キスしないと出られない部屋

 まっしろな四畳半に二人で閉じ込められたときの絶望感はもう忘れてしまった。

 たまたま日直で残っていたわたしと彼女は、気づいたらその部屋にいた。

「キスしないと出られない部屋」とでかでか書かれたその部屋には、ささやかな寝台と、窓のないトイレ、洗面所、中身が一向に減らない冷蔵庫しかなかった。参考書のすき間に同人誌を隠しているわたしといえば、ファーストキスなんて火星着陸くらい夢のまた夢だった。

 一方の、一晩で五十人分のお守りを作り上げ、野球部を地区大会優勝に導いた彼女は、もしかしたら経験済みだったかもしれないけれど、そもそもわたしたちは家の方向すら知らないほど互いに興味がなかった。


 えーなにこれ。どっきり?

 少しの不安と非日常の高揚感で自然と話せた最初三十分はよかった。本当の地獄は、寝たら夢だったりね、と言って次に目を開けてから始まった。一向にとびらは現れず、わたしたちは寝癖のついた姿のまま、示し合わせたように口を開かなかった。

 やがて、重苦しい沈黙を破るように、彼女は冷蔵庫を開けると牛乳パックを直接口につけて傾ける。

「あっ、ごめん」

 想像とちがう豪快な姿にわたしが目をまるくしていると、彼女は照れたように笑った。

「部活でみんなラッパ飲みだから、つい。えっと、飲む?」

 小首をかしげてかわいらしく差し向けられた牛乳パックを、わたしは丁重にお断りする。


 彼女はある時から、その牛乳パックを捨てずに集め始めた。水洗いして干したそれを、壁に沿って積み上げていく。

「牛乳パック集めると、人が上のっても潰れないってなんかで見た」

 そういって十本の立てた空パックの上でピースサインをきめる彼女は、予想通りすぐにバランスを崩してわたしは慌てて手を伸ばす。はじめてにぎった指先は、こんな状況なのにすべすべしててやわらかい。


 いつまでも続くかと思っていたこの生活は、あっけなく終わりを迎えた。キスしたわけでもないのに、ある日、目が覚めたらドアがあった。

 当たり前のように開いたドアから出て行くと、閉じ込められた日の翌朝だった。わたしは親から無断外泊をこってり絞られ、彼女は一晩既読がつかなかったというだけで、次の日クラス中の人から心配されていた。

 彼女とわたしは再びやんわりと隔絶されて、同じ教室の対角線で、それきり卒業まで交わることはなかった。わたしと違う高校に進むことは、うわさで知った。


 卒業式の日、大人数の真ん中で歩く彼女の背中に、声を掛けようか迷ってやめた。やっぱりあのとき、牛乳パックを受け取っとけばよかった。早咲きの桜がひらひら落ちて、指の間をすり抜けていく。

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