見よう見まねの小さな幸せ
朝露が滴るオレンジ色の花をパチンと摘んだ。登ったばかりの朝日が新緑を照らす。昨晩降った雨のせいかたっぷりと水を含んだ芝生に朝日が反射してきらきらと輝いていた。
「これくらいでいいかな」
庭に咲いた花を何本か摘むと片手には小さなブーケができあがる。
ハサミをしまうとリエラは屋敷へ歩き出した。
あれから狂いの図書は自身に物語を綴ると喰った人間を外へと排出した。
『白雪姫』が完結し狂いの図書から現実の世界へ戻ると喰われた人たちが何人も図書室に倒れていた。
目を覚ました彼らは混乱していたが物語を覚えている者は誰もいなかった。適当な理由をつけて説明するとキースが屋敷近くの街まで送り、各々が暮らしていた家に帰って行ったのだ。
(早く元の暮らしに戻れるといいなぁ)
喰われたのはいつなのかどのくらいの期間喰われてあたのかは分からない。それでも喰われた人々が早く元の生活に戻れることを祈るばかりだ。
「ああ、リエラ様。こちらにいらっしゃいましたか」
中に入ろうとしたとき声がかかる。声のした方を見ればいつも通りお仕着せを身にまとったキースがこちらに歩いてくるところだった。
「あ、キースおはよう」
「おはようございます。朝食ができましたのでお呼びに参りました」
「わかったー」
食堂まで来るとおいしそうないい匂いがしている。
席に着くとキースはリエラの食卓に準備をはじめた。
「あ……」
目の前にはカトラリーが置かれてゆく。朝食なのでディナーほどのカトラリーはないが屋敷にやってきてからしばらくはスプーンで食べれるリゾットや手づかみのできるサンドウィッチだったのでしっかりとした食事になった印象だ。
リエラはほんのりと身を固くした。
「リエラ様?」
「え? あ、ううん。なんでもないの」
首を振って笑顔を作る。そして目の前のおいしそうな朝食を見据えた。
カチャリと向かいの席へ皿が置かれる。
リエラの前に用意されたものと同じものが向かいの席にも置かれてゆく。
「あれ?」
いつも食べるときはひとりだったはずだ。誰か来るのかと首を傾げていると目の前にキースが座った。
「私もご一緒してよろしいでしょうか」
きょとりと瞬きをするリエラにキースはお嫌でしたか? と優しく聞いた。
それにリエラは思いっきり首を振った。
「ううん! 嫌じゃないよ! 一緒に食べよう」
「よかった。ではいただきましょうか」
「うん!」
キースはにこりと微笑むとゆっくりとナフキンを手に取り膝に置いた。
それをチラリと見ながらリエラもナフキンを膝にかけた。
「いただきます」
「い、いただきます!」
キースはなぜだかゆっくりとカトラリーを手に取り、ナイフを入れフォークを口に運ぶ。
それはとても綺麗な所作だった。
それをじっと見ていたリエラもナイフとフォークを手に取りおそるおそる目玉焼きへ切り込みを入れる。そしてフォークで刺して口に入れるとゆっくりと噛んだ。
「おいしい……」
顔を綻ばせ嬉しそうに呟いた。
「それはよかったです」
キースはまたゆっくりとパンを手に取ると適度な大きさにちぎり口へ運んだ。
チラリチラリと見ながら同じように食べていく。その度に顔は綻び体の強ばりは解けていった。
粗方の食事が終わり余裕が出たリエラはふと前を見た。
目の前の微笑ましそうにこちらを見るキースの優しい顔にリエラは理解した。
(あ、教えてくれたんだ)
昨夜の夕食でどうやって食べればいいのか分からず困りながら食事していたのをキースは見ていたらしい。
こうして目の前で食事をすることでカトラリーの使い方を教えてくれていたのだ。
「あの、キース」
「はい、どうしましたか?」
「えっと、その……」
もじもじと切り出せないリエラをキースは辛抱強く待ってくれた。しかしこんなときどうすればいいのか。
いつまでも言葉の出ないリエラをキースは待っていたがふと気づいたかのように目線を外した。
「綺麗ですね。これはラナンキュラスですか」
「え?」
目線の先には食卓に置かれた花瓶があった。そこには幾重にもオレンジ色の花びらが重なる可憐な花が数輪生けてあった。
「この花ラナンキュラスっていうの?」
「ええ。キンポウゲ科の球根植物で秋から春にかけて咲く多年草なんですよ」
「すごい。キース詳しいね」
「それほどでも。こちらはリエラ様が?」
オレンジ色の花に名前がついたと驚くリエラにキースは簡単に説明をした。
「うん。お庭に咲いてたから。……あ、もしかして、ダメ、だったかな」
それだったらいけないことをしてしまった。庭から思わず摘んできてしまったことに身を縮こませたリエラだったがキースは緩やかに首を振った。
「いいえ。むしろ食卓が華やかになっていいですね。
――摘んできていただき、ありがとうございます、リエラ様」
「えと、あ……うん」
居心地悪げに目線を揺らすとリエラは小さく頷いた。
「お疲れではございませんか?」
「ううん、大丈夫だよ!」
食後に今日も綴り手業をしたいと話すとキースは心配そうに聞いた。
今日も図書室まで来ると作者名のない狂いの図書を探す。問いかけにリエラはぐっと両手を持ち上げて力強く頷いた。
正直やる事もなくて手持ち無沙汰なのだ。
「早く記憶を取り戻したいしね。狂いの図書に入ればなにかヒントがあるかもしれないし。……あと、ちょっとヒマだし」
にこにこと笑うリエラにほんの少しの諦めと心配を混ぜ込んだような複雑な微笑みを作ったキースは革手袋を身につけた。
「かしこまりました。では準備いたしますね」
数冊を取り出すと目の前に差し出した。
「あまりに量がありますと選びきれませんのでこちらからお選びください」
「うん!」
えーと、どれにしようかなと指をさまよわせる。結局は全部を導くつもりであるからどれでもいいかと一番手前の本を手に取った。
「これにしよっかな。……ええっと、ヘンゼルとグレーテル」
――ヘンゼルとグレーテル
あるところに親に森へ捨てられた兄妹がいました。
兄はヘンゼル、妹はグレーテル。
二人は迷わないようにとパンをちぎって目印にしますが振り返るとパンは小鳥に食べられてしまい目印がなくなってしまいました。
迷った二人は森の中でお菓子の家を見つけます。お腹も空いていた二人は大喜びでそのお菓子を食べますが、それはここに住んでいた魔女の罠。まんまと魔女に捕まってしまいます。
魔女はヘンゼルを太らせ食べるために牢屋へ、グレーテルをこき使うために手元へ置きました。
しばらくして魔女はヘンゼルが太ったか確認しますが何度確認してもガリガリのまま。それもそのはず、ヘンゼルが確認のために差し出した手は鶏ガラだったのです。
業を煮やした魔女は竈に火をつけて鍋に湯を沸かすようグレーテルに命じます。グレーテルは命じられるがままヘンゼルを煮るための鍋を作ることになりました。
しばらくして煮えた湯を確認しようと魔女が鍋を覗き込んだときグレーテルは魔女の背中を思いっきり押しました。
魔女をやっつけたグレーテルはヘンゼルを助け、無事に森を脱出し二人は幸せに暮らしました。
手に取った本をキースに掲げて見せた。
「うーん……。ヘンゼルとグレーテルかぁ。私、お菓子の家が出てくるってことしか分からないんだよね」
ヘンゼルとグレーテルという兄妹がお菓子の家に行く話だということしか知らない。
それでもお菓子の家というフレーズに心が弾む。一度は行ってみたい場所だ。
「やはり辞めておきますか?」
「ううん、大丈夫。これにするよ」
「かしこまりました。くれぐれもお気をつけくださいね」
「うん!」
まだ慣れないなりにも手順通りに進めていく。
右の人差し指で題名を撫でるとリエラは少し頭を上げて後ろを振り返った。
「ええっと、行ってくるね。……いってきます」
「いってらっしゃいませ。どうぞご無事で」
題名を読み上げると狂いの図書はまばゆく光り本が開かれた。そのままリエラは吸い込まれていった。
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