第6話

 旅の5日目、一行は王都にたどり着いた。


 王都は相変わらず賑やかで、そして美しい。


 王城に入ると、すぐにクリスティーネとアルフォンス、少しふっくらしたおなかのエレオノーラが迎えてくれた。

 形式的な挨拶の後、すぐに涙目のクリスティーネがエファを抱きしめる。


「こんなに早く会えるなんて、嬉しいわ」

「わたしもです、王妃様」

「疲れたでしょう、王宮でゆっくり休んで。とても元気そうで、安心したわ」

「はい、ジークさまには、いつもとてもよくして頂いております」


「俺のことを無視しないで頂けますかね、姉上。お久しぶりでございます」

「まあ愚弟。元気そうで何よりだわ。一応あなたも顔を見せて頂戴」

「なんですかねこの態度の差は」


 エレオノーラがにっこりエファの手を取る。


「手紙をありがとう、エファ。とても嬉しかったわ。いろいろ忙しいと思うけど、お話を聞かせて頂戴ね」

「はい!」


 姉妹のように再会を喜び合う二人を見守るアルフォンスをジークが揶揄い、そのジークをクリスティーネが叱る。

 この賑やかな輪の中に、エファは自分がいることが信じられない。夢の中にいるようだ。


 不意にジークがエファの肩を抱き寄せ、見上げると自分を見下ろす優しい笑顔があった。

 ―――帰ってきたんだ。

 あの頃よりジークがいる分、一層賑やかに。

 エファはこの場所に戻ることができたのだ。




「そう、それでね。明日の夜に王宮主催の舞踏会があるの」


 案内されたティーサロンでお茶を頂いていたときに、クリスティーネにそう告げられ、エファは真っ青になった。

 淑女教育の一環でダンスは習ったが、もう4年近く踊っていない。覚えていないと思う。


 国王とジークたち男性陣は席を外し、女性だけの和やかなお茶会だ。

 それでも多少緊張していたところに舞踏会の話を振られ、エファはしっかり固まってしまった。


「無理に踊らなくていいのよ? ただ今のエファは大公夫人なので、出席してもらったほうがいいわ」

 そう言われれば嫌とは言えない。


 先ほどまでおなかの赤ちゃんのことで、にこやかに語り合っていたエレオノーラも、少し険しい顔で話に加わる。


「そして、ちょっと気を付けなきゃいけないと思うの」

 その言葉に、エファは体から血の気が失せた。


 今でも、ドレヴァンツ公爵に殴られた時の夢を見る。義父には会いたくないと思っていたが、王家主催の舞踏会ならそうはいかないだろう。


 真っ青になったエファに、クリスティーネが慌てる。

「用心は必要よ。でも、ジークもいるし、あなたもいるでしょう? リーゼ」


 後ろに控えていたリーゼが、その場で敬礼する。

「もちろんです。必ずお供いたします」


「それなら安心だわ。あとはエファのドレスだけど……」

 ちょっと落ち着いたエファがまた固まった。ドレスは持ってきていない。


 クリスティーネはすぐに察する。

「こちらで用意しましょう。明日のことだから今王宮にあるもので間に合わせなきゃいけないわね。エファには悪いけど、明日はちょっと早めに起きて頂戴ね」

 笑顔で拒否権のない通告を叩きつけられ、エファは青ざめたまま、ぎこちなく頷いた。



 その日の夜も疲れ果てて、ジークと顔を合わせずに眠ってしまった。

 どうしてこんなに体力がないのだろうと悔しく思いながらも、鉛のように重い体でベッドに沈み込む。

 ジークへの贈り物は、まだ渡せずにいるままだ。





 その夜、来客用の貴賓室に戻ったジークはベッドの中ですやすや眠るエファを見て、口元を綻ばせた。



 最初に姉から親書を受け取ったとき、ジークは不快だった。

 自分は結婚をしないと決めていたし、周りにもそう宣言していた。


 たびたび送り付けられる貴族の釣書にもまったく興味がなく、大公位を継ぐ者などそこら辺から養子でも連れてくればいい、そう思っていた。

 姉はジークの気持ちを理解し、一時は同意もしてくれた筈だ。それがなぜ今更。



 ジークの父、前アスツヴァイク大公はそれは立派な方だったと周りは言う。

 飛竜と共に魔物を狩り、国の内乱にもいち早く駆け付け尽力し、国王の信頼も厚い。

 姉はジークが3歳のころに王宮に移り、父は王太子の義父としてもこの国に欠かせない存在となっていた。


 そんな父と母の間には、どこかぎこちない空気がいつもあった。

 母はいつも悩んでいたようで、父も何とか歩み寄ろうと努力はしていた。


 その理由をジークが知ったのは10歳の頃、父の書斎にひっそりと飾られていた女性の肖像画を目にした時だった。

 最初は姉かと思ったその女性は、父の最初の妻だった。姉を産んだ後、若くして亡くなった彼女を父はずっと忘れられないのだと、ジークはその時はじめて知った。


 既にこの世にいない女性と自分を比較し悩みを深くしていく母と、その妻に手を差し伸べたいが、それが出来ない父。

 父を躊躇させたのは、若くして亡くなった妻に対する悔恨か、隣にいる女性に対する憐憫か。

 ともかく、そんな二人の姿を見て、幼いジークは誰かと添うことに魅力を感じなくなっていた。



 ジークが10歳の春、黒峰山脈から魔物が集団で人の国めがけて下りてきた。年々数は増えていたが、この年その数は膨大で、両親は連日竜騎士を引き連れて戦った。

 アスツヴァイクの城塞の戦士たち、王都から救援でやってきた兵士たちが総出で魔物たちと戦ったが、領地は黒き森まで戦場となり、それは苛烈を極めた。


 その戦いのさなか、深手を負った母を庇った父が大怪我をし、二人ともその傷がもとで命を落とした。

 生きている間は手をつなぐことすら躊躇われた夫婦だったのに、最後は寄り添って棺の中にいる。ジークを残して。


 なんと勝手なことだろう。

 ジークは悲しさと悔しさと、説明できない感情に押され、一人魔物たちのいる森で泣いた。

 自暴自棄になっていたかもしれない。自分など最後まであの二人の眼中になかったのだ。


 そこでレヴィンに会い、生涯の友として傍らに沿うようになった。


 そうして、僅か11歳のジークが大公位についたのだ。




 激しい戦いはその後も四季を問わず続き、人と竜の疲弊は募る一方だった。


 魔物たちの群れは途切れることなく波のように続いたが、いつからかその間隔が変わりだした。

 秋に入るころには、襲撃が1週間に一度ほどになり、冬になるころにはさらに減った。


 しかし、春の初めに巨大な呪竜が単身、アスツヴァイクの城塞に襲い掛かってきた。


 それを騎士団総出で倒した後には、もはや山地には魔物の姿はなく、そこからは昔のように時々表れる程度の状態に戻った。

 普段なら激しい春の襲撃も、その年には殆ど無かった。


 すでにレヴィンに騎乗し槍をふるっていたジークも、その状態には違和感を感じた。


 王宮に使いを出すが理由は判明せず、数年後に神殿に聖女が生まれたとう神託が下りた事を知る。

 聖女とは、この大陸が魔物に溢れていた時代のこと。精霊王に遣わされてこの地に下った女神の化身だという、伝説に近い存在だ。

 しかし、過去の文献には魔物を退ける程の力を持つ聖女は存在しない。最初の女神を除いては。


 真偽のほどを探るべく、使える勢力を使い調べ上げたが、ドレヴァンツ公爵に先を越された。聖女だという少女を連れて神殿に名乗り出たらしい。


 その少女が、王宮や神殿で行われていた儀式に参加した後はのことは、周知のとおり。

 伝え聞いた話によると、少女の誕生は冬と春の境目のころ。最後の呪竜が狂ったように砦に襲撃に来たころだ。それを境に魔物は表れていない。


 その後数々の幸運が領土に訪れ、その感謝の意を伝えるべく聖女に面会を求めたが、ジークは最後までその少女に会うことはかなわなかった。


 いつのまにか第二皇子の婚約者となり、甥を脅かす存在となってしまった少女。そのあと、姉や甥が聖女を懇意にしているのは知っていたが、その時のジークはもうその少女と関わろうとは思わなかった。



 王宮には魔物が棲むという。

 黒峰山脈からくる連中と違い、それは人の心の中に棲む。人の嫉みや驕りを餌に成長し、そうして人の世を戦乱に巻き込む。その魔物が巣食う場所に漫然と座る少女。


 最初にジークが抱いていた聖女に対する畏敬の念は消えていた。これ以上手を出すなと姉に進言したほどだった。


 その少女が、追放の憂き目にあることを知ったとき、ジークはそれが正しかったのか、誤りだったのか判断ができなかった。

 ならば、自分の目で見極めるしかあるまい。


 その少女を妻として迎えてほしい。それが不可能なら、せめて後見人となり、領内のどこか穏やかなところに住ませてやってほしい。

 切々とつづられた姉からの手紙に答える気になり、サンダー公爵領地との境目で少女を迎えた。


 その姿を見て、ジークは驚く。

 癖のない銀髪は氷のかけらのように輝き、大きな瞳は青に近い灰色、白い透けるような肌に、愛らしい唇はかすかな桜色。

 痩せすぎで、16歳だという年齢の割には幼いようだが、まるで月の女神か雪の妖精のようだ。聖女の真偽を抜きにしても、ジークはこの少女を護りたいと思った。


 だがエファがどう感じているのか、ジークはまだ掴み切れていない。

 歳の離れた男に嫁ぐことに嫌悪を感じていだろうか。


 もしこれから先、彼女が望むならジークはその手を離すべきだと考えている。

 母と父のように、冷え切った家族になるのはごめんだ。


 そう思いながら、すやすやと眠るエファを見下ろすと、とても複雑な気分になる。


 この細い腕を他の男が掴んだら、もしその相手にエファが心を奪われたら。

 もしかしたら自分はそいつを殺してしまうかもしれない。


 そんな物騒なことが頭を過って、ジークは顔をしかめる。

 そんなことをしても、エファは幸せにはならないはずだ。


 国王とアルフォンス、数人の気の置けない王都の友人たちと飲んだ酒が影響しているのか。ジークはかぶりを振って立ち上がる。

 退室する前に、そっとエファの額にキスをした。


「誕生日おめでとう。お祝いは国に帰ってからだが」


 アスツヴァイクはまだまだ寒いが、王都付近はだいぶ春らしい気配に覆われている。



 次の日、朝から女中やらお針子やら大わらわで、エファの舞踏会の用意が整えられた。


 すでに衣装合わせでぐったりしていたところに、お風呂に押し込まれて上から下までしっかり磨かれる。

 てかてかになるほど髪に香油を塗り込まれて、ドレスを着て化粧が終わるころには、エファはすっかり疲れ果てていた。


「着飾っているより、お料理されている気分だよぅ…」


「これからが本番ですわ。気合で乗り越えましょう!」

 すっかり弱気になってソファでぐったりするエファに、リーゼが冷たい飲み物を差し出してくれた。


 そのリーゼの姿に、エファは目を丸くする。

「……リーゼ、ドレス素敵……。リーゼも舞踏会に出るのね」


 鮮やかなグリーンのドレスを纏ったリーゼがにっこりと笑う。すでに化粧も髪も整えられ、準備は完璧のようだ。


「ええ、こう見えてもどこかの男爵夫人ですし、結婚する前は戦う伯爵令嬢でした。なので会場でもしっかりエファ様をお守りできますよ?」


 ではアスツヴァイクで今も残る騎士団長は男爵なのか。というか伯爵令嬢。


「リーゼは貴族のお姫さまだったのね」

「姫なんて呼ばれるものじゃありません。大公領の隣にあるちっさな場所です。魔物の出現も多いけど自衛は難しくて、昔から大公領にくっついて、何とか生き延びているような有様です」


 しかも、と苦笑いするようにリーゼはつづけた。

「さほど財産もないのにやたら家族が多くて。なんとか自分の力で生きていかなきゃいけなかったので、10歳からお城で働き始めて、15歳の時に竜騎士団に入りました。

 他の兄弟も似たようなものですが、一番上の兄と4番目の兄は王宮で働いています。今日の舞踏会で、機会があれば紹介しますね」


 なるほど、なんだかリーゼのざっくりとした性格に納得ができたような気がする。

 お城で働いていた頃に、他のアスツヴァイク領の貴族たちと勉強したので、淑女としてのマナーも完璧だと豪語した。


「エファ様のドレスも素敵ですよ。殿の顔を見るのが楽しみで楽しみでで仕方ありません」


 目を輝かせて言われたので、エファは言葉に詰まってしまう。


 ドレスは最初クリスティーネの若いころのものを取り出したが、どれもエファの雰囲気に合わず、結局エレオノーラのものをお借りした。

 体に合うサイズにところどころ縫い直したので、お返しすることはできないかもしれない。


 空の色に近い、見事な水色のドレスだった。シンプルなデザインだが上品なレースがあしらわれ、縫いつけられた宝石がきらきらと輝く。


 銀の髪は既婚者の証として結い上げられているが、白い小花の髪飾りが年相応のようで、エファは嬉しい。


 耳飾りとネックレスも華美すぎず、それでも見事なブルーサファイアが使われている。これはクリスティーネからの贈り物だ。



「エファ様は元々お美しいけれど着飾った姿は本当に素敵です! これでは殿も、うかうかしてられませんね」


「また余計なことを」


 リーゼの賞賛に居た堪れなくなったちょうどその時、続き間からジークが表れた。

 背後に控えているのはリーゼの兄だろうか。二人とも竜騎士の正装に身を包み、さらにジークは藍色のマントを羽織っている。

 その堂々とした佇まいに、エファは見とれてしまった。


 一方のジークもエファの姿を見たとたんに言葉を失い、ただ目を見開いてこちらを見つめている。

 やはり居た堪れないっ。


「ご、ごきげんようジーク様。そ、そのっ、わたしどこかおかしいでしょうかっ」


「いや、大丈夫だろう」


 昔学んだ淑女教育を思い出しながら、ジークの前で一生懸命淑女の礼を行う。ジークは驚いた表情のまま、そっけなく答えた。


 不安なエファが恐る恐る見上げた、ジークの耳は赤い。


 あれ?

 それはいったいどういうことだろうか。

 考えれば考えるほど、エファも赤面してしまう。



「殿はもっと、気のきいたセリフが言えるようになんなきゃ、駄目だと思う」

「いや、あれはあれで頑張っているんだ。おまえもあまり揶揄うんじゃない」


 向かい合ってまごまごする新婚夫婦の後ろで、なぜかリーゼは兄からのお叱りを受けていた。

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