第七話 独占欲
外の吹雪はすでにやみ、曇り空が広がっている。
そろそろアーロンがやってくる時間だ。部屋や食事の準備は滞りなく完了した。マリアべアルは一息ついて、ダイニングルームでオズワルドと一緒に紅茶を楽しんでいた。
「今日は珍しく時間を守るのか、アイツ」
「外は酷い吹雪でしたもの。ご心配でしたら――」
「大丈夫だ。そんな柔な奴じゃないよ」
カップを置いてゆるく微笑むと、彼は立ち上がって窓から空を見上げた。何を考えているかはわかる。ダミアンの事だろう。外を歩ける天候にはなったが、夕暮れが差し迫った今の時間に放り出すのはあまりに酷だ。
普段ならば旅人を一泊滞在させることに難色を示すような人ではない。積極的に関わりはしないものの、必要最低限の礼節は弁えて応対する。オズワルドとはそういう人だ。ゆえに、ダミアンをどうするか決めあぐねているのはマリアベルのためであろう。
「オズワルド様、わたくしは――」
「この屋敷の主は僕だ。どう判断しても僕の責任。君が気にする事じゃない」
彼はマリアベルの近くまでやってくると、労わるように頭を撫でた。こんなにも心を砕き、優しく接してくださるなんて――マリアベルは顔を赤くして俯く。しかし、だからこそ、彼の影に隠れて渡されるままに親切心を貪り、甘やかされ続けるのは良心が咎める。
マリアベルは首を横に振り、オズワルドを見上げた。
「オズワルド様。どうか、彼を一晩だけでも屋敷に置いていただくことは出来ないでしょうか?」
「いいのか?」
「なにがでしょう?」
「……いや、分かった。ではその通りに手配しよう」
「ありがとうございます」
これでいい。
もしこの雪道で放り出してダミアンに何かあれば、悪く言われるのはオズワルドだ。それは嫌だ。彼はとても優しくて美しい人だ。くだらない悪評が王都にまで伝わってしまったら、マーガレットの耳にも入る可能性がある。それだけは、避けたかった。
一晩くらい、何の問題もない。
「あの……」
突如、部屋の扉が開きダミアンが入室してきた。歩き回れるほど元気になったらしくホッとする。ただ、腕を掴まれた時のことが頭をよぎり、少し身体が強張った。マリアベル、と名を呼び、オズワルドは彼女を背に隠すように前へ進み出た。
「どうかされましたか? 旅の方。あまり屋敷内をうろつかれては困ります」
「も、申し訳ございません。ですが、早い方が良いと思いまして」
「早い方が良い、とは?」
「……御厄介になる前に、出ていこうと思っております。養生の場をお貸しくださり、ありがとうございました。おかげで命拾いいたしました」
ダミアンはオズワルドの後ろにいるマリアベルを確認すると、すまなさそうに目を伏せた。
「しかし、これから視界も悪くなります。無事に下山できるかわかりませんよ?」
「承知の上です。皆さま、お世話になりました」
では、と頭を下げて出ていこうとするダミアン。
ここがオズワルドの屋敷であり、自分を助けたのがマリアベルだと知って居たたまれなくなったのか。それとも、マリアベルの心境を慮ってのことか。これ以上この場には留まれないという覚悟の表情が見て取られた。
「お待ちください、ダミアン」
しかし、マリアベルの声が彼を引きとめた。
「マリア、ベル……なんだね」
「ええ。マリアベル・ルードリヒ。今は、マリアベル・エルズワースですわ」
「気付かなくてごめん。僕は……君の……」
彼女は真っ直ぐな足取りで彼の下へ向かうと、懐から小さな石のついた指輪を取り出した。これはマリアベルがオズワルドの屋敷へ引き取られることになったあの日、多少の金銭になるだろうと持参した貴金属類の一つだ。
オズワルドがダミアンに挨拶をすると言って部屋へ向かった時刻、マリアベルはエレマンに視線について尋ねていた。その対処法も一緒に。
通常、神の視線を遮る方法は存在しない。オズワルドですら対処しようのない事象だ。ならばどうすればいいか。考え方を変えてみることですよ――とエレマンは笑って教えてくれた。なるほど。つまり、ダミアンを監視の対象から外せばいいわけだとピンときた。
ダミアンへの視線がマリアベルに起因するならば、彼は無害だと分かってもらうより他はない。
この指輪には祈りが込められている。神に許しを請うように、両手で指輪を握りしめ、天を仰いで訴えた。エレマンは「十分ですよ。主も鬼ではありませんので」と微笑んでくれたが、正直どれほどの効果があるかは分からない。
せめて幾ばくかの慰めになればと思い、これを差し出す。
「視線を和らげてくださるよう祈りを込めました。わたくしの思いは変わっていませんわ。どうか、これからは健やかに」
「……マリアベル」
「憎んでもおりませんし恨んでもおりません。分かってくださるでしょう」
ただ悲しかっただけだ。
マリアベルは指輪をダミアンに手渡すと、オズワルドの隣に戻った。ここが今の自分の居場所だ、とても幸せだ、そう伝えるために。「お元気で」と満面の笑みを浮かべる。
「……ああ、情けないな僕は。中も外も、君はこんなに綺麗だったのに」
「世辞は不要ですわ」
「お世辞じゃないんだけどなぁ」
「ンンッ、えー、ゴホン!」
照れたように後頭部を掻くダミアンを見て、大袈裟なくらい咳払いを零すオズワルド。彼は手をパンパンと叩くと「ヴィント!」と自身の精霊を呼び寄せた。
「はいはぁい、お呼びですぅ?」
「お帰りだ。即刻麓まで送ってやれ」
「契約外のお仕事になりますけどぉ?」
「この際かまわん」
「いやん。坊ちゃんってば余裕のない顔」
「躾が必要か?」
一欠けらの戯れすらない本気の声。ヴィントは慌ててダミアンの腕を掴むと「ほなちょーっくら行ってきますぅ!」と部屋を出ていった。風の精霊である彼に任せておけば、文字通り即刻無事に下山できるだろう。問題は、終始目を白黒させ話についていけてなさそうだったダミアンだ。ヴィントが大精霊だと気付いた時、気を失わなければいいが。
――そもそも気付くのでしょうか。わたくしにも気付かなかったくらいですのに。
「まあ、丸く収まったな」
「ええ。ありがとうございます、オズワルド様」
「僕は何もしていない。君が――」
言いかけて、オズワルドはマリアベルの瞳をじっと見つめた。少しむっとしたように眉間にしわを寄せている。
「あいつにあんなものをくれてやるとは思わなかったよ。どうせエレマンの入れ知恵だろう。そんなに気にかけてやるほど男なのか? ……その、忘れられない、とか」
「そうですね。忘れられないと言うのならば、確かにその通りです」
錯乱しながら婚約破棄を願われる経験は、きっとこの先ないだろう。そういった意味では二度と忘れられない相手ではある。それをどう受け取ったのか、オズワルドは更に眉間の皺を濃くしてマリアベルの手を取り、唇をよせた。
「オ、オズワルド様、急にどうされたのですか?」
「だったら今すぐ忘れてくれ。忘れられないと言うのなら、今すぐ僕がすべて上書きする」
「上、書き……?」
マリアベルは困ったように眉を寄せた。
「婚約破棄を上書きされると言うのは、いささか複雑なのですが……」
「ん? 婚約破棄?」
頷いて「忘れられない苦い思い出です」そう苦笑を浮かべると、ややあって「忘れられないとはそういう意味か」と今度はオズワルドが苦笑を浮かべた。
「もしわたくしがダミアンの下で彼を支えたいと思っているとお考えならば杞憂ですわ。元より未練はございません。今後、何があろうともオズワルド様以外に心揺れることはないとお約束しましょう。この身体も、心も、すべてあなたのものですわ」
「本当に君は……」
オズワルドはマリアベルの頭を両手で優しく包み込むと、額と額を重ねた。優しげなインディゴの瞳がマリアベルだけを見つめている。これだけ近くにあるというのに安寧を覚えてしまうのは、流れた月日のせいだろう。
彼の瞳も、体温も、匂いも、すべてが温かく、愛おしい。
「……なんで今から僕はアーロンを待たなければいけないんだろうな」
「そう待たずとも、そろそろいらっしゃる頃でしょう」
「いやもう来ないんじゃないか? というより来なくていい。どうせ顔を見に来るだけだろうし。そうだマリアベル、アイツが来るまでふたりきり――」
オズワルドが何かを言いかけた途端、玄関の鐘がゴーンゴーンと鳴り響いた。
「お噂をすれば、でしょうか。お出迎えに行きましょう、オズワルド様」
「……空気を読め」
「オズワルド様?」
「いや、なんでもない。行こうか」
「はい」
盛大なため息をついて歩き出すオズワルドの後を、マリアベルは幸せをかみしめるように続いた。
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