エピローグ


「さて、作戦会議を始める」


 カーテンを閉め切った薄暗い書斎で、オズワルドは来客用のソファに腰掛けて腕を組んだ。隣の研究室は様々な道具や書籍が雑多に積み上げられており、足の踏み場も怪しい有様だが、この部屋だけは比較的小奇麗にしてある。来客用の二人掛けソファが二つと、その真ん中に長机が一脚。他は書斎机のみというシンプルな構成ゆえだ。物がなければ散らかりようもない。

 オズワルドの正面にはエレマンとヴィントが隣合わせで座っている。ヴィントはオズワルドの言葉にパシンと腕を鳴らした。


「お、ついにマリアちゃんの生家にカチコミかけます?」


「違う。彼らは捨て置け。神の寵愛を受けたマリアベルが庇護下にいたからこそ、没落を免れていただけた。なにせ愛し子を苦しませた張本人どもだ。マリアベルが生きる上で不要と判断された瞬間、もう何をしても手遅れだよ。手を下すまでもない」


「なぁんや。坊ちゃんの事やから自らの手で裁いたる、くらい言いそうやったからスタンバってたんやけどなぁ」


「残念だったな駄精霊。今ここで僕が手出しをすれば邪魔をするなと主神アルマニアから叱られてしまう。神の怒りは恐ろしいと、お前たちが一番よく知っているだろう? 下手に手を出してとばっちりを食うわけにはいかない」


 いくら主神とはいえ、人間の思考を操って意のままに行動させることはできない。ルードリヒ伯爵家を潰すことは容易だが、放り出されたマリアベルを匿える場所が存在しなければ、更に劣悪な環境に晒される可能性が高い。悲しいが、超常的な力で消された一族の生き残りなんて、恐ろしくて誰も引き取りはしないのだ。


 ゆえに、こうしてオズワルドがマリアベルをあの家から引き離した今、楔が取れたとばかりにほくそ笑んでいるはずだ。神の私刑など想像するだけで身の毛がよだつ。

 エレマンに視線を送ると、彼は底の見えない笑みで応えた。

 一応定義的には大精霊に分類されるのだが、彼は他の精霊たちと違ってアルマニアから切り離された、いわば分身とも言うべき存在――精霊たちの主なのだ。存在も思考も一番アルマニアに近い。神の意志を聞くのにこれほど適した人物もいないだろう。


「坊ちゃまには、坊ちゃまのお役目があるかと」


「そうか、わかった。ならばこのまま話を進めよう」


 ルードリヒ家のことはアルマニアに任せておいても問題はなさそうだ。むしろ割って入った方が生ぬるい処断になる可能性すらある。エレマンと似た性格ならば、一息に刈り取ってしまわずに、じわじわと苦しめるタイプであろう。憐みの情こそ湧かないが、いやはやご愁傷様である。

 オズワルドは両手を握りしめて額に置き、大きく息を吐きだした。室内に妙な緊張感が漂う。さて、本題はこれからだ。エレマン、ヴィントの順で視線を彷徨わせ、彼は口を開いた。


「マリアベルが驚くほど愛らしいのだが、どうすればいいと思う?」


「ほっほっほ、今日も仲睦まじいご様子で実に微笑ましいですな」


「……爺」


 む、と子供のように唇を尖らせる。

 すると呆れ顔のヴィントがやれやれと肩をすぼめて会話に割って入ってきた。


「いや、せやかて坊ちゃん。その質問もう五回目ですやん。さすがに惚気にしか聞こえへんて。あー、はいはいって流されへんだけ閣下の温情やで」


「ぐぬ」


 そうなのだ。マリアベルが屋敷に来て早二カ月。一週間半くらいの周期で耐え切れなくなり、作戦会議と称して自身の精霊たちを書斎に呼び込むこと本日で五回目。今まではマリアベルとこんな話をした、楽しかった、こういったところが愛らしかった、という話を二人に聞いてもらい気分を落ち着けていたのだが、今日は違う。ただの惚気にするつもりはなかった。


「僕が言いたいのは、マリアベルはいじらしく常に僕を気遣って尽くしてくれるが、どこか壁があるように感じるのだ。それがなんなのか。どうしたら取っ払えるのか。それを尋ねているんだ」


「聞き方下手くそか」


「ヴィント」


 エレマンに窘められ、慌てて口に手を当てる。


「うへぇ、すんません閣下。せやけど、あれやろ。どう考えても坊ちゃんが最初に言うてしもたあれが原因やん」


「あれ?」


「ほら、大切な女性は別にいる。君は二番目や、とかなんとか」


「坊ちゃま?」


 いつもは穏やかなエレマンであるが、今回ばかりは視線が鋭くなる。オズワルドは慌てて首を横に振った。


「そ、そんなことは言っていない! ……と思う。多分」


「大方、幼少期に頂いたお手紙の方でしょう」


「それって確か……エスの君やったっけ?」


「エムだМ! 馬鹿者!」


 手近にあったペンをヴィントに向かって投げる。彼は難なくキャッチすると、それをくるくる回しながら「そうやったっけ?」と悪びれなく笑った。


 エルズワース家は代々辺境伯として国を守る役目を仰せつかっており、武勇に優れた名だたる猛者たちを多数輩出してきた。そこへ突然変異として生まれてきたのがオズワルドであった。

 親や弟たちに比べたら貧弱で、武器を振るうより本に噛り付いていた子供時代。家族以外からはエルズワース家のお荷物とまで言われていたが、誰にどう思われていようが興味はなかった。馬鹿に何を言われたところで家畜が鳴いているのと一緒だと割り切っていたからだ。


 しかし、初めて連れ出された戦場で広域魔法をバンバンぶっ放し、早々に敵勢力を退散させてからは周囲の見る目も変わった。

 天才オズワルド・エルズワース。誰がそう言い出したかは知らないが、その名の通り高難易度魔法はもちろんのこと、新たな魔法も次々と生み出し、いつしか天才の名をほしいままにしていった。彼に障害など無かった。ゆえに少しだけつまらないと感じていた。


 そんな彼が魔導具に目を付けたのは十代の頃。最初はただの暇つぶしだった。魔法よりも手ごたえがあって楽しいだとか、そんな軽い気持ちで参入したのだが――まさか大陸にとどまらず世界を揺るがす発明になるとは思いもよらなかった。

 一番驚いたのは当の本人だったかもしれない。なにせエルズワース家は基本脳筋だが、魔術の素養のない者は存在しなかったのだ。だからこそ、新域魔導具の発明がここまで待ち望まれていたものだと、発表してから初めて知った。


 このまま魔術の道に進むか。それとも魔導具の開発に心血を注ぐか。辺境伯であるエルズワース家を考えると魔導師として力を誇示した方がいいのかもしれない。しかし、世界規模で見れば新域魔導具の開発を進めるべきなのだろう。


 オズワルドは悩んでいた。――そんな時、エレマンからあなたのファンからですよ、と一通の手紙が手渡された。小さな蝶が箔押しされた封筒。差出人は「M」の一文字。

 悪戯か何かと思ったが、美しい筆跡でつづられていたのはオズワルドに対する感謝と尊敬、親愛の言葉だった。何の裏もない、純粋で綺麗な言葉の数々。オズワルドは部屋から飛び出し、その日エレマンと一緒に茶会へ出席していた両親にこの手紙の差出人を問いただした。しかし返ってきた言葉は「彼女は既に王太子殿下の婚約者候補筆頭だ。お前には縁がない雲の上の人だ。諦めなさい」であった。


 別に、妻に欲しいだとか、そんなやましい気持ちを抱いていたわけではなかった。そもそもその時に初めて女性だと知ったくらいだ。でも――なんだか胸にもやもやとした霧がかかったような気がして、オズワルドは部屋に閉じこもった。

 返信を書き終えた彼はエレマンに彼女へ届けてくれと頼み、自身は新域魔導具の研究に没頭した。ただ彼女に貰った言葉が嬉しかった。感謝を伝えたかった。それだけのために、彼は魔導師の道を捨てた。


「今の僕があるのは手紙の彼女がいたからだ。彼女の対する思いは敬愛であり親愛だ。顔も名前も知らない。今更知ろうとも思わない。言葉と筆跡を見ただけで分かる。彼女はとても綺麗な人なのだろう? だったら、今頃幸せになっているはずだ。それでいいと、僕は思っている」


「坊ちゃま……」


「しかし、マリアベルは――、なんというか、慈しみと愛おしさ、とでも言うべきか。言葉にするのは難しいのだが……ずっと傍にいてほしい、と思う」


 照れたように頬を掻くオズワルドに、エレマンは胸ポケットからハンカチを出して目尻を拭った。その隣では「聞いてるこっちがこっ恥ずかしいんやけど」と頬を赤らませたヴィントが耳を覆う。現状、男二人が照れてもじもじし、その光景を見て初老の男が涙を流す、というカオスな空間が出来上がっていた。


「と、とにかく、僕の妻はマリアベルただ一人だ」


「せやけどなぁ。今さら坊ちゃんがいくらマリアちゃんを好きや、愛してる言うても、そのМの君の次にって思ってしまうんちゃう? ほら、最初の印象ってめっちゃ大事やし。そこ失敗しとると一生埋まらへん溝ができてる可能性も――」


「ヴィント。そこまでにしておきなさい」


「へーい」


 ヴィントの言葉にみるみる気落ちしていくオズワルド。エレマンは立ち上がって彼の肩を優しく叩いた。


「失った信頼を取り戻すのは至難の業とお聞きいたします」


「閣下普通にトドメ刺してへん!?」


「……じい」


 ヴィントのツッコミとオズワルドの恨めしげな表情をさらりと流し言葉を続ける。

「マリアベル様の火傷。あれは、見えているものよりもっと酷いものです」


「皮膚の中か? それとも魔術による後遺症か?」


「心の問題ですよ、坊ちゃま。あの火傷がマリアベル様の自尊心をすべて奪ってしまった。ゆえにマリアベル様は何も信用できぬのです。坊ちゃまのお言葉すら……」


「言葉は呪いにもなる。火傷が起因となって数々の呪いを吐かれたのならば、自然と心に鍵がかかるのも仕方あるまい。……僕に好意的だったのが、奇跡なくらいだな」


 魔力の伴った炎の跡というものは魔力の残滓が細胞の活性化を抑えてしまい、生来元に戻らぬものと言われていた。どれだけ優秀な治癒師だろうが、薬だろうが、ただの火傷は直せても術による火傷は治すことは出来ない。しかし、無理だと決めてかかるのも不愉快であった。

 今までいくつの無理難題を解決してきたと思っている。僕は天才オズワルド・エルズワースだぞ!――と、心の中で叫ぶ。


「魔導具の方はある程度基礎は組み上がった。僕の手を離れても歩みは止まらんだろう。しかし、医療か。興味はなかったが、手を出してみるのも一興だな」


 おもむろに立ち上がり研究室へ足を向ける。


「よし、そうと決まれば善は急げだ。悪いな二人とも。しばらく籠る」


「ご飯の時だけはちゃんと出てきてくださいね。マリアちゃんが泣くから」


「ご武運を」


 無論だ、と不敵に笑い、オズワルドは扉の中へ消えていった。

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