白雪姫は歌わない2
ぜいぜい、はぁはぁと荒い呼吸をあげてリエラはふらふらと木の幹へ腰を落とした。
(こ、ここまで来れば大丈夫……)
何度も撃ってくる猟師の弾を必死に避けながらなんとか猟師から逃げ切った。
とてつもなく必死だった。おかげでどうにかウサギ料理になることは回避出来たらしい。
(こんなに走ったし痩せた気がするぅ。……ウサギだけど)
ウサギが痩せれば本体も痩せるのだろうかとくだらないことを考えていると、大きな耳が微かな足音を拾った。
猟師が来たかと一瞬緊張したが、足音は軽く猟師のものではなさそうだった。
力の入らない足でどうにか立つとぽてぽてと歩き草陰から音のする方を覗いた。
(あ、白雪姫だ! よかった見つけたぁ)
そこには逃げ回ったせいで見失った白雪姫がいた。
拓けた場所には丸太でできた小さな小屋が建っており、白雪姫はその小さな小屋のドアを迷いなく開けると中に入っていった。ドアが閉まる前にリエラは慌てて小屋の中へと入った。
小屋には小柄な白雪姫が使うにしても小さいテーブルや椅子、ベッドが並んでいた。ベッドが7つあることから7人で暮らしている家らしい。
何をするのかなとちらりと白雪姫を見ると白雪姫はむっすりと薔薇色に染まる白雪の頬を膨らましてぶーたれていた。
「あー、つっかれた。嫌になっちゃうわよね、あの陰険ババア。こうなったらもう絶対家に帰らないんだから。家出よ家出」
白雪姫は少し部屋を見回すとそのまま並んでいる7つのベッドに倒れ込んだ。そして布団を顔まで被るとぐぅすかと寝始めた。
(ちょっ! ここ、誰かのおうちだよ!?)
全く躊躇なく家に入りベッドを使っているが、家の家具の大きさや数から白雪姫の家や隠れ家などではないはずだ。
慌ててベッドに登り寝ている白雪姫の頬を小さな前足でぺちんぺちんと叩いた。しかし、本格的に寝始めた白雪姫は起きる様子はなかった。
(おきてー! ここの家の人が帰ってきたら大騒ぎになっちゃうよー)
必死で起こそうとするも起きない白雪姫に焦る。また猟師みたいに白雪姫が狙われたら大変だ。
必死に白雪姫の体を揺すっているとドアが開く音がした。ここの住人が帰ってきてしまったらしい。
「ただいまー」
「帰ったぞー!」
「そんなこと言っても誰もいないけどなー」
「いや、待て。誰かいるぞ」
「ホントだ、いるぞ」
「オレたちのベッドにいるぞ」
「誰だ?」
大変だとリエラは振り向く。
(わ! 帰ってきちゃった! あれ? 小さい……。小人?)
白雪姫の腰ほどくらいの大きさの彼らはしかし子どもではなく成人した大人の顔立ちをしていた。『白雪姫』の物語には小人が出てくるがきっと彼らのことだろう。
7人賑やかに帰ってきた彼らは家に誰かいると警戒して不自然に掛布が盛り上がるベッドを鋭く睨んだ。
「なんだ、強盗か?」
「強盗がこんなマヌケに寝るか?」
「じゃあなんだ」
「家を乗っ取る気か?」
「ならば追い出さなければ」
「叩き出さなければ」
「乗っ取る気がなくなるように痛い目に合わさなければ」
小人たちは手に持っていたハンマーや立てかけてあった斧を構えてゆっくりと白雪姫の寝るベッドへと近づいてきた。
(大変! どうにかしなきゃ!)
どうにかしなければと思うもウサギのリエラが出来ることなどほとんどない。どうしようと考えている間にもじりじりと小人たちは近づいてくる。
はっと思い出した。
白雪姫は美しい。世界一美しい。ならばヨダレを垂らして寝ている姿もきっと美しい。
リエラは白雪姫の顔に掛かっている布団を剥ぎ取った。
(さあ、見てこの超絶美少女!)
布団がなくなり露わになった美しい顔を見て小人たちは動きを止めた。
「女?」
「女だ!」
「美しいぞ」
「可愛いぞ」
「寝顔ォ」
「叩き出せないな」
「叩き出すのは辞めるか」
うんうんと頷き合う小人たちを見るに襲撃を止めることに成功したらしい。
そうしているうちにベッドの布団がもぞりと動いた。
「んー、なにようるさいわねぇ」
もぞもぞと起き上がり白雪姫は不機嫌な声をあげた。そして顔を顰めながら目を擦ると顔を上げた。
「まったく、人がせっかく気持ちよく寝てたんだから気を使いなさいよね。……あら、小人」
目を開いた白雪姫はここの住人が帰ってきたことに気がついたようだ。
「何故ここにいる」
「オレたちの家だぞ」
「美しいぞ、女神か」
「可愛いぞ、天使か」
「いや、オレの嫁だった」
「よく寝たか」
「おはよう」
7人それぞれに話し始める小人たちを見てすぐさま状況を把握した白雪姫はうるりと目をうるませた。
「あの、ごめんなさい。わたし怖い人に追われていたの。とても恐ろしくて……。お母様に家を追い出されてしまったの。それでお母様は怖い人にわたしを襲わせようとしたみたいで……。とても怖くて近くにあったあなたたちのおうちに逃げ込んでしまったの。驚かせるつもりはなかったのです。ごめんなさい……」
微かに震える可憐な声。とても恐ろしかったのだろう。青ざめた美しい顔に胸が痛む。憂いを帯びた儚げなその姿は雪のように消えてしまいそうだった。それでもふるふると震えながらも気丈に説明する姿に小人たちは陥落した。
(すっごい! あの猫の着ぐるみほしい!)
白雪姫の変わり身の早さ。絶対に思ってないことをあそこまで臨場感たっぷりに話せる演技力。
猫を被るというより猫を全身に着ている白雪姫に感心した。
「可哀想に」
「辛かっただろう」
「しばらくここにいるといい」
「住むところがなければここに住むといい」
「同棲!」
「怖い奴はもういない」
「もう大丈夫だ」
白雪姫は小人たちの言葉に感激したようにほろりとひとしずくの涙を流すと儚げにはにかんだ。
「ありがとう、素敵な小人さんたち。ここの住人さんが優しいあなたちでよかったわ」
儚い美人に微笑まれた小人はあっという間に白雪姫の虜になった。彼らは顔を真っ赤にしながら白雪姫を歓迎した。
「もちろんだ」
「困った人がいたら助けなければな」
「何も心配することないぞ」
「悪い奴からも守ってやるぞ」
「いやっふー! 嫁といちゃいちゃデイズ!」
「ところでこれなんだ?」
「ウサギか?」
八対の目がこちらを見た。
リエラは白雪姫のようにきゅるんと目をうるませ小さく身を震わせる。同情を引くようにきゅーんと鳴くとついでに可愛く見えるように小首を傾げた。
「今日はウサギ鍋だな」
リエラは窓を突き破って脱出した。
「なにをやっているのよ! この無能!」
薄暗い部屋に甲高い叫び声が響く。
部屋には深紅のドレスを着た美しい女が這い蹲る猟師姿の男をその赤いハイヒールで踏みつけていた。
「申し訳ありません、仕留め損ねました」
「おまえ、それでも猟師なの!? 使えないわね!」
「すいません、丸々とした活きのいいウサギだったんですが……。仕留めていれば今日はウサギのローストでした。あれは旨そうだった」
「ウサギのこと言ってんじゃないわよ!」
きぃぃっとお妃様は猟師を何度も踏みつける。
「あんの忌々しい小娘!」
ぎりっと奥歯を噛み締めて猟師を睥睨した。
「あの小娘はヒステリックで何かあれば叫ぶような躾のなってない性悪よ」
「それは……」
あなたのことでは?
猟師は賢明にも口に出すことはなかったが、何かを感じ取ったらしいお妃様は更に眼光を強めた。
「なに?」
「いえ、なんでもありません……」
「わたくしみたいに思慮深く優しく美しい者が近くにいるのになぜあのようになったのかしらね」
「……」
いやむしろあなたたち二人はそっくりだ。血が繋がっていないのが不思議なくらいにそっくりだよと口が裂けても言えない猟師は必死に耐えた。
やがてお妃様は飽きたのか猟師から足を退けるとしっしっと猟師を追い出す仕草をした。
「おまえはもういいわ。失せなさい」
猟師は礼をするとすぐさま部屋から出ていった。
お妃様はイライラしたように爪を噛んだ後、部屋に一つだけ置かれた鏡に姿を映した。
「鏡よ鏡。世界で一番美しいのは誰」
「それは白雪姫です」
「っ!!」
(本当に忌々しい。あの娘さえいなければ……)
「本当に使えないものたちばかりだわ。もういい、わたくしがやればいいのよ……っ!」
美しい顔を醜く歪ませる姿を鏡は映し続けていた。
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