白雪姫は歌わない1

『むかし、むかし、あるところにたいそう美しい姫がおりました。ぬばたまの瞳は愁いを湛え、烏の濡れ羽色の髪に白雪のような白い肌を持つ美しい娘は白雪姫とよばれていました。林檎のように赤く艶やかな唇から紡ぎ出される可憐な声は聞く人をうっとりとさせます。

 その姫は――。


「あー! もう! 掃除めんどくさいわー! こんな美少女とっ捕まえて掃除しろなんてあのオバサン何考えてんのかしら。どうせ仕事するならウエイトレスとか店の売り子とかじゃない? 美少女は見せてナンボなのよ!」


 ――大層アグレッシブでありました。




 文句を言いながらガッシガッシと外の井戸掃除をしているのがどうやら件の主役、白雪姫のようだ。

 文句を言う口も止まらなければ掃除をする手も止めない。ついでにバケツを引っ付かみ走り回りながら塀や石像を磨き上げていく。

 完全にプロの慣れた動きだった。


 目を開けたリエラが見た光景は城の庭を掃除している少女の姿だった。

 狂いの図書に入ったら割り当てられた役を演じて物語を導いていかなければいけない。主役であったら物語が大分動かしやすかったと思うのだが、主役の姿は既にあるらしい。リエラが白雪姫になった訳ではないようだ。


 それにしても――。


(えーっと……。あれが……白雪姫……?)


 あれが?

 思ってたのと違う。

 衝撃を受けていると忙しなく動き回る白雪姫と目が合った。



「そこのウサギ邪魔よー!」


 バケツを振りかぶった白雪姫はこちらに中身をぶちまけた。


(ぎゃー!!)


 ばっしゃあんと勢いよく水が降りかかる。


(つめたーい!)


 びっしょびしょになったリエラはレンガ敷きの庭に溜まった水を覗いた。そこに映ったのは、まん丸お目目で長い耳を持った――ウサギだった。


(えっ! なにこれ! 私ウサギなの!?)


 手を覗けばふわふわの茶色い毛に覆われた小さな肉球があった。その肉球で忙しなく全身を確認すると今は水に濡れてぺたっとくっ付いているが全身が毛に覆われていておしりには小さなしっぽがある。

 今のリエラはまごうとなき濡れウサギであった。

 狂いの図書はリエラを野ウサギ役へと配役したらしい。


(喋れないしどうやって物語を導いていったらいいの……)


 びしょびしょのまま呆然と立っていると、ブラシでレンガを磨く白雪姫が近づいてきた。


「あんた、どんくさいのね。ぼーっとしてたらすぐ喰われるわよ」


 背丈が随分と小さくなったリエラに白雪姫はしゃがむとウサギの小さな鼻をツンとつついた。

 そして濡れている頭を優しくなでた。


「この城にはこわーいお妃様がいるんだからね。あんたなんかすぐにウサギのシチューにされちゃうわよ。

 まったくあのオバサン人使いが荒いんだから。腹が立ったからあのオバサンのお気に入りの鏡曇らせといてやったわ。いい年こいて鏡ばっか見てんじゃないわよってね。

 はぁ、とっとと金持ちと結婚してこんな家とおサラバしたいわ。目指せ玉の輿!!」


(あ、この白雪姫いい性格してる)


 拳を突き上げ語る白雪姫に思わずそう思った。この気の強さ、お妃様に勝てそうだ。


(原作ってなんだっけ? 義娘と義母の諍いの話だったっけ? ……そうだったかも)


 原作も大まかに考えれば義母娘の諍い話だなぁと遠くに目を遣り考える。


 そんな逃げずにぼーっと立っている目の前のウサギに白雪姫はふわりと微笑んだ。

 その優しい笑みは原作にも負けないほど慈悲深く美しいものだった。


「それにしても、あんた本当に美味しそうね」


 リエラは脱兎のごとく逃げ出した。






 陽の光が入らないように分厚いカーテンが引かれた一室。豪華に縁どられた鏡だけが置かれた異様な部屋に美しい女がいた。

 緩やかな巻き髪に赤く引いた紅、少しつり上がった瞳はその女を魅力的に魅せていた。ドレスからでも分かる肢体は豊かな胸に引き締まった腰周りはいるだけで周りを誘惑するような大層美しい女だった。

 女は鏡の縁をするりとなでると妖艶に微笑んだ。その微笑みは世の男どもを魅了するだろうにそれを見ているのは鏡とそれに映る自分だけであった。


「鏡よ鏡。世界で一番美しいのは誰?」

「曇っていて見えません」

「なんですって? ……あいつね。あんの忌々しい白雪姫がまぁた悪戯したのね!」


 むきぃっとハンカチを噛み締める。そのハンカチで鏡をせっせと拭きあげた。


「これで見えるようになったかしら!? どうなの!?」

「はい、見えます」

「そう? ならいいわ。んん、それじゃもう一度行くわよ。鏡よ鏡。世界で一番美しいのは誰?」

「白雪姫です」

「むきぃっ!!」


 悔しげに女は地団駄を踏む。


(私はとても美しい。それなのに更に美しい白雪姫が側にいるせいで私の美しさが霞むのよ。

 なんと忌々しい。……よく鏡に悪戯も仕掛けるし。

 白雪姫がいなくなれば私が世界で一番美しくなるのよ。……あと快適に暮らせるし。)


「そうだわ」


 にやりとその美貌を歪め嘲笑った。


「猟師、猟師を呼んでちょうだい」






 ぜえはあと息を切らした茶色い野ウサギは森の中までやって来た。もうここまでくれば大丈夫に違いない。あの微笑みは怖かった。一歩遅ければ耳を掴まれて絶対喰われてた!

 恐怖に戦きながらも考えた。どうにか一定の距離を保ちながら白雪姫を手助け出来ないものか。

 最初は白雪姫のペットにしてもらえないかと考えたがあの目は完全に捕食者の目だった。近くにいたら貞操(兎肉)が危ない。

 困ったもんだと唸っているとリエラのいる木の反対側から話し声が聞こえた。


「まあ、猟師さん。近くに高く売れる山菜があるって本当かしら」

「はい、本当です。とても旨いんですよ」

「あら、それは楽しみですわ。猟師さんってとっても詳しいのね、ありがとう」


 鈴の転がるような軽やかな声で話すのは白雪姫だ。

 庭で会った時と大分印象が違う。向かい合った大柄の男に上目遣いで媚入った声で話すその様子は完璧に本性を隠し可憐な姫に擬態していた。


(すっごい猫被ってる!)


 リエラは木の影からこっそり二人を見た。

 二人はここで山菜摘みをするらしい。

 にこにこと微笑む白雪姫は山菜を摘むと手に持っていた籠にどんどんと入れていった。


(確か、お妃様に依頼された猟師が猟銃で白雪姫の心臓を狙うんだったよね。でも白雪姫の心の美しさに触れた猟師は殺すことを辞めるんだったはず)


 さあ、猟師と話せ!

 その心の清らかさをさらけ出すんだ!


「これ売ったら稼げるわ。できるだけ大量に採るわよ。あ、猟師に持たせてもいいわね」


(あ、ダメだ)


 絶望した気分で猟師の方を向く。猟師は猟銃を構えて白雪姫に狙いを定めていた。


(ちょぉっとぉお! 白雪姫、振り向いて! せめて振り向いて!)


 白雪姫は山菜に夢中でまったく気が付かない。猟師も狙うのを諦めた様子はない。

 このままじゃリンゴも食べてないのに白雪姫が死んでバッドエンドだ。


(どうにかしないと! なにか、なにかない?)


 考えている間にも猟師は狙いが定まった様子で引き金に指をかけた。そのままゆっくり引き金が引かれ――。


(ええい!)


 リエラは急いで走ると思いっきり踏み込み高く跳躍した。


(野ウサギキーック!!)

「っ!!」


 ダァンと大きな音がして森の鳥たちが飛び去った。


 周囲に人がいないと油断していた猟師は急な衝撃に体が傾ぎ狙いを外した。

 慌てて周りを見ると目を見開いてこちらを見る白雪姫と茶色い小さなウサギがいた。


(にげてー!)


 必死に白雪姫へと合図を送るも白雪姫は気づいた様子もなかった。白雪姫は驚いた顔のまま猟師に問いかけた。


「どういうこと?」

「そ、それは……」

「私を殺そうとしたの? なぜ? ……あ、アイツね! あのお妃のババアに言われたんでしょ! どうなの!? なんか答えなさいよ!」

「え、えっと、はい……」

「やぁっぷぁりねぇ! 急に山菜取りに行けだなんて変だと思ってたのよね! あんの陰険ババアのやりそうなことだわ! はぁ、もうやってらんないわ!」


 急に人が変わったように話し出す目の前の少女に圧倒された猟師を白雪姫はきつく睨みつけた。


「あんたもね、それ犯罪だから! 当たったら死ぬから! 人殺しだから! 次はやるんじゃないわよ! 分かった!?」

「は、はいっ! 申し訳ありませんでした!!」


 白雪姫のあまりの剣幕に猟師は何度も頷いた。それを見た白雪姫はまたひと睨みするとほんっとやってらんないとぶつくさ言いながら白雪姫は山菜が大量に入った籠を掴んで森の奥へと歩いていく。


「あ、あの白雪姫、どこへ行かれるんで……?」

「あたしがどこへ行こうがあんたに関係ある!?」

「な、ないです……」

「そうよね。着いてくんじゃないわよ!」

「は、はい!」


 ふんっと鼻息荒く白雪姫は森の中へ消えていった。


(よかったー!)


 バッドエンドは回避出来たらしい。一安心して白雪姫の背中を見送った。あ、ダメだ。着いてかなきゃ。


「あの可愛いお嬢さんがあんなに怖いとは……」


(うんうん、分かるよ。驚くよねー)


 猟師の言葉に思わず頷くと猟師と目が合った。


「ウサギだ」


 うん、ウサギだね。


「俺は猟師だ」


 そうだね、猟師だね。


 猟師が猟銃を構える瞬間リエラは走った。

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