狂う物語へ
あれから図書室を出たリエラ達は本日泊まる客室へ案内がてら簡単に屋敷の説明を受けながら歩いていた。
「急なことでしたので部屋の準備ができていなく申し訳ございません。部屋が整い次第ご案内いたしますので本日は客室でお休みください」
「ううん! 私が急に来ちゃったみたいだし気にしないで! 寝るとこがあるだけで嬉しいよ」
申し訳なさそうにするキースに両手を振りながらにっこりと笑顔を作る。
そしてそれから歩いていた廊下を見渡した。
「そういえば、最初に目が覚めたときにここらへんの扉を開けてみたんだけどどこも鍵が掛かってるんだね」
「ああ、すみません。部屋を全く使っていないのでほとんどの部屋には鍵をかけているのです」
「使ってないの? そういえばずっと静かだけどここのお屋敷って他に誰か住んでいるの?」
きょろきょろと見回す。
陽はすっかり暮れたようで廊下の窓にはカーテンが敷かれている。カーテンを捲っても真っ暗な闇だけが見えるだけだろう。
夜になっても自分たち以外人の気配を感じずとても静かだった。
「いえ、この屋敷に住人はおりません。元々は前の綴り手が屋敷の主として狂いの図書とともに屋敷の管理もしておりましたがその綴り手も十数年前にいなくなりました」
「主がいなくなった? キースさんはここの主じゃないの?」
「いいえ。私は以前の主より管理を任せられただけですので主ではございませんよ。今現在この屋敷の主人はいないのです」
「そうなの? じゃあキースさんはずっとひとりでここで暮らしてるの?」
「そうですね。以前は私の父もおりましたが数年前に他界いたしまして。それ以降は私ひとりが管理を担って参りました。とは言いましても回収の依頼を受けた狂いの図書の引き取りや捜索と各地を回ることも役目のひとつですので留守にすることが多いですね」
「そっか……」
キースもいろいろと忙しそうだ。
留守がちとは言うものの今いる廊下も図書室も埃っぽくもなく空気が篭っていることもない。しっかりと掃除や手入れがされているらしい。
忙しいのにすごいなーと思いながら歩いていると半歩前を歩いていたキースが立ち止まった。
「キースさん?」
「この狂いの図書が集まる屋敷の本来の所有者は綴り手でございます。そして今現在屋敷の主はおりません」
「うん」
「そこで、綴り手となったリエラ様にはこの屋敷の主となっていただきたいのです」
じっと見据えるキースを前にリエラは頭の中が疑問符だらけになる。
主? 主ってここのご主人様? お家の中で一番偉い人? だよね。……私が?
ぽかりとこちらを見つめるリエラにキースは優しく微笑んだ。
「あるじ?」
「もちろん仮、ですが。記憶が戻ればリエラ様は元の暮らしへと帰るでしょうからこちらに滞在している間のことだけです。
主とは言いましても管理はこのまま私が致しますし貴族の屋敷ではないので采配を振るうこともないでしょう。
……うーん、そうですね、主というのは名前だけとでもいいましょうか特に難しく考える必要はありませんよ。
こちらの屋敷の所有権は狂いの図書の魔力を完全に管理することができる綴り手だけが持つことができます。ですので現在の綴り手であるリエラ様に主となっていただきたいのです」
困ったように首を傾げるリエラに難しいことはないのだと優しく伝える。
「名前だけ? なにもしなくていいの?」
「そうですね、強いて言うならこの屋敷の主の仕事は狂いの図書を鎮めることでしょうか」
「狂いの図書を鎮めるお仕事……」
これからしばらく厄介になるのにリエラは今渡せるものはなにもない。それならば曖昧に綴り手をするよりも明確な仕事として綴り手業をする方が断然いい。
「うーん、分かった。じゃあ主になって綴り手のお仕事がんばるね!」
「ありがとうございます。管理は今まで通り私がいたします。分からないことがありましたら都度私を頼ってくださいね」
「うん!」
「それから私のことはキースとお呼びください。私は主となられたリエラ様に使える者ですから」
「キース……? なら私のこともリエラって呼んで!」
呼び捨てになると少し距離が近くなったようでそれならば私もと言ってみればキースは少し困ったように眉を下げた。
「いえ、私は……。リエラ様は私にとって主人となる方ですので呼び捨てにする訳には参りません」
「そっか」
そういうものかぁと少し残念に思うものの仮でもしばらくの間は主従関係になるのなら仕方のないことだ。
立ち止まっていた足を再び動かししばらくすると少し開いた扉があった。
「こちらが本日お休みいただく客室でございます」
「わあ!」
足を踏み入れれば客室とはいいつつもそれなりに広く、端にあるふかふかのベッドには糊のきいたシーツが掛けられていて清潔感のある部屋だった。
ここをずっと自分の部屋にしてもいいんじゃないかと思うくらいにはいい部屋でやっぱり大きなお屋敷は違うなと変な感心をしていると最後の準備が終わったキースがこちらに歩いてきた。
「こちらでお休みください。そしてまた明日狂いの図書について詳しい話をいたしますので支度が終わりましたら先程の図書室にお越しください」
「うん、分かった」
「夜もだいぶ更けておりますがお食事はご用意いたしますか?」
「しょくじ?」
あまりにもたくさんの事があって頭がいっぱいいっぱいでお腹は空いていない。リエラは首を振った。
「ううん。今日はもう寝ることにするよ」
「かしこまりました」
キースはそのまま部屋を出ると向き直る。
「では、また明日。おやすみなさい」
「うん、……おやすみなさい」
扉を閉めるキースを見送るとそのままぼふりとベッドに身を沈める。
今日は本当にたくさんのことがあった。正直理解しきれていなく訳が分からないことだらけだ。
考えたいことはたくさんあるが体は思ったよりも疲れ切っていたようだ。目を閉じれば意識はあっという間に沈んでいった。
――翌朝。
ふかふかのベッドで寝たおかげですっきりと目覚めたリエラは昨日の狂いの図書が収納されている図書室までやってきた。
「おや、おはようございます。お早いですね」
「お、はようございます」
カチャリと軽い音を立てて扉を開けばキースが脚立に乗って狂いの図書を数冊抱えているところだった。
「キースも早いね。なにしてるの?」
リエラは微笑むキースに同じように笑いかけると首を傾げた。
「こちらの部屋の狂いの図書は何年も保管のためだけに収納されておりましたので少し整理をしておりました。もうすぐ終わりますので少々お待ちくださいね」
「うん、分かった」
そちらに掛けてお待ちくださいと椅子に案内されたので遠慮なく座る。
手持ち無沙汰で本の整理を淡々とこなすキースをぼんやりと見ていたが、ふと目に入った手元にリエラは声を上げた。
「あれ? キースって手袋してたっけ?」
狂いの図書を取り出しては別の場所に移すキースの手には黒い皮手袋がはめられていた。よく見れば手の甲には金糸で複雑な紋様が刺繍されている。
昨晩は手袋をつけていなかったような気がして気になって聞いてみればああ、こちらですか? とリエラに見せてくれた。
「こちらは狂いの図書に触れるときには必ずつけているものです。
狂いの図書というのは物語に引きずり込もうと常に人間を狙っています。綴り手以外が触れると喰われる可能性があるので基本的に狂いの図書には触れずに離れなければなりません。
この革手袋は特殊な加工で手の甲にある刺繍に綴り手の魔力を編み込んでいます。そのおかげで綴り手ではない私でも狂いの図書に触れることができるのですよ」
もちろん本を持つことくらいしかできないのですけどねと言いながら革手袋を外して手渡してくれた。
綺麗に手入れされているため見た目は綺麗だが触るとくったりして使い込まれているのが分かる。
「私の職務上狂いの図書に触れることは欠かせませんからこの革手袋は必需品なのです」
「そっか。使い込まれてるのはキースががんばった証なんだね」
綴り手ではないキースが狂いの図書に触れ続けるのはリエラが想像する以上に危険なことだったのではないだろうか。そんな危険を顧みず狂いの図書の回収をしてきたキースを敬うようにリエラは革手袋の刺繍をひと撫でした。
これからもこの人を守ってくれますように。
自分の綴り手の力が入るようにと革手袋を撫でるリエラを見てキースは目を開いて動きを止める。
そしてぎこちなく目をそらすと微笑んだ。
「――ありがとうございます」
粗方整理が終わり昨日の説明の続きをしようと二人は向き直った。
「さて、昨日の話の続きにはなりますがこの部屋の本は全て狂いの図書だと申し上げましたね。確かにその通りなのですが全てが人を喰らったまま暴走しているモノではありません」
「そうなの?」
「はい。歴代の綴り手が完結へと導き終わったモノが大半です。物語が完結し力が安定しているので安全ですが魔力が込められているため外には出せずこちらで保管しているのです」
こちらが綴り手が鎮め終わった本です、と渡され手に取る。少し古びた本をぱらりと捲れば文章が終わりのページまできちんと記されていた。
表紙には題名と作者名がある。作者名は過去の綴り手の名前なのだろう。
狂いの図書はもうどこをどうみても普通の本にしか見えなかった。
「どこをどうみても何の変哲もない本だね」
「ふふ、そうですね。リエラ様にはこの状態にまで狂いの図書を安定させていただきたいのです。こちらの部屋の蔵書数はかなりのものですが大半は安定していて介入は必要ありませんのでリエラ様が導く狂いの図書は見たよりも少ないかと思います」
それを聞いて少し安心する。ぐるりと見渡せば本の山だ。これを全部導けと言われていたら逃げ出したくなったに違いない。
「リエラ様にはまだ作者名の記載がない狂いの図書を鎮めていただきます」
「わかった」
こくりと頷く。これから私は綴り手として狂いの図書とそれに食べられちゃった人たちを救うことになるんだ。
「それで私はどうすればいいの?」
「狂いの図書の中へ潜り込み完結へと導いていただきます。昨晩申し上げました通りなにか特別なことをするわけではございません。物語でおこる様々な問題を登場人物たちと共に考え解決してください」
「狂いの図書の世界では喰われた人が登場人物に置き換えられています。喰われた人間は記憶を奪われておりますが自我は保っています。ですので元の話の登場人物とは性格も考え方も違うでしょう。同じように話が進むとは限りませんのでリエラ様なりの物語の終幕を探ってください」
「私なりの……? 結末は決まってないの?」
「そうですね。どこが完結かというのは狂いの図書が定めます。物語のプロセスである起承転結や様々な問題の解決をきちんと進んでいければ狂いの図書は満足し完結と認めるでしょう。
完結が定まったら狂いの図書は自ら今までの歩みを綴り喰った人間を外へと排出します。そして綴り手名を刻み魔力が治まります」
これが狂いの図書の鎮め方ですとキースは締めくくった。
綴り手業を気楽に考えていたけどなんだか難しそうじゃない?
リエラは及び腰になった。うまくできるとは思えない。そもそも最初に治めた狂いの図書だってたまたまうまく完結できただけなのだ。
「うー……難しそう。私にできるかなぁ」
そうリエラが言えばキースは爽やかに微笑んだ。
「習うより慣れろと言いますしね。早速狂いの図書へ入ってみましょうか」
「えっ! 今から!?」
爽やかなその笑顔に顔が引き攣る。
「はい、もちろんです。数冊狂いの図書をご用意しましたのでこちらの中から選んでください」
「うへえ」
心の準備がまだできてないとリエラ怖気づきながらも差し出された数冊の中から一冊の本に指を掛けて引き出した。
「これかなぁ。えーっと……『白雪姫』?」
――白雪姫
ある国に白雪姫というたいそう美しい姫が暮らしていました。
あるとき継母である王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しいのは誰?」と問いかけます。魔法の鏡が答えたのは白雪姫。その答えに怒った王妃は猟師に白雪姫を殺すよう命じます。殺そうと森の中へ誘い込んだ猟師でしたが白雪姫を不憫に思い殺さず森の中へ置いていきました。
森に残された白雪姫は7人の小人と出会いしばらくの間は平和に暮らしておりました。
王妃は再び「世界で一番美しいのは誰?」と問い掛けます。白雪姫を始末し自分がこの世で一番美しいと思う王妃でしたが、しかし魔法の鏡が選んだのは白雪姫。
激怒した王妃は自らを老婆の姿に変え毒のリンゴを白雪姫に食べさせに森の小人と暮らす家へとやって来ます。
老婆から毒リンゴを渡された白雪姫はひと口齧ると瞬く間に倒れ永い眠りへつきました。
眠る白雪姫を囲み嘆き悲しむ小人たちのもとへ森を通りかかった王子様がやってきます。王子は眠る白雪姫をひと目で気に入り口付けを落とします。
王子様に口付けられた白雪姫は眠りから覚め王子様と末永く幸せに暮らすのでした。
「かしこまりました。それではリエラ様には今からこちらの狂いの図書『白雪姫』へと潜っていただきます」
「……うん」
「方法ですが、表紙の題名をなぞりながらその題名を読み上げてください。綴り手の魔力が狂いの図書へ流れ扉が開きます」
手にしたハードカバーを見た。今からこの中へと入るのだ。リエラはひとつ深呼吸すると指を本の上へと添えた。
その様子を見ていたキースは思い出したようにそうそうと付け加えた。
「狂いの図書の中で亡くなった場合、そのまま死んでしまいます。お気をつけください」
「えっ! そういうのはもっと早く言って?」
もう題名を読み上げるところだったのだ。後にひけなくなったリエラは頬を膨らませつつ題名をなぞった。
「もうっ! それじゃあ行ってくるね!」
「『白雪姫』」
「いってらっしゃいませ」
礼をとるキースの目の前で魔力によって眩く光る狂いの図書にリエラは飲み込まれていった。
支えを失いぱたりと音を立てて狂いの図書は落ちる。
「……どうかご無事で」
切実な音を持った声が聞こえた気がした。
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