。気配は他にも複数感じられる。荒くれの仲間を連れて戻ってきたのだろう。ひょっとしたら、兄のゴメスも居るかもしれない。


 溜め息をつき、ユウキは玄関に向けて歩き出す。


「何をしてるんですか。裏から逃げてください。殺されますよっ」


「それこそ奴が怒りますよ。この家が穴だらけにされてしまいます」


 それは、彼の望む所ではなかった。


 余所者で多少波風を立ててしまった自覚はある。


 だからこそ、一休みできる場を設けてくれたライラには感謝していた。


 それだけに、これ以上彼女に迷惑はかけられない。


「大丈夫ですよ。慣れてますから」


 気楽に告げる。だが、それは本心でもあった。


 年に一回や二回、旅をしていれば必ず遭遇する事であり、根無しの旅人の性である。


 それでも、服を掴みライラは恐れと不安に満ちた表情で引き止めたがる。


 ユウキはかぶりを振って、その手を引き剥がすと、腰に提げていた袋をごそごそと探る。


「そんな、お金なんて彼らには――っ」


 ユウキが取り出した、所々に淡い青の輝きを帯びた金属の腕輪にライラは目を見開く。


 ユウキは参ったな、と鼻をかいた。


 これが何を意味するのか。都に居ただけあって、彼女はすぐに察したのだろう。


「ユウキさん、あなた」


 腕輪を本来あるべき左腕に取り付けて、彼は改めてライラに笑いかける。


「言ったでしょう。慣れてるって」




 軋んだ音を立てるドアを開け、正面から堂々と、ユウキは家の外へ出る。


 通りには、五人の男。そして、町長を始めとした、遠巻きに見守る人々の姿があった。


 ひょろひょろの墓守もどき、ゴライ=ゴルトーが前に踏み出し、包帯を巻いた腕を高く上げる。


「よう、クソッタレ。さっきは世話になったな」


「どういたしまして。しかし、お見送りって雰囲気ではなさそうだ」


「いいや。見送りだ。あの世行きのな!」


「待て」


 野太い、腹の底へ届く声に、ゴライはホルスターに手を伸ばしたままびくっと体をこわばらせる。


 ユウキも手の平へ隠し持っていたナイフを投げずに踏み止まった。


 ゆらりと、ゴライの後ろから一人の男が現われる。


 ゴライよりも二回り以上ある鍛えあがった巨躯。照りつける太陽にも負けぬギラついた瞳。


 口元を覆う無精ひげも相まって、まるで熊だ、とユウキは思った。


 明らかに暴れたくて仕方がないと言うゴライや取り巻きとは違う、危険な臭いを纏っている。


「ったく、テメエはどうしてそうなんだ」


「あ、アニキ」


 捨てられた子犬のように小さくなったゴライがどうにかその男に向けて、声を絞り出す。


 そんな彼の肩を押しのけて、男はユウキの前に立った。


「あまり、手荒な事はしない方がいい。折れてしまう」


「て、テメエッ」


「なるほど。肝は据わっているようだな」


 値踏みをするように、男の目はユウキを放さない。


 デッキの階段を下りる間、男は瞬き一つしなかった。


「弟が世話になったと言うのも納得だ」


「弟?」


「ああ。どうせそこで話は聞いてるんだろう」


 男は顎でユウキの背後を指す。


 ならばこの男がこの町を実質牛耳る男。ゴメス=ゴルトーか。


 ユウキもまた、同じ高さにたった所で男を見据え返す。


「目つきも悪くない。弟がやられたのも無理はねえな」


「兄貴、そりゃぁねえぜ」


「それで、望みは? 僕としては、さっさとこの町を出てお互いさっぱりと行きたいんだけれどね」


 ナイフを袖に戻し、両手を見せてユウキは提案する。「こいつ」「なめてんのか」と取り巻き達が口々に彼を威嚇する。


 痛い目を見た人間が一人出るだけであり、大損する者は居ない無難な選択肢だが、それで許されるならそもそもここにゴルトー一味が雁首を揃える事など無い、とユウキは思う。


 それを裏付けるようにゴメスが大きく頭を振った。その姿はどこか水浴びを終えた熊のようであった。


「不幸な意見の行き違いがあった事は俺も認めよう。あんたは余所者だ。ここの流儀を知らねえのも無理はねえ」


 放浪者には放浪者のならわしってヤツもあるだろうしな、とゴメスはさもユウキの立場に理解を示す様に告げるが、心がこもっていないのは明白だった。


 何よりも、彼に向けられる目は紛れも無い敵意を持っている。


「だが、弟を傷つけたのは事実だ。違うか?」


「撃たれたら撃ち返す権利はあると思うんだけど」


「いけねえなぁ」


 ゴメスは大きく突き立てた指を左右に振る。


「腕の立つ人間が、ええ。そんな言い訳しちゃいけねえぜ」


 ニタリと、彼は笑う。ユウキはなるほど、と内心ごちた。


 こちらの対応が過剰だったと向こうは言いたいのだ。そして、そのお礼参りとして、自分に痛い目を見せたい、という所か。


「なら、僕にどうしろと言うのかな」


「そうさな。俺も別にあんたに恨みがあるわけじゃない。だが、弟の怪我には色々思うところもあるし、何よりあんたにこのまま去られるとこっちのメンツもたちゃしねぇ」


 鼻をかきながら、ギャラリーの方にも聞かせる様にゴメスは告げる。


 回りくどく、ねちっこく、しかし、それだけに野次馬をしている住人達は成り行きに自然と注目する。


 これ以上の騒ぎは御免だという視線がユウキを捉えて放さない。


「あんたに三つ。提案がある。一つは、弟の治療費と慰謝料として、今身に着けている物以外は全部置いてってもらう。二つ目は、弟と同じだけの怪我をしてもらう」


 ゴメスは指折りをしながら、彼に要求を突きつけて来る。


「三つ目は?」


「何事もなかったようにして、この町を出てってもらおう。あんたが居たという事実もすぐに忘れられるように、な」


 ユウキは大きく息をついて左手を上げた。


「この腕、好きにしたらいい」


「ほう」


 思わぬ返答だったのだろうか。ゴメスが僅かに眉をひそめた。


 ユウキとしてはどれもお断りしたい代物だったが、そうもいかないのは一目瞭然。


 その中で、彼に選べたのは二番だけであった。


 本当であれば一を選びたい所ではあったが、生憎と日記を始めとした大切な荷物はまだ馬の背中である。


 それだけ取り出して、などと認められるわけは無い。もしも一番を選んでいたら、そのまま出て行くしかなかったし、恐らくそれまでに多少の暴行を受けただろう。


 三番は論外だ。早い話が墓を掘り起こして行けと言う事である。


 それは、彼の、いや、旅をする者としての流儀から外れる行為であり、ライラやハティにも申し訳が立たない。


 恐らく、向こうは三番を選ぶ事を想定していたのだろう。


 それが一番、安全だからだが、ユウキにとっては走ではない。


 腕の一本、多少の怪我をするくらいのほうが、どうでもいい事なのだ。


「旅に不足の事態は付き物だからね」


「いい覚悟をしているな」


 事も無げに告げると、ゴメスもニッと口の端を吊り上げる。


 だが、取り巻きの方は微妙な空気を漂わせていた。特に納得がいっていないのは、ゴライだった。


「あ、兄貴いいのかよ。予定と、げっ!?」


「テメエはだからダメなんだ」


 余計なことを言うなとばかりに、肘うちを食らってゴライが呻く。


ゴメスが何やら耳打ちをすると、体を折り曲げていたゴライは、苦悶の色を残しながらも当初と同じような下卑た笑いを浮べた。


「すまんな。どうもこいつは浅慮でね」


「理解している」


 一体何を吹き込まれたのか、と思うユウキに対し、ゴメスがふと指を差して尋ねてくる。


「ところで、あんた。そいつは?」


「これのことかな?」


 上げた左手の腕輪が気になるらしい。


 そっと彼は腕輪に触れる。太陽の明かりで青みを帯びた独特の光が反射した。


「そいつには見覚えがある」


「旅をする者にとっては、大切なお守りさ。都でしか手に入らない貴重品ではあるけれど」


「確かに、都で見た覚えはあるが、そいつは違うな」


 ゴメスはいぶかしむ様にジロリと腕輪を睨み続ける。


 勘付きこそすれ、思い出せない。そんな所だろうか。しかし、そんな状態にゴライが業を煮やして銃をユウキへ再び突きつける。


「おい兄貴。そんなもんはどうだっていいだろうが」


「ったく、仕方ねえな。あんた、聞いての通りだ。こいつに撃たせる。お互い、痛みわけ。それで交渉成立。構わんな?」


「ああ。さっさと済ませて欲しいね。痛いのは苦手だ」


 ゴメスが一歩下がり、ゴライがこれ見よがしに銃を振りながら近づいてくる。


 二歩、三歩。およそ十歩の距離で、彼は立ち止まった。拳銃でも、まず外す事のない距離。


 だが、とユウキはじっとその銃口から目を離さない。この男の性格と、先ほどのゴメスとのやり取りが、彼の注意を引き上げていた。


「だから言っただろ。すぐに知る事になるってな」


 一際大きくゴライが唇を釣り上げる。


 甲高く、銃声が響き渡る。野次馬達が息を飲む。


 ユウキの体は衝撃と共に地面を離れ、もんどりうって地面へと崩れ落ちた。


 微動だにしない彼の様子に、ゴライが大口を開けて笑う。


「あっはっはっはっ、ざまあみやがれ――っと、いけねえいけねぇ。ちょいと狙いがずれちまったかな?」


「ったく、テメエはいい加減もう少し銃の扱いを練習しやがれ」


「まったく、同意見だよ」


 むくりと顔を上げ、ユウキは告げる。


「むっ」


「んな!?」


 土を払いながら体を起こすと、ゴメスは渋い顔で、ゴライは大口を開けて固まっていた。


「これは以外な反応だ。僕が立つのはまずかったかな?」


「て、テメエどうして!?」


「キミの下手な狙いに合わせただけなんだけど。ああ、それとも最初からここが狙いだったのかな」


 ユウキはわざとらしく、血が滴る左手で己の心臓を指し示す。


「この距離で、よくも反応できたな」


「音より光の方が速いんだ。タイミングさえ間違えなければわけない事さ」 


 狙いが却って見え透いていた事と、守りだけを考えればよかった為、この距離でも発砲と同時に避ける事自体は容易だった。


 銃弾を完全に回避する事も可能ではあったたが、敢えて彼はしなかった。もし完全に避けていたら、背後にあるライラの家へ当たってしまうからだ。


 改めて、弾痕と血の滲みが命中を示す左肩を押さえてゴメスに尋ねる。


「これで、僕と彼は痛み分け。そういう、約束だったと思うんだけど?」


「あ、アニキっ」


 目論見があっさりと崩壊したゴライは、泣きつくようにゴメスを見やる。


 ゴメスは、忌々しげにユウキを睨みつつ、ひとしきり頭を搔くと「行け」と告げた。


「アニキ、そりゃないぜ」


「黙れ、元はと言えばテメエの撒いた種だろうが」


「契約の履行は大切だ。貴方が商売のプロで良かった」


 ユウキは踵を返し、主を待つ馬の元へと向かう。


 ゴメスは仮にも商売人である。ましてこれだけのギャラリーが居ればそうそう迂闊な事はしないだろう。


 問題は、ゴライとその取り巻きだ。彼らはいつ爆発してもおかしくない。


 自然と足取りは早くなる。


 その時、彼の耳に遠く鳴き声が届く。はっと振り向くと、取り巻きの三人がゴメス達を背にして立っていた。


 三人が三人とも、銃口を正確にユウキへ向けている。


「どういうつもりかな」


「どうもこうも、さっきの取引はアンタとゴメスさん達兄弟の間のもんじゃねえか」


「当然、俺達は関係ねえわけだ。だからよ、俺達とも取引してもらおうと思ってな」


「君達は彼に雇われている身では?」


「けっ、誰がそう言ったんだ。俺達は友人。立会いのつもりが気が変わったのさ」


 唾を地面にはき捨て、三人はがははと大声で笑う。ゴメスとゴライは背を向けて何やら話し合っている。我冠せずと言うわけだ。


「友人と言うだけなら、そっちの弟が傷ついた件では赤の他人だね」


 無視して去ろうとした彼の足先に穴が開く。取り巻きの一人が持つライフルが撃ち込まれたのだ。


「おいおい、そうは行かないぜ。ここから出たければ、俺達とも取引してもらわないとな」


 ユウキは思わず額に手を当てた。


 まさかここまで強引な手に出てくるとは。自分はよほど相手の気を害してしまったようだ。


「君達の要求は?」


「ゴライさんが怪我をしたんでね。その分仕事の効率が落ちるわけだ。こうむった迷惑はゴメスの親分と同等。だから、こっちの要求もさっきと同じさ」


「ただし、今度は俺達三人で撃たせてもらうがね」


「その方が、話は早いだろう?」


 言うが早いか、返事は必要ないとばかりに銃声が轟く。


「っ」


「ぐわ!?」


 発射されたのはライフルが一発。弾丸は、身構えたユウキを大きく外れ、明後日の方向へと飛んで行く。


「こ、こいつっ。どこから!」


 ギャラリーの隙間を縫って飛び出した影が、ハティが、ライフルの男の首筋に食らい付いていた。


「クソ犬が!」


「おっと」


 ハティの乱入に列が乱れる。その間隙を縫い、ユウキは駆け出す。


 気付いた左の一人が発砲するが、弾丸は虚しく地面へ吸い込まれた。


 懐へ飛び込み、袖から抜いたナイフを一閃。銃を握った男の指が千切れ飛ぶ。


「ぎゃああああっ!」


「テメエ、何を!」


 答えの代わりに、彼は刃を走らせる。


 彼らの出した条件を呑んだ覚えは無い。取引は不成立。そして、先に撃ったのは彼らだ。


「ぐっ、この」


 顔に一文字の血を走らせながらも、中央の男は銃を撃つ。


 狙いなど定まるわけも無く、ユウキはすかさずもう一撃をその首筋へ。


 先ほどは牽制を優先して浅くなったが、次は仕留める。


 だが、そんな彼の耳にハティの悲鳴が届く。


 振り向けば、ライフルの男に引き剥がされ地面に叩きつけられていた。


 それでもハティは立ち上がる。


「っ」


 ユウキは咄嗟にライフル男へ狙いを変える。


「バカが!」


 瞬間、背後からの轟音と衝撃に彼の足はつんのめる。何とか踏みとどまった彼は、ライフルの男を押しのけるようにして、ハティへ覆いかぶさった。


 再び、雷鳴のような音と共に、幾度と無く衝撃が襲い来る。


 静寂が戻って来た時、彼の背中は燃えていた。燃えるように熱く、流れる雫と共に溶けているのではとすら錯覚しそうだ。


 そんな背中とは対象的に、胸の辺りは温もりに満ちていた。


 宿った温かさが、ごそごそと音を立てて移動し、彼の霞んだ視界へと飛び出した。


 ハティだ。ユウキの姿を見るや、どこか寂しげに鼻を鳴らす。


 彼は、安心させるように笑いかけた。


「まったく、君って奴は。僕は、別にこのくらい、どうって事無かったんだよ」


 それでも、ハティはいたわる様に頬を何度も舐めてくる。


 遠ざかる意識の中でもその感覚は何とか彼の下へと届いていた。


「はははっ、くすぐったいな。でも、ありがとう。来てくれて嬉しか――」


 感謝の言葉は、頭に走った火花と共にかき消され、ユウキの意識は完全に消失した。




「けっ、手こずらせやがってっ」


「最後までふざけた軽口叩いてくれたじゃねーか」


 ゴライの取り巻きである三人は執拗に、倒れ伏したユウキの体へ弾丸を撃ち込む。


 それは文字通り、蜂の巣か細切れにせんばかりの勢いだった。


 もはや私刑とも呼べないいたぶりに、野次馬達はこぞって目を背ける。中には早々に逃げ去るものも居た。


 道理に反する彼らの行為に、ハティが牙を剥きだし唸る。


 だが、次の瞬間、その体は悲痛な鳴き声と共に宙を舞った。


「はっ、邪魔だぜ」


 そう吐き捨てたのは、ゴライだった。彼がハティを力任せに蹴り飛ばしたのである。


「死んだか」


「これで生き返ったら、殺すのは諦めた方がいいでさぁ」


 つま先で物言わぬ肉塊と化したユウキをつつくゴライに、取り巻きが答える。


 彼は満足そうに、力いっぱいユウキだった塊を蹴り付ける。


「だから、言ったんだ。俺達に、逆らって、タダで、住むと、思うのかってな!」


「やめねえか」


 血気盛んに死者へ鞭打つ弟の様子を見かねて、ゴメスが静かに告げる。


 すぐに行為を中断して背中を丸めたゴライの顎を彼は掴むと、周囲を強引に見回させる。


「商人が、ええ。こんな真似したら、名折れだろうがよ」


 わざわざ見るまでもなく、どこまでも白い目が彼らに向けられている。だが、同時にそこには恐怖も滲んでいた。


「テメエがそんなだから、未だに一人で仕事を任せられねえんだ」


 ゴメスは呆れたとばかりに掴んだ顎を突き放す。ゴライはたたらを踏んだ。


「もういい。テメエらは先に帰ってろ」


「す、すまねえアニキ」


 ぎろりと睨まれ、すごすごとゴライは後ずさる。


 取り巻き三人も付き添うようにして後に続く。


「ああっ」


 途端に、悲痛な叫びが上がる。


 視線が集まる先に居たのは、ライラであった。騒ぎが一段落し、様子を見に出てきたのだろう。


 彼女は顔を真っ青に染め、おぼつかない足取りで必死にユウキの元へ詰め寄った。


「そ、そんな」


 手が赤に染まるのも構わず、彼女はユウキの体をさするが、既にその体から熱は失われていた。


「どうして、どうしてこんな事をっ」


 キッと彼女は唇を噛み締めてゴメス達を睨みつける。


 ゴメスは肩を竦めた。


「すまんな。俺としてもちと予想外だったのだ」


 それは、半分本音であった。


 彼の算段としては、ゴライが撃ち損じた時点で、ユウキを見逃すつもりだったのだ。少なくとも、住人達の目がある範囲からは、だ。


 町を出てからゆっくりと追撃して叩けばいい。だが、逸った弟の仲間がそれを台無しにしてしまった。


 その上、だ。


「よもや犬一匹、かばうとはな」


「い、犬ってまさかっ」


 ゴメスが顎で差した方には、息も絶え絶えなハティの姿があった。


 ライラは、呆然と力なくその場にへたり込んだ。


「この人が何をしたって言うんですか。ただ、ただ当たり前の事をしただけじゃありませんかっ」


「この町にはこの町の流儀がある。そして、それには誰も逆らえん」


 周囲にも言い聞かせるように、ゴメスが告げる。


 誰もが何かを言いたげに、しかし何も言えず、俯く者、目を背ける者、そしてその場を立ち去る者ばかり。


 その様子を、ゴライ達がにやにやと笑って眺めていた。


「町長、こいつは外に放り出しておけばよかろう」


「あなた、どこまで」


「ミセス・ライラ。あんたには聞いていない。町長?」


「あ、う、むっ」


 いきなり話を振られ、町長は困惑と苦悶に顔を歪めるが、立った今目の前で起きた顛末に頷くしかない。


「おい、ゴライ。帰る前に仕事だ」


 彼らは嬉々として、ユウキの死体へ向けて進路を変える。


 金と権力。小さな町と言う集団を支配し、君臨するにはそんな単純なものだけで十分なのだ。


 そう、誰も逆らえない。流通を仕切るゴメス達に、彼らゴルトー一家には。


 たとえ、保安官や判事、中央の息のかかった者であろうとも。


「っ!」


 その時、ゴメスの頭にある映像が蘇る。


 どこかで見覚えがあった、彼の、ユウキのつけていた腕輪。その正体を思い出したのだ。


 都に行った時、確かに見た。あの腕輪をつけていた者を。そして、その人物は彼にとって視察の役人よりもよほど性質の悪い相手であった。


 ゴメスは拳銃を引き抜き、ユウキの骸へ銃口を向ける。


 突然の事に、一瞬ポカンと口を空けたライラが涙を滲ませた声で食ってかかる。


「あ、あなた何を」


「邪魔をするな」


「これ以上、彼を傷つけてどうするんですかっ」


「あ、アニキどうしたんだ」


「まだ足りん。あの程度では、まだ足りん」


 鼻息荒く告げるゴメスに、さすがのゴライ達も戸惑いを隠せない。


 だが、もはやゴメスは体裁を取り繕おうとはせず、弟達に命ずる。


「テメエらも手伝え。ヤツを完全に、始末するんだ」


 何が何やら理解出来無い調子の四人だったが、ゴメスの言う事に素直に従い、手を怪我した者も渋々と、銃を構える。


 ライラは銃口の前にその身を投げ出した。


「どけ。さもなくば、お前ごと撃つ」


「夫も子も居ない身です。撃ちたければどうぞ。彼にこれ以上の仕打ちをするというのでしたら、その前に私を撃ってください。もう、知人の死を見るのは耐えられません」


 肩を震わせながらも、彼女は両手を広げて立ち塞がる。


 本気の顔に、ゴメスはチッと舌を打つ。


「なら、遠慮はしねえっ」


「あ、アニキ。さすがにそれは」


「うるさい! この時間すらも惜しいんだ!」


 ゴメスはゴメスの動揺も一蹴する。


 ライラは覚悟を決めて目を閉じた。


 彼はその眉間目掛けて引き金を引く。乾いた音が町中へ響き渡る。


 再びの沈黙を破ったのは、ライラであった。


 目を開けた彼女は、さらに目を見開いた。


「え?」


「な、何だとっ」


「どど、どうなってんだアニキ!」


 ゴメスが突きつけた銃口とライラの間は僅か数十センチ。その隙間にまるで張り付けられたように、ゴメスが発射した弾丸が浮かんでいた。


 ポカンと大口を開けるゴライに対し、ゴメスは怒鳴る。


「撃て、撃つんだよ!」


 ゴメスは立て続けに発砲。それに合わせてゴライ達も銃をライラに向けて撃ち付ける。


 しかし、放たれた弾丸は全て、すんでのところで停止し、ライラには届かない。


 そこに見えない壁が横たわっているとしか思えない光景だった。


「こ、これは一体」


 理解が追いつかず、誰もが首を傾げる中、ゴメスはギリギリと臍を噛む。


「げふっ!? ああ、ゴホッ、くそ」


 直後、咳き込む声が通りに木魂する。


 背後でゆらりと人影が立ち上がり、ライラは振り返る。


 そこには彼が、ユウキが起きぬけのように目をこすっていた。


「ゆ、ユウキさん!?」


「どうも。全く、何度やっても慣れないな、この感覚は」


 彼はどこか恥ずかしそうに笑いかけてくる。寝坊した子供のように、だ。


 ざわざわと波紋のように困惑が広がって行く。


 当然だ。死んだはずの人間が、まるで何事もなかったかのように立ち上がったのだから。


「これは、こいつはあんたの仕業だな」


 ゴメスは苦虫を噛み潰したような顔で、宙に磔になった弾丸を差す。


「ええ、まあね」


 ユウキはゆっくりと己の左手、そこにはめられた腕輪を示す。


 腕輪は僅かに形を変え、中に納められていた、赤い石が覗き、警告するように瞬いていた。


「テメエ、テメエは一体何なんだよぉ!?」


 口の端に泡を浮べながら、ゴライが吠える。


 この通常では考えられない状況を成立させる理由はただ一つ。


 ゴメスがそれを告げた。


「やはりあんた、冒険者か」




 大崩壊による文明の衰退。そこから現在に至るまで、人々は残された記憶だけを頼りに、社会を再構成した。


 古からの知識がまとめられ、各地にいた集団の首領達が集まり、政府が成立した。


 しかし、それでも尚、人類が今の社会を、文明を、文化を取り戻す為にはありとあらゆる物が足りなかった。


 そこで政府は、特別な役目を背負う者達を選抜した。


 世界を旅する自由と引き換えに、この世界の情報を集める者達。


 それが、冒険者である。


「古代の遺産。冒険者の、旅を保障する道具。その腕輪は、間違いねぇな」


「そんな大したものじゃない。お守りみたいなものです」


 何しろ、旅の途中で野垂れ死にする事がないように、と命の危機に瀕した時にしか発動しない代物なのだ、とユウキは内心苦笑した。


「それと、まあ、首輪ですよ」


 原理はユウキも知らないが、この腕輪の位置情報は定期的に中央へと送られる。一定期間、その信号が途切れれば自動的にこの腕輪はその機能を止め、冒険者の資格は剥奪されてしまうのだ。


「そんな、ユウキさん。あなたは確かに――」


「ええ。でも、冒険者であれば、この腕輪に込められた古の力があれば、見ての通りですよ」


 ユウキの言葉に追随するかのように、ポロポロと彼の背中から打ち込まれた弾丸がこぼれ落ちる。


「バケモノがっ」


「一応、人間ですよ。生かされてるだけです」


 冒険者、と言う存在はそれこそ中央がその意向を知らしめるため、積極的に流布された。


 だが、選抜される者が圧倒的に少ないため、中央以外で生身の存在を見る事はほとんどないといっていい。


 最初はそれこそ化け物を前にあわや恐慌かと言う状態だった野次馬達も冷静さを取り戻し始める。


「さて、と」


 ユウキが左手をさっと振るう。宙に浮いていた弾丸が石ころのように、その動きに合わせて地面へ落下する。


「ライラさん、立てますか?」


「は、はい」


 その場にへたり込んでしまったライラを起こしてそう告げたユウキはそっと彼女に耳打ちをする。


 不思議そうな顔をしながらも、彼女がさっとその場を離れるのを確認して、野次馬に向けて声をかける。


「町長」


「え、あ、ははい」


 ご指名の手招きに、恐る恐ると言った調子で町長は近づいてくる。


 ユウキは彼に腕輪を突きつけた。


「貴方はこの町の代表者だ。当然、冒険者の印はご存知のはずだ」


「それは、そうですね」


 町長はかしこまった様子で返事をする。


 冒険者の旅の自由を保証。その中には、当然宿泊についても定められている。


 冒険者が立ち寄った際、自治体側はこれに対し全面的に協力するよう、中央から指導されているのだ。これは、通常の放浪者や旅商人との決定的な違いでもあった。


「では、これが本物かどうかわかるはずだ」


 ユウキの問いに対し、頷き、町長は腕輪を見聞する。


「間違いなく、本物です」


「結構」


 おおっと、野次馬の一部から感嘆の声が上がる。


 だが、ユウキはこれが嫌いだった。


 冒険者と言う立場は、旅をする上では便利である事は間違いない。


 しかし、それを全面的に押し出すと、これだ。彼の旅の最大の目的は、世界を、ありのままの姿で見る事であり、その為に腕輪の持つ権威は却って邪魔なのだ。


 だからこそ、特別なもてなしなどされぬよう、彼は極力この腕輪をしないようにしていたのだ。


「お墨付きをもらって、それであんたはどうしようってんだ?」


 ゴメスは相変わらず銃を構え、怒りと焦りを滲ませた声でユウキに尋ねる。


 彼も理解しているのだ。ユウキと言う、冒険者と言う、異物の混入により、今町を取り巻く雰囲気が少しずつ傾き始めている事に。


 ユウキはすっと三本の指を立てる。


「冒険者には三つの義務がある。一つ、旅で手に入れた情報や成果は適宜報告する事。一つ、みだりに力を使わぬ事。一つ、政府の秩序維持に必ず協力する事、だ」


「それで?」


「秩序維持への協力。これは当然、政府の定めた法に従う町のあり方についても同様だ。町には町の流儀があるなら、僕はそれをみだりに乱すつもりは無い。あくまでも、放浪者として入った身でもある」


 だったら、と食ってかかりそうになるゴライを、ゴメスが制する。


 彼はやはり商人だな、とユウキは内心ごちる。


「何が言いたい?」


「僕としては痛みわけで引き下がるつもりだったのだけれどね。見ての通り、派手に殺されてしまった」


「テメエ、ふざけんなっ」


 頭に血を上らせるゴライをいさめつつ、ゴメスは先を続けるように促す。


 本当ならこのままゴライに撃たせる手もあるのだろうが、生憎とその弾丸はユウキには決して届かないのだ。


「だから、僕は義務を果たす。保安官、保安官っ」


 ユウキが呼びかける。成り行きを見守っていた人々をかき分けて、バッジをつけた若い男が現われる。ユウキよりは年上だが、彼の想定していた相手の年齢とはかけ離れていた。


「はい、冒険者殿」


「……貴方が保安官?」


「正確には、助手です」


「本人は?」


「休憩中です」


「なるほど」


 彼の頭にあった、ゴルトー一家と繋がっている保安官は、この騒ぎには耳と目を塞いでいるのだろう。


 それだけで、十分だった。


 そこへ、ライラが戻って来た。


「あの、ユウキさん。言われた通りのものを」


「ありがとうございます」


 彼が受け取ったのは、ペンと紙。日記とは別の、政府の名において命ずの一文が記され印が押されただけの紙である。


 冒険者が得る自由の担保の一つがこの用紙だ。政府の意向に逆らわぬものであれば、どんな内容を書く事も許されており、政府の名の下にそれを実行させる事が可能であった。それ故に、彼らが世界を旅する時、ほとんどの社会的障害は取り払われる。


「貴方は、法の遵守を誓ったかな? 秩序の保全、町の住民の保護は?」


「必要な宣誓は全てすませました、保安官殿」


 見た目と同じく、貴真面目さが伝わってくる。ユウキは迷わずペンを走らせる。


「では、今この時をもって、貴方を保安官とする」


 突然の流れ、そして渡された任命の文が書かれた紙を渡され、青年は固まった。


「自分が、こんな、突然、よろしいのですか?」


「この騒ぎに、町に居ながら出てこない者が保安官であるはずがないですからね」


「な、何言ってんだコイツ!?」


 ゴライが顔を引きつらせ、助けを請うかのようにゴメスを見やる。


 だが、ゴメスは喋らず、行方を見守っている。


 彼はよくわかっている。ゴルトー家と言う看板が通用しない相手。その上、政府公認のより大きな看板を背負った相手を前にしているその意味を。


 そしてユウキが、今の言葉に明確に効力を与えら得る存在なのだ、と。


「さて、それでは保安官。そして町長。二人に問おう」


 特に町長、とユウキは釘を刺す。


「貴方は町の人々に選ばれた存在であり、代弁者だ。それを忘れずに答えて欲しい」


「は、はい」


 ユウキはすっとゴライの取り巻きを指差す。


「僕は確かに彼に撃たれた。間違いないね」


「はい、保安官殿」


「だが、それは僕が犬をかばった事にも原因があるし、結果として僕は生きているから、構わない。当事者間が納得して不問とする」


「そ、それはわかり、ました」


「だが、その後僕の体が随分と損傷していたが、これは彼らがやった事。間違いないかな?」


「ありま、せん」


「保安官。そして彼らはその後、無抵抗な女性に向けて何発も発砲した。そうだね」


 ユウキがライラを指し示すと、新任の保安官は静かに頷く。


「はい、冒険者殿」


「その一部始終を、ここに居る人は見た。間違いないかな?」


「あ、う……」


 返事を促され、町長は言葉に詰まる。彼はチラチラと野次馬達とゴメス達を見比べる。


 町の住人達は町長の言葉を待つように、視線を集中させた。


 ゴメス達は憎らしげに町長とユウキを睨みつける。


「町長、あなたは町民の代弁者だ。あなたの責務を果たしてください」


 ユウキは今一度、結論を迫る。


 町長はグッとズボンを握り締め、大粒の汗を顔中に浮かべ、きつく瞼を閉じた。


「間違い、ありません」


 消え入りそうな声で、彼はそう告げる。


 野次馬達の中からは安堵の声が次々に上がった。


「キサマ!」


「ひいっ」


 ゴメスに睨みつけられ、破裂音と共に町長はその場にしりもちをつく。


 彼の眼前にはゴライの撃った弾丸が、先ほどまでと同じく空中に浮かんでいた。


「テメエ、ふざけんじゃねえぞ! 俺達のおかげで、ええっ、テメエもいい目を見てきたんじゃねえか!?」


 何発も、何発もゴライはゴメスの制止も聞かずに銃撃を続ける。


 しかし、そのすべてが、ユウキの腕輪が展開した見えぬ障壁によって防がれてしまった。


「たった今、あなたの罪が増えたな。保安官。彼らは現行犯でいいかな」


「もちろんです。死体損壊、二件の殺人未遂の現行犯です」


「結構」


 ユウキは新たな用紙にペンを走らせると、ゴメス達へ突きつける。


「現行犯であなた達の身柄を拘束する。判事巡回まで保安官事務所内に留置。以上だ」


「抵抗したらどうなる?」


「相応の対応をさせてもらう事になりますね」


「いいだろう」


 ゴメスはゆっくりと銃をおろす。


 これに大慌てでゴライが駆け寄る。


「あ、アニキっ。冒険者だかなんだかしらねえが、やっちまえばいい! 今までだってそうしてきたじゃねえか!」


「だからテメエはダメなんだ」


 掴みかかるゴライの手を払いのけ、ゴメスはユウキへと歩み寄る。


 彼は両腕を広げて見せた。


「あんたが冒険者だって知ってりゃな。俺もこんな無様を晒さずに済んだぜ」


「それはすまなかった。ただ、僕はそういう対応をされるのが苦手なんだ」


 投降の意思を示したのを確認し、ユウキもまた肩の力を抜く。


 そして、書面を保安官へ渡し、その身柄を預かるように告げる。


 瞬間、ゴメスが動く。早撃ちの如く手首のスナップだけでユウキ目掛けて銃口を向ける。


 爆音がとどろき、黒炎が上がる。


「ぐっ、うっ」


 腕を抱えて跪くゴメスを、ユウキは静かに見下ろす。


 ゴメスの右手は、手首から先がなくなっていた。


「ぼ、暴発だってのか?」


 目を白黒させるゴライなど、ユウキは歯牙にもかけない。


「二つ、判断を誤った。一つは、この防衛機能は生憎と自動で発動するんだ。そしてもう一つ、格闘の間合いで発砲を試みた事だ」


 ゴメスの動きに、いち早くユウキは対応。袖口のナイフをそのまま彼の向けた銃口に打ち付けたのだ。


 結果、発砲と同時に銃は暴発。ゴメスの腕を木っ端微塵に吹き飛ばしたのだ。


「く、くそがあっ」


 痛みへの苦悶、そして怒りと憎しみの入り混じった瞳でゴメスはユウキを睨みつける。


 ユウキは、ゴメスに向けて腕輪を突きつけた。


 彼の意思に反応し、腕輪は姿を変える。昆虫の足のように展開した腕輪の機構は、指先へと突き出る。


 腕輪に付けられた石が、赤から深い青へと変化。直後、腕輪から光の線が走り、ゴメスの体を貫いた。


「がああああっ!?」


 雷に打たれたようにゴメスは悲鳴と共に体を痙攣させ、口角に泡を浮かべると、白目を剥いて倒れ伏す。


「て、テメエエエエエッ!」


 激昂したゴライが取り巻き達と共にユウキに向けて銃弾をばら撒く。


 腕輪の先端から強烈な電流が走り、気絶させただけなのだが、それを知る頭も、冷静さも、ゴライは持ち合わせては居なかったのだ。


 弾丸は、そもそもユウキや近くにいた保安官、町長にすら一発たりともかすらず、見えない壁に阻まれる。


 銃から、最後の弾丸が放たれるのを確認し、ユウキは体を低く飛び出した。


 新たに装填する暇は与えない。


 ゴライのみぞおちに肘を叩き込む。


「ぐえっ!」


 カエルのような鳴き声と共に、ゴライは膝をつく。その顔面を容赦なく、ユウキは蹴り飛ばした。


 反動を利用し、倒れ込むゴライを飛び越え、取り巻きたちにも食らい付く。


 ライフル男の得物を引っ掴む。引き剥がそうとする力を利用し、そのまま押しのけ、体勢を崩した所で服を掴み、地面へ背負い投げる。


「が、あっ」


 ろくに受身も取れず、男は空気を吐き出し、悲鳴も上げる間もなく気を失う。


 腕輪が赤くなり、危険を知らせる。飛来した弾丸を受け流し、己が指を切り落とした相手に肉薄。腕と肩を掴むと、引き寄せるようにして膝を胸へ叩き込む。


 肋骨が折れる感覚がはっきりと伝わる。


 血を吐きだす相手をそのまま、振り回し、放り投げる。


 その先には、ユウキを撃った取り巻き最後の一人。


 彼は突然押し寄せた肉の壁に銃撃を躊躇った。


 支えきれず、折り重なって倒れた男へユウキはかかとを振り下ろす。


 確かな手ごたえ。足をどけると、そこには白目を剥き、しまらなくなった顎をだらんとぶら下げて気を失っている男の姿があった。


「保安官、彼らに手錠を」


「え、あ、は、はいっ」


 呆気に取られていたのか、保安官は慌てて行動を開始。ゴメス達の腕にそれぞれ手錠をかけていく。


 野次馬の住人達からは自然と拍手が上がっていく。


「こ、これで、これでよかったんだ」


 俯いてそう呟く町長の声はどこか寂しく、苦悩を感じさせた。


 ユウキは何も言わない。ここから先は、町の問題だ。そうさせた自覚はあるが、それは彼の仕事。彼が目的のために果たさなければならない責務だった。


「ユウキさん、その、ありがとうございます」


「お礼を言われる事じゃありません。結局、僕はこの町の流儀をよそから変えてしまった」


「それは、きっと必要な事だったんです」


「かもしれません。いずれ、それははっきりします」


 町の人達が果たしてこれからどうしていくのか。それはユウキにもわからない。


 彼はライラと共にそのまま小さくも勇敢だった者へ、横たわるハティへと歩み寄る。


 二人の姿に、ハティは弱弱しく頭を挙げ、嬉しそうに鼻を鳴らした。


 ユウキは腕輪に手を沿える。放たれた光が絵となって浮かび上がる。


 走らせる指にそって、次々と絵が流れる。


「それが、古代の技術」


「ええ。銃弾を防ぎ、死者すらも蘇らせる力を持つ道具です」


 目的の表示を選択すると、腕輪から淡い光が放たれ、ハティの体をなぞっていく。


 それに合わせて、ユウキの視界に犬のシルエットが投影された。


「肋骨に、内臓もやられている」


 主人を墓へ運ぶため、ハティはあまり栄養を取っていなかったのだろう。


 そこへ来て、大の大人が蹴り飛ばせば、ダメージは体の器官に直接届いてしまう。


 そして、今目の前に示された情報はたった一つの事実を告げる。


「もう、永くない」


「そんなっ」


 ライラは顔を覆う。


 ユウキは、ハティにそっと呼びかける。


「ハティ。君は賢い。義理堅く、そして勇敢だった」


 ハティは、目を閉じそうになりながらも、顔を挙げ、ユウキの方を見続ける。


「出来るならば、僕は君をここで終わりにしたくは無い。そして、その手段を、僕は持っている」


 ユウキは思わず、ハティの頬に手を当てていた。ハティは安心したのか、顔を擦り付ける。


「だけど、そうなれば、君はここには居られなくなる。僕の相棒として、この腕輪の監視下に入ってもらう事になるからね」


「ユウキさん、お願いします。ハティを、ハティをっ」


 ライラがすがり付いてくるが、首を横に振る。


 それを決めるのは、誰でもない。ハティ自信だ。


 ハティは最後の力を振り絞るように瞼を開け、しっかりとユウキを見ながらワンっと鳴いた。


「そうか」


 嬉しいような、しかしどこか申し訳なくもあり、ユウキは暫くハティの頭を撫でてやり、徐にその手を離す。


 再び腕輪から投影された画を操作し、選択。


 太陽の光にも似た光りがハティへ降り注ぐと、ハティは目を瞑ったまま、唸り出す。


 苦痛を耐える、そんな声だった。


「ゆ、ユウキさんっ。何を、何をしたんですか!?」


「彼の思いに答えただけです」


 ユウキはそれだけ言うと、ハティを見守る。その様子に、何かを言いたげだったライラもぐっと声を飲み込んだ。


 再生は、苦痛を伴う。


 始めて、腕輪をはめた時の事をユウキは思い出した。


 冒険者として、この蘇る肉体を手にするのはこれ以上ないほどに苦痛であった。


 ただの、生身の人間。今まで生きてきた自分の中に、目には見えない何かが、それこそ無機質な石のようなものが入り込み、強引に、彼の中で一つになろうとするのだ。これまでとは全く違う、一種の生まれ変わり。自分の半分が自分でなくなっていくと言うのは、これ以上無いほどに不快感と痛みを伴う行為だった。


 だが、ハティはそれに今、耐えている。


 光がやむ。全てが終わった時、ハティはパチリと目を開けて飛び起きた。


 先ほどまで息も絶え絶えだった様子が嘘のように、力いっぱい尻尾をふり、ユウキへと飛びつく。


「ははっ、いい子だ」


 感謝の念を伝えるようにじゃれるハティをユウキは笑顔で受け入れる。


 その様子を、ライラもまた笑って眺めていた。


 ハティが満足するまでひとしきり好きにさせた所で、ユウキは立ち上がる。


 ハティはその足元に寄り添うようにして立っていた。


「もう行くのですか?」


「ええ。僕はあくまでも余所者です。それに、冒険者とはいえ、やはりこの町の流儀を壊してしまった」


 相変わらず、通りには野次馬が残っている。彼らは新たな保安官によって連行されるゴルトー一家を見物していたが、敵意や苛立ちをユウキの方へと向けている者達も居た。


 彼らはゴルトー一家の見方というわけではないのだろう。ただ、この町を、冒険者と言う立場や町長の決断を受けたにせよ、勝手に変えてしまった。それが気に入らないのだ。


「そんな」


「いいんです。これくらいで丁度いい。冒険者だからと言って、人々が畏まる事の方がよほど不健全ですよ。何より、僕は世界を見る旅の途中ですから」


「わかりました。でも――」


「はい?」


 立ち上がったライラは思うように行かぬ足も構わず、家へと取って返し、一枚の服を携えて戻ってくる。


「せめて、これを」


「これは?」


「そんな血と穴だらけの上着で送り出すのは、私には出来ません。主人の服です」


「大事なものじゃないですか。受け取れませんよ」


 そもそも、旅で怪我や服が壊れるのはそれこそ慣れている。


 ユウキは丁重に断るが、ライラも引き下がらない。


「これは、結局服です。しまっておくより、やはり使ってもらった方がいいと思うので」


「――わかりました。それでは、ありがたく」


 ユウキは服を受け取ると、その場で着替えを始める。


 誰に言われるでもなく、ハティはおすわりをして待つ。ライラがかがみ込み、ハティの頭を撫でながら尋ねる。


「あなたも、行くのよね」


 ハティは肯定の一鳴き。


「そう、今までありがとう。主人のために尽くしてくれて。達者でね」


 ユウキが着替えを終わるのと、ライラが体を起こすのは同時だった。


 ユウキは一礼する。


「色々とありがとうございます。この服は、大切に使わせてもらいます」


「こちらこそ、あなたに会えて、良かったわ」


 深々と頭を下げるライラに、ユウキも今一度帽子を上げて返す。


 そのまま彼女に背を向けて歩き出す。


 馬止めから馬を放すと、背中に飛び乗り手綱を握り締める。


 くるくると回り、ユウキの指示を待つハティに「行こうか」と告げて走り出す。


 一人の冒険者と、一匹の犬は一迅の風となって、町を飛び出していく。


 ある者は冒険者に対する畏敬の念を、またある者は厄介者に対する恨みを、またある者は感謝の念を抱きながら、コントウの町を吹きぬけたつむじ風を見送るのだった。


                                  《了》

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冒険者 長崎ちゃらんぽらん @t0502159

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