第14話 光差す


「坊ちゃま。いつまでも触れていたい気持ちは分かりますが、ご飯が冷めてしまいます」


「もう閣下! 触りすぎはあかんてちゃんと注意せな! マリアちゃんが茹で上がってしまうやろ!」


 マリアベルの真正面に移動し、文字通り壁役として彼女を守ろうとするヴィント。彼は腕を組み、むすっとした表情でオズワルドの前に立ち塞がっている。もはや誰が主なのか分からない状況だ。

 マリアベルは申し訳ない気持ちに苛まれながらも、ヴィントの服の裾を弱弱しく握った。これ以上撫で続けられたら本当に茹で上がってしまいそうだったのだ。初日から倒れて介抱されるなど情けなさすぎる。


「ほらぁ、マリアちゃんかて大人しく俺の後ろにいるやん」


「うっ! そ、それは」


「言い訳はききません!」


「……すまない」


 いつもならば「主に説教とはどういう了見だ」とお叱りの言葉が飛んでくるのだが、ヴィントの後ろに引っ付き困ったように半分だけ顔を出しているマリアベルを見て、謝罪の言葉しか出てこなかったようだ。


「せっかくマリアちゃんが頑張って表情が見えるようになったんやから、ちゃんと確認せな」


「ちゃんとじっくり確認していたのだが」


「いや、そういうことやなくて!」


「ほっほっほ。お二人ともそこまでですよ。朝食が冷めると言ったでしょう?」


 笑顔だというのに、エレマンの後ろから般若のような圧が見えるのは気のせいだろうか。有無を言わせぬ気配に、オズワルドもヴィントも一瞬にして言い合いを止め、慌ててテーブルの方へ足を向ける。もしかして、この屋敷における力関係は額面通りではないのかもしれない。

 マリアベルは小さく笑って二人の後に続いた。


「よ、よし、腹が減ってはなんとやらと言うし、まずは朝食からだな。僕も手伝ったんだ。味わって食べるんだぞ!」


「え、坊ちゃんが!? ほんまなんです? 閣下」


 ヴィントから訝しげな視線を投げかけられたエレマンは、内ポケットからハンカチを取り出して目元をぬぐった。


「勿論ですとも。あの坊ちゃまが、率先してお手伝いを申し出てくださる日が来るだなんて。爺は嬉しゅうございます」


「ええ、うっそぉ? あの坊ちゃんが?」


「ええ。パンにバターを塗ってくださったのです」


「ぱ、ぱんに、ばたーを……?」


 ヴィントは目を白黒させて額に手を置いた。その隣では一仕事やり終えたかのように満足げなオズワルドがうんうんと頷いている。


「いやいやいや、それは料理って言いませんしお手伝いとも言いませんけど!?」


「何を言いますか。立派なお手伝いですよ。ほらよく見てください。このはみ出しを許さぬ几帳面な塗り方、さすがは坊ちゃまです!」


「もお! 閣下は坊ちゃんに甘すぎです! そもそも今塗ったらカリカリ感が消えて――って、ああもお! せやからこんな精霊を精霊ともおもわん傍若無人男が出来上がったんですよ!? わかってます? なぁ、マリアちゃん!」


 眉間にしわを寄せたヴィントと、穏やかな表情のエレマンが同時にマリアベルを見た。つられてオズワルドも「僕の仕事のどこに問題があるんだ」とヴィントに文句を言いつつ首をひねる。


 ――こんな些細な会話で、意見を求められたのは初めてだった。


 どうしたいではなくこうしなさい。どう思うではなくクローディアはこう考えている。何が欲しいかではなくこれが貴女の物。選択肢があるように見えても、結局は一つの回答しか用意されていなかった。小さなことはすべて「はい」が最適解。

 けれど、ここではちゃんと、家族という輪の中にマリアベルを招き入れようとしてくれる。それがとても暖かくて、嬉しかった。


「ふふっ――あ」


 自然と笑みがこぼれてしまい、慌てて口を塞ぐ。


「も、申し訳ございません! 嬉しくて、つい」


「嬉しい?」


「はい。わたくしもこの屋敷の一員だと、そう言っていただけたような気がして」


「そんなの当たり前じゃないか。君は僕の妻になるんだぞ」


 話の腰を折ってしまったので怒られるかと身構えていたが、予想に反してオズワルドは椅子を引き「ここが君の席だ」と案内してくれた。


「仕方がない。今回はマリアベルに免じて許してやろう。ほら、朝食にするぞ、駄精霊」


「えぇ、なんか釈然とせぇへんけど……まぁ、マリアちゃんが笑ってくれたんならええかな。あ、閣下。パン二枚目ありですか? 一晩中コキ使われとったからお腹ペコペコで」


「おやおや、それは大変です。まだまだありますので、お好きなだけどうぞ」


「やったー、閣下大好き! そや、マリアちゃんも欲しかったらいいや? お兄さんが好きなだけ焼いたるからな」


 お前のおぞましい顔を見ながら食事など出来るか、飯が不味くなる、そう言われてずっと薄暗い地下の物置部屋で一人食事を取っていた。誰かと一緒に食卓を囲むなど何年振りだろう。

 大きな窓から差し込む光は、ダイニングルームを明るく照らしていた。オズワルドも、ヴィントも、エレマンも、誰一人としてマリアベルを嫌悪の籠った目で見ない。

 なんて優しい空間だろう。


 これからはきっと、涙を流すよりも笑うことの方が多くなる。そんな予感がして、マリアベルは「はい」と嬉しそうに微笑んだ。たとえ仮初の妻だとしても、オズワルドに想い人がいたとしても、この暖かな空間は偽物ではない。


 ――まさか自然と笑える日がやってくるなんて。このご恩はいつか必ず。


 彼には一番に幸せでいてもらいたい。そのためならば持てるものすべて使い、悪魔に魂を売ったって構わない。他人なんてどうでもいい。どうか、どうか、オズワルド様に幸あれと――マリアベルは願った。

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