恋に恋して人魚姫1
「キース、ちょっといい?」
キースがいる部屋の扉を開けひょこりと顔を出す。
目的の人物を見つけ声をかけた。
「はい、いかがされました?」
顔をのぞかせているリエラにキースは微笑みかける。
「人魚姫の狂いの図書見せてもらいったくって」
「ああ、昨日のものですね。図書室にありますので持ってきましょうか」
「ううん、そしたら図書室に行くよー」
では一緒に参りましょうとキースは作業を止めて部屋を出る。
「いいの?」
「ええ、もちろん。私の仕事はリエラ様のサポートと狂いの図書の管理が第一ですので」
「えへへ、ありがとう」
「どういたしまして」
図書室へ行く道すがら二人は和やかに話しながら歩く。
「昨日はちょっと遠い場所まで行ったんだよね? 大変じゃなかった?」
「大丈夫ですよ。慣れておりますからね」
聞けば回収の依頼があれば国を超えることもあったのだという。
大変だねーと他人事のように話すリエラにキースはにこりと微笑んだ。
本当に大変だったのはキースが帰ってきてからだ。
調理場を掃除するのが本当に大変だった。
どうやったら半日であそこまで汚すことができたのだろうか。そう考えながら一晩中厨房を磨き続けた。
そんなことを微塵も感じさせず穏やかな微笑みを浮かべながら話を続けていると図書室へとたどり着いた。
「こちらでございます」
「あ、これが昨日言ってた人魚姫だね」
差し出された本を受け取りリエラは表紙を見る。
しっかりとしたハードカバーには題名と下半身が魚の美しい女性の絵が描かれていた。
「本日はこちらにいたしますか?」
「うん、そうしようかなって思ってるの」
「かしこまりました」
――人魚姫
海の底、人魚の王国の末娘の人魚姫はある嵐の日、ひとりの人間の王子を助けました。
その王子をひと目見て恋をし地上へ行くことを夢見るようになった人魚姫は海底の魔女に頼んで自分の声と引き換えに人間の足をもらいます。そのとき魔女は王子と結ばれなかったら泡になって消えてしまうと言いました。
人間になった人魚姫は王子の元で束の間の幸せを得ますが、王子が妃に選んだのは別の女性。王子はその女性を嵐のときに助けてくれた人だと勘違いしていたのです。
王子の結婚式前夜、人魚姫のもとにお姉さんたちがやってきました。そしてひとつのナイフを手渡し、これで王子の首を切れば泡にならず人魚に戻ることができると伝えました。
寝ている王子にナイフを向けますが、どうしても殺せなかった人魚姫は海へ飛び込むと泡となって消えていきました。
「それじゃ、いってきまーす!」
「いってらっしゃいませ。どうぞご無事で」
『こぽり、こぽりと泡がたつ音が聞こえる。
水の中でたゆたうように心地よくその身を任せる。
そして、すぅっと目を開ければそこは海の中だった。
「っ!?」
息! 息ができないっ! とパニックになりしばらくの間もがくも息が続かなくてがぼぁっと息を吐き出した。
「……っ!! ……っ! ……ってあれ?」
息が出来ないと思い込んでたようで普通に息をすることができた。
「よ、よかったあ」
ほっと息をつくと余裕が出てきたリエラは周りを見渡した。
そこは不思議な世界だった。
部屋を満たす水に不思議な色とりどりのビン。大きな釜にたくさんの本。不可思議な実験用具たち。
窓の外を見れば、海底の砂を水が少しづつ巻き上げながら流れる。そこには悠々と泳ぐ魚も枯れた流木に潜む生物も見当たらない。とても静かな生命を感じさせない真っ暗な海の底だった。
そんな中に今いる家はあるらしい。
――それは、まるで。
「海底の魔女みたい」
ぽつりと呟く。
するとガチャリと真後ろから取っ手をひねる音がした。
「邪魔するわよ」
「ひょわっ?」
なんの知らせもなく突然扉が開き誰かが入ってきた。
慌てて振り返ればその人物はじっとこちらを見つめていた。
(うわぁ)
「そこの小汚いの。あなたが魔女ですの?」
いきなりやって来た侵入者はとても美しかった。
夜空ような青みがかった深い色の髪は水に逆らわず豊かに広がり、意思が強そうな大きな藍の瞳は煌めいている。
すらりと伸びた手に豊かな胸、白い肌には宝石がよく似合う。
そして、下半身は僅かな光にも反射して光る鱗を持った、魚だった。
(人魚姫だあ!)
ぼうっと美しい人魚姫を見ていると当の本人は怪訝な顔をした。
「なにか答えたらいかが? 答える口がないのかしら」
「えっと、い、いらっしゃいませ!」
満面の笑みで来訪を歓迎すると人魚姫はなんとも言えない顔をした。
「……ええ」
気を取り直したかのように咳払いをすると睨みつける。
「薄汚いあなたにぴったりな随分と汚い小屋にいますのね。あなたが海底の魔女なのかしら?」
「うん? あ、このおうちいいよね! 小さくて居心地よくって。この小物とか可愛いよね。魔女の家って感じ!」
「……そうね」
人魚姫は顔をひくりと引き攣らせた。
見当違いな答えばかり返ってくる。欲しい返答をもらえない人魚姫は語気を強くした。
「で! あなたが魔女なのね!?」
「ひえっ!? は、はい! そうです! ……多分?」
「多分ってどういうことですのっ!?」
「私が魔女ですぅぅぅ」
血管が浮きでてそうな美しいかんばせにリエラは何度も頷いた。美人が怒ると恐い。
「まったく、はじめっからそう言えばよろしくてよ。それで魔女、わたくし、あなたに依頼したいことがあってこんな辺鄙な場所までわざわざ来ましたのよ。」
「そうなの? あ、待ってて、今お茶を淹れるね!」
「もうっ!」
美人に出会ったことに舞い上がったリエラはわりと人魚姫の話を聞いていない。おもてなししなきゃと急いでキッチンを探し出し湯を沸かした。
そして、紅茶を淹れると人魚姫のもとへ向かう。
「粗茶ですが」
「……はぁ。……いただくわ」
人魚姫はソーサーを持ち上げ白くたおやかな指でカップの持ち手をつまむと優雅なしぐさでひと口飲み。
「ん!? グフッ! ゲホゲホ!」
そして咳き込んだ。
「ゲホッ。わ、わたくしにヘドロでも飲ませるつもりですのっ!?」
「えっ!? ご、ごめん」
そうだった。リエラはキッチンに立つことをランベルトにそれはもう厳しく禁止されたのだ。
お茶くらいなら平気かと思っていたがダメだったらしい。そもそも紅茶を淹れたのは初めてだったのだ。
「ごめんね、また淹れなおすね」
「もうよろしくてよ。もったいないですし、これを飲みますから」
「え? いいの?」
きょとりと人魚姫を見た。これでいいと言ってくれたのは初めてだ。
「ありがとう……」
「……いえ。ですので話を聞いてくださる?」
「うん! なにかな?」
目の前の美しい顔ににこりと微笑む。
「わたくし、人間になりたいの」
「人間に? どうして?」
こんなに綺麗な鱗を持っているのに。そうリエラが言えば人魚姫は表情を翳らせた。
「わたくしこの前の嵐の夜、船から放り出された人間の男を助けましたの。陸の国の王子様でしたわ。金の髪が美しい人でした。あの方にもう一度会いたいのです」
「人魚姫……」
せつない顔で語る人魚姫にリエラは言葉を詰まらせた。
(そっか、私の役目は人魚姫に足を与えること)
「……わかった。その願い叶えてあげる」
「本当ですのっ?」
「……うん。でもね、条件があるの」
リエラは原作と同じように人魚姫にするための条件を出す。
「まずね、人間にするためにはあなたの声をもらわなきゃいけないの。それに人間になったとしても、その王子様と想いを通わせられなければ泡になって消えてしまうよ。……それでも人間になりたい?」
「そんな……」
人魚姫は呆然と呟く。
(うう……。ごめんね、決まり事なんだよー)
やがて覚悟を決めたかのようにぐっと瞳に力を入れるとリエラを強く見据えた。
「いいですわ。声のひとつやふたつ持っていきなさいな」
「うん、分かった」
人魚姫の覚悟を見てこちらも覚悟を決める。
「薬を作ってあげる。でも、人間になっても王子様のところまで辿り着けるの?」
「人魚王家に伝わる宝珠、人魚の涙を王子に渡しましたの。それを目印に行けば辿り着くはずですわ」
人魚の涙とは死んだ生き物を蘇らせることもできるほど力のある宝らしい。
「そんな大切なもの渡しちゃってよかったの?」
「いいのですわ。王子の為ですから。……それに人魚でないとあの宝珠は扱えないものですし」
「そっか」
「なら、今から薬を作るね」
そう言うと本棚から人間化のレシピを取り出した。
そして器具と材料を並べると匙を持った。
「……」
「……」
「……」
「……?」
「どうしましたの?」
「……これってどれくらい入れればいいの?」
「は?」
リエラは途方に暮れていた。
「まったく。分量が分かりませんでしたのっ? よく魔女をやってこれましたわね! 信っじられませんわっ!」
「あはは、ごめんねー」
「少し勉強した方がよろしくてよ」
レシピにはしっかりと材料と分量が記載されていたものの分量の意味が分からなくてどれだけ材料を入れるのか分からなかったリエラだったが、結局、人魚姫が手伝ってどうにかこうにか人間化の薬を完成させた。
「ありがとう、人魚姫」
「……ルイーシャ」
「え?」
「わ、わたくしの名ですわ! 人魚の姫なんて何人もいるのですから紛らわしいのよ」
わたくし姉が五人いましてよ、とそっぽを向きながらやや早口で話す。リエラの目の前にある耳は真っ赤だった。
「そ、それであなたはなんというのよ。薄汚い魔女なんて呼びづらいですわ」
「えへへ、私はリエラっていうの。よろしくね!」
リエラはにこりと笑った。
「それじゃあ、この薬は地上近くになったら飲んでね。あと、注意事項も忘れちゃダメだよ」
「分かっておりますわ。では、いただいていきますわね。……ありがとうございます……リエラ」
「ふふ、どういたしまして!」
頬を染めるルイーシャにリエラはにこりと微笑んだ。
「……あとね、ルイーシャの恋が叶うかその恋を諦めたとき、ルイーシャの声は戻るから。泡にもならないよ」
これくらいはいいだろうと薬にアレンジをしてみた。
ルイーシャに分量を見てもらったので多分うまくできたはずだ。
もし恋を諦めることがあるんだとしたらまた人魚に戻ればいいのではないかと思うのだ。
「まあ。ありがとう」
作った薬の入った小瓶を大切に抱えると人魚姫のルイーシャは魔女の家から出ていった。
(――さて、魔女の役目も終わり。あとは地上で人魚姫が王子に出会って恋に敗れて、泡になって)
覚えているかぎりの物語を思い出す。
ルイーシャには申し訳ないがこのままいけば王子は別の女性と恋をしてルイーシャは失恋してしまうだろう。
そして泡となって消えていくのだ。
(うん? 泡に?)
『――狂いの図書の中で亡くなった場合、そのまま死んでしまいます。お気をつけください』
ふと、初めて狂いの図書に入るときキースに言われた台詞を思い出した。
「泡になっちゃダメじゃん!」
リエラは慌てて家を飛び出した。
どうにかして人魚姫の失恋を防がねば。
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