06:恋人


「おはよ、琉心るこ!」


「お、おはよう。我玖がくくん」


 いつものように登校した私を、いつもと違う日常が出迎える。

 自分の席についた私を見つけた我玖がくくんが、嬉しそうに歩み寄ってきたのだ。

 普段なら、朝一番に自販機で飲み物を買ってこいなんて言う瀬尾さんたちも、今日は私に近づこうともしない。


「今日さ、数学当たるんだけどノート忘れちゃったんだよね。見せてくんない?」


「うん、いいよ」


「サンキュー!」


 前の席の椅子を引き寄せて向かい合うように座った彼は、差し出したノートの中身を写している。

 今日は黒いウィッグをしているので、俯いていると表情はまるで見えない。

 けれど、そのウィッグの下は間違いなく、あの人気アイドルの冬芽とうがなのだ。


 昨日の帰りに、我玖がくくんはこんな提案をしてきた。


『半月……いや、一週間でいい。俺と恋人になってよ!』


『こ、恋人にって……』


琉心るこはさ、別に俺のこと好きじゃないでしょ?』


『それは……その……』


『いいよ、わかってる。だって俺たちまともに喋ったことないし。だから、この一週間で俺のことを知ってほしいんだ。その上で、無理だって思ったら断ってくれていいから! ……ダメ?』


 そう言って頭を下げた後、ちらりと上目遣いで見てくる。

 この表情に逆らえる女子は、果たしてどれだけ存在するのだろうか?

 こうして私は、我玖がくくんと本当に付き合うことになったのだ。


琉心るこ~、この問題難しすぎんだけど。こんなの授業でやった?」


「やったよ。ああ、でもこれは引っ掛けかな。この数式をこうして……」


「あ、マジだ。解けた! 授業中当てられてもスラスラ解くし、琉心るこって頭いいんだなあ」


 授業中のことまで覚えているのかと少し気恥ずかしいが、彼は本当に私のことを見てくれていたのかと驚く。

 逆に、普段は寡黙かもくで謎の多かった我玖がくくんは、意外と勉強ができないのだということも知った。


(確かに、テレビで観る冬芽とうがも頭脳系っていうより、スポーツ万能で甘え上手ってイメージの方が強いかな)


 彼の所属するSeaSonSシーズンズは、バラエティー番組などにも引っ張りだこだ。

 クイズ系の番組では、正解を出すというよりも珍解答を叩き出すイメージの方が多いかもしれない。


「あ、なんか笑った?」


「えっ、ううん? 気のせいじゃない?」


「……ホントかなあ?」


 長い前髪の下からじっと私を見つめてくる表情に、耐え切れずにノートで視線をさえぎる。

 これまでは気がつかなかったのだが、これだけ至近距離になると、さすがにウィッグで隠れていても顔立ちの良さがわかる。



「そ、そろそろ授業始まる……!」


 そう言うと、渋々諦めた彼は自分の席へと戻っていった。

 私は熱くなっていた顔をノートであおいでいたのだが、ふとこちらに向けられている視線に気がつく。


「ッ……!」


 私の斜め前の席に座っている、瀬尾さんのものだった。

 忌々いまいましいと言わんばかりに、込められた憎しみを隠そうともしない目だ。

 咄嗟とっさに視線を逸らしたものの、私の心臓は先ほどまでとは違った意味でドキドキとしていた。




 昼食は当然のように我玖がくくんと一緒に食べることになる。

 購買のパンを買ってきていた彼は、私の弁当箱を見て目を輝かせていた。


「もしかして、それって琉心るこの手作り!?」


 いつもお弁当は持ってきていたけど、昼休みは人目を避けることが多かった。

 だから、封鎖された屋上ドア前の階段の踊り場や、人気のない校舎裏で食事を済ませていたのだ。

 さすがの彼も、そこまでは見ていなかったのだろう。


「そ、そうだけど……」


「一口……ちょうだい?」


 ああ、またこの上目遣いだ。我玖がくくんはもしかすると、わかっててやっているのだろうか?

 だとしても、この瞳に逆らうことができない。

 私は仕方なく弁当箱を彼の方へ差し出す。

 けれど、我玖がくくんは口先を突き出して拗ねた顔をしていた。


(ど、どうして……? 要求通りにしてるのに……)


 意図がわからず戸惑う私に向かって、彼は大きな口を開けて見せた。

 あ、歯並び綺麗。


「あーん」


「……え?」


「だから、あーん」


 これは、つまり……私が彼に食べさせなければならないということなのだろうか?

 そんなのは絶対に無理だ。ただでさえ恥ずかしいのに、クラス中の視線が私たちの方へ向けられているのだ。

 この状況でそんなバカップルみたいな真似、できるはずがない。

 いや、一応カップルではあるのだけど。


「はーやく。俺のアゴ外れてもいいの?」


「その程度で外れるわけ……」


 外れるわけはない。なのだが、このまま彼が引き下がるとは思えない。

 もうどうにでもなれと思った私は、彼の口になかば投げ込むように、玉子焼きのひとつを放り込んだ。


「ん……! うま……! 俺甘い玉子焼き好きなんだよね」


「そう……良かった」


 なんだか一気に疲労感が増した気がするが、幸せそうな彼の笑顔を見ていると許せてしまう。そう感じるのだから不思議だ。

 そうして今日の放課後もまた、私は我玖がくくんと二人で下校したのだった。

 もちろん、強制的な恋人繋ぎと共に。

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