第八話 似ていない兄弟
「マリアベル、僕の後ろに」
玄関ホールに入るなり、オズワルドはマリアベルを下がらせた。何かサプライズでも考えているのだろうか。言われた通り彼の後ろに控えつつ顔色をうかがう。
しかし、その表情を覗き見るなり全身に緊張が走った。眉を吊り上げ、敵でも見据えるかのような苛烈さだ。扉の奥にいるのは彼の弟アーロンのはず。一体どうしたのだろう。
もう一度、扉の奥でゴーンゴーンと鐘がなった。
「オズワルド様」
「ああわかっている。だが……失敗した。僕の落ち度だ。まったく、何から何までタイミングが最悪だ。どうしてこう魔力を持ってかれた日に限って」
憎々しげにつぶやくオズワルド。彼は疲れたようにため息を吐いた。
精霊にとって必要不可欠なものが魔力。
野良の精霊たちは空気中を漂う魔力の粒子を取り込んだり、時折遭遇する魔導師から力を与える代償として吸い取ったりしている。対して契約者のいる精霊は安定的に術者から魔力を供給されるため、常に万全の状態を維持できる利点があった。
野良の精霊がフリーランスならば、契約者付きの精霊は正社員といったところか。
しかし、潤沢な魔力を持つ者は一部の天才に限られる。大精霊と契約するとなれば更に極少。百年に一人現れるかどうかの確率だ。
ヴィントとエレマン――規格外の二人を己の魔力のみで養っているオズワルドの魔力総量は異常と言わざるを得ない。ただし契約外の仕事を頼んだ場合、更に追加で魔力が必要となるため、いくら天才オズワルド・エルズワースであっても少々身体に負荷がかかってしまうのだ。
オズワルドの契約内容は、その力が自らと家族、領民たちのために揮われることだと聞いた事がある。ダミアンを麓まで送り届けるという内容は完全に契約外だ。
今のオズワルドは想定外の魔力供給のせいで疲労がたまっている状態なのだろう。面倒な仕事を片付けてきた後だから、というのもある。
ゆえに――、いくら彼でもそれを視界に捕らえるまで気付けなかったのだ。
オズワルドは扉に手をかけ、ぐいと開け放った。
「……アーロン」
「おお、久しぶりだな兄様! 元気にしていたか!」
カラッと乾いた陽気な声が、玄関ホールに響き渡った。
筋骨隆々な一九〇センチ超の大男。紺の瞳。肩まである真っ赤な髪を三つ編みにし、後ろで縛った特異な髪形。なにもかもが派手で目を引くこの男性がアーロン――で、合っているのだろうか。
まるで太陽をそのまま擬人化したかのような陽の雰囲気に気圧される。
マリアベルは目をパチパチと瞬かせた。オズワルド自身がそう呼んでいたのだから間違いはないはずだけれど、それでもあまりに雰囲気が真逆なので驚いてしまう。
月光の如く静やかな美貌を持つオズワルドの弟だとは、にわかに信じられなかった。
「兄様兄様、少し横にずれてくれ。奥方殿が見えん」
「し、失礼いたしました。わたくし――」
とりあえずご挨拶をしなければ。
彼の前に顔を出そうとした瞬間、オズワルドの腕が伸びてきて制止される。
「挨拶の場はあとでちゃんと設けるから安心してくれ。今はそれよりも――」
オズワルドはつかつかとアーロンに歩み寄ると、彼を睨みつけた。
「なんだなんだ。祝いの酒を持ってきた可愛い弟にちょっと辛辣すぎやしないか? 俺だって奥方殿にご挨拶くらいしたいぞ。それとも遅れたこと怒っているのか? 仕方ないだろう。最近境界がザワついていて常に前線に立っていたんだ。そもそも兄様の報告が遅いから――」
「馬鹿かお前は! これだから脳筋どもは! こんな臭いもの付けられていて気付かんとはな!」
「え!? 臭い!?」
慌てて服を掴んで匂いを嗅ぐアーロンだったが、そういうことではないらしい。オズワルドはやれやれと言いたげに頭を振り「爺」と小さくエレマンを呼んだ。瞬間、まるで蜃気楼のように空気が滲みエレマンが浮き出てくる。
ヴィントは風のように舞って出現するが、エレマンはとても静かだ。
「マリアベル様、坊ちゃまが避難してくれとの仰せです」
「避難? なにかあったのですか?」
「ええ、まあ」
エレマンはアーロンを視界に捕らえると「少々ややこしい事態になっておりますね」と言ってマリアベルの肩を優しく掴んだ。
「爺、マリアベルを避難させた後はお前もこい。アーロンはとりあえずバルコニーへ出ろ。迎え撃つしかないぞ!」
「迎え撃つだって? 兄様、悪いが説明をくれ」
「まだ気づかないのか? 巧妙に隠されているが、追跡の魔法陣が植えつけられている。お前、戦場で僕の家に行くだとか話したんじゃないのか?」
「……あ、ああ! した!」
アーロンは「まじかぁぁああ……」とひきつった悲鳴を上げながら、猫のように身体を丸くした。見上げるほどの巨漢が身体を縮こませている姿はなんだか可愛らしい。しかし追跡魔法とは穏やかではない内容だ。
エルズワース家は辺境伯。隣国レーベンとの小競り合いは日常茶飯事である。
彼らにとってオズワルドの存在は目の上のたんこぶどころか眼前の魔王レベルで排除したい存在のはず。うっかりアーロンが戦場で「兄様の祝いに行く!」などと口走ったとすれば、彼を追跡してオズワルドの住居を特定し、攻撃を仕掛けてきてもおかしくはない。
ここまで魔法が届くのならば、の話だが。
「隣国からとなると魔弾以外考えらない。まったく厄介な」
オズワルドはトントンと額を指で叩いた。
魔弾とは光弾の魔石を使った遠方攻撃魔法である。強力ではあるが、一つ弾を作るのに魔導師が数年がかりで魔力を注ぎ込まなければならない代物だ。
込める魔力量によって飛距離が延び、稀に隣国を爆撃する際に使用されるらしい。ただ前述のとおりコストに見合っていないため、よほどのことでもない限り戦術としては用いられない。
レーベンからここまでとなると十数年規模だろう。これが計画通りならば、どれほど昔からオズワルドを最大の脅威として認識していたのか。
マリアベルはようやく現状を理解した。
魔弾の威力は絶大で、一つでも当たれば屋敷は半壊する。絶対にすべて相殺しなければならない。いや、それだけではない。こうして住居を狙ってくる可能性がある以上、もうこの場には留まれないかもしれない。窓から見える雄大な山々も、春には草原が、冬には雪の絨毯が広がる大地も、溶けてしまいそうな青空も、近々見納めになるかもしれない。
マリアベルはぎゅっとスカートを握った。
「すまん、兄様。俺……」
「侘びは良いから手伝え。武器は出せるか?」
「ああ! 一応、武具の一通りは収納魔法でしまってあるからすぐ取り出せる。弓もあったはずだ。撃ち落とすのなら任せてくれ!」
「よし。――マリアベル」
アーロンに向けていた元辺境伯としての厳しい表情ではなく、慈しむような柔らかい表情でマリアベルの頬に触れるオズワルド。彼が言おうとしていることは分かる。必ず全弾撃ち落とすので問題はない。だが、近々この場から去らなければいけないかもしれない。覚悟をしておいてくれ――と。
「承知いたしました。出来る限り速やかに手配いたしましょう。土地の確保が急務でしょうか?」
「ああ。屋敷自体は転移魔法で飛ばせる。苦労をかけるな」
「いえ。豊かな自然広がる場所をお探しいたします」
「ゲシュニット領は山ばかりだからな。探せば色々あるだろう」
「まあ」
くすりと笑えば、つられてオズワルドも笑みを見せる。そんな二人を見てアーロンは「あの極少単語で会話になるとはなぁ。兄様人嫌いだからどうなることかと思ったが」と腕を組み、納得したかのようにうんうんと頷いた。
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