第3話

 エファはアルフォンスの部屋を出てすぐ、神殿の図書館にもぐりこみ、呪いに関する文献を調べた。


 この国で呪術を含めた魔法の一部は『禁術』と呼ばれ、決して使ってはいけないことになっている。

 ただし古代、魔法がもっと盛んだった時代には、呪術を発動させるような呪道具と呼ばれるアイテムがいくつも作られ、それが時折現在の社会に表れて、問題を巻き起こしているらしい。


「まさか、これが」

 アルフォンスに使われたのだろうか。


 何も確証を得られぬまま、すっかり日が暮れてから王宮の自分の部屋に帰ると、エファの自室で待っている男がいた。

 エファの義父、ドレヴァンツ公爵だった。



 その夜、引きずられるようにして王宮から公爵邸に移動させられた。


 エファが持つことを許されたのは、小さなトランク一つだけ。

 なぜかドレヴァンツ公爵は激しく怒っており、公爵邸に到着するなり、激しくエファを折檻した。

 誰かに暴力的に扱われるのは初めてだったので、エファは最初は混乱し、何度も泣いて謝った。


 公爵はなぜエファに腹を立てているのか。

 何も教えてくれないまま、エファは意識を失った。

 そしてろくに手当てもされないまま、公爵家の日陰の狭い部屋に放り込まれた。


 それからエファは、外との接触が一切できないまま、数か月その部屋で過ごした。


 なんどもアルフォンスやエレオノーラ、王妃であるクリスティーネにも手紙を書いたし、状況の説明を求めたが、反応は全くなかったし、誰からも連絡は来なかった。


 寂しくてつらい時間だった。

 最初の日に激しい暴力をふるった公爵が、それ以降エファの前に姿を現すことはなかったが、それからしばらくエファは公爵に殴られる悪夢を見た。

 食事は一日に一度か二度、無表情な従者が持ってきたが、本当にお腹が空いた時だけ、エファはそれを少しだけ食べた。


 もしかしたらクリスティーネもアルフォンスもエレオノーラも、自分のことをすっかり忘れてしまったかもしれない。

 そう思うと本当に怖くて、エファは震えた。


 でもあの三人の優しい笑顔を思い出すと、そんなはずはない、きっと心配している。

 そんな確信が生まれて、エファは少しだけ、あと少しだけ頑張って生きよう、と自分に言い聞かせた。


「お会いしたいです……」

 三人の優しさを知ってしまったから、なお一層この孤独は辛かった。




 そして夏のあの日、エファは神殿に再び呼ばれた。

 偽物の聖女として。


 壇上に立つ若い神官長は、エファが偽りの聖女としてこの数年間利権をほしいままに操っていたことを国王や貴族たちの前で滔々と語り、正しい聖女がドレヴァンツ公爵令嬢だと宣言した。


 国王は渋面のまま、第一王子は真っ先に異議を唱えた。


 本来、王宮と神殿はお互いに影響を及ぼすことのないように、相互不干渉とされている。

 国主として神殿の儀式などには出るが、神官たちと対立することなど滅多にない。

 王位継承権を持つ王子がその慣例を破るのは異例のことで、彼の立場を危うくすることだ。


 矢面に立たされながらも、そこに王太子として堂々と立つアルフォンスを見て、そしてエファの聖女としての正当性を訴える姿に、彼女の心は温かくなる。

 忘れられていなかった、ちゃんと信じてくれていた。


 時折心配げにこちらを見てくれるのも、嬉しい。

 今のエファはいろいろとひどい状態で、目を背ける人が殆どなのに、アルフォンスは今にもこちらに駆け寄ろうとしてくれているような気がする。


 きっともう彼は大丈夫だ。

 王太子として、強く進んでいけるだろう。


 なので、エファは必死にアルフォンスに分かるように、そっと首を振った。

 ―――もういいです。

 ―――これ以上は、アルさまにご迷惑、おかけします。わたしは、だいじょうぶです。

 果たしてそれが伝わったのか。

 アルフォンスが泣きそうな顔をしているのが、ひどく不思議だった。


 反論するドレヴァンツ公爵は、今までのエファの祈りによる『奇跡』は自分の娘から『盗んだ』ものであると述べた。

 実際、壇上に呼ばれた公爵令嬢はエファにはできなかった癒しの術を行い、その場にいた多くの人を驚愕させる。それがすべての物事が決定した瞬間だった。


 そうして国王の前で鑑定が行われ、ドレヴァンツ公爵令嬢が『聖女』であることが証明され、国王の名前によって新たな聖女の名前が宣言される。


 一言の弁明も与えられないまま、エファは聖女を騙った罪人になった。




「いちども自分から聖女です、なんて言わなかったのに」

 愚痴にも近い呟きをこぼしながら、エファは鉄格子から向こう側の空を眺める。


 罪人としての刑が確定するまで、エファは神殿のこの塔に幽閉されることになったらしい。

 それでも王家の介入があったからか、状況は格段に良くなった。


 公爵家と違って、手紙も贈り物も届けられる。

 もちろん、エファに連絡をしてくれるのは、王妃と王太子夫妻しかいなかったが。


 クリスティーネからは、アルフォンスに関する感謝、エファのことを心配していること、何とかして無実を証明するとの手紙がたびたび届いた。

 それを繰り返し読むたびに、エファの心は暖かくなる。


 偽物の聖女にされたことも、好きなように利用されてきたことも、これから自分がどうなるのかも、不安はあるけれど、もういい。

 本当にもうどうでもいい。


「おかあさま……」

 決して本人の前ではそう呼べないけれど、呟きながら手紙を胸に寄せる。


 あの三人が幸せで、この国で生きていけるなら、それでいい。

 そして何度も、わたしのことは忘れてください、と手紙を書いた。

 最後までその願いは聞き入れられなかったが。


 そうして時々祈りながら、声の出し方を忘れないように歌いながら、エファはその塔で一年半ほど過ごした。


 その間、王妃と第一王子、エレオノーラの生家のサンダー家からも異議と鑑定のやり直しが再三求められたが、神殿の絶対的宣言の前では屈さざるを得なかったらしい。


 それでも罪人として流刑、もしくは生涯監禁を求めていたドレヴァンツ公爵に対して、減刑を求める歎願が一部の貴族から出され続けたらしい。

 神殿も王宮も、エファの処遇について決めかねているようだった。


 その間にアルフォンスとエレオノーラが正式に結婚し、王都は盛大な祭りで盛り上がった。

 遠くから聞こえる祝いの音楽に合わせて歌いながら、エファは塔の上で二人の幸福を祈り続ける。


 たとえもう会えなくとも、あの二人のゆく道に絶え間ない光が降り注ぎますように。

 この想いを歌にのせて、どうか素敵なあの二人に届きますように。


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