不思議の国のアリスト2

 てくてくと二人は歩く。正直どこへどう行けば城に辿り着くのか分からなかった。

 それをありのまま伝えればアリストは酷く呆れたように、ダメな子を見る目で思いっきりため息をついたのだ。


「仕方ないからとりあえず歩くよ」


 道はそんなに分かれている訳ではないからしばらく行けばどこかに辿り着くだろうとアリストは言うと歩き始めた。





 しばらく歩くとひとつの屋敷が見えてきた。ほっとしてリエラはそちらに指をさす。


「家があったよ! 行ってみよう」

「……まあ、このまま歩き続けるよりはいいか」


 屋敷まで行ってみれば屋敷前でお仕着せを着た魚とカエルが叫んだ。


「公爵夫人殿へー! 女王陛下よりクロッケーのごしょうたーい!! ……ご招待ですぞーっ!!! 聞こえてますかー!? 大丈夫ー!?」


 魚とカエルは玄関に耳を近づけるとお互いを見る。


「返事聞こえる?」

「聞こえない」

「ま、いいや。確かに伝えましたからなーっ!!」


 思いっきり叫んで息を切らしながら魚とカエルは去っていった。

 リエラとアリストは顔を見合せる。

 玄関まで近付けば中からガッチャンガッチャンと陶器が割れる音が聞こえてきた。


「どうしたんだろ。とりあえず入るよ!」

「ちょ、いきなり……」


 ガチャリと玄関の扉を開く。

 すると中から大きな皿が飛んできた。


「ひょわーっ!」


 リエラはすぐさま屈んだ。大きな皿はリエラの頭の上を通り過ぎると後ろの木にぶつかってガシャーンと大きな音を立てて割れた。


「な、なななななに?」

「仕方ないよね。ここはそういうとこなんだよ」


 アリストは飛んでくる皿を避けながら平然と中へ入っていった。

 リエラも恐る恐る進めば、台所でスープをかき混ぜながら皿を投げつける料理人と平然と座る夫人、夫人に抱かれた泣きわめく赤ん坊、それからニヤニヤ笑う猫がいた。

 料理人はこしょうを撒き散らしあたりはもくもくとけむりまみれだった。


「へっへっくしゅっ! すっごいこしょう! 一体どうしたんですか!?」


 慌てて夫人に声をかける。夫人は不機嫌にリエラを睨めつけた。


「なんですの、あなたは」

「外から食器の割れる音がしたから入ってきたんだけど……。どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもいつものことでしょ」

「いつものことって……」

「ここはそういうとこよ」


 投げつけられる皿を頭で平然と受けながら公爵夫人は言い放つ。

 公爵夫人は泣きわめく赤ちゃんをあやしながらまろい頬についたこしょうを指でちょんと拭い子守唄を歌う。

 夫人の歌う子守唄は歌詞はとてもひどく調子外れで時々合いの手が入る奇妙なものだった。


「あなたにもこの子をあやさせて差し上げるわ」


 夫人はリエラに赤ちゃんを渡す。

 えっ! と戸惑う間もなく渡された赤ちゃんを抱きしめた。


「あたくしはずいぶんとひどい母親ですからね」


 夫人はへの字に口を曲げ仏頂面をする。

 そこに飛んできたフライパンを慣れたようにおぼんでガードした。


「みんなが言うのよ。あたくしはひどいやつですってね。いない方がいいのよ。この子にはね」

「そうかな?」

「なんですの」


 リエラは首を傾げた。


「夫人は赤ちゃんを大事にしてると思うよ。まあ、あの子守唄はどうかと思うけど。だって夫人、お皿が飛んできても全部自分が受け止めて赤ちゃんに当たらないようにしてたでしょ。こしょうも吸い込まないようにガーゼをあててたし」

「見てたの……」

「夫人が赤ちゃんを大事にしてるの分かるよ。だって赤ちゃんはこんなにも夫人が大好きなんだもの。……いいな、お母さん」


 リエラは腕の中を見た。

 赤ちゃんは夫人を見つめて必死に腕を伸ばして泣いていた。


「夫人は赤ちゃんのこと好き?」


 夫人は仏頂面を止め泣きそうな顔をすると赤ちゃんの小さな手にふれた。


「……好きよ。もちろんじゃない。――例えこの子が豚だったとしてもね」

「……へ?」


 腕の中の赤ちゃんは瞬く間に子豚に変わっていった。ブヒブヒと子豚は暴れリエラの腕を蹴りあげると走り去っていった。


「さて、あたくしは行くわね」

「えっ、いいの!?」

「よくはないわよ。女王の招待だから仕方ないのよ」


 ため息をつき夫人は支度をすると屋敷を出る。

 それに続いてリエラとアリストもこの奇妙な屋敷から出た。


「それではね」


 夫人は馬車に乗って城へ向かっていった。


「なんだったんだろ」

「さあ。理解しないくらいが丁度いいよ」


 こともなげにアリストは言った。

 確かに理解できないことばかりで考えるだけ無駄かもしれない。


「お二方」


 呼びかけられて振り向けば木の枝の上に屋敷にいた笑う猫がいた。


「あの屋敷にいた猫ちゃん」

「チェシャ猫さ」


 チェシャ猫はニッタリと笑うと縞模様のしっぽを揺らした。


「公爵夫人に代わってお礼を言うよ。ありがとね」

「ん? どういたしまして?」

「夫人の悩みも軽くなったろうさ。お礼と言ってはなんだけど、ひとつ道を教えてあげる」

「本当!?」


 リエラは喜んだ。どこへ行けばいいか分からなかったからとても助かる。


「あちらの方向へ行けば三月うさぎが住んでいる。でも気をつけて。そこの住民はキチガイさ。まあ、ここは誰も彼もがキチガイだけどね」


 チェシャ猫は向かう方向をしっぽでさした。

 伝えるだけ伝えるとチェシャ猫は姿を消していく。徐々に体が透けていき笑う口を残すとなにも見えなくなった。


「ではまたいつか会うときまで」


 そしてニタリと上がった口も消えていった。




 チェシャ猫が教えてくれた道を歩く。

 しばらくすれば三月うさぎとやらに会えるはずだ。


「チェシャ猫の言ってたキチガイってなんなんだろ」

「ここの住民はみんな狂ってるんだよ。だからこそ物語が狂って登場人物が狂ってもここの住民たちは消えなかった。だって消えようがない。元々狂ってるんだからね。狂ってるヤツが狂ったところでなんの問題もない。この物語で消えたのはたった二人。――アリスと白うさぎだけ」

「え……? アリストどういうこと? あなたどこまで知って――」

「さあ、着いたよ」



 開けた場所に出ると芝生敷きの庭に大きなテーブルと何脚もの椅子が並んでいた。

 そこの周りをティーポットやティーカップが飛び交いガッシャンガッシャン割れていく。


「なんにもない日バンザーイ!」

「なんにもない記念日バンザーイ!」


 ケーキを手で掴むと三月うさぎはいかれ帽子屋に投げつけた。

 同じようにいかれ帽子屋も三月うさぎに投げつける。色んなものが飛び交う中ネムリヤマネはすやすやと寝ていた。


「なにごと?」

「さあね」


 戸惑うリエラと平然と歩くアリストは庭に足を踏み入れた。


「なんだい。おじょうちゃんにおぼっちゃん。今日は満員だよ」

「満員! 満員!」

「ええ?」


 こんなに空いてるのに? とリエラは戸惑う。

 いやもう、どこにびっくりしていいのか感覚は麻痺しているが。


「まあ、来ちまったもんは仕方がない。ゆっくりしておくれよ。はい、お茶」


 そう言うやいなやリエラの席にティーポットが飛んでくる。それは割れて中身が飛び散り、次にティーカップが割れて粉々に、さらに飛んできたスコーンはベチャベチャのボロボロになった。


「なっ!」


 食べるどころじゃないそれにリエラは声を失った。


「今日はお祝いだからね! 特別さ! なんにもない日バンザーイ!」

「なんで、なんにもない日なの」

「そりゃあ特別な日はめでたくないからさ」


 そりゃあそうだといかれ帽子屋の言葉に三月うさぎは頷く。


「別に特別な日もなんにもない日もいつだって祝えばいいと思うけど」


 この惨状になにもないかのように自分だけさっさと用意したアリストは足を組んで優雅に紅茶を飲む。

 その言葉にぴたりと止まるといかれ帽子屋と三月うさぎは大爆笑した。


「そりゃあそうだ! なんにもない特別な日バンザーイ!」

「毎日がエブリデイ!」


 いかれた二人は欠けたティーカップでカンパイした。


「ところでなぞなぞさ」

「大ガラスと書き物机が似ているのはなーぜだ!」

「はい? い、いきなりだね…」


 話の流れについていけないリエラは困惑する。大ガラスと書き物机が似てる? なに? どういうこと?

 ううむと考える。いや、こんな訳の分からないことに真剣になっていいのだろうか。


「答えがあるなら考えてあげてもいいけど」


 テーブルにある無事だったスコーンをつまみながらつまらなそうにアリストは言った。


「……」


 いかれた二人組は優雅に紅茶をひとくち。


「よし、スコーンにつける至高はなにか!?」

「ベジマイト!」

「泡立てない生クリームにお日様の下で七日間!」

「なっ……」


 最高だーと言いながらなにもつけていないスコーンを相手の口に目がけて投げつける。

 アリストはさっと避けリエラは顔の真ん中で受け止めた。


「……」


 ギュッと手を握りしめ、わなわなとリエラは震える。

 そして、ダァンッ!! とテーブルを思いっきり叩くと笑い続ける彼らは静かになった。


「スコーンはクロテッドクリームにアプリコットジャムたっぷりが至高に決まってるでしょ!」

「……」


 いかれ帽子屋と三月うさぎは顔を見合せた。


「いいね!」


 全員がひとくち紅茶を口にする。


「ところで今は何時だい?」


 いかれ帽子屋は問いかけた。

 リエラは持っていた懐中時計を見て時間を確認する。


「今は二時だよ」

「なんだって!?」


 いかれ帽子屋は時計を見た。


「いーや、今は六時だね。今日も明日も明後日もその次だってずーっと六時なのさ」

「ええ?」


 まったく意味の分からない言葉にリエラは困惑した。気にしてもしょうがないとは分かっているが困惑するものはするのだ。


「女王陛下に死刑を言い渡されたときからずーっと俺の時間は六時なのさ」

「え、なに? どういうこと?」

「女王陛下の機嫌を損なえばすぐ死刑。あるとき女王陛下に歌った歌がお気に召さなかったらしくて首をちょん切れって言われたのさ。そのときに俺の時間は六時で止まっちまった」

「そんな!」

「だから俺の時間はいつも六時。毎日毎日六時のお茶会を開くのさ」


 ずーっと六時のお茶会だからこんなに茶道具が出てるのさと歌うようにいかれ帽子屋は言った。


「ふーん、気に入らないな」

「アリスト?」


 静かに聞いていたアリストはいかれ帽子屋に目を向けた。


「君、それでいいの? そんな暴君に時間を奪われて、こんなくだらないお茶会を毎日毎日。僕なら耐えられないね。それよりも面白いことをしたいと思うよね」


 いかれ帽子屋と三月うさぎは顔を見合せた。


「面白いこと? そりゃなんだい?」


 アリストはニヤリと挑戦的に笑った。


「王位の簒奪」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る