第六話 解かれる幻術


 会場中に響き渡る怒鳴り声。

 はぁはぁと肩で息をする。苦しい。こんな大声を出したのは初めてだった。足が震えだす。けれど一度堰を切った言葉は止まらなかった。



「わたくしにとって辛い婚姻だから認めない? わたくしがいつ辛いと言いましたか! 助けてくれとお願いしたのですか! 勝手に決めて、勝手に納得なさらないで! あの家で疎まれ蔑まれ消えてしまいたいほど辛い時ですら、誰も手を伸ばしてくれなかったではないですか! ……なのに、今更何なのです? 一人で墜ちていくわたくしに、唯一手を伸ばしてくださった方を、光を与えてくださった方を、酷く言うのはやめて……!」



 ぽろぽろと涙があふれて零れていく。

 辛くて、やるせなくて、どうしようもなかった。

 彼女の感情に呼応するように近くにあったグラスが爆ぜ、会場中のあらゆるものが小刻みに震えだす。精霊たちの仕業だ。マリアベルの悲しみを感じ取った彼らが、何から守ればいいのか分からず混乱しているせいだ。


 今までどんな酷い仕打ちをされてきても唇を噛んで耐えてきた。心を殺してきた。マリアベルが激昂する事など今の今まで一度もなかった。何があろうとも決して踏み越えなかった一線。それがたった今、破られた。

 それほどまでにオズワルドへの侮辱は許されないことであった。


 しんと静まり返る会場。誰も動こうとはしない。言葉を発する事が出来ない。

 あのオズワルドですら驚いたように目を瞬かせている。燃えたぎっていた怒りは、マリアベルの叫びがすべてかき消した。彼女の怒りはオズワルドを大切に思っているからこそ。妻からのこれ以上ない愛情を受けて、怒りよりも嬉しさが勝ったらしい。

 オズワルドは彼女を真っ直ぐ見つめて両手を広げた。



「……マリアベル、おいで」



 無言でこくりと頷いたマリアベルは、駆け寄って彼の腕に飛び込んだ。



「君は、今ここで僕がしわしわの爺さんになっても好きだと言ってくれるかい?」


「勿論です。貴方がどのようなお姿であっても、爪の先、骨の一本に至るまで、それがオズワルド様であるのならば、すべてが愛おしいです」


「ふふ、僕も同じだ」



 未だ瞳から零れ落ちる雫を指で拭い目尻にキスを落とすオズワルド。このような場所で、と抗議のこもった視線で制止するも、彼は止まってくれそうになかった。周囲の視線など全く気にせずマリアベルの髪をすくい、耳が溶けそうな甘い声で「可愛いな」と微笑む。

 マリアベルの中から怒りの感情が消え去ったおかげで精霊たちの混乱も収まった。今はただ、本来の役目通り二人の仲睦まじい様子を見せつけられる会場と化している。


 もはや疑いようもない。

 オズワルドが無理やり彼女を妻にしたわけでも、マリアベルにとって不幸な結婚でもない。エインズはぽかんと二人を見つめているマーガレットの肩を叩いて「どう見ても相思相愛だね。謝った方がいい」と耳元で囁いた。

 マーガレットは「ああ」と頷いたものの、どう近づけばいいのか分からず足が止まる。幻覚で花畑が見えそうだ。魔法で桜吹雪でも舞わせた方が良いのだろうかと真剣に考えるレベルである。



「僕の妻を泣かせたこと、本来ならば許せぬほど腹立たしいが……まぁ、紛らわしい行為をしてしまった僕にもほんの少しは非がある、か」


「オズワルド様?」



 オズワルドは面倒くさそうに頭を掻くと困惑しているマーガレット、そしてエインズの方へと視線を移動させた。



「確かに彼女との婚約を取り付ける時、少々強引な手を使ったのは事実。惑わせた詫び、というわけではありませんが、誤解は解いておきましょう」


「ま、まさか幻術を解かれるおつもりですか!」


「かまいやしないよ。僕は国一番の愛妻家になるつもりだからね。君がいるのに、誰が僕に声をかける。もう役目は果たした。今更バラしたところでデメリットは何もないさ。それに今後、この容姿のせいでマリアベルに相応しいのは俺だ、という勘違いが出てきても不愉快だしな!」



 マリアベルの手に握られたままになっていた魔計発光石を受け取り、彼女の手を引いてマーガレットたちのもとへと近づく。そして淡い光が遠くにいる者にも見えやすいよう手を挙げた。



「ほうら、貴重なものゆえよく見ておくといい。これは魔計発光石。魔力を感じ取って光る石だ。これの光が消えた時、すべての魔法は解かれたこととなる。でしょう? 殿下」


「あ、ああ、そうだが。どういう意味だ? 先程の言葉、まるで自身に幻術をかけているような言い回しだったじゃないか」


「はは。誤解を解く、といったでしょう?」



 オズワルドは魔計発光石をピンと指で弾いて宙に飛ばした。

 それは空中でゆっくりと光を失っていき、遂にはどこにでもある鈍色の石ころへと変わって落下していく。その石をすらりと長い綺麗な指先がキャッチした。



「え?」



 ざわり、と会場がどよめきに包まれる。

 鴉の濡れ羽のように艶のある黒髪。インディゴ色をした切れ長の瞳。つい先程まで腰の曲がった老君がいた場所に、月光の如く涼やかな美貌の青年が立っていた。彼は光を失った魔計発光石をエインズに投げて返すと、マリアベルの頭頂部に唇を寄せた。

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