白雪姫は歌わない3

「いってらっしゃーい!」


 あれから数日、白雪姫は完全に儚げな美少女になり小人たちと共に暮らしていた。

 すっかり骨抜き状態の小人たちは白雪姫の本性に気づく様子もなく世話やら貢ぎ物やらをせっせと行っていた。


 今日も白雪姫は小人たちが仕事先の炭鉱へ行くのをにこにこと手を振って見送る。そんな白雪姫をデロンデロンの笑顔で小人たちは見ると手を振り張り切って炭鉱へと向かった。


「ふう。小人チョロいわね」


 小人たちの姿が見えなくなると白雪姫は可愛らしい笑顔をにやりと悪い笑顔に変えて呟く。


(そういうやつよね。もう白雪姫の性格分かってきたよ)


 見つかれば白雪姫からも小人たちからも狙われるリエラは草むらに隠れて数日間見守っていた。

 白雪姫の猫被りっぷりが凄まじく最初は戸惑ったがだんだんと慣れてきた。白雪姫は裏表が激しいがそれさえもどこか魅力的で嫌いになれなかった。


(ここまでくると清々しくていっその事気持ちいいよね)


 今も腕を上げて伸びをすると大きく欠伸をしていた。こんな姿は周りには絶対に見せないのだろう。


「さーて、小人もいなくなったし昼寝でもしよーっと」


 これで、小人たちが帰ってきたら掃除して待ってたのと可愛らしく言うのだろうなと半目になりながらドアをくぐる白雪姫を見送った。

 白雪姫もそれなりにここでの生活を気に入っているらしい。

 楽しそうな姿に後ろ姿を見送りリエラは微笑んだ。





 しばらくたって、かさりと茂みが動く音に顔を上げる。


(誰か来た)


 見れば全身黒いローブを身に纏った腰の曲がった老婆が小人たちの小屋のドアを叩くところだった。


 コンコンとドアを叩くもきっと白雪姫はお昼寝の真っ最中だろう。ドアが開く様子はなかった。

 それでも老婆は諦める様子はなくドアを叩き続けた。


「おぅい、誰かおらんかのぅ」


 コンコンからドンドンへ変化し老婆の背中からも苛立ちが感じとれるようになった頃、ようやくそのドアは開いた。


「もう! 誰なの!?」


 ドアの鳴る音に起こされたのであろう白雪姫は不機嫌なりながらも可憐な雰囲気は崩さずに出てきた。

 そして開けた先にいた老婆に戸惑ったように訝しげに眉をひそめた。


「どなた?」

「すいませんのぉ。わたしは林檎を売り歩いているものでして。綺麗なお嬢さんおひとつ林檎はいかがかな」

「は? 林檎? いらないわよ」


 かろうじて作っていた可憐さをなくし、白雪姫は嫌そうに顔をしかめた。玄関先の押し売りにお断りの言葉を投げかけるとすぐさまドアを閉めようとした。

 しかし、老婆は歳をとっている割に機敏な動きで閉まるドアに足を差し込み完全に閉まるのを阻止した。


「見るだけ! 見るだけでもよいのじゃ! ちょっとだけじゃから!」


 ぐいぐい迫る老婆にすごく嫌そうな顔をした白雪姫は大きくため息をついた。


「仕方ないわね、見たらとっとと帰ってよね」

「ええ、ええ、もちろんじゃ。これがその林檎じゃよ。とてもおいしそうだろう」

「ふぅん。……え。こ、これは……!」


 差し出された林檎を嫌々手に取ると白雪姫は目を開いて息を飲んだ。

 そして老婆のことなど忘れたように林檎を熱心に見つめた。舐め回すように林檎を四方から見、匂いを嗅ぎ、指ではじく。


「この林檎、真っ赤で色艶がとてもいいわ。おしりも丸くて深くくぼんでいて黄色いし、ツルも太くてみずみずしい。音も弾んだ音で新鮮ね。芳醇でかぐわしいこの香りはまるで質の良いワインのよう。しっとりとした重みは蜜がたっぷり入っている証拠だわ。そして極めつけは艶々とした肌触りの中にあるこのいぼり! こんな状態の良い林檎は初めて見るわ! 絶対においしい!」

「そ、そうかい……」


 人が変わったようにうっとりと話し出す白雪姫に老婆は体を引いた。

 それに気付かず白雪姫は目を爛々と輝かせて興奮し話し続けていた。

 なぜだかこの林檎には白雪姫の琴線に触れるものがあったらしい。


「ああ、この林檎を目利きしたのが私じゃないなんて! この林檎に嫉妬するわ! こんな素敵な林檎、一生に一度拝めるかどうかよ!」


 手にした林檎をうっとりと見つめる。そして名残惜しむようにひとなですると老婆へ差し出した。


「あぁ、こんな素敵な林檎を見せてくれてありがとう。おばあさんはこの林檎をとても愛情持って育てたのね。素晴らしすぎるわ。私も精進しなければならないわね」

「そ、そうかい。気に入ってくれてよかったよ。どれ、ならば一口食べてみんかね」

「そ、そんな! 私なんかが食べていいのかしら!」

「もちろんじゃ! あんたのために持ってきたんじゃ。あんたが食べなきゃ誰も食べん。そら食べてみぃ。ほれ、ほれ」

「私のため……」


 ぐいぐいと差し出される林檎に満更でもない様子の白雪姫は誘惑に駆られるように口をつけた。


「そうね、この林檎が誰にも食べられないなんて果物の神様に対する冒涜だわ。いただきます」


 小さく口を開け齧る。そして何度か咀嚼して飲み込んだ。


「……ぐっ! かはっ!」


 幸せそうに林檎を噛み締めていた白雪姫は突如苦しみ出すと喉を押さえて倒れ込んだ。そしてそのまま動かなくなってしまった。


(白雪姫っ!)


 突然の異変に驚いたリエラは白雪姫に駆け寄った。


「くっ。あは、あははは! やったわ! ようやく邪魔な白雪姫を消してやったわ!」


(このおばあさん、お妃様だ!)


 倒れ込む白雪姫を見て高笑いする老婆はだんだんと姿を変え美しい顔を歪め醜悪に嗤うお妃様へと変化した。


「私の作った毒林檎の味はいかがだったかしら、白雪姫? ああ、もう死んでたわねぇ。うふふふふ」


 愉悦に顔の歪んだお妃様はそう言うと倒れたままの白雪姫をそのままにして去っていってしまった。


(白雪姫が毒林檎を食べるのを止められなかった。どうしよう、誰か呼んでこないと!)


 小人たちは炭鉱へ出かけたまま戻ってこない。あと数時間後の夜になるまで戻ってこないだろう。それでは間に合わない。リエラは誰か連れてこようと森の中を走り出した。






「どうしよう、道に迷ってしまった……」


 がさがさと草木をかき分け進むのは森の中にそぐわない高貴な服を着た男だった。

 男は不安そうに眉を下げると元来た道へ戻るかこのまま進むかを迷った。


「どうしよう、一度戻ってみた方がいいかな……」


 その場に留まりうろうろする男を私は見つけた。


(誰かいたー! よかった。あの服もしかして王子様かな? 最後、白雪姫にキスをして起こすのよね。どうにかして白雪姫のところまで連れていかなきゃ)


 リエラは一目散に王子の元まで向かうと王子の目の前に出た。そして、どうか着いてきてほしいと身振り手振りで王子を促した。


「ん? ウサギかい? ああ、久しぶりにウサギのパイでも食べたいなぁ」


 リエラの意図に気づかない目の垂れた見るからに気の弱そうな男はこちらを見てにこにこと笑った。


(どいつもこいつも私を食べようとして……! いいからこっちに来てー!)


 リエラはズボンの裾を噛みぐいぐいと引っばった。


「わわっ! どうしたんだい? 着いてきてほしいのかい?」

(そう!)


 意図を理解してくれたらしい男にリエラは大きく頷いた。そして着いてきてと男の目の前を走り出す。

 何度か振り返り確認すると男はウサギに着いてきてくれているようだった。

 そして、白雪姫が倒れているところまで案内すると頭で男の足を押し、どうにかしてと伝えた。


「だ、大丈夫かい!?」


 白雪姫を見つけた男は慌ててうつ伏せになった白雪姫を抱き上げた。


「とても美しい方だ……。いや! そんな場合ではない! どうしたんだい!? 傍に落ちているのは……林檎?」


 抱き上げた白雪姫を仰向けにして降ろすと男は困ったようにおろおろしだした。立ったり座ったり歩き回ったりを繰り返す。


「喉に詰まったのか? 人工呼吸をした方が……。いやいや、いきなり会った人にキスするなんて倫理的にダメだろう。もしかして、食あたりか? 医者を呼んだ方が。いや、医者がどこにいるか分からないし……。でも、とりあえず探しに行った方が……」


 リエラはだんだんとイライラしだす。

 男は白雪姫の前をうろうろするばかりで煮え切らない。遂には白雪姫から離れようとした王子に我慢の限界が来た。


「よし、探しに行こう。……いや、でもここから離れても大丈夫なのか……」

(あーもう! とっととキスでもなんでもしなさいよ!)


 離れようとした王子目掛けて走りより大きく踏み込んで跳躍した。


(野ウサギキーック!!)

「ぐはぁっ!」


 まさか後ろから攻撃があるとは思わなかった王子はその衝撃に身体を傾けた。

 そしてそのまま白雪姫に倒れ込むと。

 ……白雪姫の腹に手を着き思いっきりのしかかった。


「ぐえっ!」


 手が着いた衝撃で白雪姫は食べた林檎をころりと吐いた。


「ゲーッホゲホッゲホゴホガハグハァ!」

「よ、よかった、息を吹き返した」


 林檎が吐き出された白雪姫は息を吹き返し思いっきり咳き込んだ。咳き込む白雪姫の背中を王子はなでた。


「あーもうなんなのよあのばあさん! あんなに素晴らしい林檎で油断させて毒盛るなんて! さいってーだわ! いつか見てなさいよ!」

「あの、……大丈夫かい?」

「え?」


 やっと王子の姿に気づいたらしい白雪姫は顔を上げじっと王子を見た。


「……あなたは?」

「私は隣国の王子です。道に迷っていたところ倒れたあなたを見つけまして……。大丈夫ですか?」

「まあ、王子様。わぁん! 怖かったですぅ」


 王子と知るや否やころりと態度を変え王子に抱き着いた。そして恐怖に震え涙を見せるとその涙で潤んだ瞳で王子を見上げた。儚く可憐でどことなく色気を感じる白雪姫に王子はごくりと唾を飲んだ。


「王子様が助けてくださいましたのね。私、怖い魔女に殺されそうでしたの。助けてくれてありがとうございます。王子様は命の恩人ですわ」

「ああ、あなたのような可憐な方が殺されずに済んでよかった。もう大丈夫です、私が守りますから」

「まあ! そんな訳には参りませんわ」

「いえ! ぜひ守らせてください。ここは魔女に知られてて危険だ。私と我が国へ来ていただけませんか? きっと守りますので!」

「そんな……、よいのかしら」

「はい!」


 目覚めた時の白雪姫の第一声など忘れたらしい。

 可憐な白雪姫にすっかり絆された王子は儚く涙を零す白雪姫を励ますように両手を包んだ。白雪姫は少し困ったように目を伏せつつも満更でもないような雰囲気を作る。それに気を良くした王子は鼻息荒く白雪姫を誘った。


「我が国へ共に来てください! あなたに不自由はさせませんよ。魔女からも守りきります!」

「まあ、王子様はとても頼りになりますのね。どうか私のことを連れ去ってくださいませ」

「連れ去ります!」


 王子と白雪姫は抱き合う。

 王子の肩に顔を着けた白雪姫はにやりと笑って呟いた。


「やったわ、玉の輿ゲットだぜ」

(そういうやつよね、白雪姫は!)


 すっかり傍観者なリエラはにやりと笑う白雪姫にツッコんだ。




 ――こうして、猫被りな白雪姫にすっかり騙された王子は白雪姫を隣国へと連れ帰ると結婚を申し込みました。


 白雪姫が死なずにいなくなったことに気づいたお妃様は鏡に白雪姫を探させるも終ぞ白雪姫は見つかりませんでした。

 世界を見渡せるはずの魔法の鏡は曇らされ続ける長年の白雪姫のイタズラによって遠くまで見渡せなくなっていたのです。


「ちょっとなんで白雪姫が見つからないのよ!」

「私も歳をとりました。あなたと同じですね」

「なんですって!?」


 そして、白雪姫の本性は知られることなくその美しさで周囲を陥落し続け、いつの日か女王となり世界の覇者となった白雪姫は幸せに暮らしましたとさ。


 ――めでたしめでたし』



「なんか最後、すっごい適当!」


 ウサギの体から抜け出たらしいリエラは思わずツッコんだ。すると物語から出る直前の真っ白な空間で白く光る人影を見つけた。


『ブラボー!!』


 スタンディングオベーションをする人影は感涙に咽いでいた。


『世界激震! 全米が泣いた! 白雪姫超大作!』

「ええっ!?」


 拍手をし涙を流し続ける人影はどうやら狂いの図書の本体ようだ。

 なんだかすごく満足したらしい。

 よかった。すごくよかった。でも――。


「それでいいの!? 狂いの図書ー!」


 リエラの意識は白く消えていった。

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