第九話 魔弾と光の花



 オズワルドとアーロンが二階のバルコニーへ向かった後、マリアベルはエレマンに付き添われて書斎へと避難した。この部屋はカーペットの下にオズワルド作の魔法陣が敷かれており、屋敷内でも特に安全な場所であった。



「マリアベル様、主の仰せですのでこちらに」


「……はい」



 ソファに腰掛け、所在なさ気に視線をうろつかせる。魔力のない自分では足手まといにしかならず、二人の勝利を祈ってただ待つことしか許されない。分かっていても、役立たずな己が嘆かわしい。



「愛されておりますね」


「え?」


「あなたには主や我々がついております。このような場所でなくとも、傷一つつけられやしません。それでもここにいろとは……ほっほ。坊ちゃまは本当にマリアベル様のことが大切のようですね」


「――ッ、エレマン様!」



 ばっと立ち上がり、エレマンの手を握りしめる。

 迂闊だった。こんな簡単なことにも気付かなかっただなんて。

 マリアベルは彼に一言お礼を述べてから、慌ててドアを開けて部屋を出る。



「お待ちください、マリアベル様。どちらへ?」


「オズワルド様たちの下へ。こんなわたくしでも、盾くらいにはなりましょう!」


「え!? い、いえ、私はそういった意味でお伝えしたのではなく、坊ちゃまはとてもあなた様を――」


「エレマン様、急ぎましょう! 外が!」



 既に外は濃紺色のベールに包まれている。にもかかわらず、まるで雷が落ちたのかのような激しい光が断続的にチカ、チカ、と空を明るくしていた。少し遅れて鼓膜を震わすような爆音が屋敷全体を震わせる。マリアベルは窓から外を見上げた。

 すでに攻撃が始まっている。急がなくては。

 階段を駆け上がり、一直線にバルコニーを目指す。



「オズワルド様!」


「……マリアベル?」



 空中に大量の魔法陣を展開させ、次々と襲いくる魔弾に魔法をぶつけて相殺していくオズワルド。魔弾自体は特別大きいものではない。それを的確に捕らえて命中させるその技量、さすが魔導師としても一級品である。


 逆にアーロンは破魔弓を使いそれらを撃ち落としていた。破魔弓とは魔法で造った矢を打ち出す魔導具のことである。魔法とは違って一切の計算は不要。弓の角度、引く強さ、打ち出し方――己が技量のみですべて命中させている。さすがは武の名門エルズワース家の現当主。その力強い体躯は伊達ではない。


 マリアベルは手すりまで駆け寄ると、くるりと振り返ってオズワルドを見た。



「マリアベル、避難していてくれと言ったはずだ!」


「勝手な事をして申し訳ございません。しかし、わたくしならばいざという時の盾になりましょう。どうか、わたくしをお使いください、オズワルド様!」


「……盾? 君は何を――いや、そうか」



 オズワルドの瞳が好奇に揺らめいた。



「なるほど。それはたしかに面白そうな案だ。うん、いいだろう。作戦変更だ!」



 展開していた魔法陣をすべてひっこめ、マリアベルの手を取る。

 まさかすべてを任せられるとは思っていなかったため驚くが、オズワルドに求められて断る言葉など持ち合わせていない。実験体の役目はしっかりと果たさねば。

 マリアベルはこくりと頷いた。



「ちょ、おい、兄様!?」


「アーロン。お前も弓をしまって僕の後ろにいろ」


「何言ってるんだ! 本当に奥方殿を盾にするつもりか!? さすがに見損なったぞ!」


「少しくらい頭を使え。と言ってもお前には説明していないので仕方がないか。後ろで見ていろ。僕のマリアベルは凄いぞ」


「ぼ、僕のマリアベル……?」



 チカ、と山の奥が光る。

 マリアベルは空を見上げた。そんな彼女に覆いかぶさるかのように背後に立って抱きしめるオズワルド。じんわりと温かい体温が伝わってくる。「寒くないか?」と問われたので微笑みで返した。そういえばランプを持ってくるのを忘れていた。ゲシュニット領の冬は寒い。夜になると更にだ。

 しかし――。



「オズワルド様の傍はとても暖かく、まるで春のようですわ」


「ならば、いつでも引っ付きに来ていいんだぞ? なんてな。……防壁は張った。一撃二撃程度ならば軽く防げる。なにがあっても大丈夫だ。ずっと僕が傍にいる」


「……はい、オズワルド様」



 チカ、チカ、チカ、と流星のように迫ってくる光。あれがすべて魔弾だというのなら、一体どれほどの魔導師が毎日毎日弾に魔力を込め続けたのだろう。ごめんなさい、とマリアベルは心の中で謝った。今から彼らの十数年をまとめて無に帰すかもしれない。


 ――けれど、ここを狙ったのが悪いのです 。すべてはオズワルド様のため。彼を害する者がいるのなら、どんな手を使ってでも排除いたしましょう。それがたとえ神の力であっても。使えるものなら、なんだって。


 特別事象『神の寵愛』。

 それは主神アルマニアが愛し子を守るためのシステム。全ての精霊は愛し子の味方となり、誰もその者を傷つけられない、惑わせない、一切の魔法を跳ね除ける。ならば、魔弾にはどう作用するのか。

 近づいてくる光の線。マリアベルはきゅっと目をつぶった。



「ふはは! そうくるか!」



 オズワルドの楽しそうな声に恐る恐る目を開ける。すると一直線に屋敷へ向かっていた光が、今はなぜか天に向かって登っていた。これは、なるほど。なかなかに壮観だ。オズワルドが楽しそうなのも納得である。



「お、おい! 兄様!! まがっ、曲がったぞ!? 垂直に! 曲がった!!」


「うるさいぞアーロン」


「いやだって魔弾が垂直に曲がったんだぞ!?」



 上機嫌なオズワルドに対し、空を指差しながらくるくるとせわしなくその場を動き回るアーロン。彼が「兄様! 説明を!」とひときわ大きな声で叫んだ瞬間、ドン、と腹の底を震わすような轟音が響き、空にぱっと光の花が咲いた。

 続いてパラパラパラと火花が散っていく音。

 まるで花火だ。なんて美しい。


 ドン、ドン、ドンと連続で花を咲かせていく魔弾だったもの。真冬の夜空に花火だなんて、なかなか洒落ていてうっとりと眺めてしまう。



「ふふ、素敵」


「ほう、術式を書き換えるなんて半端なことはせず、直接精霊に命令を下して魔弾から花火に変えたみたいだな。ははは、実に美しいじゃないか! 絶景かな絶景かな!」



 素直に花火を楽しみだした二人と、これまた嬉しそうにぱちぱちと手を叩くエレマン。一人取り残されたアーロンは壁に背を預け、ずるずるとへたりこんだ。



「なんで誰も驚かないんだ? 発動した魔導師でも一度手から離れた魔法を書き換えるなんて不可能だぞ? それに、力を貸している途中の精霊に直接命令? 出来るわけがない。そんなの、主神アルマニアでもない……か、ぎり……」



 濃紺色の夜空にふわりとオーロラのようなベールが掛かり、人の姿を形作る。それは男性のようであり、女性のようでもあった。ともすれば目の錯覚だと気にも留めないほどうっすらとした気配。

 もしや――そう思う間もなくそれは柔らかな笑みを残して空気に溶けて消えていった。



「……兄様、今の、まさか……アル――」


「マリアベルは神の寵愛を受けている。彼女を傷つけられる魔法など存在しない。ははは! 今頃レーベンの奴らは神の怒りに触れているだろうさ! いい気味だ!」



 オズワルドはマリアベルの身体を力いっぱい抱きしめると、髪をすくって唇を落としていく。



「あ、あの、オズワルド様、このような場所では……その……」


「アーロンの事は石像とでも思っておけばいい。君のおかげでこの家は守られた。ここに手を出すという事は神の怒りを買うという事。奴らはそう認識したはずだ。二度と手を出してはこないだろう。引越しの話はなしだ! ここ以上に安全な場所はない! すべて君のおかげだマリアベル!」



 顔を真っ赤にして恥ずかしそうに身体を捻るマリアベルに、オズワルドは髪、額、果ては瞼にまで唇を押し当てる。キスの雨とはよくいったもの。蕩けるような瞳でマリアベル、マリアベルと愛おしさを隠そうともしない彼の様子に、マリアベルの方が照れてしまう。

 甘えられるのには慣れたつもりだが、さすがにこれは許容量を超えている。



「どうした、耳まで真っ赤だぞ。ふふ、やはりマリアベルは可愛いな」


「オ、オズワルド様、そのようなお戯れはそろそろ……」


「戯れじゃない。本気だ。本気ならばかまわないだろう?」



 夜空を写し取ったかのような瞳に、光の花が咲いた。

 ただでさえ夜空はオズワルドを際立だせるというのに、花火によって浮かび上がる彼の姿は見惚れるほど美しかった。彼に触れられるのは好きだ。温かくて優しい気持ちになる。だから、触れたいと言ってくれるのならばこれほど嬉しいことはない。

 マリアベルは俯き加減に「はい」と小さく頷いた。





「エ、エレマン、俺の頬を抓ってくれないか……?」


「承知いたしました」


「いだっ! 痛い! すごく痛い!! ってことは……俺の目の前にいるあのでろっでろに蕩けた顔してる兄様は夢じゃない……? 嘘だろ。あの兄様が?」



 アーロンはしばらくぽかんと二人の様子を見ていたが、ややあって、アハハハと愉快そうに笑いだした。

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