ヘンゼルはお菓子を食べなくてグレーテルは甘いのがお好き1

『「捨てられちゃったな、俺たち」


 深い深い森の中で男が言った。






「はっ!」


 気がつくと木々の生い茂る森に立っていた。物語は既に始まっている。


「いつかやるだろうなーとは思ってたんだけど本当に捨てんだもんな」


 困った親だぜと呆れたように目の前の男は笑う。

 人がいたのかと声をかけてきた人物に目を向けてん?と目を張った。


「ヘン……ゼル……?」


 物語のヘンゼルとグレーテルは子どもではなかっただろうか。

 目の前に立つのは比較的小柄なリエラが大きく見上げなければならないほど体格がよく、全身にしなやかに筋肉をつけたどう見ても大人の男だった。


「んー? どうしたんだよグレーテル。この前までお兄ちゃん、お兄ちゃんって言ってたじゃねぇか。反抗期か」


 オニーチャン寂しい、と嘘泣きをしてみる男をよそに手足や服を見てみる。摘んだスカートは薄汚れたエプロンドレス。足を少し上げれば履いていたのは穴の空いたブーツだ。

 手を広げて見れば小さくもなっていないし、辺りを見渡してみても目線はいつもと同じ。


「グレーテ、ル?」

「ん? どうした?」

「ううん! なんでもないの」


 不思議そうに声をかける暫定ヘンゼルにリエラは首を振った。

 どうやら今回はリエラがグレーテルらしい。

 状況を把握しようと周りを見渡していれば目の前のヘンゼルはまあいいかと話し始めた。


「大丈夫ならいいんだけどよ。……しかし、これからどうするかね」


 ヘンゼルは考えるように腕を組んで目を逸らす。


「……ヘンゼルなら働いて普通に暮らせると思うけど」


 ぽそりと呟く。

 並の大人より体格に恵まれているのではないだろうか。それなら森を出ればどうにでも暮らしていけそうだけど。


「なに言ってんのよ、俺たちまだコドモ・・・だろー?」


 ニヤリと流し目でこちらを見るヘンゼルにえー……と声を出す。


「ま、とりあえずここから出るのを考えないとな。どうやら随分と森の奥に連れていかれたみたいだし、迷わないようにしながら進まねえと」


 なにかねえかなと辺りを軽く探索しているヘンゼルにリエラは思いついた。ずっと背負っていたリュックを降ろしガサゴソと漁った。


「あっ! それならこれを使おうよ。ちぎって目印にするの」


 自信満々にじゃーんとパンを取り出す。固いパンだけどちぎるくらいならできそうだ。


「え……、そりゃお前……。ま、いっか任せるよ」

「うん!」


 意気揚々と先導を切って森を進む。途中途中でちぎったパンを落としながら森の中を歩く。


「あれ?」


 いくら進んでも出口は見えない。ヘンゼルの一歩前を歩いていたリエラはぴたりと足を止めた。

 すぐ後ろからのんびりと間延びした声がかかる。


「どうしたー? 迷子かー?」

「そ、それは……。でも大丈夫! 目印をつけてきたから。落としたパンを辿れば元の場所に着けるは……あれ?」


 ガバリと後ろを振り向く。後ろにはパンの欠片があるはずだった。確かに落とした場所でピチチと小鳥が飛び立った。


「ま、だろうな」

「うそでしょ! 食べられちゃった! っていうかヘンゼルは分かってたの!?」


 分かってたなら教えてよーと泣きごとを言うとぽんと頭に手が乗せられた。


「あんなに自信たっぷりに言われたらなー。まあ仕方ねえよ、もうちょっと進んでみようぜ」





 引き返せないのなら先へ進むしかない。

 二人はしばらく歩くと急に草木が減り開けた場所へ出てきた。


「お、急に開けたな」

「やった、出口かな! んー、あれ?」

「小屋、か?」


 薄茶色の小さな家のような建物が目の前にあらわれた。

 先程までは感じなかった甘い香りが辺りに漂っている。――その甘い香りは。


「お菓子だ! ビスケットの匂いがするよ!」

「あっ、おい! グレーテル!」


 ダッとリエラは走り出す。おいしそうな匂いが凄くするのだ。道中、お腹空いたなーとは思っていたがこの香りのせいで更にぺこぺこだ。


「わあ! お菓子の家だよ! 憧れの憧れの!」

「は、なんでまたこんなとこに。……っておい!」


 そこにはお菓子の家があった。

 壁はビスケット。屋根はチョコレート。窓は飴。周りをカラフルなお菓子で飾り付けられた可愛らしいお菓子の家だ。一度は夢に見るその光景にリエラは飛び上がって喜んだ。


 ちょっとだけだから、とビスケットのような壁をぺりっと剥がして食べてみる。口に入れて咀嚼したリエラはきらきらと目を輝かせた。


「おいしいっ……! これビスケットだよ、ヘンゼル!」

「こら、勝手に食べるな。なんかの罠かもしれないだろ。慎重にいかねえと」

「うー、でもおいしいんだもん。それにこんなおいしいものを作る人に悪い人なんかいないよ」


 忠告を聞かずに再びお菓子を口に入れる。それだけ空腹だったのだ。家主にバレる前にもう少しだけ、と食べる。食べ進める手が止まらなかった。――そして。


「――ウチの家になにしてるんだい」


 しゃがれた声が背後からした。






「ホントお前なぁ」

「ご、ごめんなさい」


 頑丈な鉄の棒に阻まれて二人は会話をする。



 あの後、お菓子の家の家主である年老いた魔女に捕まると牢屋へ入れられた。

 なにか魔法でも使っているのか魔女よりも力があるであろう大柄なヘンゼルも魔女には敵わず同じように牢屋の中だ。


「さて、ワシの大事な家を壊したんだ。償ってもらわんとねぇ」

「ご、ごめんなさい」


 牢の外にいる魔女へ謝るも許してはもらえなそうだ。

 魔女はニヤリと嗤うと二人を見比べた。


「久々に美味そうなご馳走だねえ。んー、ワシも鬼じゃあない。どちらかひとりを食うことにするさ。さて、どちらを食うか」


 家の中の釜でお湯がぐつぐつと煮立っている。それで釜茹でにして食べるらしい。

 二人は顔を見合わせる。

 不安げなリエラにヘンゼルは頼もしく頷くとリエラの肩に手を置いた。


「よし、グレーテル! 飛び込め!」

「ええっ!!」


 爽やかな笑顔で言い放つヘンゼルに驚嘆の声を上げる。


「ここはひとつ愛しのお兄ちゃんを助けると思って。な?」

「な? じゃないよ! お断りだよ!」

「えー。なんだよ、ケチー」

「ケチじゃない!」

「まあ、それはそれとして」

「それってどれ!?」

「魔女にひとつ提案があるんだけど」

「あ、無視した!」

「なんだい小僧」


 飛び込めってひどい! と喚くリエラを無視して話は進む。

 ヘンゼルは魔女へ顔を向けると萎びたような顔を作った。


「俺たち親に捨てられてここに来たんだ。正直捨てられる前からマトモなもんを食ってねえ。だからな今食っても食えるとこが少ないと思うんだ」

「なにが言いたいんだい」

「しばらくここに置いちゃあくれねえか。マトモなもん食えば今より旨くなると思うぜ?」


 どうだ? とヘンゼルが提案する。それに満更でもなさそうに魔女は考えた。


「ふーん、それもそうかねえ。分かったよ、太るまでここに置いてやる」

「ありがとな、ばあさん」

「ただし太らすのはお前だけだよ小僧。お前の方がこっちの小娘よりも大柄だからのう。食いごたえがありそうだ」

「え゛」


 魔女はそう言うとがちゃりと牢屋を開けた。


「小娘、あんたは出な。小僧を食うまでこき使ってやるよ」





 そこから数日、リエラは魔女のおばあさんにこき使われていた。

 掃除をしては怒られ、料理をしては怒鳴られ。リエラはもう泣きそうだ。


「あんなに怒んなくってもいいじゃない。がんばってるのにぃ」

「ん? んー、まあ、そうだな。……ところでまたいつもの頼むぜ」

「えー? また?」

「よろしくなー」


 そう言うとヘンゼルは牢屋の奥へ消えた。

 どうやら牢屋は思ったよりも広く奥にも続いているらしい。ここに入ってから数日、ヘンゼルはなにかをしているらしいのだ。

 なにをしているのか聞いてみたこともあったが「男の子には色々あんのよ」とウインクしてはぐらかされ教えてはもらえなかった。


(ホント一体ナニしてるんだか)


 そうこうしているうちに魔女が帰ってきた。魔女は日中留守にすることが多いのだ。


「さて、今日は太ったかね。ヘンゼル、手をお出し」


 ここ数日、毎日の習慣だ。

 牢屋に入れたヘンゼルが食べ頃になっているかヘンゼルの手を見て確認しているのだ。


「……」


 ぬっと手が出た。その手はガリガリに痩せこけていて色も悪かった。


「なんだい、まだ太ってないのかい。鶏ガラみたいな手をしちゃってまあ」

「……」

「なんかおっしゃいよ」


 無言のヘンゼルにじれったそうに魔女は言う。

 その様子を見ていたリエラは一歩足を踏み出した。


「ごめんなさい、おばあさん。ヘンゼル、食べられるショックで声が出なくなっちゃったの。食も細くなっちゃって……。もうちょっとだけ待って?」

「……仕方ないねえ、待つのはあと少しだよ。少し待って太らなかったらお前たちを食べるからね」

「はい、ごめんなさい」


 ぶつぶつと文句を言いながら出ていく魔女を見送る。姿が完全に見えなくなってリエラははぁと大きな息をついた。


「今日もバレなくてよかったよ」


 仕掛けを回収していく。魔女はヘンゼルの手が鶏ガラみたいだと揶揄していたがその通り。魔女に見せた手は鶏ガラだった。

 まだ太ってないように見せるためにヘンゼルが用意したのだ。ヘンゼルがいなくてもグレーテルが出せるようにと細工もしてある。それを使って毎日魔女の目を誤魔化しているのだ。


「でもそれもそろそろ限界だよね」


 魔女も様子がおかしいと怪しんできている。

 そろそろどうにかしないととリエラは考え込んだ。

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