あなたがいてくれたから

「図書室に行きたいんだけどいいかな」


 夜も遅くなってきたからと心配をかけまくった彼らと別れリエラはキースと一緒に廊下を歩く。


「リリアーナ様の日記、ですか?」

「うん。あの日記って私のお母さんのだよね?」


 いつかの日、黒い手に阻まれ弾き出されて入ることができなかった日記。

 リエラの母はリリアーナという名前だと知った。あの日記は自分の母のものだという確信がリエラにはあった。


「……そうです。黙っていて申し訳ございません」

「ううん、私が混乱しないようにしてくれたんだよね。もう大丈夫。私は真実を知っても大丈夫だよ。あの日記には知りたかった真実があると思う。だから行きたいの」


 リエラは頷く。あの日以降たくさんのことを知った。

 リエラに流れる血、綴り手の能力のこと。リエラを取り巻く環境は思っていた以上に厳しいものだろう。

 それでももう記憶を取り戻しても大丈夫だと思った。どんな辛い過去でも耐えられるだろう。なにより――。


「キースがいてくれるから。なにがあっても味方でいてくれるキースがいるから大丈夫なの」

「リエラ様……」


 にこりと微笑めばキースは立ち止まった。そして一瞬苦しそうな顔をして切なく微笑むとリエラの頬に手を添えた。


「はい。支えさせてください。……お側で。ずっと」

「うん……」


 リエラは頬に添えられた手に触れる。


「この屋敷はお父さんが私たちのために用意してくれた屋敷だったんだね」

「……はい。ここはベルンハルト様がリリアーナ様と産まれてくるお子様のために用意した屋敷でした。ここで私たちは共に育つはずだったのです」


 あったかものしれない過去。

 屋敷の庭で年上のキースに甘える幼いリエラ。それに困ったように微笑みながらも優しくリエラの幼いわがままを叶えるキース。周りでは大人たちが笑いながら見守っている。そこには朗らかな笑い声で溢れていた。

 そんな温かな日常の風景が目の裏に思い浮かんだ。優しくて温かくて、でも訪れることはなかった過去。

 優しくて朗らかで切ないその光景に胸がきゅうっと締め付けられた。


 そしてまた空想する。

 豪快なくせに気配り上手なランベルトにたまに辛辣だけどとても優しいルイーシャ、掴みどころのないフランツと隠れて甘いものが好きなネイサン、飄々としているがやるときはやるロン、ぶっきらぼうだけど実は涙脆いヨハン、いつも優しい笑顔を絶やさないヤコブ、いつも堂々としていて毒舌なのにたまに優しいアリスト。

 そして、いつもリエラの側にいてくれて、リエラ至上主義といっていいほどリエラに尽くしてくれるキース。


 寂しかった屋敷に少しづつ人が増えていき静かだった屋敷は賑やかに、ときに騒がしく声の絶えない屋敷になった。

 あったかもしれない過去が色鮮やかに塗りつぶされていく。


「そんな過去も素敵だね。きっと幸せだっただろうなぁ。でもね、私は今もすごく好きなの」

「ふふ、そうですね」


 うるさいんだけどねと言えば笑いながら同感ですと肯定される。

 これまでを思い出し二人は和やかに笑い合う。

 笑い声が収まり一拍置くとキースは切り出した。


「私はベルンハルト様にリエラ様たちをどうか頼むと任されていたのです」

「お父さんが?」

「はい。実はベルンハルト様が事故にあわれてから亡くなるまで、少し時間があったのです。ベルンハルト様はしきりに残してしまうリリアーナ様とお子様を心配していました。そして側に付き添っていた私の父と私にどうか守ってほしいと願われたのです」

「そうなんだ……」


 苦しそうな顔をするとキースは伝える。きっとそれがずっとリエラに仕えてくれた理由だろう。

 会ったばかりのリエラにこんなに親切にしてくれた理由がずっと分からなかった。キースはベルンハルトの願いをずっと叶え続けていたのだ。


「ベルンハルト様が亡くなってから私たち親子はリリアーナ様とそのお子様を探しました。しかし、リリアーナ様はベルンハルト様が亡くなったことに危機を覚えたのかお逃げになられたようで。お迎えにあがったときには既におりませんでした」

「そうなんだ……」

「捜索を始めてしばらくののち、狂いの図書が現れはじめました。狂いの図書が発生する時代は綴り手がいると聞いています。ベルンハルト様のお子様はお父様の能力を受け継がれた綴り手なのだと確信いたしました。ですので私は狂いの図書を集めはじめたのです」


 ずっと探してくれていたのだ。きっと狂いの図書を回収しながら側にお母さんと私がいないか探してくれていたのだろう。


「ずっと見つけられずにいました。そして嵐の夜、リエラ様はこの屋敷へいらっしゃった」

「うん」

「焦燥したご様子でした。なにもかも辛いと仰っていた。……なので私はリエラ様があえて記憶をなくされたのだと思っておりました」

「うん」

「記憶をなくされてからのリエラ様は最初は戸惑っておられましたが、だんだんと明るく朗らかに日々をお過ごしになられて。……私はこのままでもいいのではないかと考えるようになったのです」


 そこまで言ってキースは切なく微笑んだ。


「ですが取り戻すことを決めたのですね。厳しく辛いことでも受け入れることをお決めになった」

「うん、そうだよ。みんながいてくれてキースがいてくれたから。私はきっと強くなったんだ」

「そうですね。きっと今のリエラ様なら乗り越えられるのではないかと思います」

「ありがとう」


 キースの優しさに胸が締め付けられそうだ。ずっとずっと、出会う前からリエラたちのことを考えてくれていたんだ。十何年もどこにいるか分からないリエラたちを探し続けて狂いの図書を探し続ける日々。言葉で表せないほど苦難と困難があったのではないだろうか。

 リエラがやってきてからもずっと側で守り続けてくれて大変だったことだろう。


「キース」

「はい」

「何年も屋敷を守り続けてくれてありがとう。狂いの図書を回収してくれてありがとう。――私たちを探してくれて、ありがとう」

「……っ。はい。どういたしまして」


 頬に添えられていた手を両手で握る。この手はずっとリエラを護ってくれたんだ。

 リエラはその手に口付けを落とした。

 キースの顔は感極まったように歪んだ。


「――行こう? 全てを取り戻しに」

「はい。リエラ様の仰る通りに」


 二人はどちらともなくぎゅっと手を握った。

 この先でどんな困難が待ち受けているとしても。

 ――もう大丈夫。あなたと一緒なら。





「それじゃあ、いってくるね」


 図書室でリリアーナの日記を取り出すと膝の上に置いた。


「はい。ですが、また黒い手が伸びるかもしれません。お気をつけて」

「うん、分かった。ありがとう」


 リエラはひとつ深呼吸すると題名に指を添えた。


「キース、待っててね」

「ええ、もちろんです。お帰りをお待ちしています。ご無事でお帰りください」

「うん、いってきます」


 指先に魔力を集めて本に流し込むように題名をなぞった。


『デネス歴756年4月~761年12月 リリアーナ』


 本を開けば白い光に包まれて、リエラは本へと入っていった。

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