黒く伸びる憎悪
カツリと寂れた路地に足音が響いた。
薄汚れ、暗い路地裏にはその影に隠れるように男が佇んでいた。
特に声を掛けず近くに寄る。近付く足音に男は目線だけを向けた。
「来たか」
「……」
男は目的の人物を認めると懐から一冊の本を出した。
「これを頼む」
「……」
差し出されたそれを少し顔をゆがめて受け取る。古びてはいるが革張りの装丁はしっかりとした重みがあった。
「……はあ。今度こそ本物なんでしょうね」
「確かなスジから手に入れた。今度こそ合っているはずだ」
「そう言ってもう何度……。まあ、いいです。手配します」
「くれぐれも、よろしく頼む。……あの御方を救ってくれ」
「……」
ひとつため息をつくと手に持った古い本をしまった。
「ねえ、キース」
「はい、どうしましたか?」
からりとした秋風を取り込むために窓を開けた図書室でリエラとキースは本の整理をしていた。
風通しを良くして虫干しするために今まで未整理だった場所を中心に本棚から本を出していく。
そんな中リエラは一冊の本を取り出した。
その本は表紙も薄く角がよれていたり少し黄ばんでいたりとあまり状態が良くないものだった。
「これって狂いの図書なのかな?」
手に持った本を見て首を傾げキースに見せた。
「日記じゃない? これ」
「日記……ですか?」
もう一度題名を見て首を傾げる。
普段手にしている狂いの図書とはまた毛色の違ったものだ。本の表紙には手書きで暦と名前が記載されていた。
「「デネス歴756年4月~761年12月 リリアーナ」だって。日付って十七年前から十二年前だよね? このリリアーナって人の日記じゃない?」
「リリアーナ……」
「この本から狂いの図書の魔力を感じるの。まだ静まってない暴走状態の」
「リエラ様は狂いの図書の魔力を感じ取れるようになったのですか?」
「うん、ちょっとずつ分かるようになってきたの。多分今なら表紙の作者名の有無を見なくても狂いの図書かどうか分かるよ」
これまでに色々な狂いの図書を鎮めてきたせいか狂いの図書の魔力が感じ取れるようになった。
今まで自分に魔力があるのかさえ分からなかったが、自分に魔力が馴染んできているのを感じる。
「そうでしたか。リエラ様は魔力の制御が上手くなっているようですね。狂いの図書の中でも物語を操ることができるようになるかもしれません」
「そうなの?」
「ええ、綴り手は狂いの図書の魔力を制御する存在ですので、魔力を上手く操ればそれこそ本の作者のように思い通りの物語に狂いの図書を綴ることができるのですよ」
「へえー」
そんなすごいことができるのかと目を丸くした。リエラは狂いの図書の物語や登場人物たちに振り回されまくっているから早くその域まで辿り着きたい。
「でもこれってリリアーナって名前が書いてあるけど普通、狂いの図書って作者名がないじゃない? どういうことなんだろ」
日記は記入した人が作者ではないのだろうか。
どういう訳だか名前が入っているのにも関わらず狂いの図書として魔力が暴走している。
訳が分からなくてリエラは首を傾げた。
「おそらくですが……こちらはリリアーナという名前まででひとつの題名になっているのではないでしょうか」
「あ、そっか。なるほどね、それなら確かに名前が入ってるのも納得できるね」
確かに名前が題名の物語は数多くある。それと同じような括りなら納得だ。
「んー、でもこれって日記なんだよね。入っちゃっていいのかなぁ。過去に起きた出来事を歪めて鎮めちゃうのもどうかなと思うんだけど……」
今までの狂いの図書は大体結末が少し原作とは変わってしまっている。確かに小説や物語だけが狂いの図書になる訳ではなく歴史書なども狂いの図書になる可能性があるとは聞いているが。
それでも毎日の出来事を綴った日記を勝手に改変するようなことになってもいいのだろうか。それに人様のプライベートに入り込むのに少し抵抗がある。
日記を前にリエラはうーん、と唸った。
「それはそうですが、狂いの図書が暴走状態ということは本が苦しんでいる状態ですし、この中に誰かが喰われている可能性もありますから鎮めた方がいいのは確かでしょうね」
「そっか……それもそうだね」
改めて狂いの図書を見る。私の助けが必要なら行ってあげないと。
よし、とひとつ頷くと勢いをつけて立ち上がった。
「それなら早速この狂いの図書を鎮めてきちゃうね」
「早速、ですね……。大丈夫ですか?」
「もちろん!」
「……かしこまりました。どうぞご無事で」
心配そうにするキースに大丈夫だと力強く笑顔を向けた。
そして日記の題名に指を寄せた。
「それじゃあ、ささっと終わらせてくるねー!
『デネス歴756年4月~761年12月 リリアーナ』」
日記を開くと辺りが光に包まれ、リエラは狂いの図書へ入っていった。
「ここは……?」
リエラは目を開くと辺りを見渡した。いつもとは違う様子に戸惑った。
「なにここ、真っ黒……」
目を開いてもなにも見えない。見渡す限りの黒。
漆黒ではなくいろんな色を混ぜ込んだようなドロドロの黒だった。
「どこへ行けばいいんだろ?」
とりあえず足を動かし一歩踏み込むとザワリザワリと辺りがざわついた。
「え……な、なに?」
『オマエノセイダ……』
「え……」
ぶわっと黒い世界から紙でできた真っ黒な手のようなモノが幾本も出てくる。それはリエラを引きずり込もうと蠢いていた。
『オマエノセイダ……』
「な、なにこれ……っ。い、いや! やめて」
段々と手が近付いてくる。それは手招きしたり掴もうとしきりに手を動かす。
『オマエノセイダ』
「やだ、やだ! たすけて」
『リエラっ!!』
ドンっとリエラの体は弾き出された。
「リエラ様っ!!」
「――っ。はぁ、はぁ……っ」
弾き出された体を抱き留めたキースは荒く息するリエラの背中をさする。
「大丈夫ですか? 一体なにが……」
キースの腕をきゅっと掴みカタカタと震えるリエラに落ち着かせるように少し力を入れて抱きしめた。
今までにないようなリエラの恐慌状態に困惑する。
「黒い、腕が……」
「黒い腕?」
リエラはこくりと頷いた。
「黒い腕が私のことを引きずり込もうとしたの。お前のせいだって……。私、なにをしたんだろう。記憶を失くす前、なにをしちゃったんだろ……」
「リエラ様……」
あの黒い空間のお前のせいだという言葉はリエラに向けて放たれた言葉だと分かった。明確に自分に向けて憎悪を向けてきた。
そのことにリエラは恐ろしくなった。
記憶を失くしてからのこれまで狂いの図書から恨みをかったことはない、はずだ。少なくともあそこまでの憎悪をかうことはなかった。ならば記憶を失くす前になにかをしてしまったのではないだろうか。
そこまで考えて落ち着いてきたはずの震えがまた出てきた。
キースはリエラの背中をさする。
「リエラ様、こちらの狂いの図書はもう入らないでください。あまりにも危険すぎる」
「え、で、でも……」
狂いの図書を元に戻さなければならないのではいけないのでは。あの危険な中に喰われている人がいるのなら助けないととキースの言葉に躊躇った。
「お願いですから。危険なことはなさらないでください」
「キース……」
震えたような切実な声にリエラはキースを見つめた。
なにかを堪えたような顔に無理やりにでも行くとは言えなかった。
「わかった……。行かないよ。心配かけてごめんね」
「よかった……」
キースはほっと息を吐くと震えの残るリエラを優しくなでた。
「もう大丈夫だよ。ありがとう」
「はい」
しばらくして落ち着いたリエラはキースから離れた。
「それにしても、今のが中途半端だったしどうせなら他の狂いの図書を鎮めようかな。他のだったらいいでしょう?」
「え、今からですか?」
「うん!」
元気元気とこぶしを握って引き寄せた。
未だに心配そうなキースにあえて元気いっぱいな笑顔を送る。
「もう震えも止まったし平気平気! さっきのもすぐに出ちゃって肩透かしだったからいってこようかな。まだまだ鎮めてない狂いの図書あるよね?」
「それは、ありますが……」
「ね、一冊だけだから」
あんなにも心配してくれるキースに動揺しているところは見せたくない。くるりと本棚に向き直った。
「……でしたら、こちらの狂いの図書をお願いできませんか」
「ん?」
キースは入口すぐの本棚から一冊を引き出した。
それは古びてはいるが皮表紙のしっかりとした本だった。
キースはたまにこの狂いの図書を鎮めてはくれないかと持ってくることがあるのだ。この本もそれなんだなと軽く了承した。
「うん、いいよ」
「……ありがとうございます」
「不思議の国のアリスかぁ。えっと、小さな女の子のアリスが白うさぎをおいかけて不思議の国に迷い込むんだよね。その中でしゃべる動物たちや動くトランプに出会って不可思議な冒険をするお話なんだっけ」
「そうですね。大丈夫でしょうか」
「うん、もちろん!」
にこりと笑うとキースから本を受け取った。
「じゃあ今度こそいってきまーす」
「はい、ご無理だけはなさいませんよう」
「うん! 『不思議の国のアリス』」
題名をなぞるとリエラは再び狂いの図書へ入っていった。
「ご無事で戻ってきてください……」
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