第五話 怒りのオズワルド
「マリアベル、本当に申し訳なく思うのだが、一応殿下の御前だ」
「……ええ」
先ほどのように個人的な用事でお会いするならまだしも、ここは公の場。ベール越しは失礼にあたる。――などとは建前だろう。
見るも無残なおぞましい火傷の痕がそのまま残っていたら、顔を晒す事こそが無礼に当たる。実の親にすら仮面で顔を隠せと言われていた事実を知らぬはずはない。
そこから導き出される答えは一つだ。
理由は皆目見当がつかないけれど、マーガレットとエインズは多くの視線が集まる中でマリアベルに顔を晒してほしいと願っている。
生憎と見世物になるつもりはない――が、これはオズワルドの功績を世の人々に知らしめるまたとない機会だ。特にマーガレットの家は医療や薬事方面に強いパイプがある。使わない手はない。
大丈夫。これもオズワルドのため。そう思えば怖さは感じなかった。
心配そうにマリアベルを見つめるオズワルドに微笑みを残し、真意を悟られぬよう努めて平静を装いながらベールに手をかける。
「そうだ、皆に本日の主役をご紹介しよう! あの老君が神とも悪魔とも称される新域魔道具の祖、オズワルド・エルズワース。そしてこちらがその妻、マリアベ……ル……」
ゆっくりとベールを脱ぎ、瞼を開く。
幼少期から政治の道具になるべく躾けられてきた。昔取った杵柄とでも言うべきか。指先から視線の動きまで、どうすれば人の目に一番美しく写るのか、身体に深く染みついている。恐れの消えたマリアベルにとって、会場中の視線を掌握する事など肩に止まった蝿を払うよりも容易かった。
「このような素晴らしい席を設けてくださり、感謝の念が堪えませんわ」
氷のように冷たく、感情の籠っていない声だった。しかし誰一人気にするそぶりはない。彼女の感情などどうだっていいのだ。それは美術品を眺めるに等しい。誰も彼もがマリアベルの一挙一動から目が離せないでいる。
エインズすら先程の勢いはどこへやら、言葉も発せずにほうと見惚れていた。馬鹿馬鹿しい。皮一枚の差でここまで態度が変わるのか。この場でマリアベルに目を奪われず眉間に皺を寄せている人物などオズワルドくらいのものである。
妻を心配するが故つい顔が険しくなっているのだろうが、あれでは怒っているのだと勘違いされてしまう。そういうところも大好きなのだけれど。マリアベルは自然体でくすりと笑みを漏らした。
「――ッ、殿下」
「え? あ、ああ、すまないマーガレット、えと、……あ!」
マーガレットの肘で小突かれたエインズは、懐から何かを取り出そうとして落っことしてしまう。ころころと足元に転がってきた宝石のようなそれを、マリアベルは優雅な仕草で拾い、手の平に乗せる。
「殿下、落し物ですわ……あら? これは――」
魔計発光石。
青みがかった光を放つそれは、この場で魔法が使われている証拠。おそらくオズワルドの幻術に反応しているのだろう。だが、こんなものを持ち出してエインズとマーガレットは何を考えているのか。
とりあえずこれは殿下の所有物。返さなければと差し出した手ごとマーガレットに握りこまれた。
「マリアベル、私の後ろに隠れてくれ!」
「な、なに? なんなのです? きゃ!」
強く腕を引かれマーガレットの背後に移動させられる。彼女の隣にはエインズが並び、二人は目の前の男を――オズワルド・エルズワースを鋭い目つきで見据えていた。
理解が追い付いていないマリアベルは、ただぽかんと状況を眺めることしか出来ない。そんな彼女とは対照的にオズワルドの様子は終始落ち着いていた。むしろ落ち着き過ぎていた。海底のような深い青を湛える瞳は驚くほど冷え切っている。アーロンがこの場にいたら王太子殿下とその婚約者であろうと頭を掴んで「今すぐ謝った方がよろしいかと!」と必死で説得しているはずだ。
しかし残念ながらこの場にアーロンはおらず、オズワルドの怒りはしんしんと降り積もっていく。
「オズワルド・エルズワース。これは一体どういうことだ」
「どう、とは?」
怒りの籠ったマーガレットの言葉に淡々とした声色で返すオズワルド。
「マリアベルと一切接触のなかった貴殿が、彼女が婚約破棄されるなり数日と立たずに妻として領地に連れ去ったと聞いている。ご丁寧にルードリヒ伯爵家との関係をすべて断ち切ってな。――それほどまでに若い妻が欲しかったのか?」
「な、何を言っているのです!? オズワルド様がそのような浅はかな理由で妻を選ぶなどあり得ません!」
思わずマーガレットの腕を掴むが「まぁまぁ」とエインズに諭され引き離された。
あのオズワルド・エルズワースがただ若い女の身体欲しさに傷物のマリアベルを娶ったと、彼らはそう言っているのか。何を勘違いしたらそのような結論に辿り着くのだろう。あり得ない。許せない。怒りで目の前が真っ赤に染まりそうだ。「あの醜さではね」と嘲笑うかのようなエインズの言葉に、王太子だという事も忘れて思い切り睨みつける。
「おっと、怖い怖い。折角の美貌が台無しだぞ、マリアベル」
「……君はあの男に騙されているんだ」
マーガレットが言った。
「自らの容姿に自信がなくとも傷心の女ならば簡単に手に入ると考え、婚約破棄後を狙って上手く口車に乗せ妻にした。さぞや笑いが止まらなかっただろう。マリアベルは火傷さえなければ今生の美を詰め込んだとされる美貌の持ち主だ。新域魔導具の祖であり魔導師としても優秀な貴殿ならば、傷を隠す幻術などお手のものだものな?」
「違います! これは、これはちゃんと、わたくしの……!」
「ならば魔計発光石の輝きはどう説明する? この場で魔術が使われている証拠だ」
「そ、れは……」
彼らは勘違いしているのだ。
この会場で使われている魔術はマリアベルの火傷を誤魔化すためのものではなく、オズワルドを腰の曲がった老人に見せかける幻術である。マリアベルに負けず劣らず美しい容姿のオズワルドが、蛾のように見てくれに引き寄せられてくる人間を振り落すためのもの。暴かれるのは好ましくない。
だからと言って、彼がそんな浅はかな理由でマリアベルを妻に娶ったと思われるのも嫌だ。オズワルドはそんな人ではない。
優しくて、温かくて、不器用ながらも仮初の妻にすら心を割いてくれる。俗物などとは一線を画したお方。凡夫の価値観に当てはめる事すら無礼である。もっともっと高尚で、皆から尊敬の念を集めて然るべき人なのに。
マリアベルは何も言えず、ぎゅっと拳を握りしめた。
「顔は幻術を使えばどうとでもなる。傷物の貴族令嬢の方が刃向わず便利だとでも思ったか? 悪いがこの婚姻を認めるわけにはいかない。既に手はまわしてある。どのような手法を用いたとしても、王が書類を受理することはないよ。諦めてくれ」
「……なんだと?」
「これ以上、マリアベルを辛い目に遭わせたくはないのだ」
マリアベルとの結婚を認めない――暗に君たちはまだ夫婦ではないし今後なることもないと告げられ、オズワルドの額に青筋が浮かぶ。マリアベルと出会って怒りの許容量が五倍ほどに増えた彼であってももはや破裂寸前。後一言でも誰かが声を発すればこの場のすべてが吹き飛んでいただろう。それほどまでに降り積もった怒りの量は膨大だった。
しかし、次に声を上げたのは他でもない。
マリアベル。彼女だった。
「いい加減になさって!!」
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