07:悪意


 我玖がくくんと付き合うことになってから、五日が経った頃。

 今日はどうしても外せない収録があるということで、我玖がくくんは欠席の連絡が入っていた。

 もちろん、連絡先を交換していた私にも、個別に彼は連絡をくれていた。


『貴重な一日なのに、琉心るこに会えないのタイミング悪すぎ!!』


 可愛い子犬が泣いているスタンプが一緒に送られてきて、思わず我玖がくくんの姿を彷彿ほうふつとさせる。

 一週間という期限をもうけた彼にとって、空白となるこの一日は確かにタイミングが悪かったのだろう。


(別に、一日くらい延長したって構わないのに……って、何考えてんの私……!)


 今日の仕事は、彼にとっても予定外のものだったのだ。

 だからこそ恋人の期限を延長しても……と考えたところで、私はハッとする。

 私は別に我玖がくくんのことを恋愛対象として見ていたわけでもないし、告白は罰ゲームの一環いっかんだった。

 だからこそ、私側には恋人期間を延長する理由なんてないはずなのだ。

 そのはずなのだが……。


(私、我玖がくくんのこと……どう思ってるのかな)


 真っ直ぐに好意をぶつけてくれる彼に対して、私は自分自身の感情がわからなくなっていた。

 アイドルの冬芽とうがに、彼のファンと同じく憧れや好意の感情はある。

 けれど、我玖がくくんに対しては、単なるクラスメイトの一人でしかなかったはずなのだ。


 冬芽とうが我玖がくという人間に対する感情が、ごちゃ混ぜになってはいないだろうか?

 アイドルへの憧れを、彼に対する好意と勘違いしているのではないだろうか?


(わかんないよ……恋愛なんて、したことないんだもん)


 私は頭を悩ませながらも、ひとまず既読をつけてしまった連絡に返信することにする。


『しょうがないよ。明日はまた会えるんだし、お仕事頑張って』


 そうして『ファイト!』と書かれた犬のスタンプを送る。

 これは、なんとなく我玖がくくんぽいと思って購入してしまったのは内緒だ。

 少し待っても既読はつかないので、仕事が始まったのだろう。

 私もスマホをしまうと授業を受けるために、準備をすることにした。




 放課後になって、私は帰り支度を済ませると教室を出ようとする。

 ここ数日は、いつも我玖がくくんが一緒だったので、何だか物足りなさすら感じてしまっていた。


(一人で帰るのなんか、当たり前だったのにな)


琉心るこ、帰ろうぜ!』


 そう言って手を握ってくれる我玖がくくんは、嬉しくてたまらないという感情を隠そうともしない。

 信じることができなかったけれど、彼は本当に私のことを好きでいてくれるのだと思えた。


「ちょっと、待ちなさいよ」


 そんな私の思考を現実に引き戻したのは、瀬尾さんの声だった。

 振り返ると、彼女とその取り巻きの女子、そして数名の男子が立っている。

 この何日かは、彼らに何かをされることもなくなっていたので、私はすっかり平和な日常に慣れきってしまっていた。


「な、なんですか……?」


「あのさ、アンタまだ冬芽とうがと付き合ってるとか言うつもり? いい加減現実見なよ」


「えっと……」


「ここんトコは冬芽とうががいたから黙ってたけど、アンタの存在ってハッキリ言って迷惑だよ。冬芽とうがの芸能活動の足引っ張ることになんの、わかってる?」


 向けられる悪意は、容赦がない。

 こんなのには慣れっこだったはずなのに、我玖がくくんの幸せオーラを浴びすぎたせいだろうか?

 逃げ出したいのに、足がすくんで動けなくなってしまう。


「大体さ、アンタみたいなのが冬芽とうがと対等に付き合えるわけないじゃん。なに調子に乗ってんのか知らないけどさ、人間にはどう頑張っても底辺ってのが存在すんの。そんでアンタは、その最底辺なの。自覚ある?」


「わ、私は……」


「アンタが傍にいるだけで、冬芽とうがのイメージまでガタ落ちになんの。冬芽とうがは優しいから自分から言い出せないんだろうけど、恋人ごっこはやめてさっさと別れなよ」


「そうそう。大人しく珠里じゅりの言うこと聞いといた方がいいぜ? 身の程知らずのシラける子ちゃん!」


 そう言った男子生徒の一人が、私に向かってゴミ箱の中身をぶちまけてきた。

 紙クズとほこりにまみれた私を見て、クラスメイト全員が笑っている。

 ああ、どうしてこのクラスはこんなにも悪意の塊なんだろうか?


「ほら、ゴミにはゴミがお似合いだよね。わかったら今すぐ冬芽とうがに別れるって連絡しなよ。連絡先知ってんでしょ?」


「……れ……せん」


「ハ? 聞こえないんだけど。もう一回言ってくれない?」


「わ、別れません!!」


 私の言葉が想定外だったのだろう。

 瀬尾さんたちは目を丸くして顔を見合わせたあと、ようやくその意味を理解して私の胸倉を掴む。


「シラける子ちゃんがなに生意気なこと言ってんだよ!? 別れろっつってんだから別れりゃいいだろうが!」


「嫌です! 確かに、私と我玖がくくんじゃ不釣り合いかもしれないけど……私を選んでくれたのは我玖がくくんなんです!」


 私と付き合ってくれているのは、確かに優しさなのかもしれない。

 それでも私は、一緒に過ごして笑ってくれる彼の笑顔を信じたいと思った。


 我玖がくくんにフラれるならいい。だけど、人に言われて別れるのなんて絶対に嫌だ。


(ああ……私、ちゃんと我玖がくくんのこと、好きになってたんだ)


 たった五日間だけど。

 アイドルの冬芽とうがじゃない。

 斎藤我玖さいとう がくという人のことを知って、私は確かにかれていたんだ。

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