月夜の晩に
「リエラ様!!」
はぁ、はぁと息を荒くしてリエラはへたり込む。
元の図書室へ戻ってきたリエラはキースに支えられた。
「大丈夫ですか!?」
「だいじょ、ぶ」
抱き寄せられた体に体重を預けるとリエラはキースを見た。
「……記憶を、取り戻したよ」
「……そうでしたか」
よほど青ざめていたのだろう。心配そうに覗き込むキースに安心させるように微笑んだ。
「あはは……。思ったよりもきつい過去だった、かな」
「リエラ様……」
「でもね、母様に会えたし嫌なことばかりじゃなかったんだよ。最期に大好きって伝えられてよかった……っ」
「はい……」
ぽろぽろとこぼれ落ちる涙が止まらない。
しゃくりをあげるとキースは胸の中にリエラを引き寄せた。
「無理をしないで。泣いていいんです」
「――うんっ」
キースに抱きつきうわーんと泣き声をあげる。頬を伝い溢れる涙はキースの服を濡らしていく。
そんなことを構いもせずにキースはリエラの頭をなで髪を梳いた。
「わ、わたしが狂いの図書を作っちゃったのっ。本に入り込んで魔力をばらまいて……! 今までの全部、ぜんぶ! 本を苦しめてたくさんの人に迷惑をかけちゃったっ」
「そうでしたか。でも、リエラ様はきちんと狂いの図書を元に戻していますよ。たくさんの人を救い、狂いの図書も救った。もう苦しんでいないんです。大丈夫」
「ほ、んとう?」
「本当ですよ。リエラ様はがんばりましたね。えらいですね」
「私がんばったかな。これでよかったのかな」
「もちろん。よくがんばりました。えらい、えらい」
「うん、うんっ!」
流す涙をそのままにリエラは泣けなかった過去の分まで泣いた。
今までずっと辛かったのだ。誰もリエラを見てくれる人はいなかった。
がんばったという言葉にリエラの心は解けていった。
ずっとこの言葉がほしかったのかもしれない。
次第に落ち着きを取り戻す。
優しくなでられ抱き寄せられるこの状況にはたと気が付くと照れくさそうに離れた。
「もう、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ありがとう。……あ」
そしてずっと握りしめていたものに気付くと手を開いた。
「それは?」
「母様が渡してくれたの。大事なものだからって」
手の中のものをぎゅっと握りしめて、母様の最期のお願いを思い出す。
――大丈夫だよ、きっとやってみせるからね。
そして、一世一代の決意をするとキースに向き直った。
「キース、お願いがあるの――」
夜も深くなり全てが眠りにつく頃。
音もなく扉が開くと黒い影がひらりとベッドに飛び乗った。
「――私を殺すの?」
黒い影ははっと息を呑む。
「ランベルト」
月明かりが黒い隊服を纏う男を照らした。
「――はっ。なんだよリエラ。夜這いだとは思わなかったわけ?」
ベッドに横たわるリエラに覆い被さるランベルトは軽く嗤った。
「思わないよ。だってランベルトは――王様の騎士様だから」
ランベルトはひとつため息をついた。
「……思い出したのか。思い出さない方が幸せなこともあるのにな」
「そんなことないよ。思い出してよかったって思ってる。大事なことがいっぱいあったから」
リエラは目を閉じると息を整えるように息を吐き出した。
「ランベルトは王様の命令で私を殺そうとしているんだよね。任務っていうのもそれだったんだ。たくさんのチャンスがあったはずなのになんで殺さなかったんだろうと思ったんだけど、もうひとつ大事なことがあるんでしょ?」
「は、そこまでお見通しって訳か。そうだよ、俺はオレリア王国国王陛下の親衛隊だ。陛下の命令のみで動いている。知っているなら話は早いな。王太子の印璽はどこにある」
チャリと音がして首にナイフを当てられた。刀身は月明かりを反射して白く光っていた。
王太子の印璽とは次代の国王となる者だけが持つことが許される王太子を表す印章だ。それをリエラはリリアーナから託された。
それが意味することにリエラは息を呑んだのだ。
「教えると思う?」
「教えなかったら痛い目見るだけだぜ?」
ナイフにもめげずにリエラは睨みつける。
睨みつけられたランベルトは表情を浮かべずに目の奥で冷たい光を放っていた。
「度々私に触れていたのは印璽を探すためだったんだね。おじい様である前国王様から母様に託された王太子の印璽を見つけるために。
おじい様は本当は母様に継いでほしかったから。だから、リリアーナの娘である私がいると邪魔なんだね」
「……はぁ。そうだよ。陛下は不服だったんだ。父親が自分を認めずに他に印璽を渡したってな。印璽を持つことのできない王太子時代を過ごされて惨めな思いをされたそうだ。そして印璽を持つ奴がやって来るんじゃないかと常に恐れていた。
お前がいたら真実が露呈したときに火種になるからな。そうなる前に消してしまおうってお考えだ。」
前国王は長子でもあった恋人との子に次代を引き継いでほしかったのだ。
なにもしてやれなかった分、せめてこれはと思ったのかもしれない。それが後にどうなるのかとも知らず。
ランベルトは刀身を傾ける。
「それで? どこだ」
「……いまは持ってない」
「……狂いの図書の中か」
「だとしたら?」
明確に向けられる殺意にリエラはぽたりと汗を流した。
「殺すよ。お前が死ねば永遠に見つかることはない。新しく作るだけだ」
さも当然のように話すランベルトに震えそうになる。
それでも今は我慢だと目に力を入れて必死に体を押さえつけた。
「今は狂いの図書の中だけど、私が死んだら然るべきところへ真実が書かれた手紙とともに印璽が現れるしかけをしてあるの」
「なんだって?」
「殺さなければ私が出さない限り印璽と真実は出ることはない。でも殺されれば信用される機関に真実と印璽は届く。大騒ぎになるだろうね。そのとき王様はどうするのかしら」
それでも私を殺すの? と艶やかに微笑む。
それを聞いたランベルトは顔を顰めた。
「――っ。……はぁ」
カチャンと小さく音を立ててナイフは鞘へ納められた。
「ランベルト?」
「お前は本当に嫌な女だよ。どんなに追いかけても逃げられて本の中へ雲隠れして。騎士の沽券に関わるっつうの。んで、最後には国王陛下を脅しちゃってさ。ったく、大したタマだよ」
「……殺さないの?」
「殺せるわけないだろ。殺ったらヤバいって伝えられて殺せるかよ」
ランベルトは、はぁと深くため息をつく。
「それにな、こっわーい番犬もいるようだしな。リエラ殺す前に俺の首が落とされそうだぜ」
この屋敷おっかない奴ばっかいんのなとおどけてみせると物陰から殺気を放ったキースが出てきた。
「お前、その凄まじい殺気しまえな。もう殺さねえから」
「信用してたと言ってもお前は気にもしないんだろうな」
「まぁな。最初っから紛れ込むためにいたんだしな」
肩を竦めるとランベルトはベッドから降りると身を翻した。
「どこへ行くの?」
「悪いが帰らせてもらうぜ。今回の任務も失敗して大目玉くらうだろうな」
先に俺の首がなくなっちゃうかもとおどけると足音を立てずに入口まで歩いていく。
「俺が言うのもなんだけどさ」
「なに?」
「元気でな」
そのまま暗闇に姿を消した。
「リエラ様大丈夫でしたか」
「こ、こわかったぁ」
今までずっと黒い影から逃げ続けて、初めてこうして相対したのだ。緊張の糸が切れて今になって震えが出てきた。
「でも、これでしばらくは大丈夫だと思う」
「ええ、がんばりましたね」
暗い廊下を音も立てずに歩く。
すっと出てきた人影にフランツとネイサンは剣の柄に手を添えた。
それをランベルトは片手を上げて制止した。
「待て。お前はアリストだな」
人影はランベルトたちの元まで歩くと月明かりに照らされてアリストになった。
アリストの周囲を警護するように、いつものおちゃらけたおじいさんの仮面を捨てた三人がいつでも剣を取り出せるように構えていた。
「やあ、今日はいい天気だね。オレリア国王の狗?」
「なんの用だ」
「別に。君には用はないよ。用があるのはリエラにだ。殺さないでくれて助かったよ」
「はぁ、なんで気づかれてるかねぇ」
怖い怖いとランベルトは頭を搔く。
「さすがにぼんやりした従姉妹殿のことは警戒しといてあげないとね。でもよかったよ、殺さないでくれて。殺していたら今頃君はあの世行きだ」
「……怖いねぇ」
「それで? どこに行くの」
「帰るんだよ。もうここにいても仕方ねぇからな」
「そ。ならオレリア国王に伝えといて。大人しくいい子で待っていてってね」
アリストはにこりと笑う。
「ホント、この屋敷はバケモンだらけだな。行くぞ、フランツ、ネイサン」
「「はっ」」
ランベルトはアリストたちの横を通り過ぎると後ろ手に手を振った。
「よろしいのですかな」
「まあ、なにもしてないわけだし構わないよ」
「御意に」
アリストはリエラの部屋まで歩き出した。
トントンと扉を叩く音がした。
「わお。今日は千客万来だね。どうぞー」
「失礼するよ」
「アリスト?」
部屋に入った来客者にリエラは首を傾げた。
「どうしたの? こんな夜中に」
「まあ、レディを訪ねる時間ではないよね。少し急いでいたものだから」
「いいけど、どうしたの?」
キースに支えられてベッドから降りると明かりを灯しソファへ腰掛けた。アリストも向かい側のソファへ座る。
「今日ダリウスへ出立しようと思うんだ」
「……いきなりだね」
「情報も集まったからね。誰かさんが派手に救出劇を繰り広げてくれちゃったおかげで早めに動かないといけなくなっちゃったし」
アリストはじろりとキースを見れば彼はなに食わぬ涼しげな顔をしていた。
「そっか」
「リエラ。僕はね、ダリウス帝国の帝王になるつもりだよ」
「え?」
「ダリウス帝国はオレリア王国と違って後継者は帝王の任命制なんだ。だから三男の僕にでもチャンスはある」
ニヤリと挑戦的に笑う。
「そのためには邪魔な戦争賛成派を排除したかったんだよね。今回色々と情報を精査できたおかげで邪魔なやつらを蹴散らせそうだ」
「おおう」
悪ーい笑みを浮かべるアリストにリエラは少し引く。
アリストがはっきりと言うなら戦争賛成派は跡形もなくなくなってしまうのかもしれない。
「それじゃあ、皇太子様になるんだね」
「ならないよ。父上には隠居して席を譲ってもらうつもりさ」
「はぇー」
すごいなーと感動まで覚える。もしかしたら目の前にいる人物は数ヶ月後には大国の帝王陛下になるのかもしれないのだ。
「リエラには感謝しているんだよ。結果的にとはいえ狂いの図書のおかげで暗殺から間逃れたわけだしそこからも救ってくれたわけだしね。それにキースとの取り引きもある。しっかりと恩は返すつもりだから少し待っていてよ」
「ん? うん、わかった」
よく分からないがリエラは頷いた。
「さて、僕たちは行くよ」
「寂しくなるね」
「まあね。もし、ダリウスに来ることがあるなら寄ってってよ。もてなしてあげるから」
少し寂しげに話せば眉を下げてアリストは微笑んだ。
「それじゃあ、元気でね。リエラ、キース」
「アリストたちも。気をつけて、元気でね!」
アリスト、ロン、ヨハン、ヤコブは屋敷から去っていった。
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