勉強会と女子会と

「それなら私がお教えしますのに」


 眉を下げてキースは言う。

 その顔にリエラはうっ、と言葉を詰まらせた。


「あの、えーと、そのお……」


 その顔に弱いリエラは組んだ指を忙しなく動かし口ごもる。こころなしか冷や汗をかいていた。


「仰っていただければいつでも時間を空けます。リエラ様に勝る用事などございませんので」

「うぅ……」


 そうなんだけど……。いつもありがたいんだけど、と目を泳がす。

 これはもういよいよダメかもと思ったとき、後ろから軽い足音が聞こえた。


「あら、いやだ。みみっちい男は嫌われましてよ」

「あ、ルイーシャ」

「ルイーシャさん」


 リエラの後ろからやってきたルイーシャはリエラのすぐ隣に立つ。


「申し訳ございませんが今はリエラ様と話し合いをしている最中ですので」

「あらあ? 話し合いというよりも一方的に話を聞いてもらおうとしていたようですけど?」


 そうルイーシャが言えばキースは舌打ちをしたそうに顔を歪ませる。あの顔はリエラがあれに弱いのを知ってのことだったのか。


「それにこれはわたくしにも関係があることでしょう? なんていったってわたくしは、リエラの先生・・なのですから」


 そう言うとルイーシャはリエラに抱きついた。


「ひょえええ」

「ルイーシャさんっ!」

「なんだか柔らかくてあったかくていい匂いがするぅぅぅ」


 目の前の光景に目を開くとキースは慌てて引き剥がそうとする。


「な、なにをなさっておいでで……。とにかくお離れくださいっ!」

「あら、別にいいのではなくて? 女同士ですし」


 キースに見せつけるように更に身を寄せる。

 キースは剣呑にルイーシャを睨み、それを受けた彼女は勝ち誇った笑みを浮かべた。


「ひょわぁぁぁあ」

「リエラ様も離れてください!」


 訴えかけるもリエラはなんだか幸せそうに目を回していた。


「まあ、キースもよく考えなさいな。教師役はあなたよりわたくしの方が合っておりますわ。あなたはリエラに甘すぎてよ」

「甘すぎ……。そんなことは……」

「ありましてよ。あなた、リエラ至上主義も加減なさいな。というわけで、リエラは連れていきますわね」

「えっ、ちょ……」

「リエラは奪いましたわあ。それでは失礼。ホーッホッホッホ!」


 ルイーシャは勝利の高笑いを響かせながらキースの元から立ち去った。




「もう。キースにあんなにケンカ売らなくていいのに」


 いくつかある客間のひとつでリエラとルイーシャは並んで座っていた。


「あら、ああでもしないと終わらなかったのではなくて? あのままキースに勉強を教わることになっていたでしょうね」

「そうなんだけどお……」


 ルイーシャに勉強を教わることになったと伝えたら、それなら自分が教えますとキースは言ってきたのだ。

 それにリエラはどう断るべきかと迷った。


 別にキースに勉強を教わるのが嫌なわけではない。

 むしろそう言ってくれて嬉しいし甘えたいのだがキースにばかり負担をかけているようで申し訳ないのだ。

 それにルイーシャがリエラの世間知らずさに呆れて勉強を教えることを提案してくれたのだ。リエラとしてもルイーシャに教わりたいなと思った。


「ああいうのは、はっきりと断った方がいいのよ。断れず言われるがままに流されていたらいつか付け込まれるわよ」

「な、なるほど」


 これはキースのことっていう訳ではなく世間に出たら必要なことなのですわ、と教えるルイーシャにリエラは出来の良い生徒のようにこくりと頷いた。





「難しい……」


 しばらく教科書とにらめっこしていたリエラだったがへにょんと机へ突っ伏した。


「初級編ですのに」

「うう……。読めるのに文字が頭に入ってこないよお」


 読めるハズなのに。謎現象に頭を悩ませるリエラにルイーシャはため息をついた。


「文字を読むだけなら全世界の言葉を読めますのにね」


 そうなのだ。綴り手の能力のせいかどんな国の文字でも読むことができたのだ。


「それでもその内容を理解する知識がなければ意味がありませんわ。これからそれをビシバシと勉強していきますわよ」

「はい! ルイーシャ先生よろしくお願いします!」

「よろしい」


 ルイーシャは満足気に頷いた。


「それでどこが分かりませんの?」

「うん……。そもそもね、私がいるこの国ってなんて名前?」

「は?」




「まさか自分の国の名前も知らないとは思いませんでしたわ……」

「えへ、えへへ……」


 世間知らずであまりものを知らないと思っていたがここまでとは。ルイーシャは頭を抱えた。どこから教えたらいいのやら。

ちなみに今は地理の勉強中だった。初歩の初歩も分からないのであれば教科書を読んでも理解できないはずだ。


「はあ。まずこの国はオレリア王国といいます。地図でいうならここね。大国ダリウス帝国の西隣。国はいくつかの領に分かれているのですけど、今いるここはディーンリア領のサラナ街。ダリウス帝国のすぐ隣よ」


 ここね、と地図を指しながら教えてくれる。


「ダリウス帝国はオレリア王国最大の貿易相手ですの。貿易とは外国の相手とモノの売り買いをすることね。

 ダリウス帝国が近いことから貿易の主要な地としてサラナ街はそれなりに栄えていますのよ」

「へえー!」

「ちなみに人の出入りが多い街ですから飲食店も多いのよ。競合店が多いので店の味を競っているからかレベルの高い店が多いのですわ。有名なパティスリーが店を構えていることも多くてスイーツが美味しいのです。サラナ街といえばスイーツと言う方もいるくらい。あとは絹織物は王都よりもこちらで買った方が値段が遥かに安いですわね」

「スイーツが美味しいの……っ?」


 リエラは目を輝かせた。

 そんなリエラにルイーシャはふふと笑った。


「そう。でも、ダリウス帝国とは経済的には表面上友好的ですけどいい面ばかりではないの。

 ダリウス帝国は軍事大国で武力で領土を拡大してきた国なの。次はオレリア王国を狙っていると噂もあるくらい政治的にはピリピリしていますのよ」


「そこでオレリア王国は前国王の時代にダリウス帝国とは逆隣のカリアナ王国と協力関係を結びました。うちの国はいざという時の軍事協力のために、カリアナ王国はオレリア王国をダリウス帝国の防波堤として。ダリウス帝国に睨みを効かせるために二国は手を結んだの」


 ここまでは大丈夫? と聞かれリエラはこくんと頷く。

 ゆっくりと話してくれてとても分かりやすい。


「そして前国王様は友好の証としてカリアナ王国の姫君とご成婚なされたのよ」

「へー」

「前王妃様はとても苛烈な方だったようで、当時は受け入れる際の対応に相当苦慮されたみたいよ。当時、前国王様には恋人がいたらしいのだけど前王妃様に配慮されてお別れなさったそうよ。そんなご両親を見てお育ちになったからか現在の国王様はお妃様選びの際には穏やかな方をということで今の王妃様をお選びになったという逸話もありますのよ」

「そうなんだ。王様も大変なんだねー」


 豪華な王宮に住んで美味しいもの食べてと好き勝手できるわけじゃないんだなーと物語でしか王宮を知らないリエラは思う。


「前国王様と元恋人の方との間に子どもがいると噂が立ったこともあるのですけど、それはないでしょうね。前王妃様は浮気は絶対許さない方だったそうですから」

「ほー」


 ルイーシャはすごく詳しいなと思う。

 もしかしてルイーシャはリエラの想像以上に高貴な身分のお姫様なのではないだろうか。


 とても詳しく、でもリエラにも分かりやすく時折雑学を織り交ぜながら教えてくれるルイーシャを見る。

 こんなに勉強ができなくても根気強く教えてくれるいい人だ。もし、ルイーシャが本当の身分を話してくれて助けが必要ならば助けたいと強く思った。


「さて、今日はこんな感じかしら。どう? 理解できまして?」

「うん、すごく分かりやすかったよ! ありがとう!」

「ええ、どういたしまして」


 ルイーシャは立ち上がるとティーセットが並ぶワゴンへ歩いた。


「では、休憩でもしようかしら」

「あ、私が淹れるよ。今日教えてくれたお礼!」

「お礼だというなら座っていてくださる?」

「は、はい……」


 笑顔の圧にリエラはすごすごと座った。


「キースに頼もうかと思いましたけど、キースを呼んだらリエラは連れていかれそうですしね。わたくしが淹れますわ」

「ルイーシャは紅茶淹れられるの?」

「もちろんですわ。これくらい簡単でしてよ」


 話しながら淹れる手つきはなめらかで戸惑いがない。

 リエラは見とれていると目の前にティーカップが置かれた。


「どうぞ」

「ありがとう!」


 渡されたティーカップを持つとこくりと飲んだ。


「おいしい!」

「ふふ、当然よ」


 香りもよく渋みも全くない。リエラもいつぞやは同じように淹れたのになんでこんなに違うのだろうか。うむむと唸りながら紅茶と茶菓子をおいしくいただく。

 対面にルイーシャも腰掛けると優雅にお茶を楽しむ。昼過ぎの少し気だるい時間帯、のんびりとした空気が広がった。


「それで? リエラは好いた方はいらっしゃるのかしら」


 ぶふっと吹き出す。


「な、なんでいきなり?」

「あら、乙女のお茶会といえば恋の話が定石でしょう。それでどうですの?」


 リエラは考える。そしてかき消すように首を振った。


「いない! いないよ」

「そうですの? でしたらキースとランベルトは? 二人とも系統の違った美男子でしょう。二人と生活を共にしていていいなと思ったことはありませんの? 最近ではフランツとネイサンも増えましたし」

「ないないない! そもそも私、記憶喪失だしそんなこと考える余裕なかったよ」

「あら残念。まあ、それもそうよね。記憶を失う前に恋人がいたとしたら、今恋人を作ってしまうと記憶が戻ったときに修羅場ですわね」

「はは、そうだよねー」


 それは大分辛い展開だ。恋人を作るなら記憶が戻ってからがいい。


「ルイーシャはどうなの? 好きな人いる? あ、もしかしてすでに恋人がいるとか」

「わたくし? わたくしは……」

「あ、あれ?」


 ずぅぅんとルイーシャを中心に大気が淀んだ気がする。

 ルイーシャは空気を断ち切るようににっこり笑顔を作ると話題を変えた。


「わたくしのことはどうでもいいのよ。そういえば、先ほどサラナの話をしましたわね。今度一緒に行ってみませんこと?」

「行ってみたい! あ、でもキースが許可してくれるかどうか……」


 キースはリエラが外に出ることにあまりいい顔をしない。街までとなるとキースが許可を出すか怪しかった。


「いけませんわ……」

「え?」

「ダメですわ。殿方はいっつもそう! 閉じ込めて守ってやるだなんて言って、結局飽きたら捨てるのですわ!」

「ル、ルイーシャ?」


 ルイーシャに一体なにがあったのだろうか。

 怒るルイーシャはキッとこちらを睨みつけた。


「リエラよろしくて? あなたは外へ出なさい」

「外へ?」

「そう。その足とその目でたくさんのものを見て歩きなさい。その経験は無駄にはならないわ。いつしかそれはあなたの糧になる」

「うん」

「そしてたくさん学びなさい。知識は裏切らない。あなたの最大の武器になるものよ」

「武器に……」


 強く見据える藍の瞳にリエラはこくりと息を飲む。

 そしてリエラも瞳にグッと力をいれると頷いた。


「うん! 私たくさん勉強するよ」


 いつか記憶が戻ったとき、今の自分を誇れるようにしたい。だから、がんばろう。がんばってたくさん学ぼう。


「ルイーシャ」

「なんですの」

「今のかっこよかった」

「ふふ、当然」


 かしましくおしゃべりは続く。


 カーテンを揺らす風が夜の空気を運ぶまでこのお茶会は賑やかに続いた。

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