すべてが終わる
静かに時は過ぎていった。
二人だけの静寂に包まれた屋敷で静かに時間が流れる。
リエラはあと少し残った狂いの図書を鎮めていく日々を過ごした。そして。
「やった! 終わったよ!」
「ええ、お疲れ様でした」
「もう残ってないかな」
「そうですね、この屋敷にある狂いの図書も報告の上がった狂いの図書もございません」
「と、いうことは……」
「全ての狂いの図書を鎮め終わりました」
「やったー!」
全ての狂いの図書を鎮め終わった。
これで綴り手の仕事も終わりなのかもしれない。
「長かったような、短かったような。でも、終わってよかった」
「そうですね、お疲れ様でした。リエラ様」
微笑み合う。達成感でいっぱいだ。ようやく苦しんだ本たちを救い終わったのだ。
そして、少し時は流れ――。
「邪魔しますぞい」
「ロンさん!」
ダリウス帝国へ帰ったロンが屋敷へやって来た。
「みんなは元気?」
「もちろんですぞ。特に殿下は生き生きしておりましてな。みんなドン引きですじゃ」
「あはは」
元気そうでなによりだ。
アリストはあの調子でばっさばっさと政敵を切り付しているのではないだろうか。
「それで、今日はどうしたの?」
「アリスト殿下が正式に帝王に決まりましてな。そのご報告にあがった次第じゃ」
「そうなの!? おめでとうっ!!」
アリストはあれからがんばったのだろう。努力が実を結び、あの晩話していた帝王になることができた。
嬉しい知らせにリエラは喜んだ。
「それでな、リエラお嬢さんには恩を返すと殿下、いや陛下からの伝言じゃ」
テーブルに一通の書簡が置かれた。
「これをオレリア国王に届けてほしい」
「オレリア、国王に……」
「なに、悪いことにはならんよ。安心してよい。きっとこの手紙はリエラお嬢さんを救う一手になるじゃろうて」
ロンは頼もしく笑った。
「ここがオレリア王宮……」
リエラは馬車から降りて王宮を見上げる。
遂に来た。
ずっと苦しめられていた、あの人の暮らす王宮へ。
「リエラ様、お気をつけてください」
「うん」
リエラとキースは今日、ダリウス帝国の使者としてオレリア国王と相見えることになったのだ。
「これを」
「ありがとう」
キースはリエラに小瓶を渡した。それをリエラは躊躇いなく飲む。
これは数日前にキースから教えられたものだった。
今日この日に飲むことに決めていたのだ。
「それじゃあ、行こう」
緊張で強ばる顔をひとつ叩くとリエラは王宮へ足を踏み出した。
「国王陛下のお成り!」
玉座の間に国王がやってきた。
国王の傍には無表情で警護をするランベルトがいた。
その雰囲気の威圧感にリエラの表情は強ばる。
「なにしに来おった」
「ダリウス帝国からの信書をお預かりしております」
挨拶もなく国王はリエラを睥睨する。
「ふん、殺されるとは思わなかったのか」
「……思いません。今日の私はダリウス帝国の使者です。使者を害することはダリウス帝国を敵に回すということですから」
「……小賢しい娘よの。誰の入れ知恵だか」
国王は歯噛みすると信書を手に取った。
アリストが渡した信書はオレリア王国と和平を締結したいとの提案が記されているはずだ。
アリストは長く続いた戦争を全て終わらせる気でいるのだ。
「和平の申し出か……。相分かった。検討いたそう」
「ありがとうございます」
ほっと息をつく。ひとつは無事に終わった。
「して、娘。それだけではないのだろう」
「……はい。帝王陛下からもう一通手紙を預かっております」
リエラは一通の手紙を渡す。手元に届いた国王はその内容を読んだ。
「――この、リエラ クラッセンという娘はダリウス帝国とはなんの関わりもない。即ちリエラを利用することは今後ともない。……それがどうした」
簡潔に記された手紙に国王は顔を歪めた。
リエラはここからが本番だと気を引きしめる。
「私はダリウス皇家とはなにも関わりはありません。……そして、オレリア王家とも。それを国王陛下に明言していただきたいのです」
その言葉に国王は睥睨する。
「今、私がここで明言したところで人の口に戸は立てられなかろう。それはどうする」
「人の口に戸は立てられませんが、証拠がなければどうしようもありません」
「どういうことだ」
「私が綴り手なのはご存知ですよね。文書に入り込んで全ての文書からリリアーナ クラッセンとリエラ クラッセンの名前を消し、全てを違和感のないように書き換えます」
「ほう……」
「私たち親子のオレリア王家との関わりを一切消します。もちろん、ダリウス皇家との関わりを持つこともいたしません」
「……」
ここまで言ってリエラはひと息つく。
吐いた息は震えていた。
「こちらをお返しいたします」
「……王太子の印璽か」
恭しく両手で印璽を掲げた。
「母が前国王様より賜ったものです。しかし、母はこちらを預かり物だと申していました。これを利用するつもりは全くなかったのです。……母は最期にどうかこの印璽を国王様に返してほしいと願っていました」
「……そうか」
リリアーナは最期、リエラにこの印璽を返してくれるように願った。そして今、その願いは叶えられて国王の手元に渡った。
「確かに受け取った」
「ありがとうございます」
ほっと息を吐いた。
リエラが持っていても仕方のない代物だ。元の持ち主の元へ戻ってよかった。
「そして、もうひとつ。私は綴り手の能力を消す薬を飲みました。これは徐々に能力が消えていくものです。これで能力が消えれば綴り手の能力を利用されないはずです。
能力が消えると同時に私の髪と目の色も変わっていくそうです。オレリア王家と同じ金と蒼の色が変われば怪しむ人もいなくなると思うんです」
「……ふん、綴り手として我々に利用されることも拒否するということか」
「……はい」
「小賢しいな。本当に嫌な娘だ」
国王はリエラの話を聞くとため息をついた。
駄目だっただろうかと不安が募る。
「お願いします! 絶対に国王様に害のないようにします! どうか、私は王家とは関わりはないと言ってはくれませんか」
「……」
国王は眉を寄せて難しい顔をすると目を瞑る。
そして幾許かののち、深いため息をついた。
「明言をする必要はないだろう」
「え……」
「お主は、オレリア王家とは元々なにも関係がないであろう。そもそもがただの一般市民だ。……私が守るこの、オレリア王国の」
「国王様……!」
リエラはがばりと顔を上げた。
目を合わせた国王は笑みこそないものの最初の険はとれていた。
「全ての文書を書き換えるまでここにいるがよい。ただし、必ず全ての文書を書き換えること。ひとつでも残っていたら許さん」
「はい!」
「書き換えたら。……そのときはどこにでも行くがよい」
「はい……っ! 国王様、ありがとうございますっ」
――終わった。
リエラの苦しくて孤独な戦いが。
全てから開放されたのだ。
「終わったよ……っ!」
国王との謁見が終わり王宮の一室にリエラとキースは来た。
全てが終わった開放感にリエラは晴れやかな笑を浮かべた。今になって震えが出てきたが、そんなことは些細なことだ。
「リエラ様、よくがんばりましたね」
「ありがとう、キース。一緒に来てくれて。勇気付けられたよ」
「いいえ、私はなにも。リエラ様がとてもがんばったからこの日を迎えられたのです」
キースは首を振る。リエラを支えることしかできないから。見ているだけは歯がゆいがそれも今日で終わりだ。
「ふふ、でもキースに支えられたことは間違いないから。それにあの薬をくれてありがとう」
「あれはベルンハルト様が遺してくださったものなのです。きっとベルンハルト様もリエラ様を救うことができて喜んでいらっしゃると思います」
「うん。だといいな」
そう、リエラの飲んだ能力を消す薬はベルンハルトが遺したものだった。
きっとリリアーナと一緒になったら飲むつもりだったのだろう。皇子でも綴り手でもないただの男として、愛した人と幸せになるつもりだったのだ。
「これであとは文書を書き換えるだけだね。これが終われば、私はただのリエラになれるんだ」
あともう少し。
全てが終わる兆しに、窓から吹き込んだ爽やかな風にふれたリエラの頬はやわらかく緩んだ。
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