ヘンゼルはお菓子を食べなくてグレーテルは甘いのがお好き2

「俺ね、魔女のばあさんの配置ミスだと思うのよ」

「え?」


 鉄の格子の内側であぐらに肘をついたヘンゼルが呆れた声でリエラに言った。


「なにが?」

「なにが? じゃねーよ、わかんねーのかよ! さすがに気づけ? お前家事センスゼロだよ!」


 ここ数日をヘンゼルは苦く思い返した。


 掃除を命じられて一生懸命やっているようだが、花瓶を割るのは当たり前、なぜだか掃除前よりも部屋が汚くなった。

 どこから来たんだ、その煤と埃。

 料理をすれば得体の知れないものができあがり。おぞましい謎物体に口に入れる勇気がなかったが、先日あまりの空腹に耐えかねて食べた。――気がついたら翌朝だった。死んでなくてよかった。

 さすがの魔女のばあさんもこれには頭を抱えていた。


 ここへ来てから太らされるはずが絶対に痩せた。捨てられる前の方が遥かにマシな食生活だった。


 思い返しながらチラリと外の様子を見る。

 台所に立つ娘は片手にトマト、もう片手に包丁を持っていた。それを聞けばよくある光景だと思うだろう。しかし、なぜだか持っているのは大きな出刃包丁なのだ。……しかもちょっと汚れている。


「なあ、なんで出刃包丁なんだ? というかなんでここに出刃包丁があるんだよ。怖いんだけど」

「一番大きな包丁がこれだったの。待ってて、今ご飯作るから」

「いや、待て! ナニ切ったかわかんねー包丁はやめとけ! っていうかなんで構えてんだよ!」


 出刃包丁を両手で構えまな板を見据える。その瞳は殺気立っていた。

 すうっと構えた両手を上げた。


「敵に挑む剣士かよ! 殺気がこえーよ!」

「材料は敵っ!! いざ、参る!」

「材料は友達! 友達だからぁ……っ! まっ……!」


 両手を振り下ろす。ドゴンと轟音とともに台所は爆発した。





「まずね、包丁は切る物に合わせて選ぶのね」

「……はい」


 台所の惨状に目を背けつつ料理を続ける。このまま料理を任せてはダメだと判断したヘンゼルはリエラに指示を出した。


「そもそも野菜を切るのに力いらないから。包丁はそっち。小さいのを手に取る」

「はぁい」


 リエラはすぐそばにあった野菜用の包丁を手に取った。普通の包丁もあるではないか。


「んで、グレーテルは右利きだよな。右手で包丁を持って左手は材料に添える。指出すなよー、切るからな。猫の手だ、猫の手」


 猫の手わかるー? と自分の手で手本を見せながら分かりやすく教える。


「ねこ……? にゃあん?」

「そうそ。それを左手でやるの。それで切るとこのすぐ側を抑えてゆっくり切ってみ?」


 猫のポーズをしてみせたリエラに頷きながら指示を出す。その指示通りにさくりと人参を切った。


「おお! 切れた! 切れたよ!」

「……よかったね」

「でも、こんなに切るの大変なの? 時間がかからない?」

「そーいうもんなの! ちょっと待て、もう構えるな」

「えー、だって勢いつければスパパパパって切れるもんじゃないの?」

「切れないから! みんなこうやってんだよ」


 顔を引きつらせてどうにか止める。どんな覚え方してんだこのおじょーさんはと独りごちた。


 どうにかこうにか材料を切り終わりあとは煮込む段階になった。


「なに入れようとしてんだ! それはポイしなさい、ポイッ!」

「森になんか落ちてたから、入れたら面白いかなって」

「素人が料理に面白さ求めんな! なんかよく分かんないもんは入れないの!」

「はぁい」


 謎の毒々しい木の実を入れようとするのを止めたり、味付けの塩を一箱丸々入れようとするのを止めたりと最後まで気が抜けなかったがどうにか野菜のスープを完成することができた。


「できたー!」

「……おー、……よかったね」


 ぐったりするヘンゼルと目を輝かせるリエラの対比が凄まじい。

 リエラはスープをさらに盛りつけると笑顔でヘンゼルに差し出した。


「どうぞ」

「ん」


 受け取りスープを見る。見た目は普通のスープだ。

 恐る恐るスープと人参を掬い口へ運ぶ。


「うまい」

「ホントっ?」


 正直味は普通だ。しかし、その普通まで持ってこれたのは凄いと思う。俺えらいと自画自賛しながら食べ進める。

 空腹も相まって絶品料理を食しているかのごとく勢いよく食べおかわりもした。


「ホントねー、家事は勉強しときなよオジョーサン。嫁の貰い手がいなくなるぞー」

「嫁?」

「なにポカンとしてんの。いつかはグレーテルも嫁に行くだろ?」


 そんとき家事ができなかったら困るぞーと続けるヘンゼルを口を開けたまま見る。

 お嫁さんかあ。自分が誰かと結婚するところが想像できない。


「でもまあ、がんばってはいるからな。いつかはできるようになんだろ。スープ美味かったぜ。ありがとな」

「えっと……うん」


 困ったように下を向き頷いた。



「それで、グレーテルちゃん。なんか食が進んでないね?」

「うっ……」


 リエラは思わず目を逸らした。手にしている皿のスープは半分以上残っている。まともな食事は久しぶりだというのにだ。


「そういえば、最近椅子が一脚減ったなー。窓もなぜだか隙間風が入るようになったし?天井も日が差してくるね」

「うう……」

「……お前、食ってるな?」


 ずばりの言葉にリエラはわっと突っ伏した。


「ごめんなさーい! つい出来心で。あまりにも。あまりにも美味しくてつい……っ!」

「だからか、お前なんか丸くなったもんな!」

「そんな!」


 歩き回るとあまーい香りがこちらを誘うのだ。掃除をしながらちょっとだけ、ちょっとだけと誘惑に負けお菓子の家をつまむ日々が続いた。


 確かにお腹にお肉がちょこーっと乗った気がするかもだけど。

 見たくない現実から目を背け続けていたがついにはっきりと指摘されてしまった。


「太らされるために牢屋に入れられた俺がマトモなもん食えなくて痩せてる間に、なんでこき使われてるはずのお前が太ってんだよ!」

「太ったって言わないでぇ!」


 待ってほしい。乙女に現実は厳しいのだ。もうちょっと目を逸らし続けたかった。


「いや、もう無理だろ。俺だってしばらく言うの控えてたんだぞ。これ以上いったら豚になる」

「い、いやだあ」

「まったく。お前の方が旨そうになってどうすんだよ。魔女に食われんぞ」


「――そうさねえ。ならこっちの小娘を食うとするかいね」


「……げ! 魔女」


 リエラの背後から黒ずくめの魔女が姿を表した。






「うう……。なんでこんなことに」


 リエラは竈の前で火を起こしながらベソをかいた。

 なんで自分を茹でるための湯を自分で沸かさなければならないのだ。


 魔女にバレてしまってから抵抗したものの、ならばヘンゼルをすぐ殺すと言われてしまい包丁を突きつけられては抵抗するすべはなかった。

 魔女は自分が茹でられる釜は自分で用意しなと命じるとすぐそばで見張るようになった。


「早くおしよ」

「うう……。はぁい」


 今もリエラの後ろで目を光らせていた。もう後には引けないらしい。


「もうちょっと太ってからにしたりは、しませんかね?」

「するわけないだろう。これで逃げられたら堪らないからねえ」

「はは、ですよねー……」


 引き伸ばし作戦ももう効かなそうだ。

 釜の湯もぐつぐつ煮立ってきている。魔女はニンマリと嗤った。


「さあて、こんなもんかいね」


 魔女の声にはっと自分に後がないことを悟った。


「ま、まって!」

「待つもんかい。服……は煮てからでもいいか。そのまんま入んな」

「い、いやだっ! 入りたくないっ!」


 リエラの必死の抵抗も魔女には効かず、腕をがっしりと掴むと老婆のどこにそんな力があるんだろうかというくらいの強い力で煮え立つ釜まで向かってゆく。


「やだ! やだやだやだ! 誰か!」

「ふん、お前のことなぞ誰も助けてはくれやしないよ」


 ――そうだ。助けを求めたって誰も助けてなんてくれないわ。

 リエラはぎゅっと目をつぶった。


「さあて、ご馳走をいただくとするかね」


(いやだっ! やめてっ!)


 リエラは引きずられ釜の目の前まで来た。ぐつぐつという音がやたらと大きく聞こえる。


 ――もうダメだ。


 自分の終わりを悟ったときガチャリとなにかが開く音が聞こえた。


「うがぁっ!!」


 ガツンと殴打する音がすぐ側で聞こえたと思ったら魔女がうめき声をあげて倒れた。


「ふぇ?」

「大丈夫か、グレーテル」


 目を開ければそこには棍棒を持ったヘンゼルがいた。


「ヘン……ゼル」


「遅くなって悪かったな。お前が魔女を引き付けてくれたおかげで助かったぜ。なに、ばあさんは殺してねえよ」

「ヘンゼルっ? 外に出れたのっ? どうして?」


 振り向いて牢屋の方を見てみれば扉が開いていた。

 無理やりこじ開けたというよりも鍵を開けて開いたような感じだ。


「ん? まあ、牢屋の奥に潜ってるときにちょっとなー」

「まさか、出ようと思ったらいつでも出れたんじゃ……」


 リエラの疑問にヘンゼルは爽やかに微笑んだ。


「いやー、お前がいてくれてよかったぜ」


 ヘンゼルは手に持っていた麻の袋を持ち上げるとチャリチャリと揺らした。中にはたんまりと金貨が詰め込んであった。


「慰謝料だ、慰謝料」

「まさか、私がお湯沸かしてるときにそれ探してたの!?」

「んー?」


 死ぬかと思ったんだからっ! と怒れば、悪い悪いと本当に悪いとは思っていなさそうな声音で返された。


「もうっ!」

「まあまあ。魔女のばあさんが伸びてるうちに早く出ようぜ」

「うん……」


 気絶した魔女をそのままにして二人はお菓子の家の出口まで進む。


 歩きながらもしばらく思案していたリエラは意を決したように目の前を歩くヘンゼルの服の裾をぎゅっと掴んだ。


「……ヘンゼル、あのね」

「ん?」


「助けてくれて、ありがと……」


 振り向いたヘンゼルは瞬きするとふっと微笑みリエラの頭をぽんぽんとなでた。


「どういたしまして」






「えっ!? じゃあ、ヘンゼルは初めっから目印つけといてたの!?」

「まーなー」


 二人は森を歩く。

 今度は迷子になることもなく行きよりも早く出口へ進んだ。

 実はリエラがパンを撒いていたとき、実はヘンゼルもまた目印をつけながら歩いていたのだ。それを辿れば出口まですぐだった。


「私がパンを落としてたのって本当に意味がなかったんじゃない!」

「いやいや、鳥たちは大喜びだっただろー?」

「鳥のエサじゃなかったもん!」


 釈然としないが助かったのは事実だ。


「~~っ!! ありがとうっ!」

「おー、どういたしましてー」




 そうして、二人は森を抜けると街で家を借りました。

 そして魔女の家から持ってきたお金で二人はいつまでも仲良く暮らしましたとさ。


 ――おしまい』



 景色がぼやけ白い世界がやってくる。

 真っ白に光る狂いの図書がこちらを見るとぺこりとお辞儀をした。それを見ながらリエラの意識は白く消えていった。






「リエラ様、朝食ができましたよ」

「はーい! 今行くー!」


 パタパタと食堂へ向かう。

 キースと食事をするのもすっかりと慣れた光景だ。


「わっ! 今日もおいしそう!」

「ふふ、ありがとうございます。では、いただきましょうか」

「うん! いただきます!」


 キースをお手本に食事するのもすっかりと慣れ、今ではキースを見ないでも少しずつカトラリーの使い方が分かるようになってきた。

 それがとっても嬉しい。


「ねえ、キース」

「はい、どうされました?」


「いつもおいしいご飯を作ってくれて、一緒に食べてくれて。教えてくれて――ありがとう」


 キースは目を開いた。そして目元をゆるめ優しく微笑む。


「はい。どういたしまして」

「うん!」


 言えた! ようやく言えたと頬を染めて笑った。

 なにを伝えればいいのかようやく分かった。


「リエラ様」

「なーに?」

「今日の花はガーベラですね。いつも綺麗な花を摘んできてくださり、ありがとうございます」


 習慣になったテーブルの花。毎朝摘んで生けるのはリエラの仕事だ。

 リエラは笑顔を更に深くした。

 伝えるべき言葉はもう知っている。


「どういたしまして!」

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