はじめてのおでかけ

「街に?」


 リエラは読んでいた本を伏せルイーシャを見た。


「ええ。今日はキースもいないでしょう? サラナの街中へ行ってみませんこと?」


 今日はキースは狂いの図書の引き取り依頼で外出している。例の如く出かける際には一悶着あったが、大丈夫だから! とリエラが強く言えばキースは肩を落として出かけて行った。


「えー、でもキースに出かけるって言ってないしなあ」

「嫌だ、キースはあなたのお母様かなにかですの? どこに誰と出かけ何時に帰ってくるか伝えなければならないなんて母と子の会話ですわよ。大丈夫ですわ。わたくしもいるのですし」

「そうかなあ……」


 あんまりキースを心配させたくないしなあと迷っているとルイーシャは最終兵器とばかりに切り出した。


「ジョン=シャンティーヌの店もありますの。わたくし一度行ってみたかったのですわ」

「ジョン=シャンティーヌ?」

「有名チョコレート菓子店ですわ」

「すぐ行こう」


 こうしちゃいられない、すぐ支度しなければとリエラは勢いよく席を立った。


「変わり身が早いですわね」

「なーに、キースが戻ってくる前に帰ってくれば大丈夫、だいじょーぶ!」


 呆れたようにこちらを見るルイーシャに爽やかに言い放つ。

 元々外へ出ても恥ずかしくない程度のデイドレスを着ているので少し髪を整えて靴を変えればいいかなと適当に髪をとかす。

 その様子をあなた女の子でしょうにと呆れて眺めていたルイーシャは先ほどリエラが読んでいた本が目についた。


「リエラは先ほどなにを読んでいましたの?」

「ん? ああ、これ? 『お留守番の心得~初級編~』だよ。なんと、キースお手製」


 はははとリエラは乾いた声で笑うと遠くを見つめた。ついにキースはお留守番の心得を作ったのだ。しかも結構分厚くぎっしりと書かれている。これで初級編なのだ。中級編、上級編もあるのだろうか。リエラが遠い目をしても仕方がないというものだ。


「リエラ、あなたも大変ですわね……」

「あははは……」






「わあ! 街が見えてきた!」


 ガタガタと辻馬車に揺られながらリエラは窓の外を見る。森を抜けてしばらく走るとたくさんの建物が見えてきた。


「それにしても丁度よく辻馬車が来てくれてよかったね! 助かっちゃったよ」

「なに言ってますのよ。あらかじめ出勤前のランベルトに頼んでおいたのですわ。十三時頃屋敷に辻馬車を着けるようにって」

「な、なるほどー」


 最初からリエラを連れていくつもりだったようだ。準備のいいルイーシャに感心した。

 とはいえ、辻馬車の手配がどういう手順で行われるのかは分からないが出勤前にいきなり言われてランベルトも大変だったのではなかろうか。後でお礼を言っておこう。


「これからチョコレート屋さんに行くんだよね? どこにあるの?」

「駅のすぐ側だそうよ。街の入口で降ろしてもらって少し歩いてみましょ。これも勉強よ」

「うん!」


 程なくして街へと着いたリエラたちは辻馬車から降りると街を見上げた。


「ほわー、人がいっぱい」


 街を行き交う人々は上手に人や馬を避けながら歩いている。高さのある建物が目抜き通りに立ち並び隙間には屋台が並んでいた。活気のある街の喧騒にリエラは目を回しそうだった。


「さあ、行きますわよ」

「この中を!?」

「当たり前でしょう。しっかり前を見て歩きなさいね」


 難易度が高いと思う。

 しかしなにごとも経験だ。恐る恐る足を踏み出した。

 目指せジョン=シャンティーヌ!


「この街はダリウス帝国のすぐ隣と話しましたでしょう? 近くに運河があるのですがそれを超えたらダリウス帝国なんです。それでもこんなに平和的な街並みなのはランベルトたちの勤める自警団の他に国境警備団があるからなのですわ。彼らが日夜警戒してくださるおかげで王都よりも治安がいいのですって」

「そうなんだ。そのおかげで私たち女の子二人だけでも出歩けるんだね」

「そういうことですわ」


 道中ルイーシャはサラナ街やオレリア王国について教えながら歩いた。実際見ながら教わると教科書のときよりも断然分かりやすかった。

 うんうんと話を聞いているうちに目的地へとたどり着いた。


「うわー、すごい人だね。入れるかなあ」


 有名店と言っていたがこれ程とは。店の入口に並ぶ人の多さに圧倒された。これは列の最後尾に並べば入れるのだろうか。


「大丈夫でしてよ。すでに予約してありますの。時間もそろそろですし入りましょ」

「予約?」

「あらかじめ日付と時間を指定して席を確保してもらうのですわ。大丈夫です、数日前ランベルトにお願いしておきましたから」

「な、なるほどー」


 結構ルイーシャに使われているのねとランベルトの苦労を慮った。後でお土産買っておこう。



「すごい、おいしいっ」

「さすがはジョン=シャンティーヌね」


 お洒落で品よくまとまった店内のカフェスペースで二人は一番人気のガトーショコラを注文した。

 さすが有名だというだけあってしっとり濃厚なチョコレート生地にさっぱりとした生クリームがよく合う。口溶けもよく、飽きのこない控えめな甘さだ。一緒に頼んだ紅茶とも合って食べる手が止まらなかった。


「今まで食べた中で一番おいしいチョコかも」

「そうね、わたくしも色々と有名店のお菓子をいただいてきましたけど、ここが一番好きですわ。こういう店内でいただくのが初めてということもあるかもしれないですけど」

「ルイーシャも初めてなの?」

「ええ、今までは使用人が購入してきたり家で作られたものをいただいておりましたから。ですので、こうしてお茶しに出かけるのが夢だったのですわ」

「そっか。夢が叶ってよかったね。私もルイーシャと一緒に食べれて嬉しい」

「ふふ」


 女子二人の和やかな時は過ぎていった。



「さて次はどうしよっか。帰るにしてもまだ日も高いしもったいないよね」

「そうねえ、あまり考えていなかったし街の散策でもしましょうか。また次に行く店を決めておきたいですし」

「ふふ、また次もあるんだね?」

「あら、当たり前でしょ」


 話しながら歩く。行き交う人々を交わしながら歩くのも慣れてしまえば意外と簡単だ。

 とりあえず雑貨屋にでも行ってみようかと目的地を定めたとき、ふと知っている人物が道路を挟んで向かいの路地裏から出てきたように見えた。


「キース……?」


 そういえば今日はどこへ行くとは言っていなかった。サラナ街にいたのかとこちらに気付かず歩き去ろうとする後ろ姿を追いかけようとした。


「待って、キース」

「リエラっ!?」


 道路を突っ切り向こう側へ渡ろうとしたとき、すぐ近くで馬の嘶きと早く回る車輪の音が聞こえた。

 振り向けば眼前に迫る荷馬車が今にもリエラを轢きそうで――。


「危ねえ!」


 グイッとリエラのお腹に腕が回り歩道へ引き戻された。


「っ!」

「どこ見てんだ! 危ねーじゃねーか!」

「すまねーな、おっちゃん。こいつお上りさんでよ。キョロキョロしてたらうっかり車道に出ちまったみたいなんだ。これで許してやってくれよ」


 リエラを轢きそうだった荷馬車の御者にいくばくかの小銭を握らせる。御者はしっかり見とけよと吐き捨て去っていった。


「ランベルト……?」

「なにやってんだ! バカヤロウ!」

「ひぇっ!」


 去っていく荷馬車を作り笑いで見送ると振り返ったランベルトは怒りの形相でリエラを叱りつけた。


「車道にいきなり飛び出すバカがあるか! 馬車に轢かれりゃ死ぬんだぞ! お前死にたいのか!」

「ご、ごめんなさい……」


 謝るしかない。実際、ランベルトに助けてもらえなければリエラは荷馬車に轢かれていただろう。

 しょんぼりと頭を下げて反省するリエラにランベルトはため息をひとつついて周りを見た。


「ったく。今度から気をつけてくれよ。ってかなんでここにリエラがいるんだ? ……ああ、そういうことか」


 心配そうにこちらを伺うルイーシャを見つけたらしい。合点したランベルトはルイーシャを呼び寄せた。


「世間知らずなおじょーさんをよく見てやれよー。どんな動きするか分からないからな。目を離さないこと」

「ええ、分かりましたわ」

「うう……」


 もはや二歳児のような扱いだが反論できない。ランベルトの注意と頷くルイーシャを神妙に見る。


「じゃあ、俺はもう行くから次からは飛び出すなよ」

「あっ、ランベルト」


 街の巡回中だというランベルトが行こうとするのをリエラは慌てて引き止めた。


「助けてくれて、ありがとう」


 ランベルトは驚いたように目を見開くと仕方ないなと力を抜いて笑う。


「次は気をつけろよ」


 大きな手が頭をぽんぽんとなでた。


 その後リエラはルイーシャにしっかりと叱られた。泣きそうになっているルイーシャに本当にいけないことをしたと反省したリエラは素直に頭を下げた。


「本当にごめんなさい。次は絶対に気をつけるね」

「当然ですわ! もう絶対しないと誓いなさい」

「うん、誓う。もう絶対に飛び出しません。……心配してくれてありがとう」

「心配するのは当たり前でしょう。……と、友達なのですから」

「ルイーシャ……」


 目を逸らし真っ赤になるルイーシャにリエラは感動したように呆けた。


「な、なによ」

「ルイーシャと私、友達?」

「違いますの?」

「ううん! そうだよ私たち友達だよ。えへへ」


 だらしなく顔を崩して笑うリエラを呆れたように見ていたルイーシャだったが結局リエラに釣られて笑った。

 ぎこちなく不器用な友達の確認だったが二人にはこれで十分だった。


「ところで、どうして車道を飛び出してしまいましたの? リエラのことですからなにか理由があるのでしょう?」

「うん、実は向こうの方でキースを見た気がしたの。急ぎ足だったからよく見えなかったんだけど。奥へ行こうとしてたらから慌てて追いかけちゃったんだ」

「あら、キースが?」


 経緯を話す。この騒動で忘れていたがキースがいたようだったのだ。キースも仕事をしているようだったし邪魔するのもいけないことだったかもしれない。


「なら行ってみましょうよ」

「え、でも……」

「別にこれから行くところは決まっておりませんしね。キースを追いかけてみて邪魔になりそうだったら帰ればいいのよ」

「ありがとう」

「いいえ、わたくしもキースがなにをしているのか気になりますもの。行ってみましょ」


 たしかこっちの方だったと歩く。街の喧騒を少し外れ静かな場所に出た。そこには一件の古本屋があった。


「ここかなあ」

「いかにもって感じですわね。古本屋なら狂いの図書がありそうですしキースがいるかもしれませんわね」


 二人は静かに扉を開けた。



「では、ご主人。作業をいたしますので奥へ入っていただけますか」

「へい、お願いします。この気味が悪いもんをとっとと持ってってくだせえ」


 慌てて奥へ引っ込む古本屋主人を見届けキースは狂いの図書へ向き直った。

 相当飢えているようで力が強い。

 革手袋をして力の限り抑えているが狂いの図書はガタガタと開きたそうに動いていた。


「……あとは紐で縛って包んで持っていくか」


 リエラ様には最優先で鎮めてもらうのをお願いした方がいいだろう。

 こんな危険なものを毎度リエラ様に預けなければならないのは憂鬱な気分だ。

 作業を始めるかと片手で強く抑えながら紐を取り出そうとしたとき、ガチャリと店の入口を開く音がした。


「キース……?」

「リエラ様っ!?」


 顔をのぞかせたリエラを見てどうしてここにと慌てたキースは強く抑えていた手を緩めてしまった。


 ゴウッ


 キースの手を逃れた狂いの図書は轟音を立て開いた。

 渦を描き本の中へと突風が流れ込む。


「危ないっ! お逃げください!」

「でもっ、キースが!」


 やって来た二人を逃がそうとするも風の勢いが強すぎて二人は立っているのもやっとだ。

 喰われるのも時間の問題かもしれない。どうにか方法はないかと考える。


「きゃあっ!」

「ルイーシャ!」


 風に押されルイーシャが狂いの図書へ喰われそうになる。思わず掴むとそのままリエラ共々ずるずると引き寄せられる。


「リエラ様っ!」


 風の勢いにキースも近づけないようだ。大丈夫と言うその声も風にかき消されてしまう。


「おい、いったいどうしたんだ! ――っ!」


 騒ぎに誰か気付いたらしい。風が強くルイーシャを掴むのが精一杯なリエラは逃げてと注意する前にその人は入ってきてしまった。


 風の勢いは強まる。


(そうだ!)


 リエラは咄嗟に狂いの図書を見た。


『赤ずきん』


 やがて狂いの図書は周囲にいた人間をすべて喰らった。

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