第四話 マーガレット


 こちらへと案内された扉の前で足を止める。

 オズワルドが気遣わしげな視線を投げてきたので、問題ないと微笑んだ。

 ピアノが奏でる落ち着いた音楽と喧騒とが混じり合って隙間から漏れ出ている。廊下からでも中の様子が手に取るように想像できて、少しだけ足がすくんでしまった。

 しかし逃げるわけにはいかない。

「行くぞ」とオズワルドの細くて美しい、されど力強い指に押されてそれはゆっくりと開いた。



「まぁ……」



 王宮内では小さ目の会場だろうが、調度品は目を見張るものばかり。参加者も厳選された名のある家の子息子女で固められている。

 長い間表舞台から遠ざかっていたマリアベルですら、彼らの服装や装飾品などからどういった階級の人間かすぐに理解できるほどだった。

 殿下主導のもと開催されただけあって、まさに豪華絢爛といった装いだ。


 ――どうしてわざわざこのような……。


 マリアベルとオズワルドはこの見てくれだけはキラキラと美しく着飾った部屋と参加者たちを見てため息をついた。二人の婚姻を祝っての席ならば、主役となるべき人物の好みなどを取り入れるべきだろうに。



「最ッッッッ悪だな。趣味が悪すぎる。なんだあの馬鹿でかいシャンデリアは。機能性ゼロだな。落ちたら大惨事だぞ。……いや、いっそ落とせばすぐに帰れるか?」


「オズワルド様」


「分かっている。冗談だよ。……はぁ」


「やはりわたくし一人で参りますわ。オズワルド様は部屋でゆっくりお休みになってくださいませ。何かこのパーティーへ参加しなければならない理由がおありなら、わたくしがその役目を果たします」


「……嫌だ。僕が参加するのは君の傍を離れたくないからだ。あと逃げるのは癪だ」



 オズワルドはマリアベルの手を握って自分の方へと引き寄せ、ずんずんと部屋の中心へ進んでいく。すると後ろから「マリアベル」と呼ばれた。

 凛と透き通った芯のある声。

 まさか――と、慌てて振り返る。


 絹のような金の髪を後ろで一つに結わえ、真っ赤なドレスを纏った女性がこちらを向いて立っていた。深い藍色の瞳。まっすぐ伸びた背筋が信念の強さを思わせる。綺麗な人だ。

 見覚えはないが、どこか懐かしい面影があった。



「……マーガ、レット?」


「ああ、そうだ。久しいな。覚えていてくれたようで嬉しいよ。……もう、会ってもらえないかと思っていたから」



 マリアベルは「避けていわけでは……」と小さく首を振った。

 エインズの言葉からマーガレットが会場にくる事は分かっていた。心積もりはしていた。だというのに情けないほど動揺してしまう。


 吹けば散ってしまいそうな儚げな美貌のマリアベルとは違い、太陽のもとでしっかりと根を張り空を向く華々しい美しさ。誰もが振り返らずにはいられない自信に満ち溢れたその姿があまりに眩しくて、マリアベルはそっと視線を逸らした。


 ――昔からそうだった。彼女の言葉には妙な力強さと説得力があった。きっと、オズワルド様も……。


 美しく成長した彼女を見て確信に変わる。

 きっと、彼女がオズワルドの言っていた恩人の女性だ。マリアベルは振り返ってオズワルドの様子を伺う。しかし彼は「旧友かい? 邪魔ならば席を外すが」と穏やかに言ってのけた。


 ――あ、あら? 普段通り……いえ、それ以上に落ち着いていらっしゃるような。


 想像していた反応と違うので、マリアベルは不思議そうに首をかしげた。



「どうした? 知り合いなのだろう?」


「え、ええ、……あの、彼女がランズリン侯爵家のマーガレット。エインズ王太子殿下の婚約者、ですわ」



 オズワルドは彼の人とまともに顔を合わせたことはない、と言っていた。マーガレットを見ても本人だと気付いていない可能性がある。ならばエインズ王太子殿下の婚約者という単語を出せばさすがのオズワルドも――と彼の顔色を伺うが、なぜか興味なさ気に「へぇ、彼女が殿下の」と目を細めただけだった。

 おかしい。どういうことだろう。

 困ったように視線をうろつかせるマリアベル。それをどう解釈したのか。オズワルドは「ああ。すまない」と安心させるような笑みを浮かべた。



「ご挨拶が遅れて申し訳ございません、マーガレット様。私はオズワルド・エルズワース。彼女の夫です」


「さすがに新域魔導具の祖を知らぬほど無学ではない。お噂はかねがね。お会いできて光栄だ、オズワルド殿。マリアベルとは旧知でね。積もる話もある。お借りしても?」


「蝶よりも花よりも丁寧に扱っていただけるのなら構いませんよ」


「――ハ、それは勿論」



 棘を含んだような声色だった。

 マーガレットはマリアベルの手を取って、オズワルドから数歩距離をとる。彼女の様子から警戒の様子が見て取れた。神とも悪魔とも称されるオズワルド・エルズワース。更に幻術のせいで腰のまがった初老の男性に見えているのが理由だろうか。



「あの、マーガレット」


「君の件を聞いてから何度も手紙を送ったのだが、とうとう返事はもらえずじまいだった。ようやく会えて嬉しいよ、マリアベル」


「手紙?」



 君の件とはマリアベルが妹に顔を焼かれた事件だろう。

 その後、表舞台から姿を消したためマーガレットとは疎遠になった。手紙が来ていたなんて話は初耳だ。マーガレットは公爵家。下手に現状を知られては不味いと父や母が握りつぶしていたのかもしれない。


 ――生家での生活は、それはもう酷いものだったもの。マーガレットに知られたら自分たちの立場が危うくなると思ったのでしょうね。



「……ごめんなさい」


「いや、いいんだ。仕方のない事だ。君の後釜に座る形で殿下の婚約者に据えられた。私のことが嫌になっても仕方がないだろう。それどころか君は――」



 マーガレットはぱっと顔を上げ、険しい表情でオズワルドを見つめた。



「社交場には一切出てこないと分かっていたから、強引な手を使ってしまった。すまないと思っている。でも、今一度君に合いたかったんだ。許してほしい」


「違うのです、マーガレット。手紙はきっとお父様やお母様に止められていたんだわ。本当にごめんなさい。折角出していただけたのに受け取れなくて。でも誤解なさらないで。わたくしが貴女を恨むなどありえません。火傷の件は貴女には関係のない事だもの。それに今は――」



 マリアベルはベールの上から自分の頬に触れた。

 今は、オズワルドと皆がいる。傷もほとんど目立たないまでになった。あのまま政治の道具としてエインズ殿下に嫁ぐより、何倍も温かで幸せな生活を送っている。

 火傷がきっかけで今の生活が手に入ったのであれば、恨み言など吐く必要もない。もういいのだ。何もかも。

 しかしマーガレットは納得がいっていないように顔を顰めた。



「マリア――」


「やあ、マリアベル。参加を決意してもらって嬉しいよ。楽しんでいるかい?」



 マーガレットの声を遮って、柔らかな声が割り込んできた。

 エインズ殿下だ。

 彼の視線から想像するに、マリアベルの様子が気になってというよりかは婚約者であるマーガレットの行動が気になって、という風に見える。

 マリアベルはスカートを持ち上げ小さく頭を下げた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る